2018年6月3日日曜日

ドイツ周遊3000km-1



-バス、鉄道、船、乗り物三昧の9日間-

520日から29日にかけて待望のドイツ旅行に出かけてきました。仕事で欧州に出張する機会をほとんど持たなかった私にとって、この地域の国々に対する関心はひと方ではありませんでした。引退後、英国(2007年)、イタリア(2008年)、事情で少し間をおいてフランス(2014年)、スペイン(2015年)と観て廻り、残る大物がドイツでした。あれこれ興味が募り、かえって実行できなかったといった経緯で今まで来てしまい、「とにかく一度」の思いで実現に至りました。見たい所、したいことをほとんど切り捨てての旅でしたが、天候に恵まれ、期待以上の旅を楽しむことが出来ました。これから何回にわたりその一端をご紹介していきますので、ご閲覧いただれば幸いです。

1.愛憎半ばする国
敗戦直後に小中学生だった世代の外国は専ら米国だった。占領政策やハリウッド映画の影響もあって輝いて見えた(今思えば“文化の深み”を理解するには幼な過ぎた)。1970年初めて海外出張で訪れた時の印象も“夢に描いていたアメリカ”と大きく違うことはなかった。訪問回数で一番多く、累積の滞在期間も最も長いのが米国、友人も多く、家族ぐるみの付き合いもあり、時に国としての関係に不快感を持つことはあっても、一番好きな国である。
英国観はチョッと複雑だ。それは主に第二次世界大戦後の東南アジアにおける捕虜の扱いや戦争裁判における豪州を含めた英連邦の厳しい立居振舞いに、ある種の陰険さを感じるからである。しかし、同じ第二次世界大戦を欧州戦線に限って考察するとき、OR(オペレーションズリサーチ;軍事作戦への数理応用)を始めとする“知恵者”としての戦い方に魅せられるところがあり、2007年現役引退後彼の地でその歴史を学ぶほど惹き込まれていった。半年弱の滞英生活を体験したのちは、すっかり英国ファンに変じてしまっている(天候と食事はダメだが・・・)。
英国以上に複雑な思いが交錯する国、それが今回訪問のドイツである。我々の上の世代は第二次世界大戦時の三国同盟もあり、わりと親独派が多いように感じる。ともに枢軸国として戦い、敗れ、そこから驚異的な復興を果たした戦後史でも共感を覚えるところは多いのだろう。しかし、日清戦争後の三国(独・仏・露)干渉や黄禍論の発生元はドイツであるし、支事変で国民党軍を強力に支えていたのはドイツ軍事顧問団とその兵器だった。また冷戦終結後の中国接近策に異常に熱心なことも気障りなところである。加えて東日本大震災における原発事故で最も不安を煽る言動をしたのもこの国である。さらに、冷戦下における南北・東西分裂国家としての共通性から韓国に対してはひとしおの思い入れがあるようで(韓国の方がより強いが)、何かと親韓的で韓国女性と結婚しているドイツ男性が多い(慰安婦問題に加担している元首相シュレーダーも最近韓国人女性ジャーナリストと再婚)。つまり私から見るとドイツは反日とまではいかなくとも嫌日国家(韓・中・露に次ぐ)に写るのである。一方で我が国の科学技術の歴史を振り返るとき、医学、理学、工学分野における影響力の大きさを軽視することは出来ない。私自身第2外国語はドイツ語だったし、制御理論学習でもドイツ研究者のそれが援用されることがあった。また、個人的な関心事、軍事技術(特に軍用機、戦車、潜水艦)と自動車、においてもこの国の持つ技術力の高さには尊崇の念さえ湧いてくる。日本中を駆け回っている相棒もドイツ車である。つまり“(片想いの)愛”は専らこの科学技術分野、“憎”は国際関係にあり、その度合いはいずれも米英を上回る。
現役時代訪問の機会がまったく無かったばかりではなく(Exxonはケルン、ハンブルグ、インゴルシュッタト、カールスルーエに製油所を持っていたが1980年代半ばまでにすべて処分している。にもかかわらず、今回の旅でEssoブランドのSSが多数存在するのに驚かされた)、学会や業界の国際会議などでもドイツ人とコンタクトする機会はほとんどなかった。海外関係者の名刺は引退後も保存しているので調べて見たところ約800枚の内3人しかドイツ人はいなかった。欧州に出かけるチャンスが少ない中でもフランスは石油会社のELF(現TOTAL)や国立研究機関からスピンアウトした数理ソフト会社のILOGなどとのメンバーと個人的な付き合いや取引関係があり、それなりの親近感を持てたが、ドイツはその種の関係も皆無だった。友人・知人の存否はその国の理解に決定的な差を生ずる。これが体験的な外国観である。私の嫌独感はこんなところから来ている可能性が高い。食わず嫌いである。なら食べてみよう。しかし、興味津々の国ゆえにその実現には時間がかかった。どう料理するか、にである。
私のドイツへの関心事は二つ;1)ヒトラーとドイツ軍の戦跡(とは言っても国内では事跡というべきか)、2)冷戦下のスパイ合戦(ジョン・ル・カレ「寒い国から返ってきたスパイ」、レン・デイトン「ベルリンの葬送」、なぜか二人とも英国人ではあるが)である。

写真(上から);ドイツ全図(黒下線は訪問地)、チェックポイント・チャーリー(検問所)

(写真はクリックすると拡大します)

(次回;ツアー参加に決まるまで)(コメントは:hmadono@nifty.com


0 件のコメント: