2016年12月18日日曜日

台湾一周鉄道旅行-4


4.故宮博物院
松山空港国際線到着ロビーは日本の国内線ローカル空港程度で決して広くない。そこで黄さんと挨拶を交わし、鉄道のチケットと旅行中の注意事項(主として早朝出発の弁当手配や緊急連絡先)を書いたメモ(1枚)をもらい説明を受ける。日本語の会話は少し聴き取り難いが、こちらの話すことは完全に理解している。手書きのメモはひらがな・カタカナを含めて完璧だ。ここで打ち合わせをしたのは、この後我々は直ぐに故宮博物院に向かい、そこで彼と別れ、荷物のみホテルへ運んでもらうので、ゆっくり話す時間がないからだ。
空港ビルを出ると既に黒塗りレクサスが近くに止まっており運転手がキャリーバッグをトランクに収めてくれる。故宮博物院は空港の北西方向、市内中心部とは反対方向だが、距離的には近い。地下道を抜け川(淡水河の支流、基隆河)を渡り、少し上ると15分程度で院の車寄せスペースに着いた。高台のテラスから遥か台北中心部が見晴るかせる。黄さんは入場券の購入(250元;約千円/人)、帰りのバス乗り場への案内、さらに見所「面白ものは3階に集中しているので、先ず最上階に上がること」と助言して帰っていった。
1994年初めてここを訪れた時はやはり休日の土曜日、セミナーのスピーカーとして私同様大陸から招待されていた旧知(1982年京都で会いその後米国の学会でも再会した)の北京化工学院楊友麒教授と一緒に一日近くかけて見学した。教授の丁寧な説明もあって5千年の歴史を象徴する数々の展示物に圧倒され、ついには模写の掛け軸まで買ってしまうほどだった。従って、今回の訪台に際しても、1日フルにこれに充てることを当初計画では考えていたが、家内にはそれほど中国史に興味はないことが分かり、観光コース定番をザーッと観る半日で良しとした。
先ず向かったのは国宝の玉を彫りこんで作った“翠玉白菜”。さすがに人気一番の収蔵品、部屋へ入る前から順番待ちの行列だ。近づくと写真を撮る人でさらに混雑、暗い中でフラッシュ禁止だから、なかなかビシッと決まる画像は得られない。ただ私にとってこれは清朝時代のものだから、それほど興味はない。前回観た殷(紀元前1711世紀)の甲骨文字や周(紀元前113世紀)の鼎(青銅器)、唐(紀元710世紀)の陶磁器、あるいは王羲之(紀元303361)を始めとする書家の作品に再会したい。殷の鼎はやはり3階に在った。紀元前にこれほどのものが(日本はまだ縄文時代)!次いで甲骨文字を探すが、日本語で書かれたガイドマップをいくら繰っても出てこない。若い館員に漢字で書いて尋ねるが「ここにはない」と身振りで示すばかり。2階に降りてみるがそこにもない。年配女性の案内係に同様“甲骨文字”と書いて聞くと、たどたどしい日本語で「ここにはありません。XX院に保管されています」とのこと。家内に一番見せたかったものだけに残念至極。王羲之の書も期待外れだった。1階の館内全体概要を説明するコーナーにコピーが目立たぬ形で置かれているに過ぎなかった(しかし楷書体で書かれた1枚は1800年経ているが現代のものと全く同じ、アルファベットの時代変遷に比べて、何と美しく分かりやすいことか!共産中国の簡略体など文化破壊としか思えない)。全体としてはチョッと期待外れだったが、結論として黄さんのアドヴァイスは極めて有効であった。
カフェテリアで冷たいものを飲みながら一休み。いよいよここから路線バスとMRTMass Rapid Transit;捷運;市内中心部のみ地下鉄となる)を利用してホテルまで自力で向かわなければならない。先ずメモ用紙に“士林站”と最寄りのMRT駅名書く。
なお、翌日訪れる嘉義に南部院が昨年末開院しているが、ここは中国と周辺国家(日本を含む)との交流史に重点が置かれているようである。

写真はクリックすると拡大します


(次回:MRTでホテルへ、そして夕食)

0 件のコメント: