-80yrs Memorial Run to The Northernmost-
20.彌彦神社
新潟フェリー港から自宅までは約400km。直帰すれば5時間余りで着いてしまう。これでは時間がもったいないと考え、あまり来ることのない新潟なので最後の訪問先として彌彦神社を選んでおいた。ここで少し時間を潰せば、今日一日が有効に使える。フェリー港を出発したのは9時半、北陸自動車道への道は市内中心部を抜けるのだが、仕事が始まる時間帯と言うこともありかなり渋滞していた。新潟中央ICで北陸道に入り、巻潟東ICで降り、あとは一般道で彌彦神社に至る。11時10分神社駐車場に到着。平日の午前と言うこともあり空いている。
実はここをお参りしようと思った動機は、1956年元旦の彌彦神社事件の記憶が鮮明に残っていたからである。越後国一の宮としての歴史があり、源義家・義経・上杉謙信らと縁があるこの神社は人気スポット、大みそかから元旦かけて三万人の参拝客が押し掛け、階段の玉垣が崩れ、将棋倒しになった人々が大勢(134人)亡くなり、大変なニュースになったのだ。毎年ゆく年くる年で紹介されるたびに、このことを思い出すので、この機会にと訪問を決めた次第である。
しかし、鬱蒼たる高い木々に囲まれたそこを鳥居から本殿まで歩いてみると、階段は数段から十数段で傾斜も決して急ではなく、過去の惨事がよみがえるような造りはどこにも感じられない。あとで分かったことだが、あの事件後参道は大改造された結果なのだ。いくつもの山門をくぐり、本殿で帰路の無事を祈る。晴天ならケーブルカーで弥彦山頂まで上がってみることも考えていたが生憎曇天、11時半そこを後にした。
神社から一般道で今度は北陸道の三条燕ICに出て北陸道を南下、長岡JCTで関越道に乗り換える。あとはひたすら都心を目指すだけとなると気持ちもゆとりが出てくるのだが、先の天候が気になる空模様になってくる。越後川口SAに12時10分到着、ここで昼食とする。このあとの休憩は谷川PAと考えていたが六日町辺りからパラパラきだし、降ったりやんだりが続いて谷川岳周辺は雲の中。結局赤城PAまで休まず走る。降るときは土砂降りだが直ぐ青空が顔を見せるような天気で結構神経を使う。関越道最後の一休みは高坂SA。ここで夕食用の合鴨弁当を求める。
3時に高坂SA出発。天候は完全に雨。これから先は鶴ヶ島JCTで圏央道に入り海老名JCTで東名道に出て保土ヶ谷BP→横々路で自宅に戻るつもりだった。彌彦神社を出発する時“お帰り”でナビをセットした時もそのようなルート表示だったつもりだったが鶴ヶ島JCTの手前でナビが「えびな方面直進です」と言うので「変だな~」と思ったがその指示に従った。補聴器をつけるようになってから聴き取り能力が低下、音量は充分だが正確さを欠くようになった。ナビが言ったのは「えびな」ではなく「ねりま」だったのである。結局練馬IC→環八→第3京浜→保土ヶ谷BSと走ることになり、環八の渋滞でずいぶん時間を食う結果になった。それでも5時15分自宅に無事着いたから、圏央道経由より距離は短かったのかもしれない。
トリップメーターの数字は7月10日自宅を出てから2012km、この間の給油量は181.4ℓ、燃費は11.1km/ℓとなり、極めて良好な値だ。ガソリン代総計26,844円、自動車道通行料金総額20170円。
とにかく北海道の走りは素晴らしく、このクルマの持ち味と本州・四国・九州には無い景観を堪能した。もっと日にちをかけても、もうこんな長距離ドライブは出来ないかも知れない。
写真;彌彦神社4葉
(写真はクリックすると拡大します)
長いこと道北ドライブ記を閲覧いただき、有難うございました。
-完-
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