<今月読んだ本>
1) 繊細な真実(ジョン・ル・カレ):早川書房(文庫)
2) ディープすぎるユーラシア縦断鉄道旅行(下川裕治):KADOKAWA(文庫)
3) 国のために死ねるか(伊藤祐靖):文藝春秋社(新書)
4)最後の秘境 東京藝大(二宮敦人):新潮社
5)鎖された海峡(逢坂剛):講談社(文庫)
6)サイクス=ピコ協定-百年の呪縛-(池内恵):新潮社(選書)
7)世界ぐるっとひとり旅、ひとりメシ(西川治):大和書房(文庫)
8)工学部ヒラノ教授とおもいでの弁当箱(今野浩):青土社
<愚評昧説>
1)繊細な真実
スパイサスペンス小説の巨匠、ジョン・ル・カレの最新作である。冷戦終結後はテーマをあの時代につながるスパイ組織とその後の国際情勢あるいはイスラム過激派の動きなどに変えてきているが、最近の作品は公対私、組織対個人、社会的強者対弱者、国益対ヒューマニズムなどの対立構造を核に据えるところに旧来のものとの大きな違いを感じる。今回は何を、どのように取り上げるのか?これが最も興味を惹かれる点であった。
ごく最近電気通信事業に関わってきた著名な起業家の話を少人数で身近に聞く機会があった。本来体制の側にいた人だが「規制緩和成功のカギは、単に株式会社に変えるのではなく、健全な競争相手を作ることだ」と自ら飛び出し、それを成功させた話に「なるほど!」「そうか!」「さすが!」と感嘆詞の連続になってしまった。しかし一方で複雑で強大な既得権構造への挑戦が、いかに常識的なビジネス手順・作法を超えた、時には危険も伴うものであることも知らされた。本書のテーマは、国家のトップが関わる、武器取引に絡むその種の巨悪とそれに対決する複数の個人の戦いである。
英領ジブラルタルで実施される、テロに関わる武器商人(中東人)拉致作戦に、先の見え始めている老英外交官が大臣特命で起用される。本来は特殊部隊や秘密情報部(MI-6)だけでいいはずの舞台に何故?“大臣の赤(直通)電話”が特殊部隊を動かすために必要だったからだ。事情が分からぬまま命令に忠実に従った結果、作戦は成功裏に終わったと告げられ、小さな英領の島の総督に任じられ叙勲も受ける。引退し地方の名士に収まっても「あれは何だったのだろう?」との思いが時に去来する。
外務大臣の秘書官はロアーミドル階級出身の野心的な若者。ある土曜日特別休日勤務を命じられ部外者と大臣の隠密会談の場を整え、その人物に紹介もされる。何やら米国のネオコンと深い関係があるようだ。「なぜこんな私的とも思えるようなことに自分が引き込まれるのだろう?」長いこと使われていなかった大臣室と自室をつなぐ録音システムを秘かに生かす。
拉致作戦は陸から英国特殊部隊SAS、海側から米国CIAの息がかかった民間組織が行うことになっていた。SAS隊員は武器商人が潜む集落の民間人に害を及ぼさぬよう厳命されていた。しかし、米側の作戦行動でどうやらそれが守られていなかったらしく、短い銃撃戦が生ずる。「実態はどうだったのか?」SAS隊員の一人が真相解明に挑む。
3人の関係は極めて薄いが、それぞれの疑惑がやがて大臣を核にした、武器取引から国家安全保障につながる複雑な複数国家を跨る陰謀に収斂されていく。外務省も秘密情報部も警察も現存の兵器ビジネスが公になることだけは絶対に避けたい。疑惑を探る彼らに見えない壁が立ちはだかり、危機が迫る。巨悪は暴かれるのか?3人の運命や如何に?一つだけ種を明かせば、SAS隊員は自死と見られる最期を遂げ、警察も何故かその事後処理を急ぐ。
ル・カレは現在85歳、1年前の作品である。国際政治の動きから戦争の民営化、移民問題、最新ITの利用まで現在の世相に見事にマッチ、“老いてますます盛ん”が読後感である。
2)ディープすぎるユーラシア縦断鉄道旅行
私の旅行目的は、ビジネスを除けば、“乗り物を楽しむ”ことに最も比重が高い。大好きなドライブ旅行は“運転”に尽きる。クルマそのものと道がここでは重要な役割を果たす。飛行機は一時そのエンジニアを目指したほど好きだが、利用当初感じた高揚感は今では全くない。船も同様、これらの乗り物は移動手段としてはそれなりに必要性を感じるし眺めているのは好きだが、乗っている間の退屈さがやりきれない。乗り物そのものへの興味、景観を楽しむこと、人々との触れ合い、総合的な観点からは何といっても鉄道が一番だ。
ビジネスを含む海外旅行でも、鉄道旅行が一番記憶に残っている。バンフからヴァンクーヴァーへ向かう寝台車で一緒だった、「孫が年金をねだって困る」とこぼすカナダインディアンのおばあさん。モスクワからボルガ河畔の町シズランまで汗臭い横河電機ロシア人同僚達と乗った夜行列車。隣席したインド人がゆで卵をすすめてくれたマラッカからジョホールに至るマレ-シア鉄道。その他、オランダ、英国、イタリア、フランス、スペイン、ニュージーランド、韓国、米国でも鉄道を利用し、それぞれに想い出がある。
本書はその鉄道旅行を扱ったもの、著者を初めて知りその後すっかりファンになった、私にとっては初見参の本「世界最悪の鉄道旅行 ユーラシア横断2万キロ」の姉妹編である。前著が樺太間宮海峡に接する北シベリアのワニノから発しハバロフスク・ウラジオストクを経て、中国・中央アジア・カフカス地方・トルコ・バルカン半島を通りヨーロッパに至り、リスボンの郊外カスカイスまでの東から西へ向かう旅だったのに対し、今回はシンガポールからロシア北西端ノルウェイ国境に近いムルマンスクまでの1万9千キロの南北縦断鉄道旅行である。前回もそうだったが、この距離を一気に走破する旅程ではなく、諸般の事情(これが読みどころの一つである)で一旦帰国し再開する方式である。また完全に鉄道だけでつなげることができなかったのも前回同様である。
訪れた国は、南からシンガポール・マレーシア・タイ・ミャンマー・中国・モンゴル・ロシアの7ヵ国、数は意外と少なく、距離の大半は中国とロシアで稼いでいる。つなげなかったのはミャンマー・中国間、中国・モンゴル間、モンゴル・ロシア間のいずれも国境地帯である。こういう部分は行けるところまで行き、一旦出国、向かい側の国に入国し反対側から限界まで近づいて再出発したり、国境を徒歩で越えて最寄り駅までバスやタクシーで向かいそこから鉄道に乗ってつないだことにしている。前回の東西横断同様国際関係の細部はなかなか難しいところがあって線路はつながっていても、国際列車が走れるわけではないのだ。
利用する列車や等級は急行寝台も一部あるが地元の人が日常使っているクラスで豪華な特別国際列車などとは全く無縁、そこがこの人の鉄道物の面白さでもある。床に寝る人、シート内に巣食う南京虫が襲ってくる座席、雨漏りする車両、辺境の駅での食物調達の苦労、未知の地での夜の宿探し、酷暑・極寒・大雨、車掌気質、切符入手の仕組み(人脈、賄賂)、たどり着いてみなければ分からない接続状況、「いくら鉄道好きでも、とてもこんな旅行は出来ない」内容ではあるが、上から目線を全く感じさせない筆致は独特のもので、場面々々の臨場感を、酷い状況でも不快感無くたっぷり味わうことが出来る。
今回のものが前回(横断)と決定的に違うのは、長く中国で茶ビジネスに関わった商社マンが同行することである(定年退職後個人的興味で)。実はマルコポーロで知られたシルクロード(東西連絡)の他に、中国南部とサンクトぺテルブルクを結ぶもう一つのシルクロード(ティーロード?)が存在し、今回のルートは出来るだけそれに近いコースを採るようにしているのである。従って“鉄道物語”と並行して“茶物語”を追うために回り道を何か所かで行い、そこでは専ら茶の話が中心になるほどである。そして往時の茶取引がまるで錬金術のようであったことを、専門家の知識を交えて具体的に解説している。これは大いなる収穫であった。
カメラマンも同道しているので各地の写真も豊富(文庫本のため小さいのが難点だが)、のんびり過ごしたいときには最適の、肩の凝らない一冊である。
この本は書き下ろしらしい。収支は合うのだろうか?
3)国のために死ねるか
北朝鮮による日本人拉致事件は、我が国にとって喉に刺さった骨、外交政策に強硬手段が取れない間に、彼らは核と長距離ミサイルを手にしてしまった。「もっと早く手が打てなかったのか?!」は被害者家族ばかりではなく、多くの日本人の思いと言っていいだろう。日本近海での不審工作船の動きは1970年代から始まっていたようだが、初めて積極的に動いたのは1999年3月に起こった能登半島沖事件。この時は自衛艦が工作船を追い詰めながら、今一歩のところで領海に逃げ込まれている。当時、若いころから懇意だった同年で防衛大学校出身の情報サービス会社社長と会食する機会があり「充分拿捕のチャンスがありながらなぜ?」と問うたところ「今の自衛隊法の下では制約が多いので簡単にはいかないのですよ」との答え、釈然としないままその場は収めた。本書の書き出しはこの話から始まる。
著者はこの時のイージス艦“みょうこう”の航海長(一等海尉、34歳)、ここまでの経歴も極めてユニークだが(日本体育大学を卒業後最下級の水兵として海上自衛隊に入隊、隊内の幹部登用試験を幾度かパスしてここまで昇進している)、この事件をきっかけに海上自衛隊に初めて創設された特殊部隊の企画段階からかかわり二つ在る小隊の一つの隊長を務め、さらに昇進の機会を与えるための人事で艦船乗務を命じられたのを良しとせず(特殊部隊をもっと完成度の高いものにしたい)二等海佐で退役(42歳)、その後内外のセキュリティコンサルタントとして活動している人である。
本書の内容はこの特殊部隊創設の背景、組織化と要員選抜、訓練を描くものだが、ポイントになるのは武器や要員の練度・士気以上に自衛隊に対する法体系の整備やそれを進めるための政治や世論、任務達成に際しての覚悟に関する現場からの声である。
能登半島沖事件の真相は、不審船を富山湾沖合から長駆追跡、艦の速度と威嚇射撃で不審船停船まで持ち込むのだが、新潟港出港の巡視船(海上保安庁;警察権あり)が帰港までの燃料が持たない恐れが出てきたため引き返してしまい、官邸がかなりの時間をかけて協議、みょうこうに海上警備行動命令(臨検)を出すことを決する(警察権がないので本来乗り込み不可、この権限を泥縄式に与える)。直ちに航海長の命令で要員(航海科員)を選抜、出撃準備を整えている隙に領海に逃げ込まれてしまったのだ。相手はこの時乗り込んでくる自衛官に武器で抵抗したり自爆の可能性さえあったが、自衛艦には拳銃(訓練も受けていない)も防弾チョッキも積み込まれていない。ほとんど死に行くような任務だったのだ。この事件をきっかけに海上自衛隊内に我が国初の特殊部隊を創設することが決まるのだ。
隊員選考対象は全海上自衛隊員からの志願者、結果として陸海空のパイロット、パラシュート、ダイバー、レンジャーすべての中で最も厳しいものだった。それだけに変人も多く、信頼できる上官でなければ敬礼しない者まで出る始末。先輩格には米海軍のシールス部隊があるが、同盟国といえども機密保持のため受け入れ不可、暗中模索で自前養成を余儀なくされる。ここでこの人の大学時代の経験が生きてくる。十種競技の選手は先輩格の十種競技の選手から学ぶわけではなく、それぞれの競技の一流どころの指導を受けて全体の能力を高める。シールスに学ばなくてもこの方法で国内のスペシャリストに学べばいいと言う考えである。その結果、もともと他国軍隊と比べ“ボトムレベルが高い(軍隊の強さはここに帰結すると著者は強調する)”自衛隊員ゆえに優れた特殊部隊が実現したと自負している。
それでは「拉致された人々の救出作戦は可能か?」著者の答えは「可能だ!ただし救出人員数より多くの部隊員の死が生じても、それを高く評価するような社会ならば」と条件を付ける。 命を賭して国と国民を守るとはそういうことなのである。
国家安全保障と言う高い視点からではなく、些か個人的な話題の占める割合が高いのだが、身近で具体的な問題として自衛隊再考の機会を持てたことに本書の価値を認める。
4)最後の秘境 東京藝大
昭和29年から32年にかけての風景。上野駅の公園口を出て改札のすぐ前の道を動物園に向かって横断すると、現在文化会館がある左側には高いネットで囲まれた忍ケ丘の運動場、右側のコルビジェ設計で世界遺産となった西洋美術館の在る一画は戦災で焼け出された人々が住む醜塊なスラム街が科学博物館近くまで続いている。国立博物館とその前に開ける広場が今と変わらぬが、動物園の方に向かって広場を横切ると右側に建て替える前の都美術館が在り、その南面の木立の中に文化勲章受章者朝倉文夫(美校卒)作の山縣元帥と大山元帥の騎馬像が乱雑に置かれ大山元帥の軍刀は曲げられている(占領軍に撤去を命じられここに片付けられた。朝鮮戦争で金属泥棒が横行していた)。そこから今は使われていない京成電車の動物園口駅前を過ぎると東西に走る直線道路に出る。道の左側(動物園側)は東京藝大美術学部(旧美校;東京美術専門学校)、右側(谷中方面)は音楽学部(旧音校;東京音楽専門学校)、道路の突き当りを左(南)に折れて100mほど行くと我が母校、都立上野高校が在る。東京芸大は隣組、3年生になるとよく美校の学食を利用させてもらい、カツカレーを知った。しかし、最も身近な大学でありながら、その方面には全く興味がなかったので、学生気質も授業内容も知ることはなかった(屏一つ隔てたところに彫刻科が在ったので、大きな石ころや壊れた石膏像が転がっていたのは嫌でも目に入ったが)。本書はその知られざる世界を明らかにするルポルタージュである。
美術学部は絵画・彫刻・工芸・建築、音楽学部は声楽・各種楽器・作曲・指揮くらいまで専門分化していることは想像できたが、まあ基本を学びそれを少々研ぎ澄ます程度だろうと考えていた。確かに、初学年の段階では両学部とも一応カリキュラムに沿った授業が行われるのだが、それを過ぎると取り組む対象はさらに細分化され、極めて少人数のグループさらには個人別になり、個別授業が行われるようになる。こうなると教官と学生の関係は徒弟制度に近くなり、加えて職人の世界と違い、ある種の感性や発想が勝負になるので、対等(ときにはライヴァル)の関係にまでなっていく。これは普通の大学では博士課程の後半くらいにならないと出現しない世界であろう。
学部生に対する個別指導の例を私の理解しやすい工芸科の授業に見ると、木材加工・金属加工(鋳造・鍛造・溶接)・樹脂加工・機械加工さらには有毒化学薬品まで駆使する高いレベルの実技が日常的に行われており、工学を学んだ身でも「(理論は別にして)これは本格的なエンジニアと変わらない」と驚かされる教育内容なのである。また取り組む課題によっては高価な材料(例えば金箔)を使うことになるが、その材料費の大方は自己負担(音楽学部でもピアノなど大型の楽器を除き自前のものを使う)だから、その工面に苦労が絶えない。
両学部とも一般大学とは大違いだが、その学生気質の違いも面白い。文中で音楽学部の学生が言う「音楽は一過性の芸術、順位を競うのが当たり前の世界」「作品がずっと残る美術は、今評価されなくてもいつか評価される可能性がある」ここから「音楽学生は競争意識が強く、美術学生はそれがゆるい」と。結果として時間厳守の音楽学生、全員遅刻の美術学生と言うことになるらしい。
受験の難しさも一般大学とは比較にならない。藝大最難関の絵画科は18倍(平成27年度;80人の枠に応募者1500人)、数次にわたる試験には出たとこ勝負の課題もある。受験準備にかかる費用も専門予備校での指導や個人レッスンが不可欠なので、ある程度の資力がないとなかなか合格できないのが実態らしい。ところがそうまでして入学し無事卒業してもそれだけで食べていける卒業生は一握り、特に声楽家は厳しい。「適職を得られなかった人はどうしているのか?」との著者の問いかけに「半数は行方不明」(直の卒業者名簿は不明と進学が8割)との答えが返ってくる。我が国藝術教育機関の最高峰に位置する東京藝大にしてこのありさま。世の芸術に対する関心・理解が今一と言うことなのかもしれない。芸術学科(何を学ぶ学科か不明)学生のコメント「美術の展覧会って、来るのはお爺ちゃんお婆ちゃんばっかりなんですよ。もっと若い人も映画に行くくらいの気軽さで来てくれたらいいのにと思います」お爺ちゃんではあるが同感である。
学校名や有名卒業生は知っていいても、そこでどんな教育が行われ、どんな学生がいかなる意識で学んでいるかを世に伝える本は今まで無かったように思う。伝統的な学科ばかりでなく新設学科も広く拾い、現役の学生や若い卒業生を丹念に追って本音を聞き出し、それを分かりやすく報告する内容は、藝大を理解しさらにそれが芸術への関心を高めることにつながる芸術ガイドブックと言える。Amazonに発注して入手するまで3週間もかかるほど人気が出ていることは喜ぶべきことだ!
因みに著者の妻は藝大彫刻家の学生である。
本欄おなじみ逢坂剛のイベリアシリーズ第5話である。今回のテーマは“史上最大の作戦”、ノルマンディー上陸作戦である。しかし、作戦そのものの詳細には踏み込まず、上陸地点を巡る両軍スパイ組織(連合軍;MI-6(英)、OSS(米)、ドイツ;ドイツ国防軍情報部(アプヴェア)、ナチス国家保安本部(RSHA))の探り合いとアプヴェア部長カナリス提督に対する両陣営からの工作が中心になる。
主人公、日本陸軍将校の身分を偽りペルー国籍日系二世をかたる北都昭平はシシリー島上陸作戦直前ゲシュタポによってドイツに拉致されるが、スペインでしばしばコンタクトしていたカナリス提督の力で何とかマドリッドに戻り、恋人であるMI-6のスパイ、ヴァジニアとの再会を果たす。しかし、OSSのスパイで昭平に思いを寄せる日系米人女性ナオミの陰謀でヴァジニアは本国勤務に配置換えになり、再び二人は離れ離れになってしまう。毎回そうだがこの辺りの話は結構くどく、スパイ小説よりは安手の恋愛小説に転じてしまうのがどうも気に入らない。緊迫感を減ずることはなはだしい。もう少しさらりと書けないのか!
欧州の戦線は東部でソ連の大反攻が始まり、イタリア戦線でも連合軍が着々と北上していく。ソ連軍より早くベルリンに到達するには西ヨーロッパへの上陸が欠かせない。こんな情勢を狡猾なフランコはよく見ており、両陣営に物資などを供給できる“非交戦状態”を“中立”に切り替えるとともに義勇軍として東部戦線に差し出していた青の師団を解隊する。しかしながら市民戦争へのナチスからの借りや反共主義から、依然としてソ連が加わる連合軍に積極的に加担することもしない。この反ソと言うことに関しては英国も同じだし、ドイツ国内の反ヒトラー勢力もこれをカギに連合軍と和平を結ぶ可能性を模索しており、カナリスにそれを期待する勢力が存在する。一方米国のルーズヴェルトは、早期対日参戦を願いスターリンとの関係を密にしたいと、チャーチルの「このままでは西欧支配の独裁者が代わるだけ」と言う警告に耳を貸そうとしない。これに史実であるMI-6の内なるソ連スパイ、キム・フィルビーが絡み、さらにスペイン人二重スパイの活動が加わって、事態を複雑にしていく。本篇のスパイ小説としての面白さは、この冷戦前段階ともいえる諸国の政治情勢とそれと連動するスパイ組織の動きに特色があり、ここだけは作者の創意を評価できる。
キム・フィルビーの反ソ連合阻止、それに乗るOSSは同床異夢ながらカナリス失脚を狙い、昭平を通じて面識のあるカナリスをおびき寄せるために、ヴァジニアをドイツ国境に近いオランダに降下させる。運命やいかに?
ル・カレを読んだ後だけに彼我の格差を痛感させられたが、ここまで読んだら、
“毒食らわば皿まで”の心境、6話、7話も既に入手済みである。
6)サイクス=ピコ協定-百年の呪縛-
名匠ディヴィッド・リーン監督、ピーター・オトゥール主演の映画「アラビアのロレンス」は上映時間3時間半におよぶ超大作、初めて見たのは1963年3月、和歌山工場勤務ながら都内へ出てくるチャンスがあり、久々の大画面で観てそれに魅了された。それ以来TVで、名画祭で何度も観ているが飽きることがない。直近は一昨年東宝シネマズ“午前10時の映画祭”である。何故そんなにこの映画に惹かれるのか?美しい画面、スリリングなストーリー展開、演技派揃いの俳優たち、情景展開にマッチした音楽、文明と隔絶した乾いた土地に対するエキゾチシズムなどがその理由と浮かぶのだが、繰り返し観たくなる最大の要因は、刻々変化する現代の中東・アラブ世界を学び直すと言う効果があるからだと最近気が付いた。
石油会社に就職し中東が身近な世界になった。チョッとした騒動でタンカーの運賃が乱高下する、二度の石油危機で原油価格は10倍近くに跳ね上がる。いずれもこの地域での戦争・紛争が源になっている。初期の中東紛争は専らパレスチナ問題(イスラエル対アラブ)が主因とみられたが、イランの王制転覆やスンニ派対シーア派の主導権争い、イラク・イラン戦争、イラクに依るクウェート占領などになってくると、宗教や部族が絡んで複雑な様相を呈し、高校程度の世界史の知識やマスメディアが報じる断片的な情報では、起きている事象とその背景の関係が簡単に理解できぬ状態に陥ることがまま生じる。実は「アラビアのロレンス」を始めて観た時、ロレンスと現地軍トップとの意見の相違、部族に分かれたアラブ人たちを味方につける難しさについて、分からぬ点が多々あった。しかし、何度も観ているうちに「ああそうか!あの時の話は今のサウジとイラク、シリア、ヨルダンが建国される前段階なのだ」と言うように読めるようになってきた。そして
中で語られる“サイクス=ピコ協定”の重さに気が付いたわけである。
本年は1916年6月、英・仏・露間でオスマン帝国支配下の中東地域勢力圏を第一次世界大戦後いかに行うか定めたサイクス(英)=ピコ(仏)協定書が作成されてからちょうど100年目に当たる。シリア内戦、イスラム国(IS)問題、トルコ内のクルド人問題、それらから派生した難民問題、いずれもこの協定書が今に引きずる宿痾と言われている。
本書は、先ずこのサイクス=ピコ協定(密約)がどのような経緯で結ばれ、どのような内容であり、それがどのように適用され(実際はその通り勢力圏が定まったわけではない)、今日のこの地域の現状につながってきているかを概説し、次いで問題の根源がオスマン帝国の退潮に乗じたロシアの南下政策とこれに依る数次の露土戦争(クリミア戦争を含む)、および欧州列強の東方政策(オスマントルコ勢力圏)にあることに遡及する。最後にこの地域数か国にまたがり多数居住し、安定化のカギを握るクルド人の歴史と現状を語り、今後の見通しを推察する。
“現代中東諸悪の根源”としてクローズアップされるサイクス=ピコ協定はその名前が示すように当初は英・仏両国の既得勢力圏を拡大・整理することが源になっている。これには両国に利害が共通するロシアの南下政策との折り合いが必要なので、ロシアにも諮ることになる。しかし、戦後の諸国事情はそれをそのまま受け入れるような状況ではなく、先ず現地の意向(ギリシャやアルメニアなど)を反映したセービル条約が1920年に結ばれるのだが、これを拒否したトルコと周辺国間で戦争・紛争が発生、ケマル・パシャが勝利して1923年ローザンヌ条約が結ばれ、現在のトルコ国境が定まる。この段階でロシアは革命後の混乱から、先の協定で定められた勢力圏拡大は実現できない。残った土地(現在の紛争地帯に重なる)は協定内容に近い線で英仏間の線引きが行われ、シリア、レバノン、トランスヨルダン、サウジ、イラクの国境が決まり、加えてパレスチナが国際管理(実質は英)となる。つまりサイクス=ピコ協定とローザンヌ条約の間にはかなり大きな違いがあるのだ。このような経緯から、著者はサイクス=ピコ協定をこの地域の“諸悪の根源”とみることには疑問を呈す。
ただ、これを基に成立した現地住民の意向を汲んだセービル条約とそれに反対するトルコ革命勢力の実勢を反映したローザンヌ条約成立前後に一旦独立を実現したアルメニア(1918年)が潰されたり、英国の後押しで小アジアまで攻め込んだ独立間もないギリシャが敗北したりして、大掛かりな諸民族の移動が起きて、難民・住民交換さらには民族浄化(虐殺)が発生したことは確かであり、なかでも国家を持てなかったクルド族は最も悲惨な状態に置かれて、問題を今日に引きずることになる。つまり、クルド問題(ISを含む)に焦点を絞ればサイクス=ピコ協定が“諸悪”とはいえないまでも大きな“遠因”なのは明らかだ。
本書を読むまで、サイクス=ピコ協定はアラブ問題の根源と理解していたが、読後アラブの内なる問題よりはオスマントルコ支配下における諸民族(アラブだけでなく)問題とより深く関わるものであることが分かった(いずれも大国の都合による介入・干渉であることに変わりはないが)。その点では中東問題とアラブ問題は重なる部分が広いものの同一視すべきではないのである。これがこの本から学んだいわば新しい知識と言えるし、中東の複雑さを再考する動機を与えてくれた。それは、本書では全く触れられていないのだが、フサイン=マクマホン協定(アラブ部族間の線引き;エサは対トルコ戦協力)、バルフォア宣言(パレスチナへのユダヤ人入植;これもロスチャイルドなどユダヤ財閥から戦費を調達するためパレスチナ人(アラブ人)に諮らず宣言する)などいわゆる英国の“三枚舌外交”を、あらためて掘り下げてみる必要があると言うことである。映画「アラビアのロレンス」もこの辺りはかなり単純化してあったのだ。
7)世界ぐるっとひとり旅、ひとりメシ
サンフランシスコ(SF)は私にとって特別な外国都市である。31歳の時IBMの工場や研究施設を訪ねて以来何度かIBM、HPあるいは日本では全く知られていないシリコーンヴァレーのITヴェンチャーに出かけたりした。こんな時の宿はたいていSFだった。44歳の時には短い期間だがカリフォルニア大学バークレー校のMBAコース(中間管理職対象)に参加、受講生全員大学近くの指定ホテルに合宿、週末は皆でSFに出かけ飲み食いを楽しんだ(米国人にとってもSFは憧れの場所のようだった)。50歳代に入ると有力取引先がオークランド近郊にあったのでしばしば出かけ、定宿は港湾地区に近いエンバカレーロ・ビジネスセンターに在るパークハイアットと決めていた。こじんまりして落ち着いた雰囲気が好きだったし、BARTとよばれる近郊電車(SF市内は地下鉄)でオークランドやバークレーに出かけるには便利、そしてお気に入りのシーフード・レストランが在ることがその理由である。レストランの名前は“TADISH”、バークレー時代NYからやってきたグルメな友人が連れて行ってくれ知ったのだ。その時は研修コース終了間際で、私も含め何人かは伴侶を呼び寄せており、個室を利用したのだが、店の中心部は長大なカウンター席が占め、極めてカジュアル、“ひとりメシ”が摂りやすいことが強く印象に残っていた。こういう店はなかなかガイドブックでは見つけられない。
本書の著者は写真家・旅行家・画家であるとともに料理研究家でもあり、その方面の専門書も含め100冊以上の著書を出している人、本欄でも既に「世界ぐるっと朝食紀行」「世界ぐるっとほろ酔い紀行」「世界ぐるっと肉食旅行」の3冊を紹介している。今回は “ひとりメシ”が主題である。
旅先のひとりメシというのは、海外に限らずチョッとこだわりがあるとなかなか難しいところがある。体調・精神状態・料理方式や食材・土地の名物・店の雰囲気や格式・酒との組み合わせ・宿泊先との距離・前日の食事や前食(夕食なら昼メシ)そして費用。私の場合、一応ガイドブックやWebの口コミなどを事前調査した上で、フロントやコンシュルジュにこちらの要望を伝えて適当なところを紹介(場合によって予約)してもらうのだが、大きなホテルは概して観光客様御用達になる傾向が高いように感じる(つまりピッタリこない)。今春の九州ドライブ旅行で泊まった長崎ヴィクトリアインのように、こちらが候補を示すと「あそこは土地の人は行きません」とバッサリ切り捨てた上で、良い店を教えてくれるところは極めて珍しい。
本書の書き出しにも「ホテルの中にあるパンフレットに載っているのは、極力避けたほうがいい」とある。ではどんなところで?「自分の勘に頼るのがいい」「人に聞くのがいい」「銀行で換金の際聞くのもいい」「タクシーの運転手に聞くのもいい」「バールのようなところや露天商にきくのもいい」「店に入って現地語しか聞こえないところがいい」「気取ったメニューなどないところがいい(ただし写真メニューはダメ)」「言葉が話せなくとも、たいていのところで分かってもらえる」 かなり度胸の要るやり方だが、著者に付いてそんな店を訪ね、ひとりメシを味わってみよう。
ヨーロッパ(トルコを含む)・アフリカ(モロッコのみ)で24か所、アメリカ(カナダ、メキシコを含む)で8食、アジアで24種類を写真付きで紹介。朝食・昼食・夕食、酒の肴、デザート、おやつ、小腹を満たすチョッとした間食。味わいや歯ごたえ、温度ににおいまで伝わってくるし、ときには厨房をのぞき調理方法まで教えられる。屋台・露店・小食堂・大衆食堂・バール・カフェは数々あるが、高級レストランは一軒もなし。
率直に言って、著者は海外に居住経験もある(イタリアが長いようだ)旅と料理の専門家。とても同じことが出来るとは思えないが、これからの海外旅行で挑戦してみたい気分にさせてくれた。
8)工学部ヒラノ教授とおもいでの弁当箱
「人は誰でも一編は小説を書ける。自分の人生を書けばいいのだ」と中学生の頃に聞いたような気がする。確かに大文豪の作品の中にも自ら生きた時代の一断面を切り取ったものがよく見受けられる。“工学部ヒラノ教授”シリーズもこれで(多分)10巻目、応用数理学者としての体験をベースに、断面・視角を変えて、毎回ユーモアと哀感それに断固たる気質(正義感、責任感)が微妙にミックスされた味わい深い“セミフィクション”を楽しませてもらっている。今回のテーマは“食歴”。
著者と私の生年は一年違い、早生まれと遅生まれの差があって小学校就学は私が2年早い(昭和20年)。しかし、戦後のひもじい時代の記憶にさほどズレはない。話はこのひもじさの想い出から始まる。地方国立大学(静岡)助教授の父は薄給、しばしばそれも遅配になるほど。とても闇米など入手できるような状態ではなく、配給のカボチャやサツマイモの代用食でしのぐしかない。現代のそれらとはまるで味が違い水っぽい。その記憶が今で手を出すことを拒む。私もまったく同じである。
給食が始まり若干環境は改善されるが、給料遅配で期日に給食費を納められないことが頻発。そんな生徒は数人しか居らず、屈辱的なおもいを抱かされる。全く支払いのできない女生徒が一人、昼食時は校庭に出ていく。これだけでも短編小説になりそうだ。
本書の内容は、このような少年時代から独居寡夫の現在に至る思い出深い食生活が幹を成し、“私食べる人”に対して“作る人”である母と妻の料理に関する技量や考え方(母(お姫様育ち)は“材料が良ければ美味しい”、妻(祖母に鍛えられた)は“料理の仕方次第”)、食材に関する“食べる人”としての蘊蓄、時代々々の食事代、海外研究生活における食談(スタンフォード大、ウィスコンシン大、ウィーンの国際研究所;学食や教員食堂、自作料理)、内外におけるパーティー料理の内幕、勤務した3大学(筑波、東工大、中大工学部)の学食や周辺の食事処寸評、学会理事会における夕食裏話そしてタイトルにもなっているその時々の弁当(自分のものばかりでなく、同級生や仕事仲間のものを含む)、の話題で葉を茂らせ、花を咲かせる。
大きな食歴の変化は、夫人の難病進行によって起こる。食べる人が用意する人(出来合いのものを調達)へそしてついに作る人に変身するのだ。
妻が逝き独居老人になってからの食生活は、“明日は我が身”と思いながら読んだ。得意な料理がいくつか出来上がっているのだ。創意工夫の極致、トマト・シチューの場面では口の中につばが沸きあがってきた。「一度やってみるか(と思うだけだが)」
数々出ているシリーズの中でこれからの私に最も役に立ちそう本(食事ばかりでなく、それと深く関わる健康管理)、それが本書である(役に立つ2番目は前作の“介護日誌”)。
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