今月の本棚-118(2018年5月分)
<今月読んだ本>
1) 中国はなぜ軍拡を続けるのか(阿南友亮):新潮社(選書)
2)戦国日本と大航海時代(平川新):中央公論新社(新書)
3)小水力発電が地域を救う(中島大):東洋経済新報社
4)狂歌絵師北斎と読む古事記・万葉集(岡林みどり):批評社
5)明治の技術官僚(柏原宏紀):中央公論新社(新書)
6)こわいもの知らずの病理学講義(仲野徹):晶文社
<愚評昧説>
1)中国はなぜ軍拡を続けるのか
ソ連の赤軍、ナチスの親衛隊(突撃隊)そして中共の解放軍。いずれも国民を守る国軍ではなく支配政党の私兵である。そこには党の軍隊だからこその特性がある。それは国内向け(対反党)活動の重さである。逆に見れば、警察の治安行動程度では抑えきれない反体制行動発生の可能性が大きいとも言える。従って国家指導者は何より優先して、この軍を手の内にしないことには、真の実力者にはなれない。しかし、この種の組織管理・運用は容易ではない。組織が肥大化し、権力が強まるにつけ、主導権争いが起こる。軍の在り方に対する考え方の違い、権力欲・肩書、そこから得られる利権、権力の座を失うことへの恐怖・疑心暗鬼、閨閥・地方閥による対立など。スターリンによる赤軍粛清、ナチ政権誕生直後のレーム突撃隊長暗殺事件、文革時代の林彪事故死?など、この内部抗争の典型的な事例と言えよう。
鄧小平の開放・改革の掛け声のもと飛躍的な経済成長を続ける中国、解放軍の近代化も進み、それを反映するように軍事力を前面に押し出す国策に対して、米国を含めその挑発的な姿勢を警戒する空気が一段と高まっている。しかし、先に例示したように、この軍拡は外ばかりに向けられているわけではない。本書はそんな視点で、毛沢東をはじめとする歴代国家指導者による内政・外交と解放軍の関係を辿り、習近平下の現状と問題点を指摘し、さらに我が国の対応策について提言する内容になっている。
著者の名字(阿南;あなみ)から何かを連想するのは我々の世代(昭和10年代生まれ)が最後かもしれない。終戦時の鈴木貫太郎内閣の陸軍大臣阿南惟幾大将(軍司令官として中支で戦う。8月15日割腹自殺)は祖父、父親は元中国大使(2001年~2006年)阿南惟茂である。4歳の時初めて中国に渡り、二度目は小学校5年生から中学校2年生までを彼の地で過ごし、三度目は大学院時代北京大学大学院に留学している中国通である。軍事に対する知識・考察も、直接影響力は無いものの、祖父の存在と無関係ではあるまい。現職は東北大学大学院教授(公共政策大学院院長)、学際的で冷徹な内容が、溢れる反中物や中国恐怖論とは一味異なる中国観を与えてくれる。つまり外向きの言動ばかりに惑わされず、国内事情も注視せよと(そのために外へ向かう動きに警戒を怠ってはならないが)。
書題のキーワードは“(解放軍)軍拡”にあるが、書き出しから4分の1くらいまでは、現代中国社会の考察に当てられる。“群体性事件”と呼ばれる反体制活動が年々増加していること(2003年6万件→2011年18万件;報告されているもののみ)、1910年代に始まった内戦は形の上では未だに続いており(台湾開放)これを論拠に国内世論を軍拡肯定に誘導していること、歴史的に続く国家権力と民間社会の断絶が依然として社会の深奥部にあり個人・民間の自主独立・抜け目のなさは継続していること、社会保障政策が等閑にされたまま今日に至り、格差問題も絡み巨大な人口が国家の巨大な負債となっていること、など具体的に示し、そこでの“一党独裁維持”の問題点をあぶり出す。
この独裁体制維持のための最重要機関が解放軍であり、その歴史を遡ればこれが単なる軍事組織ではなく、長く地方を含む唯一の統治組織であったことを説き、その機能が形を変えて現在に継続されていることを詳らかにする。つまり統治システムそのものだったのである。ここから党総書記、国家主席や国務院総理に比し中央軍事委員会主席が如何に強力な権力者かよくわり、軍拡への動きとその背景が単なる(狭義の)軍事力強化でないことが分かってくる。毛沢東から鄧小平に至るこの組織の主席はすべて内戦時には戦士と戦った実績があり、軍を押さえることが出来たのだが、江沢民・胡錦濤そして習近平には本格的な軍勤務の経歴がなく、それ故に軍人委員の過半を味方にしなければならない。そのための解放軍プロパーの抱え込みに、軍近代化から個人及び組織に対する利権付与に至る解放軍政策のカギがあるのだ。
狭義の軍拡(予算や軍事技術、兵力)に関する分析は、巷間言われている“恐怖論”からは程遠い。技術力に関しては中ソ対立の時期ソ連からの軍事技術支援が断たれ相当の遅れを生じたこと、中露和解が成り再びロシアからの技術導入が始まっているが、ロシアの軍事技術そのものがソ連崩壊後の混乱で、西側(特に米国)と大きく差がついており、外見は似ているものの個体としてもシステム(例えば、C4I;Command、Control、Communication、Computer、Intelligenceや)としても格差は依然として大きいと結論付けている(例えば、イージス艦、ステルス戦闘機、原子力潜水艦、空母)。さらに問題なのは、統合運用(陸海空協同)の経験が皆無であり整備も著しく遅れていることである(政治将校介在による指揮系統の複雑化などもあり)。湾岸戦争における多国籍軍の戦略・戦術に解放軍が大きなショックを受けたことなどを引用して、それを納得できる形で説明してくれる。
だからと言って昨今の軍拡を侮ってはならないと警告する。それは国内からの“一党独裁”批判をかわすための過度な愛国教育(反米・反日)と党生き残りのために思い切った施策が結びつき暴発の恐れなしとは言えないからである。そのためにも日米安全保障体制の不断の強化が必要だと。そして最後に、日本も含め西側経済が中国依存度を高めていることと軍拡の現状を踏まえ「我が国対中政策は全面的なオーバーホールの時期にある(中国人民の基本的人権に着目して)」と結ぶ。これは駐中国大使だった父親(チャイナスクール;大使時代小泉首相に靖国参拝を中止するよう進言)とはおそらく異なる(反対の?)提言であろう。その先にあるのは、既に消え去ったナチス親衛隊やソ連赤軍と同じ運命であろうか?
少年時代を含め種々の角度からこの国を見つめてきた人の分析に基づく考察だけに、汗牛充棟の感さえある中国物出版物の中で貴重な一冊と言える。
2)戦国日本と大航海時代
一昨年3月熊本大震災の2週間ほど前に家内の両親の墓参を兼ね九州ドライブを楽しんだ。指宿から長崎に至るルートのオリジナル案は、天草を経て雲仙に上陸する道だった。目玉は“隠れキリシタン”である。「どんなところに住んでいる人が、戦国の世にキリスト教に帰依したのか。今そこはどのようになっているか」を知りたかったからである。残念ながら知覧で時間を使い過ぎ、島伝いはフェリーの制約であきらめざるを得ず、九州道を長崎まで陸路だけになった。 結局“キリシタン”は長崎観光で大浦天主堂を訪れたに過ぎない。今回オリジナルルート上のいくつかの集落・施設がユネスコ世界文化遺産登録に相応しいとの結果が示され、あらためて「あの時行っておけば」の心境である。
日本史を学んだのは中学時代、高校では選択しなかったし、キリスト教にも格別の関心を持ったことは無い。従って我が国におけるその方面の知識は極めて断片的で、記憶に残るのは、イエズス会のザビエル、大友宗麟、天正少年遣欧使節団、何度かのキリシタン布教禁止令、天草四郎、支倉常長くらい、キリシタン弾圧は国の指導者たちが権力喪失を恐れたからと教えられた。今回本書を読んでこれらがひとつながりとなり、信長・秀吉・家康および徳川幕府がキリスト教といかに向き合い、その下で地方大名たち(特に九州諸藩と伊達政宗)がなぜ積極的にこれと関わろうと動いたかを理解するとともに、厳しい布教禁止令さらには処刑が、我が国独立維持のために欠かせぬ断であったことを知らされた。
15世紀初めからポルトガルの航海王子エンリケによって始まったアフリカ西岸域の探検事業は、15世紀末には最南端の喜望峰まで達し、さらにインド洋へとのりだしていく。この間スペイン女王に支援を得たコロンブスは西インド諸島に到達、これが南北アメリカ大陸進出のきっかけとなり、大航海時代が本格的に始まる。ここでローマ教皇アレクサンデル6世が1494年両国の勢力圏を定める。これが世界を二分割するトルデシリャス条約である。南米でブラジルだけがポルトガル語を用い、他はスペイン語を話すのはこれに依る。東側を押さえられたスペインは西回りでインドに達する航路探査を始め、マゼランがホーン岬を廻りフィリピン(彼はここで命を落とす)を経由して世界一周を達成する。一方のポルトガルもゴア、マラッカ、マカオ、モルッカ諸島と東進し、再び支配域の設定が必要となる。既にフィリピンはスペインが征服しマニラに拠点を築いたため、ここは例外扱いとし、東経144度30分で分割線を引く。これが1529年に結ばれたサラゴサ条約である。この線を北に延ばせば北海道東部を横切ることになるが、中国経由の交易や倭寇の存在、さらには東南アジア各地に進出していた日本人を通じて、両国とも日本の存在は知ってはいたものの、実質的な分割線は曖昧なままになっている(ポルトガルは自国支配域との認識だが)。
彼らの植民地獲得プロセスは、統治機構が貧弱で軍事力が劣ると見れば船員や少数の陸兵による直接的な侵攻・征服もあるが、概ね宣教師を送り込み、彼らが情報を集め、時間をかけて住民を教化して大きな反体制勢力を作り上げ、そこへ本国軍隊を投入して権力中枢を倒すのが常套手段であった。この時代の日本は群雄割拠する戦国時代。これを外から見た場合、各藩は欧州に一般的であった領邦国家ととらえられ、各々がかなりの軍事力を備え、その上に“皇帝(王の上に立つ)”が存在する一大軍事帝国に見えたようである。それ故に、宣教師の活動も用心深く行われていたし、マニラ総督(スペイン王名代)、ゴア副王(ポルトガル王名代)も対日関係に慎重な姿勢で当たることになる。
この時代の国際交易は危険も大きいが利益も桁違いだった。先ずマカオ、マニラに近い九州の大名たちがこれに目を付ける。布教の側からもここまでは航海も比較的安全だ。こうして両者の交流が活発化していく。当然信長・秀吉さらには家康もこの利権を自らのものにしたい。ただし三者の関心事は異なっていた。信長は世界をもっと知りたかった。秀吉は権力を海外にまで広げ誇示したかった。家康は実利を求めた(交易拠点を江戸湾内に設けたかった)。共通したのは、志半ばで倒れた信長はともかく、秀吉・家康それに徳川幕府のキリスト教布教から発する西欧による植民地化への恐れである。
それぞれの宣教師と三者の関係、総督・副王の考え方、秀吉や家康の言動、幕府の対外・対キリスト教政策、諸藩の動き(特に九州諸藩と伊達藩)、遣欧使節団派遣の動機や教皇・国王の対応、スペインとポルトガルあるいは宣教団体間の争い、新海洋国家・新教国イギリスとオランダの旧勢力に対する挑戦。これらを通じて、内外激動期の世界と日本の関係が俯瞰的にとらえられ、日本史と世界史が一つに統合されところに、本書の読みどころがある。個々には危ない場面もあるものの、中南米・アジア・アフリカの各地で植民地化が進む中で、我が国が独立国として命脈を保ち、さらに発展できたのは、当時の為政者たちが、予想以上に世界事情を知っていたことに尽きる。果たして今はどうなのか?何か“したたかさ”を欠く昨今の我が国外交政策にそんな疑問が浮かんできた。
本書では、伊達政宗による支倉常長派欧にかなりの紙数が割かれる。これは他の“南へ向かう”交易路と違い、東北地方とメキシコを結ぶルート開拓を目指すものであった。学校教育ではそれほど重きを置かれない話だけに、私にとって大変興味深い内容だった。そもそもの本書執筆動機が仙台市史編纂事業として「慶長遣欧使節編」の担当委員になったからだとある。著者は前東北大学大学院教授(東北アジア研究センター長、災害科学国際研究所長)、現宮城学院女子大学学長。
3)小水力発電が地域を救う
先月の本欄で、現状および将来のエネルギー需給を題材とする“「石油」の終わり”を紹介した。そこで明らかになったのが我が国における再生可能エネルギー利用の遅れである。地理的条件(急峻な山岳地、遠浅の海岸が少ない)もあって太陽光、風力の活用に限りがあること、地熱エネルギーだけは世界有数の潜在能力を持つものの、国立公園法や温泉事業との兼ね合いで開発が進まないこと、が記されていた。水力については、全体として簡単に扱われ、スイスで依然として高い比率を占め今後も開発計画があることに触れていたが、我が国は開発の余地がなくなっているとあっさり片付けられていた。高校生くらいまでは電力と言えば水力発電が主体“水主火従”なる言葉もよく聞いていた。そしてその頂点に1956年着工1963年完成の“クロヨン”があったのだが(当時の大阪府需要の50%をまかなった)、この頃から“火主水従”に転じ、以後大規模開発が話題になることがなくなった。たまたま前著を読んでいる時Amazonから本書を薦めてきたので読むことになった。
副題に“日本を明るくする広大なフロンティア”とあり「オッ!これは期待できるかも・・」と読み始めが、導入部は山村の過疎化と森林荒廃の話。嘗て電力は山で作られ都会へと流れていたが、今では沿岸部で発電し、それが山へ上っていくようになり、地方の活力が失われて行った、この流れを再び元に戻すために“小水力発電”で山村地域のエネルギーをまかない、余力を販売して経済の活性化につなげよう、との論を展開する。さらに読み進むと、環境省がまとめた“中小水力発電のポテンシャル”が援用されその数字は9百万kw、経済性を考慮するとその半分くらいが開発可能と、(筆者を含む)関係者が見ていることがわかる。これは現在我が国の需要は約50億kw、1%に満たないが、それでも山村地域の需要を満たすには充分、電力会社に渡す余裕もあるのだと言う。つまり“明るくする”のは日本全体ではなく、限界集落になりつつある山村地域であり、本書の主題はエネルギー問題ではなく、地方創生・活性化プログラムの一端と言っていい。
とは言っても著者は科学者(東大物理出身、現在は小水力発電コンサルタント)、内容は技術的なことが多く、それなりに面白い。ここで対象とする小電力は千kw以下(45kwの事例もある)、主に農業用水路を利用した事例が多い(防災用ダム・水路の活用なども考えられるようだが)。この水路は稲作が主目的で(畑作とは桁違いに水が必要)、高度経済成長下の食糧政策で全国各地に建設されてきたが、今や減反の時代、最需要期である田植えの時期でも水量に不足はないのだ。
農業用水路とはどのようなものか(オープン水路と堰で構成;水路保全が重要だが過疎化が進むとこの人手確保が難しくなる)、それを発電に利用するとすればどこを変えなければならないか(ゴミ除去、水量安定化など)、小水力発電用機器やシステムはどんなものか(二度の石油危機時我が国は省石油エネルギーに注力する一方、水力利用にほとんど目を向けていない。欧州ではスイス、イタリアなどで小水力発電開発が盛んであったため、この分野の機器開発・生産で圧倒的に差を付けられ、技術力もコストも太刀打ちできない。またヴェトナムあたりも侮れない力を持っている)、建設プロジェクトを如何に進めるか(地域の同意・協力、資金確保、省庁・地方自治体や電力会社との折衝)、好ましいリーダーはどんな人材か(村の長老では絶対ダメ!)、それらの運営管理をどのように行うか(専任者が必須)、地場での電力活用策にはどんなものがあるか(村おこしなど)、経済性の考え方はいか様か(FIT法;Feed-in
Tariff;再生可能エネルギー固定価格買取制度に依存しているため、本書出版後の改正によって厳しくなっているはず)などの要点(問題点、留意点)が、既に完成・運用されている事例を基に具体的に示されるので、小水力発電の理解には充分な内容である。
繰り返すが本書の内容は我が国エネルギー事情に光明をもたらすものではない。過疎化による山村衰亡をいかに食い止めるか、その視点に立った啓発の書と言ったところである。まとめは“日本文化論”にまで踏み込み、それが地方村落を基にしたと説き、その復活を願うことをこの小水力発電を結びつける。著者経歴をたどると学生時代(1985年大学卒)からエコロジー団体(反原発を含む)に参加、その後農林水産省の外郭団体「財団法人ふるさと情報センター」就職、それが今の活動につながってきている(結局官に頼って)。「都会は人を育てない」と繰り返す場面もあり、途中からいまだに若き日の理想(あるいは夢想)を追い求めている人物像を思い描きながら本書を読んだ。
4)狂歌絵師北斎と読む古事記・万葉集
以前から本欄を閲覧していただいている方がこの題名を見たら「いったい全体何が起こったんだ?!」と驚かれるに違いない。確かに、北斎の浮世絵はともかく(版画は趣味の一つ)、高校卒業以来古文と韻文(詩歌)に触れたことがない。その高校時代も国語は全く興味が持てず、古文は苦手科目の最右翼だった。加えて日本史については中学校以降系統的に学んでいない。その私が本書を手にし、読後感を書くにはそれなりの理由がある。
著者はある異業種交流会を通じての友人である。東大で農芸化学を修士課程まで学び、化粧品会社に就職、化学研究者として長く務めた後、化粧品と縁が深い文化研究所に転じファッション文化の国際比較研究を行っている時に知り合った。社会や文化を見る眼が鋭敏で、着眼点がユニークだった。
定年を少しはやめて退職し家庭に入った著者とはその交流会OB会で年一回会い、メンバーの近況報告の場で、日本語研究(外国人に対する日本語教育や学校の国語教育)をしていることを知らされ、数年前からそれが書題の研究領域に展開していっていることを断片的に聞く機会があったが、研究の全体像は今一つつかめなかった。本年3月<今月の本棚>通知の返信に「現役時代から続けてきた「言葉と癒しの問題」について、区切りのつくところまでたどり着くことができましたので、ご報告いたします。」とあり、本書の刊行を知らせてくれた。
本書は2部構成から成る。第1部は万葉・古今(新古今を含む)を基に編纂された百人一首とそこに題材を求めた北斎の27枚の浮世絵との関係を探ることにある。第2部は万葉・古今から日本史(特に政治史、社会史)と日本語発展史を辿り、そこに第1部の考察を援用または補完する内容になっている。動員される学問は、日本史(古事記、日本書紀から説き起こし山場は大化の改新、壬申の乱)、日本語史、言語学、国学、文学(特に詩歌)、哲学、中国古典、地理学気象学、天文学、時には科学史そして代数学(ある種の数論)や幾何学にまでおよぶ。
第1部はある種のミステリーに近い。百首で成り立つ百人一首の内、北斎はなぜ27首しか選ばなかったのか、なぜこの27首なのか、版元が違うのはなぜか、順番はどのような意味を持つか、歌と絵の関係はどのようなものか、絵の中に描かれている人物はだれか、歌に詠みこまれた言葉の真意は何か、などを著者独自の論理・推理で追っていく。この独自の論理・推理が面白い(と言うか全く意表をつく)。例えば、万葉あるいは古今の歌番(歌の順番数)から他の歌のとの相関を探り双方の歌の内容に言及し、表面に現れた(現在まで解説されてきた)意味とは異なる、新たな解釈を加える。また浮世絵の構図を、幾何学(ピタゴラスの定理や円周率の求め方)を用いて分析し、歌の隠された意味を探っていく。読み始めでは「風が吹けば桶屋が儲かる」のような感じだが、だんだん「なるほど!」と惹き込まれて行く(きちんと理解できて納得するわけではないが)。そんな話の中にも、日本語用法や奈良・平安時代の歴史認識を啓発するような、小論が埋め込まれ、読む者の浅学を糺さねばならぬ場面に何度にも直面する。
第2部は北斎から離れ、万葉集編纂の真の意義を探ることに当てられる。つまり、ただの歌集ではないと言うことである。万葉集は万葉仮名(音に漢字を当てる)で記述されているから、異なる当て字が使われることがしばしばある。どの字が相応しいのか
“語法” を視覚・触覚・聴覚、それぞれの視点で論じて見せる。あるいは、漢字の形や部首の持つ意味から適否を断じ、歌の新解釈に挑戦する。さらに、文字ばかりではなく歌全体を読み方(音読)に着目し、耳から入る物語として万葉を分析し、独自解釈を披歴する。通り一遍の古文の授業とは異なり、奥が深いのである。ここでも数理が重要な役割を果たすのは第1部と同じだ。
私が2部に共通する通奏低音として感じたことは、日本
語に対する愛情と女性蔑視社会に対する憤り、それに数理の重
さである。従って簡単に読み下せるものではない(あとがき
に「簡単には全体をつかむことは難しいと思います。だったら
面白そうなところから読み始めてください」とある。まさにそ
んな読み方が適した内容である)。ここで展開される論理が専
門の研究者にどう評価されるか、現段階では不明だが、初学者
(あるいはそれ以前の状態;本書の中で、初学者、中学者、上
級者などの用語が現れる)である私にも、ユニークな発想に基
づく大変な労作であることはよく分かり、「学問・研究とは発
想が決め手」との認識を改めて持たせてくれたことだけは確か
である。
5)明治の技術官僚
現役を終えた頃、大学時代の級友たちと“生まれ変わったらどんな職業を選ぶか?”と言うような与太話をしたことがある。私は「また理工系に進み製造業対象のITエンジニアになる」と言ったところ「おまえは幸せだな~」との答えが返ってきた。彼らに言わせれば「所詮日本企業は事務屋の天下」とのことである。私が就職した東燃は石油精製専業、販売はエッソ、モービルが行っていたから営業職は無く、人事・経理・総務・企画などに文系出身者が居るものの、技術屋が幅をきかせていたからこんな考えになったのかもしれない。しかし、生まれ変わって技術者になっても、役所に行こうと言う気は全くない。技術者の専門性を生かす場は限られ、いわゆる“ガラス天井”で技官には昇進の機会にはっきり差があるからだ。では技術導入・習得ラッシュの維新・文明開化の時期はどのようだったのであろうか?そんな興味から本書を手に取ることになった(書架には理系蔑視社会や技術官僚に関する本が10冊くらいあるが、明治期のものは無い)。
書籍の題名は著者が決めるのではなく、編集者の権限だと聞いたことがある。であるならば、本書のような“羊頭狗肉”本は出版社の意図から発しているのかもしれない。“技術官僚”は添え物、中身は副題にある“長州五傑”である。恥ずかしながら“長州五傑”と言う言葉を知らなかった私にとって、それなりに得るところはあったものの、全くの期待外れの構成・内容であった。この題名に少しでも近づけようとする著者の努力もただの牽強付会に読めてしまうほどだ。つまり狭義の技術専門職ばかりではなく早期の異国留学者は“語学”と言う専門技術を駆使して国作りに貢献したのだから広義の技術官僚であるとの論法なのである。
長州五傑とは、伊藤博文、井上馨、山尾庸三、井上勝、遠藤謹助の5人である。この内伊藤博文と井上馨は政治家として活躍したから広く知られた存在だ。山尾庸三は工部大学校(現東大工学部)の創設者として、我が国の技術史に興味があれば、どこかで見聞したはずである。井上勝は鉄道ファンなら知らないと恥、草創期の官営鉄道(のちの国鉄、さらに現在のJR)建設推進に当たった中心人物である。遠藤謹助だけは特別なにか縁のある人(例えば山口県出身者)しか知らないだろう(私も全く知らなかった)。(結果として)業績に大差があるこの5人をひとくくりにして“五傑”と呼ぶのは、幕末(1863年)法を犯して(藩の支援で)一緒に英国に渡り 5人揃って撮った写真が残っていたからではなかろうか。
出発は1863年5月、藩の狙いは海軍修業、期間は5年。全員がジャーディン・マセソン商会の斡旋でロンドン大学のユニバーシティカレッジで化学を学ぶことからスタートする。しかし、国内騒然の状況を察知した伊藤と井上(馨)は7カ月で留学を切り上げ帰国、遠藤も胸の病で格別な技術習得がないまま1866年1月帰国の途につく。つまりこの三人は英語力を除けばほとんど技術について何も学んでいないのである。これに対し、井上と山尾の二人はカレッジを終了し、山尾はグラスゴーの造船所で見習工としての経験を積み、井上(勝)は数理物理、鉱山学、鉄道などを学んだり実習したりして1868年11月に帰国する。著者はこの帰国判断が今日に続く事務官僚と技術官僚の処遇差別の一因と見る。つまり“機を見るに敏”な資質と早い時期での政治・行政(維新期これは渾然一体となっている)への参画である。下位身分(伊藤は一代限りの士雇(さむらいやとい)、井上は農業を営む地侍)にも関わらず語学力がそれを可能にしたとの見解を示す。しかし、何事でも自分の意志と行動だけでは決し切れず、タイミングを外してしまった事例は歴史上いくらも存在する。一方できちんと責務を果たしその成果がタイムリーに生かせれば、山尾や井上(勝)が政治・行政により大きな影響をおよぼしたかもしれない。要は5人の場合“運”が分岐点なのである。紙数の大半が伊藤と井上(馨)の政治家としての活動に割かれ、それをあたかも政治家・行政官と技術者の有意差であるかのように描かれるのはどうも納得がいかない。造幣官として大した実績も残さなかった遠藤はともかく、山尾・井上(勝)はそれぞれ工部卿(大臣)・鉄道頭(局長あるいは総裁)と言う行政トップを務め、それなりに政治的活動も行っているが(明治10年代半ば)、本務多忙で国政を動かす権力把握までには及ばなかったのが実態なのだから。
決定的に身分が異なるのは明治20年(1887年)制定の文官任用令、ここで法科有利の試験制度が採用され、技官は別扱いとなる(銓衡;経歴や個人の知識能力を個別評価)。従って“長州五傑”にその因を求めるのは、本来着眼点が違っているのである。だが日本行政史が研究対象の著者はどうしてもここに落とし込みたいのだろう。結果として、維新前後から明治20年代までの政治史を執拗に追い続けるのである(一応山尾・井上(勝)にはそれぞれ1章が割かれ、遠藤も集中的に記されてはいるが)。私が知りたかったのは、幕末・維新期の我が国における数理系人材の扱いやその分野に対する人々の関心(例えば士農工商と言う身分制度の影響、論理よりは和と情緒を重んじる国民性)、文明開化における技術に対する国作り上の分析・評価だったのだが、それに応えてくれる情報はきわめて浅い。もっと山尾と井上(勝)に重点を置いてほしかったし、長州以外の人物も取り上げて欲しかった(政治・行政の面では大隈重信を始め他藩出身者が多数登場する)。
民主党政権下でろくでもない理工系首相が二人誕生した(鳩山由紀夫;東大数理工学、菅直人;東工大応用物理)。無様な国の舵取りにエンジニアの一人として失望した。江沢民(上海交通大学機械)、胡錦濤(清華大水利)、習近平(清華大化学工学)、サッチャー(オックスフォード大学化学)、メルケル(ライプチヒ大学物理学)、92歳で復権したマハティール(シンガポール大医学)、すべてが“技術官僚”出身者ではないが、世界には錚々たる理系バックグラウンドの国家指導者が活躍してきた。それにひきかえ我が国は・・・、の状態はいつまで続くのだろうか。トップクラスの政治家として大学は出ていないが田中角栄は土木エンジニアとして社会人生活をスタート、滅法数字に強くエリート官僚もたじたじだった。大平首相急逝でピンチヒッターを無難に務めた鈴木善幸(水産講習所;のちの東京水産大学、現東京海洋大学)も居る。希望がまったく無いわけではない。第4次産業革命とその後の世界における科学技術の役割を考えれば、上級公務員採用・登用制度に大きくメスを入れる時期に来ているのではなかろうか(技官にくらべ、女性事務官の方が時代に沿った環境改善が急速に進んできている)。
6)こわいもの知らずの病理学講義
歳相応の生活習慣病(慢性胃炎、高血圧)はかかえているものの、これも日常生活に影響があるわけでなない。また入院するような大病にいまだ罹ったことはない。健康体を与えてくれた両親にただただ感謝である。そうは言っても80歳を目前にして周辺で病に関する話題が絶えない日々を送っていると、いくら子供の時から興味がまったく無かったこととは言え、生物・医学分野に関する知識にも少しは触れてみなければと思い、新聞の書評欄で取り上げられている本書を読むことになった。“病理学”、健康維持・回復のノウハウものや病院・医師・薬剤に関する素人騙し・脅しの本と異なる表題にも惹かれた。
「病気は細胞の異常によりひきおこされる」19世紀半ばプロイセンの病理学者、ルドルフ・ウィルヒョウによって確立された「細胞病理学」を出発点に、最新医学・医療前線(特にがん(白血病を含む))に迫っていく内容は、医学食わず嫌いの私にも分かり易く、何か関西芸人のお笑いを味わうような調子で読み続けることが出来た。これも微生物学・細胞学を専門とする大阪大学大学院医学系研究科教授と言う著者のバックグラウンドと無縁ではなかろう。
本書は4章から成るが、大別すると前2章が病理学、細胞学を解説し、後半の2章ががんに関する総論、各論となっている。一般向けにくだけた記述だが、筋と勘所は医学生に対する講義を基にしており、人体や病気に関しての基本が、細胞レベルから「そう言うことなのか」「なるほど」と学べるようになっている。
前半では先ず「病理学とはいかなるものか」を歴史も踏まえながら概説する。ウルヒョウ以前の医学・医療では古代ギリシャの医学者ヒポクラテスの「病気は“体液の異常”によって生ずる」と言う間違った考えが二千年にわたって信じられ、それに基づく“瀉血(しゃけつ;血液を抜き取る治療法)”が行われ、ほとんどの患者の病状が悪化した。これを改めたのがウルヒョウの研究結果のである。ポイントは17世紀における顕微鏡の発明と細胞の染色技術にあった。その後の細胞学(種類・構造や役割からその損傷さらには死まで)の進歩はこの観察システムの発展と伴にある。病理学の基礎に病理解剖(剖検)があったことから「内科医はなんでも知っているがなにもしない。外科医はなにも知らないがなんでもする。病理医はなんでも知っていてなんでもするが、ほとんどの場合手遅れである」と揶揄されたりするらしい。しかし現代は手術とリアルタイムで同期させる検査もあり、より治療の現場に近づいてきているのだ。
前半の第2の論点は“細胞”である。細胞が集まり組織となりその組織が複雑に組み合わされて臓器が出来上がっている。血液・骨格・筋肉も細胞が基となる組織なのだから、人体は細胞で成り立っているわけである。どんな細胞があるのか、臓器はどのような細胞で構成されるのか、細胞の損傷(遺伝的なものを含む)は如何に生ずるか、などを最新の分子生物学にも触れながら教えてくれる。「こんな話を中学の理科で少しでも聞かされていれば、生物に対する興味も違ただろうな~」の思いしきりで読んだ(もっとも分子生物学の出現はここ十数年のことだから無理ではあるが)。
後半は死因第一位「病の帝王」(米腫瘍内科医シッダールタ・ムカジー著ピュリッツァー受賞作品の題名)と称されるがんに関する病理と治療(抗がん剤を含む)の最前線(AI利用を含む)が、先ず総論として、次いで子宮頸がん、乳がん、肝臓がん、胃がん、大腸がん、白血病、放射線によるがんなど各論として、細胞レベルの発症状況から最新の治療法までその治癒の可能性を、統計数値も駆使しながら具体的に解説される。分かったことは“万能の抗がん剤や治療法はない”が病理学の進歩により、それぞれのがんに対する処方(がんの種類だけではなく遺伝子を含む)を適切に採ることによって、進行を止め回復に至る道が広がってきていることである。
何と言っても本書を評価できるのは、読み易い本であることである。それでいて甘さは無い。“がんもどき”などと言うはやりの言葉(とても学説とは言えないものをメディアは高い評価を与えている)はバッサリ切り捨てる厳しさもある。それ故に“もしもの時”に医師との対話に何がしかの役立ちそうな知識を得られたことである。とは言ってもとても記憶できるわけではないので“家庭医療辞典”的に活用することになるだろう。
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