<今月読んだ本>
1) 決断の技術(斎藤考):成美堂出版(文庫)
2)ライト兄弟(デヴィッド・マカルー):草思社
3)重力波は歌う(ジャンナ・レヴィン):早川書房(文庫)
4)ムッソリーニ(ロマノ・ヴィルビッタ):筑摩書房(文庫)
5)放たれた虎(ミック・ヘロン):早川書房(文庫)
<愚評昧説>
1)決断の技術
-カントつまみ食いの若者向け処世指南書。それにしても軽い!-
このブログは、本来“組織における意思決定と数理・論理の関わり”を、私なりに整理する目的で立ち上げた。それから見れば、旅行記・ドライブ記は全く余興だし、本欄もそれから逸脱するものが多い。本書の表題や帯はその点で、“組織”を除けば、課題に対する直球ストライクと思ったが・・・。
学問体系を大分類すると、大学の教養課程では自然科学、人文科学、社会科学の3分野になる。しかし、研究対象が自然か人間かに分けると、自然科学と社会科学を含む人文科学の二つと整理することも出来る。いわゆる理系・文系である。そして、私の浅薄で稚拙な学問的知見に基づけば、それぞれの基幹となる学問は数学と哲学に絞り込まれ、さらにギリシャまで文明史を遡れば、数学も哲学の一分野と見做せるから、学問の根幹は哲学ということになる。
もうその存在すら知る人の少なくなった教育機関に旧制の高等学校がある。5年制の旧制中学(現在の高校)を卒業して大学入学までの3年間学ぶ学校である。この学生たちが好んで歌った歌に“デカンショ節”がある。本来は2番の歌詞にあるように丹波篠山地方の民謡らしいのだが、1番は「デカンショデカンショで半年暮らす アヨイヨイ、あとの半年しゃ寝て暮らす ヨーイヨーイ デッカンショ」とあり、これはデカルト・カント・ショーペンハウエルの3人の哲学者を詰めたものだとの説がある。つまり、大学の専門課程に進む前に、徹底的に哲学でしごかれたらしい。フランスの高校卒業(大学入学)資格バカロレアでは哲学が必須である。両者に共通するのは、頭の軟らかいうちに哲学を学ぶことの重要性である。本書は、この哲学(ほとんどデカルト)と意思決定(決断)の関係を語るものである。
意表を突かれた視点であった。しかし、デカルトの『方法序説』をベースに、大上段に構えたわりには、いかにも内容が軽い!“われ思う、ゆえにわれあり”から発し“理性的に考えようとする意識を持つ”辺りまでは「なるほど」とチョッと奥の深さをうかがわせるものの、“問題を紙に書いてみる”“複雑な問題は小分けして、重要度付けする”など各論になると「今さら何を?」となり、果てに“試験問題は易しいものから手掛ける”なんて言う話まで出てくると「オイオイ 誰に向けて書いているのか?」とあきれ返る。つまり、この本は大学教養課程の学生向け処世訓あるいは就職用ハウツー本なのであった。特に三章構成で大部を割く第3章は「方法序説」のつまみ食いで“決断思考を磨く20の方法”をまとめ、当にハウツー本の仕上げとなっている。せめて口コミでもチェックしてみるべきだったと反省しきりである。ただ、決断を心理学や数理・論理、組織論だけでなく、哲学的な観点から考察することを知ったことに多少得るところはあった。
著者は法学を修めたのち教育学に転じた明治大学教授。「声に出して読みたい日本語」が大ベストセラーになったとプロフィル紹介にある。
2)ライト兄弟
-正史と言える名著、二人を支えた妹の力を知る。ライト兄弟妹-
私が初めて飛行機と言うものを見たのは5歳(1944年)頃、満州新京(現長春)である。複葉機(多分陸軍の練習機)が野原のような所から飛んだ。それから一気に1956年まで時代は飛ぶ。我が国が独立を回復し飛行機を作ること、運用することが認められ、日本の空が戻ってきたのだ。飛行機雑誌が出版されるようになり、美しい写真に惹かれて大好きな乗り物が鉄道から飛行機に転じた。その名残り、今でも手元に1956年秋に出版された“航空情報”や“世界の航空機”がある。航空技術者への夢は実現しなかったものの、“三つ子の魂百まで”、いまだ飛行機への興味は尽きない。1970年に初めて海外出張を命じられた。訪問先はニュージャージーのエクソンエンジニアリングセンター、数日後の週末レンタカーを駆ってワシントンDCまで出かけ、古い航空博物館(現在のものは1976年開館)を訪れ、ライトフライヤー号の実物を目にしたときの印象は忘れがたい。「こんな華奢なもので・・・!」。その後新館に代わっても、機会があれば立ち寄って、都合10回くらいはそれを眺めては悦にいってきた。しかし、振り返ってみると、リンドバーグに代表される冒険飛行家や内外の軍人、テストパイロット、学者・技術者を語る本は多数読んできたものの、始祖であるライト兄弟の本は一冊も目を通した記憶がない。そこに出たのが本書、早速Amazonに手配した。
これは優れて正統なライト兄弟伝記である。当然だが話の中心に、初飛行までの飛行機械開発に関わる兄弟の言動が据えられる。鳥の観察、翼型の初歩的な研究(稚拙で小さな風洞を用い38種の翼型の特性を調べる;ここが他の先駆者との決定的な違い)、凧をから模型グライダーに至る無人飛翔体実験、エンジンの自作、テスト飛行場所選定と気候・地形調査、種々の面で活用される自転車製造業(資金は主にここから)の経験(例えば、バランス制御の重要性や骨格作り)など、個々のトピックスはある程度知見はあったものの、種々の情報源を基に整理された筆致で流れを追うと、あの成功が「成るべくして成った」と納得させられる。
硬い技術開発物語が楽しく読めるのは、ストーリー展開がそれに偏重せず、二人の生い立ち、両親や兄妹(4男1女;ウィルバー三男、オービル四男)中でも父親(巡回牧師)と妹(唯一の大学卒、フランス語教師)の存在がクローズアップされるほか、競争者、支援者など取り巻く人や社会背景にも言及し、「空を飛ぶことなど狂人」と思われる中で、二人が障害を一つ一つ乗り越え、目的に向かって進んでいく過程を丁寧に追っていくところにある。つまり人間に関する考察と表現に工夫が凝らされているのだ。思索型のウィルバー、社交性のあるオービル、しっかり者の妹キャサリン、特質が異なるものの仲の良い3兄妹の協力関係があの偉業を成し遂げたとの読後感が強く残る。
偉人伝は、その歴史的な偉業達成までを比較的丹念に描き、あとは後日談風にまとめる形式が多い。しかし、本書はこの後半部分にかなり紙数を割く。1903年12月17日に初飛行に成功したものの、場所はノースカロライナの人里離れた砂丘地帯、目撃者も少ない。本当に飛んだことを、世界(特にヨーロッパ)に認めさせること、そして彼らの究極の目的である軍への採用にこぎつけなければならない。克服すべき課題が多々前途に横たわっているのだ。パリにおけるデモンストレーション、競技会への参加と勝利、ヨーロッパの評判を聞いてやっと動きだす米陸軍、評価中に起こる初めての墜落死亡事故(有力者につながる審査士官)。次第に飛行機械が実用に近づいて行くが、ライヴァルたちの動きも加速してくる。大衆への啓蒙(講演、著述、デモ飛行、体験飛行)も欠かせない。前向きな話ばかりでなない。今度は特許係争だ。この後半部分こそ、今日隆盛を見る航空関連産業と軍事航空発展のカギを握る部分であり、それを明らかにすることによって、彼らの成し遂げたことの意義をさらに深めることになる。ウィルバーは数々の問題に悩まされながら腸チフスで1912年死去、父は長寿を全うするが1917年亡くなり(母は結核のため早逝;1888年)、長く独身を貫いていたキャサリンも晩婚後間もなく1929年に死亡、オービルだけが第2次世界大戦後米空軍独立を見て1948年心臓発作で他界する。
本書に明確に記されてはいないのだが、ライトフライヤーの飛行成功とその後の短い活躍は偏にウィルバーの才覚・資質に大きく依存しているように読める。兄弟の初期の成功の後、1918年ライト航空会社を売却し新たにライト航空研究所を設立しているものの、さしたる成果は上げていない。さらなる研究活動を進めるのにオービルだけでは無理だったのではなかろうか。講演活動の他は、特許紛争や消えては現れる“他者による初飛行神話”を打ち消すことに多くの時間が割かれている。
2005年2月、渡米の機会があり休日を利用してオハイオ州デイトンの町を訪れた。兄弟が生まれ育ち、自転車店を経営しながら“飛行機械”を生み出した所である。今ここには米空軍発祥の地ライトパターソン基地が在り、それに隣接する空軍博物館を訪れるためである。この博物館にライトフライヤーはないが、空母から発して初の日本爆撃を敢行したB-25や長崎に原爆を投下したB-29“ボックスカー”から各種実験機、最新のステルス戦闘機までが展示されている。「僅か100年の間に空の世界はこんなに変わったんだ!」そんな感慨を抱かせてくれた一日だった。米国へは20回以上出かけている。おそらくこれが最後であろう(もし機会があれば、ノースカロライナのキティホークへ行ってみたいが・・・)。ライト兄弟に始まり(旧スミソニアン航空宇宙博物館)、ライト兄弟で終わった(空軍博物館)米国と言っていい(因みに、この時ワシントンダレス空港の外縁に新設された航空宇宙博物館別館にも立ち寄った)。
著者は2度のピュリッツァー賞受賞者(1992年、2001年)、さらに2006年民間人に与えられる最高の勲章大統領自由勲章を受章したジャーナリスト出身の作家・歴史家。本書は2015年度NYタイムズベストセラー第1位(7週間)、既にドラマ化も決まっている。参考・引用文献から推し量って、資料的な価値もある一冊と言える。
3)重力波は歌う
-祝ノーベル物理学賞受賞!栄光と挫折、壮大な宇宙ロマン追究の裏にある人間模様-
講読の動機は無論本年のノーベル物理学賞である。物体が相互に影響し合うことはニュートンの万有引力として学んだ。その先に時間と空間が影響し合う(質量に依って時間と空間が歪む)と言うアインシュタインの一般相対性原理があることも一応知っている。そんな世界では光が曲がったり(重力レンズ効果)、限られた空間に大きな質量が集中すると光さえ脱出できなない暗黒の世界(ブラックホール)が出現する、あるいは重力場の強さに依って時間の長さが変わってく(時間の歪み)。こんな事象を確かめることが一般相対性原理の正しさを証明することになる。その一つに、太陽系を離れた遠い宇宙の果てで、光速で測っても地球到達に十億年要する物理現象(例えば恒星の崩壊や合体)に依って生じた波動(重力波)をつかまえることがあるのだ。「こんなことをして何に役立つんだ?!」はひとまず置こう。電波の実用化(電磁気学)、原子力利用(量子力学)も半導体・光通信(物性物理学)も初めはこんなことがきっかけなのだから。
本書のテーマは重力波そのもの解説ではない。半世紀前に構想が提起された重力波測定装置の開発とその運用に関わる人間の物語である。
重力波によって光の速度が変化したことを検知しよう。どのように?二手に分かれたレーザー光線が僅かな速度の差によって干渉し合う状態を可視化して。地球3個分の長さの中で原子核一個分の差が生ずるだけなのに?このアイディアは今回の受賞者の一人であるMITのレイナー(本書ではライナー)・ワイス教授が若き日に提言したものである。しかし、ブラックホールの存在さえ疑問視されていた時代、なかなかまともに扱ってもらえない。これに着目したのがカリフォルニア工科大学(カルテック)の天文物理学者キップ・ソーン。彼も今回の受賞者だ。二人は観測装置(LIGO;Laser
Interferometer Gravitational Wave Observatory;LIGO)開発を1992年共同プロジェクトとして立ち上げるが、複数の大学が絡む研究にはそれなりの苦労が伴う。学内の了解、研究費確保、さらに人集めと体制づくりなどなど。初期の実験装置(40m)はカルテック内で開発されることになり、このプロジェクトリーダーとして英国グラスゴー大学のドナルド・トレーヴァ―教授が招聘される。物を作り上げる実行力には優れているが、一匹狼で組織運営は不得手、のちにその座を追われることになる。
この間別のアイディアで重力波観測に挑むのがメリーランド大学のジョセフ・ウェーバー教授。一種の音叉装置でそれを捕らえたと発表するが、誰も再現することが出来ない。それまで実績を挙げていた学者だが、晩節を汚して学界から葬り去られる。
プロトタイプの観測装置では重力波の“音”はキャッチできなかったものの、測定装置としての実現性は確かなものになっていく。次は本格的な観測所建設プロジェクトである。一辺が4kmのL字型レーザー干渉計施設を2ヵ所(ワシントン州とルイジアナ州;2ヵ所で同じ結果が出ることで、その存在を確かなものにする)に設けることになる(1994年、3億ドル)。全米科学財団(NSF)を通じた巨額予算の獲得、そのための議会工作、建設用地の選定など政治や経済それに組織運営に関わる仕事が一気に増えてくる。こうなると主役は科学者から組織管理者(マネジメント)に移っていく。しかし、専門性が高いので、それなりのバックグランドも必要だ。この面で活躍したのが2代目のプロジェクトリーダー、カルテックのバリー・バッシュ教授、大型加速器建設計画中止でこの座につくことになった実験物理学者である。この人のノーベル賞受賞は装置建設の功と言うことだろう。初代の失言(NSFの担当者に向かって「黙ってろ!」とやってしまい首になる)で思いがけず幸運が回ってきたわけである。
2015年9月14日運用直後の二つの観測所に“音”が飛び込んでくる。アインシュタインが予測した1916年から100年を迎える直前のことであった。「それまでには何とか!」と念じていた関係者だけに、感激も一入だっただろう。2回目は2015年12月26日、3回目は2017年1月4日、重力波は歌っているのだ。
本書の原著が出版されたのは2016年。この時点でノーベル賞受賞を確信した調子で書かれている。これは著者も現役の物理学者(コロンビア大学天文学・宇宙物理学教授)だから、よくその業績が分かっていたからであろう。しかし、登場人物は多く、レイナーとキップは確かだが、バリーに関しては管理者としての色彩が強く描かれ、重力波研究とはやや距離を感じる。それでも管理者としては抜群の功績者として印象づけられたから、やはり順当な受賞だったと言えよう。
基礎科学分野は霞を食って生きる仙人の世界のように見られているが、主導権争い・功名争いは生き残りを賭けた凄まじい闘いの場、敵の敵は味方あるいは虚々実々の合従連衡は日常茶飯事なのだ。書き方は一読明るいトーンだが、底流にそんな雰囲気が流れる、チョッとシリアスな科学読み物であった。
4)ムッソリーニ
-イタリア人が日本人向けに書いた、母国ではいまだ人気の高い独裁者の全貌-
第二次世界大戦を戦った国家の指導者については随分読んできた。一番多いのがチャーチル、おそらく30冊は超えるだろう。次いでヒトラーは自著の「我が闘争」を含め20冊程度ある。スターリンは国内の権力闘争関連が多く、ルーズベルトは正史とも言えるピュリッツァー賞受賞のドリス・カーンず・グッドウィンの「フランクリン・ローズヴェルト」で仕上げをしたと思っている。また、蒋介石・毛沢東についてもそれぞれ何冊か目を通した。日本はいったい誰が主導者だったか明確でなく、専ら昭和史の中で、近衛文麿や東条英機の人となりを、それなりに知ったつもりだ。残るはムッソリーニ、この人だけは何故かまとまった本を読んだことがなく、スペイン市民戦争との関わり、何度かのヒトラーとの会談、そして反乱・幽閉下でのナチス親衛隊に依る救出劇など、それぞれを主題とする著書で断片的に人物像を把握はしていたものの、生い立ちや全体像は未知のまま、短絡的に“ファシズム”生みの親の印象しかない。このことは決して私個人の好悪ということでなく、世界的に他のリーダー達と話題性に大きな差があり、イタリアを除けば出版物も他者に比べて著しく少ないことを著者は冒頭で述べている。そして本書出版の動機は、少しでもそれを改善したいと願ってのことなのである。
この本はかなり変わったものである。著者はイタリア人だが翻訳者名がない。あとがきを読むと、著者が日本語で口述したものに日本人が手を入れて完成させたものであることが分かる。著者は外交官として何度か日本勤務をしたのち1978年以降京都産業大学で教鞭を執ってきた人、2009年同大学名誉教授、本書のハードカバーはその翌年に出版されたものである。つまり、この本は日本人にムッソリーニの正しい姿を理解してもらうために書かれたものなのである。
生年は1883年、父親は村の鍛冶屋だが既に欧州に広がりつつあった社会主義思想に共鳴、政治活動に熱心であった。母親は小学校の先生、地方では知識人である。そのような環境で育った彼が師範学校時代反体制運動にのめり込んでいくのは必然的な流れである。背景にあるのは、経済的なことばかりではない、一応イタリアと言う国家は在るものの(ガリバルディは入れ物を作っただけ)、カトリック教会・ローマ法王の力は統一国家形成に何かと障害になる。体制・反体制の中身も複雑だ。体制派にはカトリックや王党派だけでなく、地主(旧領主)と農民の間に介在するラッス(領袖)がおり、反体制派もイデオロギーでまとまっているわけではなく、革命派から改良派まで幅が広い。この辺りの事情が“何とかして全体を一つにまとめなければ”との思いで“ファシズム(結束)”につながっていく。
初期の活動は社会党(のちの共産党)をベースに行われるが、党そのものの結束力も発展途上で必ずしも強固ではない。ここでの彼は党務の中で一歩一歩地歩を固めるのではなく、新聞発行人として個人の主張を前面に出し、一般大衆に直接語りかけ、その支持で頭角を現していく(のちに演説の力が最大の求心力になっていく)。その主張の根底には“階級闘争”意識も個人的な野心も皆無、真の国家統一を成すのは天命との思いが強い。
民意が動き出すのは第一次世界大戦、一時は反戦派に組していたものの、その後参戦派に転じ一兵卒として軍務に服し(師範学校卒だから将校になれるが社会主義者ゆえに叶わず)、参戦・負傷、伍長(ドーチェ(指導者)称せられるようになっても名誉伍長)に昇進する(終戦時は軍曹)。この経験が戦後の政治活動(特に大衆との結びつき)に大きく寄与する。1919年ミラノで “戦闘ファッショ”が結成され、紆余曲折を経たのち、ファシスト運動が活発になっていく。1921年議員に当選、この段階では社会党、国民党に大差をつけられていたが、正式にファシスト党が誕生し、代表者の地位に就く。権力奪取に向けて“ローマ進軍”が10月に行われ、国王から組閣命令を受ける。爾来、国王とバドリオ将軍の翻意で1943年7月その座を追われるまで22年間首相の座に留まる。戦争末期を除けば経済も好調に推移し、独裁政権とは言え国民の支持も高いことが長命政権につながっている。これは現時点でも最長のようだ。
国際社会での存在感はズデーテン地方割譲に関するミュンヘン会談で示される。師範学校時代フランス語の国家資格をとっているほか、ドイツ語も同レベル、英語も通訳なしで話せるので、ヒトラーばかりでなく英仏首相も何かと彼に頼ったところは一級の国際人だった証と言える。
暴力(示威)による政権奪取を肯定したものの、個人へのテロ攻撃やユダヤ人迫害には否定的で、党内の過激派を抑えることに苦慮する場面もしばしば本書の中で語られる。
指導者としての最大の欠点は決断力が不足しており(頭は切れるが怜悧ではない)、結果として成り行き任せになることがしばしば生じたことである。特に第二次世界大戦ではそれが顕著で、結局負け戦になってしまう。結果的に惨殺に終わるのもこの性格によると著者はみているようだ。
個人的な欠陥?は女である。正妻は同じ村出身の娘だが、かなり深い関係になる女性が3~4人、首相執務室の在ったヴェネツィア宮殿(ローマ)でことにおよんだ相手(ほとんど讃美者)は400人以上だったとか!一節には梅毒罹患説があり、米国は死体から脳の一部を切り取って分析したが、結果は陰性であった。さすがイタリア男!と言うべきか?
悲惨な最後(田舎家で銃殺され、ミラノの広場に愛人クラレッタとともにさらしものになる)は、公式には共産党過激派によるされているが、陰謀説が多々あるようだ。連合国は生け捕りにすることを目論み、イタリア政府にその指示を出し私刑を厳しく禁じていた。ムッソリーニ自身逃げ隠れする考えはなかった。銃殺方法に関してののちの証言・検視に矛盾するところが多い。英・米の一部に生きていては困る勢力があったのではないか?を窺わせながら本書は終わる。
一貫して伝わってくるのは著者のムッソリーニへの思い入れである。その点では客観的な伝記としてややバイアスを感じるが、今でも歴代イタリア人政治家の中で人気抜群と聞かされると、これがイタリア人の観る一般的なムッソリーニ像ではないかとも思えて、親近感さえ持ってしまった。イタリア近代史(特に政権奪取までの複雑なイタリア政治情勢)と何かと喧しいポピュリズム(イデオロギー・組織対大衆人心収攬;この視点で、直近ではムッソリーニ礼賛を危険視する風潮も強まっている)を基礎から学ぶことができた貴重な一冊、これが読後感である。
蛇足;日本人との接触は在伊外交官に限られているが、日本及び日本人に関心が高かったようで、三国同盟はるか以前1928年白虎隊を称えて飯盛山に古代ローマ建築の柱を寄贈している。あそこは3度訪れており、今秋も裏磐梯ドライブに出かけたが立寄らなかった。これを知っていれば寄り道したのに、残念!また、1940年のオリンピック開催地は東京とローマが競っていたが、東京に譲る決断を下した。
5)放たれた虎
-エリート組織の落ちこぼれ軍団、大臣も局長も「なめたらいかんぜよ!」-
スパイサスペンス小説は何と言っても英国である。今年はその分野の巨匠、ジョン・ル・カレとフレデリック・フォーサイスの自伝を本欄で紹介したが、トリは中堅作家で既に2作を取り上げている、ミック・ヘロンの最新訳「放たれた虎」が取ることになった。第一作の「窓際のスパイ(原題は遅い馬)」で英国推理作家協会スティールダガー賞にノミネートされ、第2作目の「死んだライオン」で見事ゴールドダガー賞を射止めている。本書は受賞こそ逃したようだが、ゴールド、スティール両賞にノミネートされたと訳者解説にある。両巨匠とも連続でこれほど次々と高い評価を得てはいないから、やがて彼らの後継者の地位を獲得するのではなかろうか。
我が国では<窓際のスパイ>シリーズと称しているが、本国では<泥沼の家>シリーズと名付けられている。英国国内諜報機関MI-5の落ちこぼれ(謀られた昇任実地試験での大失態、賭け事にのめり込み過ぎた者、重度のアル中からのリハビリで何とか再起した者、麻薬常用発覚者、しばしば仕事をほったらかしにするコンピュータオタク)が送り込まれる、本部とはかなり離れた場末に在る、リーダーと5,6人のスタッフで成る一種の仕置場である。皆何とか本部に復帰するチャンスを願っているがその可能性は限りなくゼロに近い。そんな彼らに時として降りかかる無理難題、もし解決できなければ職を失うことになる。そしてこの成否は組織そのものと本部の保安局長やナンバーツー(二人とも女性)の昇進や地位保全と密接に関わっている。これが3作に共通するプロットである。
リーダーであるジャクソン・ラムの秘書キャサリンが夏の夕べに拉致される。拉致犯は何者か?狙いは何か?キャサリンは何処に?密かにスタッフの一人に近づいた犯人の一人が囁く「50分以内に本部にあるファイルの一つの写真を撮り、それを送ってくれたらキャサリンを解放してやる」と。彼は上司ラムに相談することなく、直ちに行動に移る。裏にある巨悪の存在、MI-5を主管する内務大臣の企み、には全く気が付いていない。
最近のスパイものは本シリーズに限らず、英国の他の作者や米国のものも、内なる敵との戦いが多くなっている。戦中や冷戦時のように組織体組織の丁々発止がないのは何か緊迫感を欠き、陰湿な個人的確執が主題になりがちである。本作もその点は同類で、読み始めは「またか!」の感を抱いたが、途中から登場人物の力関係や背景がきめ細やかに語られると「これは本部の泥沼の家いじめではなさそうだ」となり、後半に入ると大立ち回りも出てきて、次々と意表を突く場面展開が速いペースで進み、最後のどんでん返しで胸がすく。原題名はReal Tigersと複数である。誘拐犯グループか?落ちこぼれ達か?はたまたMI-5幹部連か?あとは読んでのお楽しみ、高い評価に納得できるストーリー展開と結末だった。
<2017年のベストスリー>
恒例によって今年度紹介しました71冊(77巻)の中から、ベストスリーを選んでみました。
1.ライト兄弟(12月) デイヴィット・マカルー 草思社
本欄2)紹介。
2.Mr. トルネード(11月) 佐々木健一 文藝春秋社
竜巻研究の世界的権威に昇りつめた日本人気象学者の伝記。航空事故解明で新たに構築されたダウンバースト理論が安全運航を実現する。
3.かくて行動経済学は生まれり(10月) マイケル・ルイス 文藝春秋社
本年ノーベル経済学賞受賞者リチャード・セイヤーに先立つ、行動経済学を生み出した二人の若き天才科学者。
今年も本欄をご愛顧いただき深く感謝いたします。来年もよろしくお願い申し上げます。
2018年が皆様にとって良い年であるよう願っております。
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