2017年9月29日金曜日

決断科学ノート;情報サービス会社(SPIN)経営(第3部;社長としての9年)-34


16.情報サービス会社再編成-2
再編成の対象になるのは、情報ソリューション事業部の下に在った情報サービス会社4社、横河ディジタルコンピュータ(YDC)、横河情報技術(YIT)、横河テクノシステム(YTS)それにSPINである。これら各社の歴史や設立の背景、あるいは経営状況を見ておくことは、再編成の方向性・過程を理解する上で欠かせないことである。
最も長い歴史を持つのはYDC、実は設立当初(正確には不明だが、1980年代初期;社名はディジタルコンピュータ;DC)は横河とは関係なく、マイコンをベースとする宅内通信システム(LAN)製品を提供するベンチャー企業であった。情報産業業界では(ハードも扱う)“システムハウス”の範疇に属し、ソフトウェア開発はあくまでも自社製品のためだった。この会社が経営に行き詰まり、両社のメインバンクである富士銀行が横河に救済を求め、傘下に入った会社である。従ってダントツの筆頭株主で、社長以下役員陣も横河から出ていたものの、他社・他人資本も一部残っていた。オフィスもDC時代の中野に在って(のちに府中へ移動)、本社(三鷹)との縁は薄かった。SPINとの関係で見ると、1985年の創設前から既に横河グループ入りしており、特に経営を取り仕切っていた専務(のちに社長)のOYMさんは、東燃川崎工場建設時代(1970年~)、一緒に仕事をした同年代の戦友とも言ってもいい人だった。他社向けソフト開発や電子取引パッケージソフトを扱い軸足をソフト開発に移したのもOYMさんの時代になってからである。それもあってSPIN設立に際して、先輩企業として、いろいろ教えてもらうことの多かった会社である。OYMさんの後の社長は、これも東燃時代付き合いのあったKONさん、この二人は自らプログラム開発やシステム化プロジェクトを担当したことのある根っからのSE、業態をパッケージ販売・受託ソフト開発に傾斜していった。
再編成検討が始まる時期の社長はMYSさん。この人は海外営業部門が長く、SPINがグループ入りした当時は中国に滞在、それ以前は横河ブラジルに長く勤務していたと聞いており、IT業界にはそれまで無縁のバックグラウンドだった。それもあって、YDCの経営を、普及しだした業務統合パッケージ、ERP関連ビジネス(コンサルティングからプロジェクト推進、付加特注ソフト開発など)を主力にすべく、業容を変えていく考えを強く志向していた。それに向け手始めに取り組んでいたのが、オラクルとの関係強化で、オラクルDBの販売代理店として着々と実績をあげつつあった。つまり、横河の本業から離れる方向に舵を切っているように見えた。また、MYSさん個人として、既に本社の役員が社長のUCDさんを除けはほとんど後輩になってきていたこともあり、YDCを「いずれは独立して株式公開へ」との思いがあったように感じたものである。2001年末の情報ソリューション事業部下の社長会で初顔合わせをして以来、個人的には良い関係を続けたしが、再編成には最後まで距離を置く姿勢を崩さなかった。
YITYDCとは真逆、本社情報システム部が分社化した会社である。独立はSPINより遅く、発足準備に当たって当時の部長であったYMKさんが訪ねてこられ、SPIN分社化前後の知見をお話ししたこともある。横河には東燃に比べ関係会社が多く、これらへのサービスを含めグループ内業務が圧倒的にシェアーを占め、会社も三鷹の本社敷地内に在ったから、経営は極めて安定していたものの、今一つ分社化の効果が出ているようには見えなかった。再編成時の社長WNBさんは管理部門の経験はあるようだが、事務系情報システム開発・運用を長く担当してきた、情報システム部門プロパーと聞いていた。それもあってかYIT社内は完全に彼にコントロールされており、MYSさん同様本社役員よりも先輩だったことと合わせて、アンタッチャブルの雰囲気さえあった。だから、この再編成によってそれを正そうと期待する声がそこかしこから聞こえてきた。
YTSSPINはこの再編成検討が始まるまで、個人ベースを含めて全く縁がなかった。本社が広島、出先が北九州に在る、完全にローカルな会社だったからである。日本の装置工業、特に化学関係は西に重心がある。特に瀬戸内から北九州にかけてそれが顕著だ。三鷹から遥かに離れた地ゆえに代理店に日常活動を委ねるわけだが、西中国地方から九州北部にかけては広島に本社を置く新川電機の商圏、ハードだけの時代であれば技術的な問題であってもほぼ代理店と三鷹で対応できたが、ソフトが絡むとそれだけでは足りず、顧客近くに即応体制が必要になってきた。YTSはそのような背景(特に代理店からの要請)でスタートした会社である。横河製品(デジタル制御システム)の周辺から少しずつビジネスを広げ、地域限定で受託開発にも行い、プロパー社員を採用していた。社長は横河OBでここを地元とする人(名前は失念)、60歳を過ぎており、いつでも退いてもいい歳だし、本人もその心づもりに見えた。
それぞれの会社規模(従業員数、売上高)は、YDCSPINとほぼ同様(300人前後、4050億円)、YIT100人弱、十数億円位、YTS100人強、20億円位と記憶する。再編成に対してはYDCを除けば、他の三社は前向きであった。


(次回;情報サービス会社再編成;つづく)

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