4.いざ出発
出発2週間チョッと前の10月22日は日曜日、衆議院選挙の日だった。季節外れの台風21号が列島を縦断して天気は大荒れ、投票率にも何がしかの影響を及ぼしたに違いない。これで“台風一過”と思っていたところに続いて22号号が迷走を始め、出発直前の週末の天気が怪しくなってきた。毎日の天気予報に一喜一憂するとともに、裏磐梯方面の紅葉便りも気になるところだった。10月半ばにこの方面に出かけた会津若松在の友人は「桧原湖はまだ色づき始めだが、磐梯山のスキー場は見ごろ」との情報をくれたし、27日に塔のへつりを訪れたかつての仕事仲間は「塔のへつりは少し早かった」と教えてくれた。一方でWebの紅葉情報では磐梯吾妻は“見ごろ”、西吾妻スカイヴァレーは“落葉始め”のマークだった。こんな状況下、台風22号は30日(月)の朝には房総半島沖を通過北上して午後から晴になった。直近の予報は概ね31日から週末までは関東・東北南部は晴の予想で、31日の新潟地方のみ雲の陰に傘マークが出ていた。
初日は走行距離が550km、大部分は自動車道なので走行時間は7時間程度だが、観光や休憩時間を考慮すると自宅からホテルまでの所要時間は9時間見ておく必要がある。そこから出発予定時刻を午前7時とした。
31日6時少し前に起床すると予報通り天気は晴だった。風も穏やか絶好のドライブ日和である。出発は結局7時15分。横々→東名→圏央道と一部に渋滞はあったものの概ね順調に進む。圏央道を利用するのは2015年の草津・志賀方面ドライブ(関越道)と今年6月の奥飛騨・加賀・越前ドライブ(中央道)に次いで3回目だが圏央道のSA、PAを利用したことは無かった。そこで今回は狭山PAで一休みしてみることにした。自宅から1時間程度と適当なタイミングと考えたからである。このあと鶴ヶ島JCTで関越道に入り、3車線の道を快適に飛ばす。高崎付近から北に山並みが見え始め関東平野の代わり映えしない景観に変化が現れ始める。コーヒータイムは赤城高原SA、到着は10時少し前。ここで20分ほど休憩を取る。SAの周辺に紅葉もちらほら、青空の下に雪を頂いた山塊が遠望できる。谷川連峰だ。出発する際次の目標地点であるゼネラル安田SSをナビにセットする。
月夜野ICを通過し、しばらく走ると山岳地帯、自動車道ゆえそれほど勾配はきつくないが、山が迫り、時々現れるチェーン着脱場が、着実に高度が高くなってきていることをうかがわせる。ここら辺りも赤や黄色に染まった木々が緑の中にアクセントを添える。やがて谷川岳を貫通する関越トンネルに入る。全長11kmは首都高中央環状トンネル(18km!)が開通するまでは日本最長の自動車道トンネルである。前回通ったのは初の長距離ドライブに挑戦した2008年、塩沢石打ICまで行き、そこから松之山温泉に向かって以来のことである。9年ぶりの今回幸い交通量は少なく、運転に不安を感じるようなことはなかったが、最近は暗所の視力が低下しており、ここは慎重を期して走り抜けた。
前回もそうだったが、上越線の清水トンネルではないのに、なぜか川端康成の『雪国』の書き出し「長いトンネルを抜けると雪国であった」を連想してしまう。雪ではなかったが、予報通りトンネルを抜けると曇天だった。三国山脈の北と南では天候はまるで違うのだ。これから向かう新潟方面の空はさらに黒みを帯びている。ときどき黄葉林が山の端に続くところがある。3回目の休憩は越後川口SA。先が読めないのとまだ11時半と言うこともあり、ここではトイレ休憩だけにし、昼食はその先、阿賀野川が見える所で摂ることにする。
長岡JCTで北陸道に入ると雨が降り出し、やがてワイパーをハイスピードにしても前方がぼんやりするほどの豪雨になる。ライトを点灯して走る車が増え、こちらもそうして先行車のテールライトに追従する。しかし、これは長くは続かず、新潟中央JCTで磐越道に入る少し前には止んで、あとは安田ICまで道は乾いていた。ここで自宅近くの堀口能見台IC来の自動車専用道を下りてSSで給油したのち国道49号(若松街道)を走ることになる。時刻12時35分、給油量;34ℓ、走行距離;408km、燃費;12km/ℓ。
(写真はクリックすると拡大します)
(次回:阿賀野川に沿って)
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