5. 1987年の経営トピックス-5;第Ⅰ部総括と1988年度への動き。
1987年度の売上高は約22億円、営業利益は3億円強、外部への売上が伸びた分売上高利益率は低下してきているが、それでも利益率は10%を超え、この業界では極めていい数字だし、いずれも経営計画を上回っている。売上げの伸びの大部分はグループ外から、およそ30%程度に達した。顧客はほとんどが一部上場会社、それに海外企業が入る。設立時の計画では1990年に売上高を30億円(外部50%以上)としていたが、これを実現できる可能性もあながち画に描いた餅ではない。経営陣も社員もそして親会社グループも「やっていけそうだ!」「やるじゃないか!」と言う空気が強まってきていた。
しかし、このような楽観ムードの中で一部の管理職や専門職に不安が無かったわけではない。そのいくつかをここで振り返ってみたい。
第一は、市場規模がこのまま伸びるとしても売上の伸びは人数に比例するので、人材確保・育成が順調に進むだろうか?現在の戦力の中心は東燃グループで経験を積んだヴェテランばかりだが、これからは採用環境が厳しい上に、メンバーの多くはコンピュータばかりでなく、適用実務(会計や生産)に全く経験のない新卒になる。
第二の懸案事項は、コンピュータ技術に関することである。会社設立の段階からある程度気が付いていたことであるが、ダウンサイジングとネットワーク化の進展がはっきりしてきており、ヴェテランもこれらの技術習得無くして割の良い仕事にありつけなるおそれがあるのだ。
第三の課題は、第二とも関係するのだが、高収益の源泉であるACS(IBMのプロセス制御システム)が東燃に導入されて既に7年、汎用機をベースにするシステムだけに、ダウンサイジングの趨勢にいつまで耐えるか?IBMが小型機ベースの新商品開発にかかる動きがないだけに、何か対応策を考えなければいけない。
更にこの第二、第三にも関連する問題点として、パッケージ利用の動きも気になるところであった。それまでは自社の適用業務に合わせて仕立ててきた、手作りシステムを出来合いのパッケージで済ませることにより、大幅なコストダウンを図る動きである。当時は主にPCベースのものに限られていたが、欧米では汎用機やミニコンをプラットフォームにするものもかなり使われ始めていたからである。これが第四の留意点である。
また第五として、フルに経営した2年を振り返ると、内部と外部の利益率には大きな差があり、外部業務が増えるほど低下していくことが明らかで、ここをどう改善するかが健全な成長のカギであることも分かってきた。
いずれも焦眉の急と言うわけではなかったが、余裕(特に資金)のある時に手を打っておかなければならない。第一に関しては、奇手は無い。新人の一部をグループ会社の実務部門に送り込むなどして育てていくことにした。ポストACSも直ぐには後継システムは見当たらないが、第二、第三、第四の課題対応と併せて、東燃グループ内で設備保全システム開発のプロジェクトが始まったので、パッケージとしてヒューレットパカード製のミニコンにこれを組み込む案で知識習得、新商品開発に取り組むことにした。第五への対応はソフトウェア開発の標準化を徹底的に進めるため、東燃グループ内で適用していた開発手法を改善して当たることにした。
人もカネも時間もかかるこれらの課題対応と目の前のビジネスのバランスを適切にとることが、情報サービス会社経営の総てと言っていいが、経営陣3人の中でこれを正確に理解できている人はMTKさんしか居ない。
1988年は東燃本体の役員改選の年、それはSPINにも及ぶ可能性がある。1987年度の経営を順調に終えたSPINで入れ替えがあるのだろうか?願わくはMTKさんに社長になってもらいたい。そんな希望をある時東燃の若手役員に話したことがある。その人が呟いたのは「一番適任だが本社の役員をやってないからなー」だった。確かにそういう前例は極めて少なかった。
(第Ⅰ部完;第Ⅱ部は“経営陣一新”から始める予定です)
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