9.横河電機への株式譲渡-5
横河から米国提携先各社の了解を求められ、そのためにニュージャーにあるCDS社とオークランド郊外にあるOSI社を訪れたのは3月中旬の5日間。CDS社訪問を滞りなく終え、翌日はサンフランシスコへ移動という晩、宿泊先のホテルに東京から国際電話がかかってきた。電話の主は常務のMYIさん。用件は24日に控えたSPIN株主総会の議題についてである。既にその件は準備済みだったのだが、それを変更したいとのこと。内容を聞かされ絶句した。1985年創業来株式公開を目指して営々と積み上げてきた内部留保(積み立て余剰金;約13億)の大部分を配当として東燃に支払うというのである。無論彼の発案ではなく100%株主である東燃の意向である。「SPINの代表権を持つのは私だけ。その件は拒否する」と答えたが、「資本の論理だよ」の一言で飲まざるを得なかった。確かに、それを残したままなら横河の買値が高くなるだけ、運転資金の目途さえ立てば同じことなのである。しかし何とも釈然としない出来事だった。
この時期になるとデュー・ディリジェンスも大方終わり、横河が引き取りを決しあとは譲渡価格を東燃との間で詰めるだけになって来ていた。帰国後東燃のFJM常務が教えてくれた価格は10億円である。資本金は2億円だから、単純に計算すればそれだけの投資で東燃は約20億円儲けたことになる。この数字は滞米中には聞いていなかったものの、OSI社創業者であるPat Kennedyに譲渡の説明をしたとき「ところでお前はいくらこの譲渡でボーナスをもらえるんだ?」と質され「None」と答え、(信じ難いと)怪訝な表情を見せたことを今さらながら納得した。
4月上旬交渉は合意に達しパークハイアットでその調印式が行われ、横河UEB常務、東燃FJM常務がサイン、これで会社間の公式な手続きは完了したが、動いている商談のことなどもあり、各社(横河・東燃・SPIN)の内部発表は連休前日、外部発表は連休明けとし、正式譲渡日は7月1日と定めた。
連休前の内部発表でこれを一般社員に知らせたが、大きな問題もなく受け入れられた。これはスピン懇談会と称する一種の労使会議であらかじめ幹事に丁寧に説明しておいたことと、全社員集合の場で横河のNKA常務(営業本部統括)が力強く横河の支援と雇用保障を約してくれたことが大きく寄与したと思っている。ホッとしたのもつかの間、連休半ば衝撃的な情報が自宅に伝えられる。CDS社の技術サービス部門を統括するDave Linkin(Tom同様元エクソンのエンジニアで旧知)から「CDSはAspenの傘下に入る」との話。確かにCDS社を訪れたとき創業者のTom Bakerが「わが社にも買いが入っている」と囁かれたが、こんなに早いと思わせる調子ではなかった。直ぐにUEB常務にこの旨伝えたが、横河とAspenの間にプロセス制御ビジネスの協業契約があったため、当面問題視することはないと言われ、取りあえず一件落着した。
しかし、正式譲渡前の6月に定例の横河-Aspenミーティングがシアトルで開催されるのでそこに参加し、契約に触れることがないかどうか確認するよう求められた。その会議の横河代表はHRS取締役、これに数名の横河スタッフ、Aspen側はCEOのMSNとDave、それにAspen Japan代表のSZKさんが参加した。Daveと私はこのミーティング初参加だが他のメンバーは顔なじみ、会議の始まりは既存ビジネスの細かいところで多少議論が沸騰することもあったが、まずまずの感で終わった。だが二日目にMSNがとんでもない発言をする。「(CDSの商品である)MIMIはサプライチェーンの戦略的なツールとしてAspenが取り込んだものだが、当面日本では技術者もいないので横河で取り扱ってくれていい。しかし、OSIのPIは競合製品があるので取り扱いをやめて欲しい。そのためにいくらか払ってもいい」思いもしない切り口から攻撃を仕掛けてきた。
実は、横河-Aspenの業務提携は数年前から始まっているのだが、横河にとって期待通りの効果は上がっていなかった。今回の会議はそれを正すことにあった。もしAspenは譲らないなら、契約を見直そうという意見を抱えながらの会議参加であった。それもありHRSさんはその場でMSNの申し入れに「NO」と回答してくれた。これで何とか7月の新規スタート態勢は整った。
(次回;横河電機傘下になって)
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