2016年5月8日日曜日

九州遠征超長距離ドライブ(14)


12.鹿児島市内観光
今回家族全員そろっての旅行は、家内両親の納骨初墓参とその後の鹿児島・指宿・知覧観光である。宿泊は鹿児島市内と指宿の2泊。この日(19日)の予定は、先ず墓参りをしてから家内が幼稚園児の時まで居住し、今も一部共有不動産(貸地)が残る一帯を訪ね、そのあと宿泊先の鹿児島サンロイヤルホテルにチェックインすることになっている。
墓が在るのは市街地の北西部分、草牟田(そうむだ)の市営墓地である。鹿児島空港は宮崎県境に近いので鹿児島北ICまでは九州自動車道を行き、そこから市街に入ることにする。旅行計画を作る際JTBに頼んで予約してあったレンタカー(7人乗り)と私のクルマに分乗して、1時半頃空港を出発した。
鹿児島市を訪れたのは後にも先にも44年前1回きり、その時唯一まともなホテルといえた城山観光ホテルしかなく、そこに前夜チェックイン、翌日一日タクシーをチャーターし(最終目的地は宮崎のホテルフェニックス)、家内の親族の家に挨拶に立ち寄り、それから墓地に出かけた。この間街の様相は一変しており、「こんな大都会だったか!?」と認識を新たにする。ナビが無ければとてもピタリと目的の場所にたどり着けたかどうか。とにかく代々家内一族の墓の面倒を見てくれている霊園前の花屋を見つけてホッとする。ただ、山間の急な傾斜地に設けられたその地形は遥か昔の記憶とそう違ってはいなかった。他の家族ともその花屋の前で落ち合い、皆で中腹にある墓に詣でた。帰り際に墓地の下に設置された説明板を読んで分かったことは、ここにはもともと薩摩藩の火薬工場があり、西南の役の時は大わらわだったとのこと。いよいよ幕末・維新が近づいてきた。
次に向かったのは、家内の祖父母の代まで家の在った加治屋町(下士の住む町)、実家は商家であったようだが、この地は西郷隆盛・大久保利通・大山巌・山本権兵衛など維新・日露戦争の英傑たちが湃出した土地である。今はだれもこの地に縁者は居らず、今回は家内のセンチメンタル・ジャーニーである。
そんな歴史にゆかりの地ゆえ、ここには“維新ふるさと館”と称する鹿児島市のこじんまりした歴史博物館がある。ここがなかなか面白い!3年生を目前にする孫にどこまで理解できたかはともかく、展示物や写真・動画などで幕末・明治維新の話をしてやる。「西郷さんくらい覚えてくれよ」と。
そこの見学を4時半に終え、今夜の宿泊先サンロイヤルホテルへ移動。本当は44年前に泊まった城山観光ホテルに泊まりたかったのだが、3月彼岸の3連休、1月に当たった時には既にフルブッキング!JTBに問い合わせてもらったが(大手旅行会社の予約分がないかと)ダメだった。
サンロイヤルは鴨池に在る。前回城山から見たときは飛行場だったが、その後鹿児島空港が内陸部に出来、再開発された所だ。クルマで10分程度。なかなか近代的なホテルだった。駐車場は近くにたっぷり。周辺も開けていてコンビニもある。従業員の躾けも良い。皆が部屋(同じ向きで並び、広さも充分)へ落ち着くまでは大満足。部屋からは桜島も真正面に見える!これなら城山観光ホテルより良いくらいだ。夕食の前に一風呂(温泉)を浴びるため上階の展望風呂に上がった。ここで印象が一変、400室に比べて狭いこと!浴槽は皆桜島方向に身体を向けいっぱい!洗い場も待つ必要があった。「何じゃ!これは!」である。夕食の食堂も酷かった。ディナーバイキングの混乱(決して食べ物が少ないわけでもない)、やはり人数に比べて狭い。しかも全員がひと部屋である。「もうごちゃこちゃでごわした」。この辺り経営課題(最適資源配分)であろう。帰宅後のJTBアンケートにその。ように答えておいたが、その後どんなものであろうか?こうして鹿児島の一日が終わった。

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(次回;鹿児島市内観光;つづく)

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