2015年10月15日木曜日

決断科学ノート;情報サービス会社(SPIN)経営(第Ⅱ部)-28


529日以降中断しておりましたSPIN経営-Ⅱを再開いたしますので、よろしくお願いいたします

61990年経営総括
1988年~89年は役員第一期、それ以前のグループ内業務中心から、あらゆる面で外部へ打って出る2年。新人採用の本格化、商品・サービスの充実、計算センターの清水への移転、親会社とは独立したオフィスの確保(飯田橋)、協力会社(システムブレイン)への資本参加など、目の回るような忙しさの内に過ぎていった。幸い業績は順調で売上も利益も計画以上の実績を上げることが出来た。
それに次ぐ2期目の初年度となる1990年、既に“経営トピックス”としてその活動概要を紹介してきたが、そこでも触れたように、後で振り返るとIT関連の大転換期;小型化の流れ、通信環境の変化、アプリケーション・パッケージの普及などがそれらである。この渦中にあって、必ずしも事前にこのような動向を正確に読んでいたわけではないが、海外の動きも含めてそれらに接触・触発される機会が多々あり、結果として流れに取り残されることなく、その後への備えが出来上がっていった。
会社発足の動機でもあったIBM汎用機をプラットフォームとするプロセス制御システムACSは依然引き合いはあったものの、ダウンサイジングの傾向ははっきりしてきており、「次は何か?」を問われ始めていたが、これもACSの米国での拡販計画が縁で米国CDS社の生産管理システムMIMIの独占代理店契約に成功、新時代への足掛かりを得た。
経済情勢全般は依然バブルは膨らんでおり、設備投資中でも情報技術投資は旺盛で、事務系もプラント系も大きなプロジェクトの引き合いが絶えなかった。また、親会社も第2次石油規制緩の真っただ中にありながら、バブル景気の中でのエネルギー需要は衰えず、製油所を含む生産管理システム体系の再構築(インテリジェント・リファイナリー計画)や財務・経理システムの更新などのプロジェクトが目白押しだった。
会社設立時に、実態として「これしかできない」ことから経営戦略の柱とした“化学プロセス工業特化(広義の化学プロセス;石油精製・石油化学、化学、鉄鋼・非鉄金属・紙パルプ、セメント・ガラス、医薬・食品など)”もやっと業界でその専門性を評価され、ホームグランドの石油精製・石油化学以外にも、大手顧客がつくようになってきた。これは工場のプラント運転や保守ばかりではなく、本社の経理・財務・購買のような事務系アプリケーションにも及んできた。
この業種特化に対する評価を更に高めてくれたのは、分社化前から関わってきた、本来意図したものではなかったが、化学工学会のプラントドペレーション研究会・経営システム研究会、富士通のラージシステム研究会(LS研)やOR学会、経営情報学会での積極的な活動参加も無縁ではなかった。
また当面はハードルが高いと思われていた、海外ビジネスも韓国石油最大手の油公(ユゴン;現SKエナジー)へのACS導入サポートがきっかけで、同社のプラントメインテナンスシステムの開発に兄弟会社の東燃テクノロジーと協力して受注できた。
このように良好な経営環境から1990年度の売上高は40億円弱、経常利益も約11千万円、従業員数も150名を超えるまでになった。売上高は前年より約4億円増、ここで注目すべきはグループ外への売上が約12億円、全体売上の13目前に達したことである。ただ利益に関しては、ACSの売上が低下したことと内部に比べ外部の利益率がやや低いことから微増に留まった。しかし全体として成長する市場でそれに見合う売上を伸ばすことを目標としてきたことを勘案すれば、合格点をもらえる経営結果と言っていいだろう。

(次回;1991年;二つの海外出張)


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