2018年11月27日火曜日

山陰ドライブ1800km-6



-因幡・伯耆・出雲を走る-

6.倉吉
今回の旅行を計画し始めた時、全く知らなかったのがこの町である。鳥取観光と言えば、先ず砂丘、次いで大山、これに最近では境港や足立美術館、と言ったところが浮かんでくる。この他チョッと引っかかるのは安来と米子辺りだが安来節以外これと言った呼び物は無い。別格に隠岐の島があるがここは対象外。大山と足立美術館は最初から織り込んだ。松江に泊まるなら境港経由で、とこれも決まった。島根県は東部の松江と出雲に絞り込んで、全体計画の詳細(ルート、立ち寄り所)を詰めていく段階で惹かれたのが、ガイドブックに“白壁土蔵と赤瓦の町”と紹介されていた倉吉である。幸い砂丘から境港に至る道筋からそう離れていない(ように見えた)。「よし!ここで昼食にしよう」と決めた。
砂丘を出発したのは11時。この地の幹線道路、国道9号線を西に向かう。白兎海岸前後では青い海と白い砂浜を右側に見て海浜ドライブを楽しむ。しばらく進んで山陰自動車道(無料)に入ると、日本中どこにでもあるトンネルと山肌の冴えない景色が続く。面白かったのは“はわい”と書かれた道路標識が現れたこと。あとで知るがこれは“羽合”であった。この“はわい”で専用道路を降り、川に沿ってしばらく南下すると倉吉の街中に入った。ナビにセットしておいたのは観光案内所の電話番号だが、それが見つからないまま「案内地周辺です」と比較的大きな道路上で置き去りにされてしまった。
付近に食品工場らしい施設が在り、道路に面してオープンな駐車スペースもあるので、一先ずそこへ車を止めて通り掛かった作業着姿のおばさんに「お仕事中済みませんが・・・」と声をかけ、白壁土蔵・赤瓦観光したい旨問うと、目の前のこんもりした小山を指し「あの山が打吹(うつぶき)公園、その下辺りがそうです」と丁寧に市役所(周辺に無料駐車場が在る)の在り処や道など教えてくれ、それに従って進むと難なく予定していた駐車場に達し、幸いスペースも見つかる。到着時刻は12時ジャスト。
市役所の職員も昼食でも摂るのだろう、同じような作業服風のユニフォームを羽織った人たちが建物から三々五々屋外に出てきている。そんな中の一人、中年女性に観光案内所の在り場所を尋ねると、これも丁寧にそこに至る道順を教えてくれ「どちらからいらしたのですか?」と問われたので「横浜からです」と答えると「まあ遠くからいらしていただいて、嬉しいことです」と歓迎の意を表してくれた。
目指していた観光案内所は直ぐに見つかった。隣接して大型バスの駐車場が在る。ここを切り盛りしているのも中年のおばさんだった。ガイドマップをくれ、この人も丁寧に観光スポットやルート、所要時間などを教えてくれる。
せっかくここまで来たので、赤瓦の並ぶ通りを西に向かいその一番端にあるはずの伝統的町屋“豊田家(有形文化財)を目指す。道々電柱に方向を示す表示があるのだが、見つけられず、周辺をうろうろしているうちに“淀屋”と看板を掲げる古い商家に達した。入口は開け放しになっており入場は無料で中に若い女性が各種観光案内資料を前に一人寒そうに座っていた。聞けば倉吉最古の町屋建築とのこと。しかし間口の広さはいわゆる町屋に比べかなり広いし、土間に続く商品取引を行った畳敷きの広間は奥にではなく、横に広がっている。建築時(1760年)には制限も違っていたのであろうか。淀屋は屋号で一族名は牧田。土地一番の豪商であったようだ。去る際に豊田家の場所を尋ねると、通り過ぎてきた道筋とわかる。
復路から見るとそれを示すけばけばしい大看板が二階窓の半分を覆うように立てかけられている。「まさかこんな佇まいとは!」気が付かなかったわけである、家の前に居るとここもおばさん一人、中に呼びこまれ入ると「講談を聞きませんか?」と問われる。「いや、結構。中を見せてもらえませんか?」と返すと、「志を(いくらでもいいから)お願いします」と言うので二人分として500円玉を渡した。部屋へ上がるときに脇を見たらひとり100円と書かれた献金箱が置かれていた。ただ中を案内してもらった結果から言えば、「損した」との思いは全くない。
建物は明治初期のもので、間口が狭く奥行きのある、典型的な町屋造り、中庭は太鼓橋まで設えているし、ガラス類も往時ものだと言う。柱材や欄間の造りも確かに凝っている。古い牧田家が市文化財、ここが国文化財に指定されている違いはそんなところにあるのだろうか。しかし、品の良さには牧田家に軍配を上げたい。とにかく店の前に貼られ・掲げられた看板類は町全体の雰囲気を損なう。
このあと中心部へ戻る前に昼食をと思い、倉吉銀座と言う大通りを歩いたが一向にそれらしい店に出会わない(あっても閉まっている。木曜日は一斉定休日?)。白壁土蔵の集まる辺りに何かあるだろうと路地に入ったが、今一つ居場所や方角がはっきりしない。家から出てきて軽に乗ろうとするおばさんが居たので、道を尋ねると、しばし車を離れ、わざわざ分かり易い場所まで導いてくれ、これも丁寧に土蔵群を経て赤瓦の集中する地区に至る道筋を「娘があそこに勤めていたんですよ」と教えてくれた。
土蔵群散策を含め、予想外にこの地で時間を費やしてしまい、次の境港、さらには松江観光の余裕が少なくなってきた。仕方なく市役所近くの喫茶店に入り軽食のランチで済ませる結果になった。しかし、やや不満なのは豊田家の看板類と景観地区の電柱を何とかしてほしいと言うくらい。人々の親切と街のたたずまいに好印象が残る。ここを選んで良かった。

写真は上から;倉吉地図、白壁土蔵2葉、淀屋、豊田家4葉

(写真はクリックすると拡大します)

次回;境港


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