2020年9月30日水曜日

今月の本棚-146(2020年9月分)


<今月読んだ本>

1)景観からよむ日本の歴史(金田章裕);岩波書店(新書)

2KGBの男(ベン・マッキンタイアー);中央公論新社

3)オリンピック・マネー(後藤逸郎);文藝春秋社(新書)

4)人口の中国史(上田信);岩波書店(新書)

5)自衛隊は市街戦を戦えるか(二見龍);新潮社(新書)

6)英単語の語源図鑑(清水建二、すずきひろし);かんき出版

 

<愚評昧説>

1)景観からよむ日本の歴史

-風景はそれぞれが捉え昇華した主観的なもの、景観は歴史が込められた客観的なもの-


旅は身体と頭が働かなくなるまで続けたい。必ず何か新しい発見があるのが楽
しい一昨年のドイツ旅行を最後に海外は(一応)終わりにした。免許証返納を昨9月に決し、1月返納これからは鉄道や空路で」と考えていたものの、コロナ禍でそれも実行不可となった。どこへも出かけず9カ月が過ぎた。4連休のさ中に本欄を書いている。Go to トラベル東京解除もあり、旅に出る人もかなり増えてきているようだが、なかなかその気にならない。せめて書上旅行でもとこの種の本を読んで、欝々とした気分を紛らわせている。しかし、本書はその期待位に応えてくれるようなものではなかった。つまり、観光を目的としたものではなく、地理学の一分野を紹介するものであった。だからと言って読むに値しなかったわけではない。風景と景観の違いを始めて知った点において、画期的な一冊であった。

 


風景とは、目にするものから受ける“個人的印象”、対する景観はそこに在るものを“客体として捉える(多くの人の共通認識になりうる)こと”、と前書きで解説される。本書の内容から言えば「それが出来上がった歴史を踏まえた風景」と解釈していいだろう。そこには都市・集落のように人の手で現在の姿になった「文化景観」と自然現象で変化し出来上がった「自然景観」がある。つまり“景観は変化するもの”なのである。そしてこの景観変化を時間的、空間的に研究する分野が“景観史”、著者(この言葉の発案者)はその分野の研究者、人文地理学・歴史地理学を専攻する、京都大学名誉教授である。

京大の先生ゆえ景観史への導入は京都から始まる。もともとの自然環境は北や東の山々、それに鴨川。鴨川そのものは若干流路を変えているものの、往時と大きな違いはない。日本初の堤防が出る以前は河川敷に商店や人家が在った。その名残りが“四条河原町”などの地名である。堤防が出来ると次第に人家はその外になる。自然景観がこうして文化景観に変わる。碁盤の目で出来た街並みもたびたびの戦火で変化する。特に応仁の乱は影響が大きく、これで上京と下京がはっきり分かれる。更に、足利・秀吉(聚楽第)・家康(二条城)など権力者の居城、邸宅や関連寺社の建設で街の様相を変えていく。現在京都観光の目玉となっている京町屋など明治・大正時代のもので、百年も経っていないと聞かされると、チョッと驚く。

景観の変化は大都会(奈良、鎌倉など)ばかりではない。国の統治政策に対応するように、地方でも変わってきているのだ。大宝律令には林と森の区別が決められており、林は植林・造林など行う人工の手が加えられている樹林を言う。つまり里山は立派な文化景観なのだ。新田の開発やそれに対応する条里制(区割りと地番表記)にもそれぞれの歴史があり、何気ない風景の中にそれらが反映されている。石狩平野、礪波平野、武蔵野台地、濃尾平野、注意して見れば、そこに為政者の施策と人々の営み・暮らしを読み解くことが出来るのだ。

景観史研究の出発点は古地図とそれに関する古文書・郷土史(土地所有、水利権、税法、景観変化に関わった人々など)。これらに現地調査を合わせて、現存する町や村の見方を教えてくれる。取り上げられる場所は国内のみ、小回りと時間の自由度が高いクルマ旅に適したところが多い。早くこの本に巡り合っていたらと無念な思いが残った。唯一の不満は写真や地図が小さく不鮮明なことで、まさに“画龍点晴を欠く”。

 

2KGBの男

-ソ連の極秘情報を十数年間英国に渡し続けたKGB大佐はスパイ容疑でモスクワに呼び戻される。危機脱出はなるか?‐

 


2003
年長く務めた石油企業(および系列会社)を退職、計測制御システム企業の海外営業本部で第二のビジネスマン生活をスタートさせた。最初の海外出張は8月のロシア行き。それから約1年半ロシアビジネスは続き、爾来8回におよんで通算滞在期間約4ヵ月、これは米英に次いで長い。この間何度か赤の広場やその周辺を訪れる機会があった。モスクワ支社もホテルも現在の日本大使館(当時建設中)近く、そこから市街中心部へはプロスペクト・ミーラ(平和大通り)駅から地下鉄で向かうことになる。赤の広場・クレムリンは広大なエリアを占め、何本もの地下鉄路線が集まり、最寄り駅がいくつも在るが、私が初めて降り立ったのはルビャンカ駅。駅名を同行者に知らされて「エッ!」となった。スパイ物ファンならそれがKGB本部の別名としてつとに知られているからである。それが広場の向こう側に在る!ここは単なる本部機能だけでなく、尋問所であり処刑場でもあるのだ。トム・クランシーの「クレムリンの枢機卿」におけるKGB大佐に対する拷問シーンは今も記憶に残る。

本書は英国を舞台にしたスパイ・ノンフィクション。使い古された格言だがバイロンの言った「事実は小説より奇なり」そのものの内容である。主人公はKGBロンドン支局長に昇進内定したオレーク・ゴルジェフスキー大佐、正式任命のためモスクワの本部に出頭するよう命じられる。これはそのまま受け取っていいのか?あるいは二重スパイ追及の罠か?冷戦時20年におよぶ諜報戦が初めてここにベールを脱ぎ、私にモスクワとルビャンカの記憶を蘇らせた。

ゴルジェフスキー家は父・兄ともKGB、本人は19388月生まれ(日本の学齢では私と同学年)、KGB一家の一員として育つ。17歳でエリート校のモスクワ国際大学に入学、第一外国語はドイツ語、第二外国語としてスウェーデン語を専攻する。共産党青年同盟(コムソモール)にも入会して、模範的な学生となっていく。卒業を前にKGBにスカウトされ、東ベルリンのソ連大使館に翻訳官として研修に出される。その時目にしたのがベルリンの壁建設である。この年だけで350万人が西独に逃げたことを知り、ソ連共産党統治への疑問が生じる。19626月より本部勤務、しばらくして結婚(未婚男性の海外派遣は不可)、初の海外勤務は1966年コペンハーゲン駐在。19688月プラハの春を西側から見ることになり、ソ連体制に対する批判をさらに強める。しかし、この段階では西側のスパイになることは考えていない。1970年本国に戻り、二度目のコペンハーゲン勤務は1972年から。ここで英国MI-6(海外諜報機関)との接触が始まり機密情報を流すようになる。それも離婚騒動で1974年に終わり本国召還、本部での書類仕事がしばらく続くがMI-6 との関係は知られていないし活動も中断する。この間英語の研鑽に励み、駐英大使館参事官候補になる。ここでそれまでの西側との外交・諜報資料(高度機密)を赴任準備と称して徹底的に調べ、すべて頭の中に記憶する。19826月家族(再婚して娘が2人)とともにロンドンに赴任、二重スパイ活動を再開する。記憶したものを全部吐き出すのだ。

吐き出した内容には当時の英国政界に影響することも多く、MI-6は国内対諜報部門であるMI-5 の一部にこの情報を伝える。また、米国に渡された情報はCIAの対ソ部門に極秘で回示される。MI5 CIAにも処遇不満やカネで情報を売ろうとする者がいる。情報源は特定できないものの、その存在がKGBに伝わり、嫌疑者の一人として19855月、ロンドン支局長正式任命を餌に本国へ呼び戻され厳しい尋問が始まる。勝負は本人の自白を引き出せるかどうかだ(スターリン時代と異なり、容疑者段階では粛清出来ず、自宅軟禁でルビャンカに呼び出されて取り調べ;ブランデーに混入された自白剤も使われる)。

2度目のコペンハーゲン勤務から戻る際(1978年)、逮捕の可能性に備えてMI-6との間で逃走計画が詰められていた。それが7年経た19858月発動。モスクワからレニングラード(現サンクト・ペテルブルグ)へ列車で向かうオレーク、英大使館員とその家族(赤ん坊もいる)を乗せてフィンランドへ向かう2台の外交官ナンバーの車、オレークはレニングラード郊外で外交官の車と人目につかず落ち合えるか?国境越えは如何なることになるか?フィンランドとソ連の間には犯罪者引き渡し協定がある。フィンランド国内で身元が割れずに済むか?この脱出行が本書で最も緊スリリングは場面である。

無事英国に脱出したオレークはサッチャー首相、レーガン大統領とも会見、勲章を授与される。軍縮交渉や冷戦終結に功ありと認められたからだ。家族もソ連崩壊で英国に渡ることが出来る。しかし、欠席裁判での死刑判決今も有効、英国政庇護の下にあるものの、気ままな隠居生活とはなっていないようだ。

スパイ活動に絡むのはKGBMI-6CIAばかりではない。デンマークの諜報機関、ノルウェーやスウェーデンのKGB工作員、フィンランドの治安機関、英国では外務省、MI-5 。登場するKGB関係者は20名以上。長期にわたる複雑なスパイ活動と東西間で発生した歴史的な出来事を、よくここまで整理・解明し、読み物として面白いものに仕上げたと、ただただ感心するばかりだ。

著者は英紙タイムズのコラムニスト・副主筆。日本語訳が成った作品4点「ナチが愛したスパイ」(20099月)「ナチを欺いた死体」(20123月)「英国二重スパイシステム」(20153月)「キム・フィルビー」(201512月)、はすべて本欄で紹介している。本作品は2019年英国推理作家協会が主宰するダガー賞ノンフィクション部門ゴールドダガー賞(最優秀)受賞作である。

 

3)オリンピック・マネー

IOCも国も東京都も「来年のオリンピックは必ず開催する」と宣言。カネまみれ・利権まみれの呪縛の果てだ-

 


私は東京が
2度目のオリンピック開催都市に立候補した時から招致に反対だったし、オリンピックそのものの存在に疑義を感じている。第一の理由は、経済効果が疑わしく、景気浮揚など一時のカンフル剤に過ぎないと考えるからだ。第二は、世界的に見てマイナーな競技や一般人になじみのない競技が多くなり過ぎたこと。第三は、商業主義に完全に牛耳られ、スポーツの祭典よりはエンターテインメントになってしまったこと。第四は、いびつな(メダル数を争う)ナショナリズム発揮の場となっていることである。本書はこの内、第一と第三に焦点を当てたもので、IOCと東京都がその批判の対象となっている。IOCは不透明なカネの動きと商業資本との関係、東京都は開催動機の裏に隠された真実である。前者に比べ後者が圧倒的に興味深い。

題目が“マネー”だし、構成もIOCとカネの動きが先だから、先ずこれから紹介しよう。前JOC会長竹田恒和(この人の本業は何なんだろう?)が辞任したのも、招致のためのカネの動きに捜査が入った結果である。この種の話(招致運動と賄賂)は今までもしばしば報じられているが、本書ではさらに具体的に追及していく。

IOC財務の不透明の一つは本部や関連団体の登録住所がスイスに在ることに依る。この国は歴史的に怪しげなカネの金庫番の役目を果たしてきた。表面的な財務内容は一応公開されるものの、関係団体や個人所得などはその必要が無い。例えば、理事たちの報酬と必要経費の境界が曖昧なままで済ませられるのだ。これは今捜査が進んでいるFIFA疑惑も同様、ある意味スイス国自身共謀者の印象さえ受ける。

もう一つは下部組織が多く、中には機能がダブルような関連法人が存在することである。例えば、最も巨額のカネを動かしているOlympic Broadcasting SystemOBS)株式会社。これはIOCの出資する企業体で、大会競技の撮影・中継をメディアに提供する企業である。しかし、同じ名前(OBS)の有限会社がスペインに存在し、これはOBC株式会社の100%子会社、大会ごとの映像作成・配信はここに各国のTV局社員などが出向してサービスの提供を行う。おまけに、有限会社の代表はかつてのIOC会長サマランチ(スペイン)の息子が務めており、個人利権化していると疑われてしかるべき存在なのだ。多くのIOC関係団体(NPOを含む)がスイスに本拠を置くのにここだけスペインに在るのも不自然だ。

IOCがカネまみれなるきっかけはサマランチ会長時にある。1976年のモントリオール大会は大赤字、1980年モスクワは西側がボイコット、1984年のロサンゼルス大会組織委員長ピーター・ユベロスがTV[放映権をセリにかけ大会を黒字化する。ときの会長サマランチは応分の分配を求めるが拒否される。これから学んだサマランチは次回からこの権利を開催国組織委員会から取り上げ、IOCの財源とし一気に資産を増やす。直近の4年間(2012年~2016年)IOCの収入は57億ドル、その73%はTV放映権。TV局の要求を聞かないわけにはいかないのだ。IOC、二つのOBS、主契約TV局と電通のようなイヴェント・プロモーター、この間のカネの動きを追うのは容易ではない。著者は比較的データが得られる長野冬季オリンピックなどを引用しながらそれに挑戦するが、闇は晴れない。

東京オリンピック開催を主導してきたのは石原都知事とこの本を読むまで思い込んでいた。しかし、彼はそれに執着していなかった!真の策動源はかなり早くから都政の内部に在ったのだ。神宮周辺の再開発である。この一帯は超一等地だが公園法で規制が厳しい。また都営アパートや一部私有建造物の存在も再開発の障害になる。オリンピックを錦の御旗に法改正と区画整理を一気に図り、この地域の価値を高めて都財政改善に役立てる、これが都庁役人の魂胆だったのだ。

石原は3期目の2011年知事を終えることにしていた。しかし、自民党が推す松沢が東国原に勝ち目がないと見て、スポーツ関係のボスである森元首相(現組織委員長)を動かして、4期目立候補を説得する。決め手は「知事を降りたら幹事長でもある伸晃君のためにならない。彼の首相の芽はなくなるよ」である。4期目当選を果たした石原はメインスタジアムの建設地を晴海から神宮に舵を切る。森と都庁の間を取り持ったのは萩生田現文科相と言われるが、この時期は落選浪人中「政治的な力は無かった」と疑惑をかわしている。

再開発は三井不動産を中心に進められるが、その元となる「GAIEN PROJECT21世紀の杜」企画書」は電通が作成したものと言われている。ここでIOCとは次元の異なる巨額のオリンピック(関連)・マネーが動いていることは間違いなさそうだ。

カネの問題以外にも新国立競技場はオリンピック後陸上競技場としては使用不可(サブトラックが無いため記録が公認されない)なので球技場へ改築する。聖火台の必要性と設置条件を誰も気づかなかった、など杜撰な取り組み姿勢が糾弾される。

本書で露わになった数々の問題はすべて済んでしまったことである。コロナで中止となれば都民・国民はどれほど新たな負担を求められることになるやら?その時には国会・都議会でこれを論議し、国民・都民に全貌が明らかにされるべきだ。しかし、電通に急所を握られているメディアにあまり期待できない気がする。

過去のオリンピック関連費用の追及と分析、関係者への聴き取り、都庁内部の議事録(森と石原、森と副知事など)や図面(事前のプロット・再開発計画・現在のプロット)の入手などから内容の信頼性は高い。

著者は毎日新聞勤務(主に経済関係)、退職後ふりーのジャーナリスト。

 

4)人口の中国史

-中国人口動向を読めずして世界の将来は予測できない。先史時代から19世紀末までの人口軌跡を追うことで、それが明らかになるのではないか?-

 


1989
6月第2次天安門事件が発生した(第1次は19744月周恩来葬儀)。百家争鳴を是とした胡耀邦の死を悼んで、天安門に集まった人々を、戒厳令を発し解放軍が鎮圧した事件である。既に鄧小平による改革開放経済政策は進んでいたが、まだ政治に制約の多い時代だった。いわば内政問題であったが西側は直ちに制裁処置をとった。これに対して、中国には対抗策が無く、しばらく隠忍自重の時代が続いた。あれから20余年、ウィグル問題、香港問題(パラソル運動、国家安全法)など天安門以上の人権問題が生じても、米国を除く西側(日本を含む)は何ら強い姿勢を示せない。中国の市場を失うことに戦々恐々としているのだ。今や中国最大の武器は13億の人口である。その人口動向を知らずして、これからの世界は語れない、それが著者の執筆動機である。私も「これから」を期待して本書を手に取った。しかし、こちらの目論見は外れた。“将来”は次の研究課題、本書でカバーされるのは先史時代から19世紀末(厳密には清朝崩壊)までである。数年から数十年間を云々する評論家やジャーナリストとは全く異なる次元で(約8千年)人口変動を辿り、「これからを考える材料を提供する」と言うのが本書の主旨である。

著者(1957年生れ)はアジア社会論、特に中国社会史を専攻する立教大学文学部教授。現代中国の研究者との交流が密であることが本書の内容からうかがえる。

日本の人口変遷を歴史的に調べると言ったとき、地理的に4島を前提にするだろう。しかし、中国はそうはいかない。統治する地域も民族も頻繁に変化しているからだ。先ず「何が中国なのか」を整理しないことには、調査・研究が進められないのだ。黄河文明から発して現代までの中国を時代々々で定義しながらそれを推定する。タイトルが“中国の人口史”ではなく“人口の中国史”となっているのはそれを反映している。

時代区分は王朝の存在が明らかになると概ねこれに従うが、必ずしも人口を導き出すデータが残っているわけではない。また王朝史などに数字が残っていても後日(場合によって数百年後)に書かれたものはその信憑性に欠ける。それを確認するためには歴史学や社会学ばかりでない考古学の助けも要る。集落の在り方(城壁の存在やその内外の居住者;記録に残る数は城内居住者)や古墳・墓所の発掘調査だ。周辺の異民族はどれほどか?家族構成は平均何人か、などを推定できなければ概数とは言え人口推定はむつかしい。

最も信頼できるのは税と関わる数字だ。多く残るのは、戸口数(世帯数;年貢や土地税)と人口数(人頭税)。種々の歴史書などから漢民族王朝の場合1世帯5人と見るのが標準的なようだ。しかし、遊牧民である元王朝などではこの考え方は必ずしも適切でない。また厳しい税の取り立て行う王朝では人数の過少申告も生ずる。これは地方と中央の間でも起こっており、これらを検証し平準化するが人口推移研究の要となる。

このように“中国の人口”推移を整理したうえで、はっきりしてくるのが18世紀半ばからの人口爆発である。清王朝の版図が歴史上中国最大となる時代、征服地への強力な移民政策、人頭税廃止に依る経済活動の活発化、社会の長期安定などに依り、18世紀半ばの人口2億人が100年後の1850年代には4億人と倍増する。多くの研究者(主として中国人)は、上記(特に人頭税廃止)をその主因と見るが、著者ら一部は全く別の面に注視する。それは“溺女”である。中国(漢民族)では働き手でない女児誕生は歓迎されず、生まれると直ぐに水に漬けて殺してしまう風習であった。清朝はもともと異民族王朝、この習慣が無く溺女を廃止させ、豊かな家庭に引き取らせる政策を進める。これが人口増に大きく効いたと言うのが著者の仮説である。現中国政府は1979年から2016年まで“一人っ子”政策を敷き人口増を抑制してきた(現在は二人まで許容)。観方を変えれば一種の“溺児”である。

著者は中国史を先史時代から現代まで俯瞰し“合散離集”のサイクルを繰り返すと観る。合;一つの文明が安定している段階、散;しだいに揺らぎ始め、求心力が失われる段階、離;揺らぎの中から新しい文明の可能性が複数生まれ、優位を争う段階、集;最後に一つの可能性が生き残って全体を統合する段階、としている。そして、終章において現代中国を鄧小平の改革開放路線が始まる1978年を「合」の始まりと仮定し、「合」が極まったときには、すでに「散」が兆している、と結ぶ。人口動態から見れば「合」の頂点は間近い。中国はこれから「散」へ移っていくのだろうか?この“合散離集サイクル説”は時間軸の採り方に牽強付会の感無きにしも非ずだが、大きな歴史の流れとして納得感はある。

8千年におおよぶ長い歴史分析ゆえ、大胆な仮説・推論が随所に現れるが、先にも触れたように、この分野の中国研究者と議論を戦わせる場面もあったようで、日本人がよくここまで踏み込んだと感心させられた。

 

5)自衛隊は市街戦を戦えるか

-陸自主力歩兵部隊訓練はいまだ冷戦構造を脱していない!元陸将補が明かすその危機感を訴える-

 


“市街戦”、陸戦の中で日本人が最も身近に感じにくい戦いではなかろうか?日清・日露戦争では旅順や奉天のように都市名を冠した戦いはあるが、戦場は市内ではない。その後の歴史を見ても、上海事変(第一次、第二次)くらいで、太平洋戦争でも香港攻略は軍事拠点を巡る戦い、マニラは無防備都市宣言で戦場はバターン半島に限られる。シンガポールも市中で激しい戦闘は行われていない。唯一国内で戦われた陸戦沖縄戦では、事前の空爆で那覇の
90%は破壊されており、市街の体をなしていない。一方欧州戦線ではワルシャワを皮切りに各所で市街戦が展開され、スターリングラード(現ボルゴグラード)の戦いは、独ソ戦の転換点として歴史にその名を残す。従って、本書の表題を見た時「自衛隊が市街戦?!」と驚くと同時に、好奇心がかきたてられた。

本書ではこの市街戦に関して種々の角度から自衛隊の戦力分析が行われるが、著者が伝えようとする本意は、自衛隊歩兵部隊に内在する問題点である。国際関係と役割の変化、想定する仮想敵国や戦闘形態、教育訓練、組織、隊員の処遇、装備などがそれらである。こう書くと自衛隊批判本のように見えるが、決してそのようなものではない。著者(1957年生れ)は、防衛大学校卒、陸自普通科(歩兵)連隊長、東部方面隊混成団長(師団長級)を務め、陸将補(少将)で退役した、トップクラスの元自衛官である。従って、内容は現場の実績・経験に基づく、具体的な問題点の摘出と改善提案である。

陸自の仮想敵国は長い間ソ連、それが北海道に上陸して橋頭堡を築くという想定で組織編成も訓練も行われてきた。つまり人家が密集しない山野が戦場になる前提である。しかし冷戦構造の崩壊と技術進歩は、この形の戦闘とは異なる方向に向かっている。例えは非対称戦争(テロや特殊部隊に依る戦闘)や電子・情報戦の重みが一段と増している。また、自衛隊の任務も時代とともに変化し、PKOや国際監視団参加など、非対称戦闘に関わる可能性が高まっている。このような環境変化に合わせることは、中国や北朝鮮の脅威に備えて九州を基地とする水陸機動団の創設など(情報戦に関しては中央情報隊)、それなりの対応策をうっているものの、陸自主力の歩兵部隊は依然従来通りの野戦中心の訓練をしており、市街地・建物密集地・軍民混在地での戦闘に関して、現在何ら考え方の整理や訓練を行っていない(実は2年ばかりこの訓練が行われたが現在は中断。これについては後述)。我が国に大きな混乱(人的災害や自然災害)が起こったとき、敵国が先ず行うのは、大軍の上陸作戦ではなく、特殊工作員に依る都市部におけるかく乱戦術であろう。このような事態に備え、市街戦への取り組みを始めるべきだ、と著者は提言する。

陸自隊員(歩兵)の基本訓練は全国共通のようだが、応用訓練は所在地の環境を反映する。著者が連隊長を務めたのは小倉駐屯の第40普通科連隊、前職も熊本の第8師団。九州は朝鮮半島有事が訓練の中に組み込まれ、市街戦を想定した演習を第8師団時始め、連隊長になって本格化する。訓練地内に「模擬市街地訓練場」を設け、初めは連隊から始め2年後には全国から、陸曹クラスを中心に訓練生が送られてくる。しかし、部隊長クラスの任期は2年、著者が去ってしばらくすると、このコースは廃止になり設備も朽ち果ててしまう。陸自中枢では市街戦は本務の想定外なのであった。

この訓練を通じて、著者は装備や戦闘行動パターンが野戦と全く異なることを、自ら学ぶことになる。例えば、小銃の照準、通常訓練では一般歩兵はアイサイト(銃の先端にある照星のみで照準器なし)だが、市街戦では敵発見や味方との判別のため照準器が必須。また暗所での戦闘を想定して、小銃に超小型サーチライトを装着、これで敵暗視装置に目くらましをかける。標準装備だと片手に銃、もう一方に懐中電灯と言うことになり、素早いアクションが取れなくなるからだ。戦闘行動に関しては、少人数での連係動作が決め手となるため野外大演習場とは異なる言動が求められる。これがチームワーク醸成に役立ち、小隊・中隊の戦闘力向上につながる。確かに中東を舞台にした映画を観ているとその通りだ。

ただこれを読んでいて一つ気になったことがあった。海外はともかく、国内でこの種の騒乱が起こったとき、警察との関係はどのようになるのか?と言う点である。浅間山荘事件の時は終始警察だったし、サリン事件も自衛隊は後方支援だった。

内容のごく一部を表題の“市街戦”に絞り紹介したが、他の問題点も多々取り上げられる。日露戦争時と変わらない陣地攻撃訓練、今や銃剣に依る白兵戦などありえないのに盛んな銃剣道試合とその練習、訓練をより実戦に近づける電子銃導入の遅れ(一旦導入したが現在は中止)、見栄えばかりの訓練検閲(数日にわたる上位指揮官に依る模擬戦闘検閲)、極度に弾の無駄を恐れる体質、戦闘技術の専門家である曹クラス(准尉・陸曹長・一等陸曹・二等陸曹・三等陸曹)の処遇と活用策、などなど。

世界における軍事費は第8位、イージス艦、ステルス戦闘機、高性能戦車、正面兵器は立派だが、自衛隊の主力である歩兵の近代化は必ずしも世界のトップクラスにはない。これが内容総括である。著者が歩兵一筋できたこともあり、ややバイアスありの感だが、地味な存在で、普段災害援助くらいしか報じられない歩兵部隊の今を知ると言う点で勉強になった。

 

6)英単語の語源図鑑

-語源・語根をマスターすれば、数十倍の単語をモノにできると言うのだが・・・-

 


我々の大学受験時代(
19578年頃)、一流校に合格するために憶えなければならない英単語の数は約4000語と言われ、旺文社が発行する「英語基本単語集」(通称豆単)に収録されている数が凡そそんなものだった。atheboygirlや一つの言葉から発した他の品詞(名詞なら動詞・名詞・形容詞・副詞)も含むのだから一見たいした数ではないようだが、ことはそう簡単ではなかった。なかなか憶えられない単語はカードの表裏に書き写して何度も反芻した。同年の友人でいまだにこれを続けているのが居るから恐れ入る。私はと言えば電子辞書が欠かせない。それも歳と伴に同じ単語を何度も引くような状態である。そんな時新聞書評の片隅に本書の紹介があった。この種の本(英語力アップ)に眼が無い私は“語源”と“図鑑”に釣られて求めることになった。語源”に基づく英単語強化は古くからあり、本欄でも201811月に「英語の語源(石井米雄著 角川文庫)」を紹介している。にも拘らず「何か新しい発見があるのではないか」と期待してである。

確かに、新しい語彙増強学習法があった。それは言葉を三つの部分(二つの場合もある)に分けるのである。その三つは、接頭辞・語根・接尾辞である。接尾辞の例は、人物化する時のist(名詞から;Pianist)やer(動詞から;Driver)などがあげられ、これは今回特に目新しいところではない。本書が力点を置くのは、接頭辞と語根、本書の構成そのものがこの順となっている。

接頭辞はアルファベット順に12種(12の章)取り上げられる。例をあげると;ad(~の方へ、~の方を);前置詞のtoと同意とし、あとに続く語根の頭文字によってrが省かれる語もあると注を加える。de(離れて、下に);ここから“消え失せる”のイメージにつながり、“完全に”の意を持つことがあると注釈する。

次にこの接頭辞を含む事例とその解説がある。例えばadなら、adventuread(~の方へ)+vent(行く)+ure(状態を表す名詞);何かに向かっていくこと=冒険、となる。adが消えたventureは投機を意味するが、これは冒険に通ずる。addressは;ad(の~方へ)+dress(まっすぐに);まっすぐに向けられたもの=住所・演説あるいはその動詞。この“まっすぐに”が“きちんとととのえる”の意をも持ち、服装につながる。vent dressは語根。

今度はadと語根+接尾辞の組合せをいくつか例示する。例えば、administerad(~の方へ)+minister(大臣);治める、仕える。ここでsterは“人”を作る接尾辞なので語根はmini(小さい)となる。minutemini(小さい)+ute(~された)=小さくされた=分・瞬間、細かい。diminishdi(分離を意味する接頭辞)+min(小さい)+ish(動詞化の接尾辞)=小さくなる;減少する、小さくなる。

接頭辞(章立ては)や接尾辞は数も限られるし既に記憶している単語から類推できるが問題は語根である。ventから“行く”を、dressから“まっすぐに”を連想するのはかなり難しい。大きな辞書で沢山の訳語の内使用頻度の低いところに類似の言葉を見つけられるくらいである(例えば、vent=排出する)。そこをクリアーするために、語根の語源に遡って注釈を加える。語源はラテン語・ギリシャ語が多く、そこから派生した関連用語が理解を助けるために引用され、語源を連想するようなイラストが描かれる。ただ私の場合、語源解説はそれなりに面白かったが、イラストが記憶力増強に寄与することはほとんどなかった。これは歳のせと言うことにしておこう。

取り上げられている語彙の数は、同根の品詞(動詞・名詞・形容詞)を含めて1千語強、中学校の教科書で使われるような単語は扱われていない。ネイティヴの平均は8千語、トップクラスの大学受験に求められる語数は6千、英字新聞・英文雑誌を読みこなすには1万語が必要と言われる。本書の帯には1万語が身に付く方法とあるが、どんなものであろうか?著者は二人とも高校教諭・予備校講師・英語塾主宰などの経験を持つことからも、本書の対象・目的は、取りあえず、高校生の受験用と言ったところであろう。

 

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