7.金沢へ
5月31日(水)飛騨の空は晴れている。早朝の露天風呂、和室食堂での地元食材を使った朝食。すべて満足の朝だった。出発は9時20分。昨日平湯から新穂高に向けて走った道、国道471号線(越中東街道)へ出て、富山を目指して走り始める。実はこのルートを1969年3月下旬にブルーバードSSSを駆って一人で走っている。48年前のことだ。あの時は和歌山から高山まで来て、そこで一泊。翌日の予定は安房峠を超えて、松本経由白馬へ向かう予定だった。当時は道路事情など出たとこ勝負で事前情報はなし、高山の旅館を出て平湯まで来ると道の両側は1mを超す残雪、峠越えの開通は連休明けと聞かされ、急遽ルート変更して471号線を北上、富山、糸魚川を経て白馬に向かった。記憶は薄れたとはいえ、あの時と何が違っているか?が今日のドライブの一つの目玉である。
昨日新穂高へ行く際東へ右折した栃尾温泉のT字路を今度は反対の西方面に向かう。割石で高山方面からくる国道41号線と合流し、道路標示は41となる。山間部を北に進むと高原川が左手を並走するようになり、所々河原から続く平地が現れると田畑が広がって、農村地帯であることをうかがわせるが、人も交通量も極めて少ない。さらに北上すると右(東)側にイタイイタイ病で有名になった三井金属鉱山の神岡鉱業所が見えてくる。山が左右から迫る谷間を抜ける道路から見上げるような位置にある工場の景観は当時と大きな変わりを感じなかったが、市街地とはっきり分かるような繁華な通りも見ないまま通り過ぎる。あまり活気を感じない。現在この鉱山跡の一部は小柴博士のノーベル賞で知られることになるカミオカンデ(後継はスーパーカミオカンデ)の実験施設になっているが、特に案内もなかった。
工場地帯の外れで道は高原川を渡り、こんどは右側を流れるようになる。このあと川と道路は何度も交差するが人家も現れない過疎地帯。美濃・尾張方面と越中を結ぶ幹線街道だった歴史を偲ぶよすがはどこにもない。やがて川幅が急に広がり出し、湖のような様相を呈してくると新猪谷ダムが現れ、ダムの下流で高原川と宮川が合流して神通川となる。ここから富山県だ。神通川の川幅は高原川と比べ広く、水量も多い。山並み低くなり平地が広がっていく。道は半世紀前と比べ格段に走り易くなっているが、山川と田畑しかない景色に変わりはない。出発から約1時間、「道の駅細入」で休憩をとる。
旅館を発つときセットした目的地は41富山SS、41号線が北陸道と交わる手前に在る。今回はEMGのSSが良い位置にあり、ここで給油すれば、あとは名神彦根ICに近接したSSを利用するだけで、自宅までたどり着けるはずである。
道の駅を出てトンネルを抜けると一気に富山平野が広がり、道路も直線で続く片道2車線、どこにでもあるような風景が展開してくる。この道は以前走ったときには無かった。地方都市周辺の道路が整備されると近郊の雰囲気がどこも同じなのがチョッと寂しい。SSは進行方向右側にあるが幸い交通量が少なくそのまま右折でクルマを進められる。到着時刻11時、自宅(満タン)からの距離は390km、給油量は33.4ℓ、燃費は11.7km/ℓ、まずまずだ。
そこから2,3km北へ進むと北陸道富山IC。金沢に向けて西に走る。小矢部砺波JCTまでは2011年黒部から飛騨方面に向かう際利用しているが、その時は東海北陸道から合掌造りの五箇山を目指したので、ここから先は未体験。小矢部ICを過ぎてさらに西進すると高窪トンネルを抜ける。ここが富山県と石川県の県境だ。ついにこのクルマの未到県に入る。これで全国走破完了!歴史的な?瞬間だ。景観を楽しむドライブコースではまったくないが、胸に迫るものがある。
SSでセットした金沢の目的地は、東茶屋町に近い浅野川河畔の市営駐車場。北陸道を金沢森本ICで下りて国道159号線・359号線とつないで市内中心部を目指すのだが・・。
(写真はクリックすると拡大します)
(次回;金沢観光)
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