2016年4月10日日曜日

九州遠征超長距離ドライブ(4)


3.津山
今回のドライブで一番長いのがこの日の行程。もし既知の大都市なら夕食と宿泊でも良いが、知らない町は少しでも散策・観光する時間が欲しい。津山はそんな所だった。途中の休憩をミニマムに抑えて(合計で1時半くらい)運転し続けたのもそのためだ。
津山ICからホテルまでの道は東西に流れる川の北側を走る国道53号線に沿って西に向かう。ナビの案内で北向きに右折するとバスレーンもある4車線の道になるが100mくらいで進んで左折すると「目的地付近です」となった。雰囲気として市街中心地だが、交通量は人もクルマも少なく、“静かな町”が第一印象であった。クルマをおいて歩いて観て廻るのには良さそうな環境である。
見所として、事前調査では桜のシーズンの津山城跡がナンバーワンだったが、残念ながら少し早すぎる。しかし国の史跡にもなっている城跡だけでも何とか訪れたい。チェックインの際場所と観光方法を聞くと「直ぐそこです」と地図で教えてくれ「5時までやっていますから、充分時間はあります」との嬉しい返事。荷物を部屋に納めて、そのまま飛び出した。
ホテルを出ると先ほど左折した交差点を東に向かう。教えてもらった津山観光センターが通りに面して左側に見つかる。城跡への道の確認と地図を入手、センターの後背が目的の城跡なのだ。北へ登る坂道があり、その突き当たりは城内で、登城の道筋や広場は桜が開花する寸前、既にぼんぼりも飾りつけが済んでいる。表門の手前で入場券を購入(300円)するとき「備中櫓もこれで入れます」と告げられるが、その場では何のことか分からなかった。複雑に入り組んだ石垣に沿う道を登っていくと、南側に眺望のきく見晴台に出る、その一角にあるのが“備中櫓”と呼ばれる居住棟を復元したもので、ここに残る唯一の建造物であった。取りあえずそこをパスして更に道を進み登りきった高台に出る。ここに天守閣があったのだ。誰もいないこの場所から西日に映える津山の城下、さらに南西に広がる平野を見晴るかす。初期の領地美作を含めると18万石、津山藩だけでも10万石を納得できる光景が眼前に在る。
この城は17世紀始めに完成し、その後いく棟もの建物が建造され、最盛期には77棟を数えたという。これは国宝の姫路城より多い(61棟)のだが、明治の廃城令で全て破却されたのだと言う。備中櫓が復元されたのは2004年、一般の城の櫓(建造物)と異なり、造りが質の高い居住用(おそらく藩主およびその家族)作られていたことが往時の絵図に残っていたことによる。天守閣を初め、主要なものだけでも残していれば間違いなく国宝、観光スポットとして津山の存在も今とは違っていたかもしれない。そんなことを考えてしまう城跡巡りだった。
城を出ると一旦観光センターまで戻り、前の道をホテルとは反対に東側に進んでいく。道は若干左右に曲がるものの、やがて古くから出雲と大和を結んだ出雲街道に出る。そこら一帯は城の東になるので“城東重要建造物保存地区”と呼ばれ、武家屋敷や町家が残っているのだ。ただ街道沿いには電柱が林立、著しく景観を損ねている。これさえなければ(観光用に整い過ぎた)馬篭宿より余ほど現代との生活密着感があり、人々を惹きつけることが出来るのではないかと残念でならない。

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(次回;津山;つづく)

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