-バス、鉄道、船、乗り物三昧の9日間-
17.新白鳥城
ディズニーランドのお城のモデルとも言われ、ドイツ観光の目玉中の目玉、どんなツアーにも必ず組み込まれる人気スポットである。しかし、有名ではあるが、ほとんど歴史的価値は無い。世界遺産ではないし古城ですらないのだ。ここに人々が惹かれるのは、絵になることとルードヴィッヒのこの城にまつわる奇態・数奇な言行・運命にある。美男・婚約破棄・男色・ロマン主義への異常な思い入れ(新白鳥城もその一つ)・ワグナーへの傾倒(スポンサー)・これらに対する散財・ドイツ統一に際しての失意(ドイツ皇帝王位をプロシャに奪われる;バイエルン王位は残るが)・廃位・自殺(1886年;他殺説もある)。城が一応住めるようになるのは1883年。外からは石造りに見えるが、かなりの部分が鉄材とコンクリート。外見だけは城だが実質的には(戦いに備えた)城の機能はなく、ただの住居に過ぎない。ルードヴィッヒが住んだのはたったの102日。この城の最大の存在意義は現代人を惹きつけるその景観だろう。確かに写真写りだけは素晴らしい。これまでの行程でこの国の自然景観の単調さに飽きがきたこともあり、オーストリア国境近くにあるドイツアルプスの一端に触れることを期待して、みなと同一行動を採ることに決した。
5月27日(土)今朝も良く晴れている。ホテルはミュンヘンの北東方向に在るので、バスは先ず南西方向に向かうA92 に乗り、次いでミュンヘン環状道路を反時計方向廻って丁度9時の位置でA96に変わり西へ向かう。相変わらずどこも今までと同じようなアウトバーン風景である。しかし、24番でアウトバーンを降りて国道17号線を南下すると時々農村らしい集落が現れ、生活感が身近に感じられるようになり、遥か前方に山並みが望めるようになってくる。この道がいわゆる“ロマンチック街道”の南部分に当たるのだ。さらに進むと前方だけでなく左側(東側)にも山塊が近づき、峩々たる山容がはっきりしてくる。山麓はともかく上の方には木々は無く、岩がむき出し。チョッと関東平野を北西に走り、妙義山塊が見えてきたときの印象に似ている。FSMさんが左前方を指して「山の中腹、緑の中に白く見えるのがお城です」と説明。まもなくバスはシュバンガウの町に入り、トイレ休憩も兼ねて土産物・ブランド物を扱う店の駐車場で止まる。私は買い物には全く関心が無いので、写真撮影と行きたいのだが、今朝から大問題が発生している。デジカメが正常に動かないのだ。電源をオンにしてもレンズカバーが閉まったまま、関係のないと思われる“ズーム機能異常”のメッセージを表示して、液晶画面が暗くなってしまうのだ。「ここへ来て!」の感しきり。取りあえず、持参のガラ携のカメラで城を狙ってみる。何とかいけそうだ。以下帰国まで写真はガラ携カメラになる。
土産物屋から中心部の大駐車場へ移動。到着時刻は10時半。駐車場の北西の小高い山頂に茶色のホーエンシュバンガウ城が望める。町も駐車場も観光客であふれている。ここから新白鳥城へ行くには、徒歩・馬車・シャトルバスがあるが、当然我々はシャトルバスを利用する。少し時間が早かったのか、幸いそれほど待たずに乗車できる。このバスは九十九折れ道を15分ほどで城直下まで行くのだが、一つ手前マリエン橋で多くの人が降りる。この橋が“あのスポット”である。橋は狭く深い渓谷の間に架かり、人であふれており、撮影位置を確保するのに一苦労。それでも何枚か人が入らず撮ることができた。
一旦バス停に戻り、そこから少し下って昼食を摂るためのレストランに向かう。城に近い唯一のレストランゆえ、かなり込み合っているが、予約してあるので席は確保されている。メニューはドイツ風餃子(マウルタッシェン)。このあとの行程が気にはなったが、大ジョッキのビールを頼む。
城の見学は予約制のガイドツアー。我々の時間は1時05分。レストランから城まではかなりの上りで、昼食後の身には結構しんどい。入場口前広場には大きな電光掲示板があり、予約番号が示されるといよいよ見学開始だ。玉座の大広間→日常使う部屋(寝室・居間など)→ビーナスの洞窟(何でこんな所に!?)→執務室→歌手の大広間→調理場と廻っていく。それぞれにルードヴィッヒの好み・考え方(白鳥、ワグナーなど)が反映されているようだが、格別文化的に貴重なものではない。城を出たのは約1時間後、結局この城の価値は、先に書いたように、それにまつわる伝説と山地を背景とした建物としての美しさに尽きる。でも周りの景色は明らかに今までとは異なる。やはり単独行をあきらめ、ここに来て良かった。
写真上から;城遠景、ホーエンシュバンガウ城、新白鳥城全景、城への道
(写真はクリックすると拡大します)
(次回;ヴィース教会とミュンヘン)(メールID:hmadono@nifty.com)
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