2015年12月21日月曜日

四国山越え海越えドライブ-7


6.大歩危と桂浜
日本列島には南北と東西に走る二本の構造線がある。南北に糸魚川から駿河湾に至る糸魚川-静岡構造線。もう一つは、鹿島から諏訪を経て伊勢に上陸、紀伊半島の根元を横切り紀淡海峡を渡り、四国に上陸、吉野川(四国三郎)を遡り香川・愛媛の四国山脈を走り、佐田岬半島から日向灘を横切って大分から阿蘇を経て薩摩半島のつま先に達する長大な中央構造線である。この構造線を横切る土木工事は黒部の例に見るように難工事であるが、大歩危小歩危は吉野川が自然の力で構造線四国山脈を分断させた所である。1969年にここを走って以来昼なお暗い深いV字谷は忘れられぬ想い出になり、今回も走行ルートに欠かせぬ場所になっていた。
徳島道の井川池田ICで降り国道32号線に入ってしばらくすると祖谷口駅でこの道は二手に分かれる。いずれも32号線なのだが、東側は祖谷へ西側は大歩危小歩危に向かう。前回書いたように、ここで細かい設定を怠ったためナビは西路を選んできてしまった。大歩危小歩危直行ルートである。誤りは直ぐ気が付いたが構わず進んだ。やがて東側から吉野川が一番下、次いで国道、少し上に土讃線が並走する狭隘な谷間に入り込む。天気も鳴門の時とは違い雲が出ているので、昼前とは思えぬほど薄暗くなってくる。土木機械が普及する前に開削した道は、高低差はさほどないものの、地形通りに紆余曲折する。どこかで少し休憩して景観を楽しみたいのだが、結構道筋の谷側には人家も多く駐車スペースが無い。事前に調べておいた道の駅“大歩危”に達した時には祖谷への分岐路の表示があり、取り敢えずそこへ直行することにする。
昼食を祖谷で終え、来た道を分岐路まで戻り、そこからさらに32号線を引き返して“大歩危”に駐車してしばし渓谷沿いを散策した。残念ながら紅葉には早すぎた。渓谷も山も昔と変わらぬが道沿いは妙に整備され過ぎていてコンクリートの回廊を歩かされる羽目になった。観光地の自然との共棲の難しさをここでも知らされる。
大歩危を発ったのは13時、32号線をさらに南下して大豊ICで高知道にのる。この道も自動車専用道だが対向一車線で追い越しは特定の場所しか出来ない。幸い交通量が少なく快適に飛ばせるのが救いだ。1350分南国SAに到着ここで小休止と桂浜情報を入手する。出口は高知ICで、そこから南へ向かう道は市内中心部を通らないので難しくないとのこと。また桂浜には広い駐車場があることも確認できた。ナビとSAの案内に従い30分後には桂浜に着いた。
ここも前回来ているのだが朝で晴天だったこともあり印象は随分違う。大海原を見晴るかす展望は同じだが、その時は坂本龍馬像が朝日に輝いていたのだが今回は薄日の午後、龍馬像は西日のせいもあり暗く、高度成長の始まりと成熟・高齢化時代のギャップを痛感させられる。歌にも唄われる名所を訪れたことで良し!とした。
桂浜出発は3時。もう少し時間が早く晴天ならば四万十まで海岸沿いの地方道(横浪三里)を走る方が楽しそうなのだが、ナビが示した所要時間は3時間近い。これではホテル到着までに日が暮れてしまう。高知道へ戻る案でも2時間半。ここで本日の足摺岬行は諦めるとともに、自動車道を終点まで行くことに決する。土佐ICで専用道に入り須崎西で降りたところにMobilSSがあったので給油。「四万十の市街まではまだかなりあるよ」と言われ国道56号線をひた走り“四万十の宿”チェックインは520分だった。この日の走行距離は316km

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(次回;四万十と足摺岬)

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