2014年12月16日火曜日

決断科学ノート;情報サービス会社(SPIN)経営(第Ⅱ部;取締役の一人として)-3


1.   経営陣一新-3
東燃本社社長のNKHさんに次期役員任命を言われてから1週間くらいたった2月下旬、次期SPIN社長と告げられたSMZさん(当時東燃経理・財務担当取締役)に呼ばれ、本人から直に次期社長になることを伝えられ、4月までの間に適宜SPINの経営状況についてレクチャーして欲しいと依頼された。「同期のMTKさんも居るのに何故?」とは思ったが「10歳近く年下の私の方が聞きやすいこともあるだろう」とお声がかかると部屋へお邪魔していた。そんな日々が続く3月上旬のある日、気安く話が出来るようになったこともあり、「新経営体制はどうなるんですか?」と聞いてみた。「ウン?まだ知らないのか?僕と君とMYI君だよ」との返事。「!?(エッ!MTKさんはどうなるのだろう?やっぱりMYIさんはSPINに来ることになったんだ!)」「MTKさんはどうなるんですか?」と問うと「常任監査役だ(それまで監査役は本社システム計画部長が非常勤で務めていた)。MKNさんは顧問、KKTさんはTSK(東燃石油化学)に戻ることになった」との信じ難い答えが返ってきた。そして「MYI君との役割分担は君が決めてくれ」と初めての仕事を命じられた。
そう言えば2月下旬からSPIN役員室(社長を含む3役員共通)に出入りしていて、何か雰囲気がそれ以前と違っていた。諸経営案件に対する詰めが簡単なのだ。一言でいえばこちらの提案や報告がそのまま通ってしまうことが多かった。この時点では次期経営陣につながるのは私だけだったから、そういう結果になったのだろう。現職経営陣一掃。順調に経営されている会社では一般にはあり得ない役員人事である。
3月下旬すべてが明らかになった時MTKさんと二人で話す機会があった。人事に関して決して泣き言を言ったり、人を悪く言うことのなかった人だが、ポツリと「社外の人に、何か大きな不祥事を起こしたと思われても仕方がないよな」と漏らしたことは今でも鮮明に記憶に残っている。そしてNKHさんから「監査役でも残りたいか?」と問われ「まだ60歳前なので、しばらく置いていただきたい」と答えたことも打ち明けてくれた。
大分あとになって分かることだが、NKHさんはMTKさんをSPIN経営の第1線から外すことに随分迷っていたようだ。私に対するご下問は「SMZさんとMTKさんは一緒に上手くやっていけるか?」だったが、「MTKさん無しで経営がやれるか?」と言う質問を、東燃役員や上級管理職あるいはSPIN管理職にも個別にしていたことを、問われた当人から聞かされたことがある。これが変じて私が「MTKさん無しでやっていけます」と断言したように一部に伝わっていることは大変不本意なことである。
このMTKさん外しは、グループ内部より外にジワーッと影響が出ていく。決して“不祥事”などではなく「あれだけの実力者、功労者の処遇としておかしいのではないか?」との声である。MTKさんをよく知る同業他社、コンピュータ会社、計測制御機器メーカーばかりでなく、石油・石油化学工場の事故調査では絶大な力を持つ学会の先生方からもそんな声が挙がっていた。
3月末の株主総会で東燃本社・関係会社の株主総会(SPINの場合は東燃のSPIN担当役員1名)ですべてが決まり、各社の役員は大幅に若返った。MKNさんとMTKさんは前年秋に開いた品川オフィスに部屋を設け、KKTさんはTSKに戻っていかれた。新経営陣はSMZさん、MYIさん、私の3名。MYIさんに営業部・総務部・ビジネスシステム部を担当してもらい、私は技術システム部と経営企画機能(各部よりメンバーをピックアップ、事務局は総務部)・海外関連業務(営業を含む)を担当することでスタートした。

(次回;1988年の経営トピックス)


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