7.1991年;二つの海外出張
日本のバブル経済崩壊はこの年の3月頃からに始まったのだが、依然として情報システムへの投資は活発、当社の経営状況も堅調に推移し、バブルが弾ける予兆は全く感じられなかった。ただ、汎用機中心だったこの世界に変化が起こり始めていることはPCと通信技術の普及、それにアプリケーション用パッケージが小型機向けに勢いを増しおており、確実に新しい時代を予見させていた。技術系のACS(プラント運転管理)も事務系の一連の業務(経理・財務、購買、販売)も汎用機を得意とする事業内容に将来を見据えた手を打つ必要が迫ってきていたのである。
情報サービスの新しい動向は、ITジャーナリズム、コンピュータメーカーあるいは東燃(主にエッソ・モービル関係)を始めとするユーザーからもたらされていたが、内容は断片的で玉石混交。やはり自ら確かめることが大切である。役員になった1988年から、経営企画を担当することになり、毎年少なくとも一回は米国に出かけ、調査活動を行い、その結果が生産管理用パッケージMIMIの導入などにつながっていたが、この年も2回海外出張し、その後に役立つ知見を得ている。
一つはオーストラリアで開催された富士通主催の世界規模のユーザー会である。きっかけは1989~90年の2年間活動した富士通汎用機ユーザー会の研究会(LS研)における分科会活動“情報システム戦略度診断手法”が最優秀研究として認められたことによる。この研究は当時話題になっていた情報システムの戦略的利用法(SIS;Strategic Information System)について、内外の適用事例を調査分析し、その診断法を開発、より高度な(戦略的)利用法への処方を示すことを目的としたものであった。その手法は“経営戦略への情報システムの関与度”“利用部門での情報活用度”“システム部門の組織管理力”など6点の評価項目をレーダーチャートで示すとともに、発展段階の位置付けを行うもので、2年と言う制約もあり、学問的・実用的な詰めはいささか甘かったものの、関係学会を含め内外から注目され、海外での発表が実現したわけである。開催時期は5月、場所はアデレード、発表者は初年度のリーダー、鐘紡情報システム部長のYSDさんと次年度リーダーだった私の二人である。
この会議と前後の他国訪問(個人的に知己の居たシンガポール、富士通が準備したフィリピン)を合せて分かってきたことは、事務系個別業務向けシステムは既に第二世代(バッチからオンラインリアルタイム)に移ってきているが、統合的な運用には至っておらず、経営戦略レベルでの利用が大きな課題になってきていることであった。つまり、のちにブームを呼ぶERP(統合基幹システム)の必要性である。これは既に普及しつつあった生産系のCIM(統合生産管理システム)の全社版であり、その必然性はよく理解できた。我が社はERP(まだ当時この言葉は使われていなかったが)にどう取り組むか。この問題意識が出張の成果であった。
もう一つは11月にロサンゼルスで開かれた米国化学工学会(AIChE)年会における我が国化学工学会とのマネージメント部会ジョイントセッション参加である。これを仕掛けたのは千代田化工の役員退任後名古屋商科大学教授を務めていたKMTさんで、この人は化学工学会経営システム研究会立ち上げの発起人でもあったことからマネージメント関連研究会同士の交流を図ることになったわけである。日本側は東レの伊藤会長、カネカの舘社長など錚々たるメンバーが発表者として参加した。私も研究会の情報システム関連主査をしていたので前出の“情報システム戦略度診断”を紹介、AIChE関係者にSPINを「日本におけるプロセス工業特化のシステムインテグレータ」として売り込むことが出来た。
また、AIChE年会の前後、大学(ノースウェスタン大、MIT)、シンクタンク(ノートン・ノーラン研究所)、企業(DEC、ユニオンカーバイド)などを訪問し、主にプロセス工業におけるIT利用の彼の地における実態をつぶさに知ることができた。どうやらこれからUNIXベースが主流になりそうだと。
(次回;東燃の情報システム動向)
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