2016年12月25日日曜日

台湾一周鉄道旅行-5


5MRTでホテルへ
1994年に台湾を訪れた際は工業技術研究院化学研究所の招待と大学時代の同級生の紹介による国営石油会社見学だったから、すべての移動にアテンドが付いた。故宮博物院見学の際も大陸からの招待者と同道だったから彼に任せておけばよかった。しかし、今回は空港・ホテル間の移動以外は自分で対応しなければならない。ただ、今まで他の国の個人旅行でも何とかなっていたし、漢字が通じるので他の国より気分は楽だった。
博物院は傾斜地を利用して建てられているのでバス乗り場はテラスから地下へ降りるような所に在る。その階段を降りると直ぐのところにバスが停車していた。運転手に“士林站”と書いたメモを見せると頷いて乗れと手で示してくれる。空港で両替したコインを出すと“あとで”と言うように再度後ろを指し示す。10人に満たない乗客を乗せたバスは坂を下って3車線の大通りに出る。案内は音声と電子表示板。アナウンスは理解できないが字は読めるので何ら問題ない。次々にバス停に寄っては客を拾っていく。降りる人はほとんどいない。15分位走ったところで“士林站”が表示される。周りの人の動きが始まるから次で降りる乗客が多そうだ。やがてバス停に到着、予想通り半数以上がここで降りる。料金は一人15元(60円足らず)。
バス停からMRT駅までは少しあるが人の流れに従っていれば自然にそこへ到達する。意外だったのは地下鉄と思っていたのが、ここは高架線であったことだ。切符の自動販売機でチョッと手こずった。“当駅”にも料金表示が書かれている(他の駅でも同様、未だに意味不明)。一瞬「どういうことなんだろう?」と思案していると、若い女性が日本語で「どこまで?」と声をかけてくれる。今度は“台北站”のメモを見せると自動販売機の使い方を指南してくれる(一人25元)。こうしてトークン(コイン型の乗車券)を入手、この扱いを間違えて改札を通過できなくなると、駅務員のいるところまで同行して事情を説明、中に入れるようにしてくれる。すっかりお世話になってしまう。
ここを走る路線は淡水線、向かう先の終点は淡水とは反対側の象山、ホームの表示がひと目で分かるのも助かる。何故ならば日本と違いここでは車やMRTは右側交通、ボヤーッとしていると反対方向へ乗ってしまう恐れがあるからだ。
士林から台北までは6駅、しばらくは高架を走るので周辺が見渡せるのが観光客には好ましい。やがて地下に潜り20分ほどで台北駅に到着。さすがに乗り降りの客が多い。地上へ向かうエスカレーターは関東とは違い右側が立位置、左側が歩く人用になっている。改札を出ると広大な地下街が四達しており、どちらに向かうべきか直ぐには判別できない。しかし、通りの名前や台鉄(在来線)・高鉄(新幹線)の表示があるので、これらを頼りにとにかく地上に出ることを試みるのだがこれが一筋縄ではいかない。目指す表示が途中で消えてしまうのだ。丁度大手町から東京駅に広がる地下街同様である。売店やMRT駅務員に何度もホテル直近出口を意味する“M-6”メモを示すのだが、なかなか要領を得ない。やっとの思いで駅舎地上階に出て駅前広場にたどり着き、広い通りの向こうに“凱撤大飯店(シーザーパークホテルの漢字名)”を見つけてホッとしたのもつかの間。こんどは横断歩道が遥か彼方。地下道を利用する方が明らかに早い。再び迷路のような地下街に舞い戻り、何とかホテルに直結するM-6にたどり着く。MRTを降りてからおそらく20分近くかけてようやく4時半頃チェックインすることが出来た。
ホテルのフロントは赤いチャイナドレスを着た若い女性が数名、直ぐにこちらを日本人と認め、問題のない日本語で対応してくれる。その際「明日朝の朝食弁当は(午前)5時半に用意できています」と伝えてくれるとともに、先に到着していた荷物を引き渡してくれる。部屋は17階、台北駅と正対しそれを見下ろす位置に在り、本来は見晴らしが良いはずだが、南方の夕暮れは早く、加えて天気は急速に悪化してきているので、薄暗く重苦しい雰囲気に包まれていた。

写真はクリックすると拡大します


(次回:ホテル周辺とディナー)

0 件のコメント: