-バス、鉄道、船、乗り物三昧の9日間-
19.ネルトリンゲン
バスは昨日同様、一旦アウトバーンA92 をミュンヘン中心部に向かい環状道路に達してそこを反時計方向に廻る。しかし前日とは異なり、9時(90度)の位置までは行かず、10時半くらい(45度)の所でA8に入って北西に進路を変える。ここに至る途中道路標識上に“Dachau(ダッハウ)”の文字を目にする。最も古いユダヤ人強制収容所があった所だ(当初はむしろドイツ政治犯を収容)。ここを有名にしたのは無論ユダヤ人大量虐殺にあるのだが1945年4月末解放した米軍が、降伏したSS隊員を虐殺した事件(数十人から500人まで諸説あり)がむしろ欧米ではよく知られている。しかし、例によって緑の中に点在する集落に、そんな気配は全く感じられない。バイエルン州第三の都市アウグスブルクの町を遥か南方に望みながら、そこでバスは北上する国道17号線(これもアウトバーン)に乗り換える。ロマンチック街道の北部分である。今日は日曜日、トラック走行禁止の日だから道は空いている。左側の追い越し車線を時々乗用車が物凄い速さで我々を追い越していく。速度無制限区間か?
10時半頃“Donauworth(ドナウヴェルト)”の町でドナウ川を渡る。アウトバーン上で滅多にお目にかからぬ橋だが、極めて短くアッと言う間に通過していく。このあとこれも珍しく小高い丘に穿たれたトンネルを通り抜けるとバスは西に向かう一般道に下り、やがて前方に緩やかに盛り上がる丘陵地帯を後ろにした、城門と城壁が見えてくる。何度もの戦乱(特に30年戦争;プロテスタント対カソリック;17世紀)で戦禍に遭いながら、ローマ期からの歴史もとどめるネルトリンゲンである。第2次世界大戦末期にも一度空爆に遭い、町の象徴とも言える聖ゲオルグ教会も損傷は受けたものの、歴史的な遺構はほとんど破壊を免れ、復元でないところにこの町の価値があるようだ。もう一つ他の観光スポットと異なるのはこの一帯が1500万年前の隕石落下で出来上がった土地だと言うことである。無論現在外から分かるようなものではないが町を支える岩盤はその隕石なのだ。
城郭内にはバスは入れないので16在る城門の一つベルディンガー門の前で下車。暑い日差しの中を聖ゲオルグ教会に向けて歩き出す。通りの左右には木骨をむき出しにした中世風の建物がそこかしこに在る。教会の前はマルクト(Markt;Market;市場)広場。日曜とあって露店が沢山軒を連ね、ぼつぼつ人も集まってきている。グループ観光はこの聖ゲオルグ教会の内部見学まで。プロテスタントの教会らしく白を基調とした清楚な感じが好ましい(http://www.uchiyama.info/kaigai/tiku/ousyu/germany/nelt/georg)。高さ90mの塔(ダニエル)が付設されており、ここへ上れば城郭で囲まれウズラの卵型をした旧市街が一望できると言われたが登ってみる気力は無かった。
教会前で解散したのが11時過ぎ。これから12時15分まで自由行動になる。先ず、にぎわいだした市をひやかす。帽子の嫌いな家人も連日の暑さに堪らず露店でそれを求める。20€は明らかに観光価格だが、これも旅の思い出。今度は入り組んだ道を城壁に向かい、その一端に取つく。高さは10m位、幅は人がやっと行き交うことが出来る程度。何故か矢狭間がセメントで塞がれているところが多い。外へ廻って分かったことだが、堀が埋められ、城壁の一部を利用して家が建てられているのだ。全周は3kmあるので一部しか歩けなかったが、復元でない城郭ツアーをそれなりに楽しんだ。
教会前の集合場所に集まるまでには少し余裕があったので、途中の小広場の一角にいくつもパラソルを張ったオープンカフェがあったのでしばし休憩。あとは道は分からなくてもどこからでも見えるダニエルを目指せばいいのだ。
昼食は城郭外のANA(全日空とは関係ない)と言う店で、ロールキャベツ。キャベツも固いが中に詰められたひき肉の固め方が半端じゃない。それでも何とか全部片付けたが、細やかさを欠くドイツ料理の典型だった。まあ、暑い中をほっつき歩いたあとの大ジョッキさえあれば良しとしよう。
写真上から;城内1、城内2、教会と広場、城門遠望、城壁、家並
(写真はクリックすると拡大します)
(次回;ローテンブルク)(メールID:hmadono@nifty.com)
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