2007年3月、45年にわたった会社勤めを68歳で終えた。退職後の計画は40歳代後半からボツボツ芽生えてきており、それなりの準備もしてきていた。一つは英国に渡りOR歴史研究をすること、もう一つはスポーツカーを入手してあちこち走り回ることである。第一の目的で5月に渡英、10月に帰国、月末に念願のポルシェ・ボクスターを購入した。「2000kmまではおとなしく(回転数3000rpm以下)乗ってください」との注意事項を守り、長距離を走りだすのは翌2008年7月の越後・信濃の山岳ドライブだった。爾来9年、毎年続けてきた長距離ドライブ行も、ついに一つのゴールに近づいてきた。宿泊の有無は別にして、このクルマによる沖縄を除く全都道府県走破である。一昨年の四国、昨年の九州完走で残るは石川県ただ一つになっていたのだ。
今回のドライブ目的はこの石川県を駆け抜けることにつきる。そこで先ず金沢に目標を定め、そこへ至り戻るルートをいろいろ検討した結果、甲斐・信濃・飛騨・越中・加賀・越前・北近江・南近江・美濃・尾張・三河となった。これらの地方がたまたま信長の天下布武(統治)と深く関わる土地々々だったために、マイカーによる“全国制覇”の意味も含めて、本ドライブ記を“信長回想”と名付けてみたわけである。何回の連載になるか読めていないが、この記念すべき旅を紹介していきたい。
1.どこを走るか?
私にとって、旅の楽しみの過半は計画作りにある。ここのところ昨秋の台湾を除けば海外は専らツアー参加。しかし、お仕着せの旅にはいつも何か満たされぬ思いが残る。その点国内ドライブ旅行は白紙から描ける楽しみがいっぱい、毎度実行期間にくらべ数倍の時間を費やして、あーでもないこーでもないとやりながら仕上げていく。先ず考慮しなければならないのは、家人から課せられた制約条件;所要日数。これは北海道・四国・九州のような遠隔地を除いて3泊4日までである。私の必要条件は山岳・海岸一般道走行を含むこと。これに観光地・宿泊地を組み合わせてアウトラインを形作る。
石川県を目指すとなると、観光は加賀・能登の文化・歴史・景観と言うことになる。二人ともそれぞれに金沢・能登半島旅行は経験しているが、家人は学生時代の昔。私の金沢行きは仕事や学会で何度か出かけているが、兼六園以外はゆっくり観光したことはない。従って金沢は一泊して少なくとも半日はあちこち巡ってみることに意見は一致。これに能登半島ドライブを加えると石川県でもう一泊となってしまう。昔(1969年)のことだが一人でこの半島をドライブしていることもあり、家人も興味を示さないので、ここは落とすことにする。では一気に金沢まで走るか?一番早いルートは少々回り道になるが、中央道→長野道→北陸道だが、これでは自動車道ばかり、走りの楽しみも観光の機会もほとんどない。首都圏から金沢の間には北アルプスが在るのだからこれを横切るコースを是非採り、その雄姿を間近に仰ぎ見たい。そうなると安房峠を越えて飛騨地方に一泊するコースが面白そうだ。飛騨に一泊、金沢に一泊、残る一泊は?
2013年5月郡上八幡から越前大野、永平寺を廻り若狭湾の三方五湖に出たことがある。この計画を練っているとき、永平寺観光の後、東尋坊から越前海岸を走る案を検討したものの、時間的に無理なことであきらめた経緯がある。今回これを復活しよう。となると最終日の帰宅の中継点として琵琶湖周辺に泊まることが望ましい。それに滋賀県は頻繁に通過しているものの、観光らしい観光をしたことがない。周辺には数々の古戦場や彦根城をはじめ歴史的見所も多い。こうして第3泊目の候補域が決まる。できればあまり開けていない湖北・湖西にしたい。
大雑把に整理すると、宿泊地は;飛騨・加賀・近江で各一泊、道筋は;自宅→東名道→圏央道→中央道→長野道→野麦街道→飛騨→越中街道→富山→北陸道→金沢→東尋坊→越前海岸道→敦賀→北陸道→長浜→琵琶湖湖岸道→彦根→名神道→(新)東名道→自宅となる。総走行距離は約1200km、一日平均300km。山・海・一般道・自動車道、比較的バランスした無理のない行程である。
今年の長期予報によれば梅雨入りは早いとのこと、6月の第2週目にはいくつか予定が入っている。決行日を5月末から6月初めに定める。
(写真はクリックすると拡大します)
(次回;宿泊先と観光スポット)
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