2.津山へ向けて
三日間も一人でドライブするのは1969年3月以来47年振りである。あの時は和歌山工場で大きなプロジェクトが終わり、休みを取って一人で高山・白馬・和倉・能登・金沢・白川郷を廻った。満30歳の時である。体力も気力も注意力も今とは比較にならないだろう。あの時もそうだったが、途中で何かあった時の対応は出たとこ勝負。この単独行に不安がなかったわけではないが、一方で気遣いのいらない旅への期待もあった。「今度問題なければ、これから時々一人クルマ旅をしてみよう」と。
数日前からの天気予報は、幸い16日の出発から2日間は関東も西日本も好天、皆が出発する19日前後に傘マークがあったが、それも雲がかかった傘が一日だったから天候に関してはまずまずと読めた。
16日(水)朝7時過ぎ薄曇りの中を津山に向けてスタートした。いつものように勝手知ったルートを走るときは直ぐにはナビのセットはしない。事前に検討したルートは、家から500Mばかりのところに在る堀口能見台ICで湾岸の横々方面に向かい釜利谷JCTで横々に乘って、保土ヶ谷BPを上川井まで走り東名横浜町田ICで東名に入る。あとは東名→新東名→東海環状道→伊勢湾岸道→東名阪道→新名神→名神で吹田JCTまで行き、ここから中国道に入って津山ICまでひたすら西へ向かう行程である。実際の走りもまったくこの計画通りだった。
このルート検討に当たってあれこれ当たったのは、一つは2月13日に開通した新東名の浜松いなさJCTから豊田東JCTの区間で、特に豊田東JCTにおける合流がどうなるのかやや気になるところだった。装備しているナビの地図もこの部分は更新されていないからだ。もう一つ考えなければいけないのは給油である。家から600kmを超える距離はどこか途中で補給の必要がある。東燃OBとして割引の効くSS(エッソ・モービル・ゼネラル)にしたいのだが、下りルート上には海老名SAしかなく、これでは近すぎてほとんど補給にならない(今や電気充電スタンドさえどこのSAにあるのに!)。あまり他社のガソリンを買わないために補給ポイントの検討は、それなりに知恵を使う必要がある。結果として新東名の浜松SAならおよそ20ℓ位ですむはずなので、そこを給油点に選ぶ。
大井松田を過ぎたころから空は晴れわたり、足柄SAでは富士山周辺に雲がかかっていたものの、当にドライブ日和。どうやら順調な走りが期待できそうだ。御殿場JCTで新東名に入ると走りやすいこともあって、うっかりすると相当なスピードが出てしまう。島田金谷ICを通過する際、遅い合流車を避けるため追い越し車線をかなりのスピードで走っていた時、さらに早い速度で追いついてきたクルマが急に「ウォーン」とサイレンを鳴らした。直ぐに走行車線に戻るとパトカーが横を通過。「どこかで止められるんだろう」と覚悟をしていたが、一気に追い抜いて見る見る遠ざかっていった。どうやら「前を開けろ」の警告だったようだ。
予定通り浜松SAで休憩とガソリン補給。読みはピッタリ、19ℓだった。ここで津山のホテルをナビにセット。浜松いなさJCTから先は道が無いのでポインターは宙に浮き、道案内の音声も沈黙する。しかし幸い豊田東JCTで復活し、問題なく伊勢湾岸・東名阪を経由して新名神に達する。土山SA到着が12時前だったからここで昼食と大休止をとる。このあとの行程も草津JCTで旧名神と合流、吹田JCTまで行って中国道に入り神戸JCTで山陽道と別れるまでは昨秋の四国ドライブと同じルートだから土地勘が残っていて、難なく中国道に乘る。
ここからガクンと車が減り、路面の荒れがチョッと気になる。大都会の無いこのルートは利用程度が低いのでメンテナンスが手抜きになっているのだろうか、そんな勘繰りさえ浮かんでくる。加西SAで休憩するが、東名・名神のPA程度の機能しかなく、下種の勘繰りも当たらずとも遠からずの感がある。鳥取の観光看板があり、山陰が近いことを知らされる。
津山ICは市街地からかなり離れており、川沿いの道を15分位西に走りホテルに到着。時刻は15時15分、走行距離は631kmだった。
(写真はクリックすると拡大します)
(次回;津山)
0 件のコメント:
コメントを投稿