-バス、鉄道、船、乗り物三昧の9日間-
20.ローテンブルク
ローテンブルクはロマンチック街道北端にあり「生きている中世都市」とも言われ、ドイツ観光の目玉の一つである。出自は(神聖ローマ)帝国自由都市、ナポレオン戦争後その資格を奪われるが、商工業中心の自治都市としての歴史を色濃く残すところである。つまり城や王宮などは存在せず(一時期領主が居たようだが、それは廃墟となり、石材は市民に持ち去られた)、マルクト広場を囲むラートハウス(市参事会堂)や宴会場、教会などが代表的な建造物である。しかし、王や領主が居ないからと言って、守りが不要と言うことではない。町の発展に伴い、城壁を何度が拡大しそれが外敵を防ぎ、往時を偲ぶ景観を保つ役割を果たしてきたのだ。ただ第2次世界大戦末期(3月31日)、ここも空爆(誤爆)を受け城壁・望楼の一部や家屋が破壊されたが、比較的新しい時代のもので、記念碑的なものは残り、損傷した部分もその後忠実に復元されている。
バスは北東側に在る城門の一つをくぐって狭い石畳の道を下って行き、こじんまりしたホテル(Altes Brauhaus;古い醸造所)の前で停車。到着時刻は3時20分、チェックインをして3時50分から街歩き観光に入る。城壁(つまり街)は、長い鼻を左(西)に向けた天狗のような形。こめかみの辺りが中心部になる。最初に訪れたのは、前首の位置に当たるプレーンラインと言う中世の木骨組みの家が在る小広場。どうやらここは写真撮影必須の場所らしく、各国観光客が溢れかえっている。アジア系が多い。次いでマルクト広場、聖ヤコブ教会と廻り、そこから突き出した鼻を含むブルク公園に至る。遥か下方には鼻を包むように湾曲して流れるタウバー川が望める。町の正式名称はここから来ており、本来は川向うまで渡り城壁を見上げる景観が、その名前を示していることになる。団体行動解散後、それを試みるグループもいたが、上りを考えると、この暑さの下、とてもその気にはならなかった。
鼻の先からマルクト広場へ戻る道はヘルンガッセ(旦那通り)、大商人たちの店や住まいが両側に並んでいたことからその名が付いた。今はホテルやブランドショップなどに置き換わっている。4時50分頃マルクト広場で解散、あとは明日の朝チェックアウトまで自由行動となる。夕食もめいめいで摂るのだ。5時には広場北に面する市参事会宴会場の上部時計の左右から、この町の歴史的人物を模した人形が現れると言うので、しばしそれを待つ。残念ながらかなり遠く、望遠機能が低いガラ携のカメラでは撮影しても意味がない。
これが最後の長い自由時間、お土産のことを考えなければならない。私の関係は早々と白ワインを手配済み。上の孫(男11歳)には昨日新白鳥城の売店で500ピースのジグソーパズルを買ってある。
あとは下の孫(女7歳)が残っている。そこで添乗員のFSMさんから聞いてあった広場の隅に在るドイツ製品のぬいぐるみを扱っている“テディズローテンブルク”に出かけてみた。大小さまざまな熊を中心に動物のぬいぐるみが2階までいっぱい。目をつぶったベージュの可愛い熊を一頭求めた。
あとは下の孫(女7歳)が残っている。そこで添乗員のFSMさんから聞いてあった広場の隅に在るドイツ製品のぬいぐるみを扱っている“テディズローテンブルク”に出かけてみた。大小さまざまな熊を中心に動物のぬいぐるみが2階までいっぱい。目をつぶったベージュの可愛い熊を一頭求めた。
夕食は7時頃を想定し、それまで街中の観光に当てることにした。先ず出かけたのがレーダー門、丁度天狗の後頭部にあたる。先ほど広場に来るとき通ったヘルンガッセは広場から東は細くなりハーフェンガッセ(陶器通り)と名を変える。その突き当りにレーダー門があり、そこから城壁に上れるはずだ。しばし進むと立派な門に達したのだが、壁が無い!近くにいた若い女性に尋ねたところ、ここは拡張以前城壁が在った時代のマルクス門、レーダー門はさらに先とのこと。レーダー門には確り壁と登り口があった。そこから時計方向にしばし歩く。内側には木骨組み家並が続き、外側は堀があり、壁に沿って遊歩道が設けられている。次の門で下に下り、その遊歩道をレーダー門に向かって歩いてみる。壁で西日が遮られ、木立もあって涼しい。壁際にはところどころベンチが置かれ、散歩と休憩には絶好だ。レーダー門から広場を経由して6時少し前一旦ホテルに戻る。
ツアーのプログラムを貰った時からこの日の夕食は各自で摂るよう記されていた。多分ドイツ料理の連続だろうから、この日は非ドイツ出来ればイタリアンと考えていたのでフロントのおばさんに相談したところ、地図付きのレストラン一覧をくれて“ミケランジェロ”と言う店を推奨してくれた。「カジュアルか?」と聞くと「もちろん!予約も不要よ」と返ってきた。6時半ホテルを出て地図を頼りに、そこに達すると、何とレーダー門のすぐ脇だった。城壁巡りの帰途「ここにイタリアンが在る」と家人が言っていた所だ。店内には若い女性仲間や米国人と思しき家族旅行グループも居て入りやすい雰囲気、ウェーターはイタリア人らしかった。英語のメニューはあったが、さすがに日本語は無かった。カラマリ(いか)を中心としたシーフードサラダ、マルゲリータを一つずつ注文、地元特産のフランケンワイン(白)を飲みたいと言ったところ「ボトルですよ」とのこと。やむなくイタリアワインで我慢することにした。ドイツのパスタはチョッとゆで過ぎとの評判もあったのでピッツァにしたが多分正解だっただろう。海鮮サラダも含めて久しぶりに美味しい夕食にありついた。これに食後のコーヒーを含めて33€。おばさんの適切なアドヴァイスに感謝。
外はまだ明るい。再び広場へ出て南に下ってプレーンラインを経由、ジーバー搭をくぐり、そこから城壁にとっつきしばらく夕暮れの中の城壁巡りをし、8時過ぎホテルに戻った。
写真は上から、ローテンブルク地図、プレーンライン、広場に面した宴会場、ブルク公園から見た町、レーダー門、木骨組みの家、ホテル、ジーバー搭
(写真はクリックすると拡大します)
(次回;シュパイヤー大聖堂)(メールID:hmadono@nifty.com)
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