2021年1月13日水曜日

活字中毒者妄言-1


■“妄言”開始にあたり

一昨年の晩秋、現役時代参加していたある異業種交流会OB会で、来春は合宿形式で開催しようとの提案があり、話題提供者の一人に指名された。私に課せられたテーマは“読書について”である。合宿はコロナ禍で無期延期になっているものの、この課題がいつも気になっている。そこで読書についての雑事や想い出、日ごろ感じていることをこのブログで発信し(併せてフェースブック(FB)にも通知)、その反応を見て話題を絞り込むことを考えている。記すものはあくまでも私事・私見であり、とても読書論と言えるようなものではなく、妄言・戯言あるいはぼやき、時には虚言であるかも知れない。発信時期、内容は特に定めないが、一週間に12回程度と考えている。

 

■中毒者の軌跡

「あんたのは読書でなくて活字中毒よ!」中学生の時母に言われたこの一言は、まことに的を射た警句である。日本全体も我が家もまだ貧しい時代(昭和20年代半ば)、買ってもらえる新刊書は最小限の参考書類と月刊誌「少年クラブ」くらい。これだけでは飽き足らず、新聞、父が定期的に購読していた「週刊朝日」「文藝春秋」、母が隣近所と回覧していた映画・芸能誌「平凡」、母の実家からもらってきた改造社発刊の「近代日本文学全集」、友人から借りた「シャーロック・ホームズ」シリーズや吉川英治の「三国志」、それに学校の図書館にあった講談社刊「少年少女世界名作全集」などを片っ端から読んでいた。この時代、特に印象に残るのは戦前に出た「近代日本文学全集」、森鴎外の「ヰタ・セクスアリス」、谷崎潤一郎の「痴人の愛」、泉鏡花の「婦系図」や「高野聖」など、男女関係の妖しげな描写を、ルビ付きの漢字を通じて妄想したものである。

この中毒症状は高校に入るとかなり変わってくる。一番大きいのは知的好奇心探査のネタが書籍から映画へ移ったことである。小遣いがあると2本立ての洋画を観ることに費やし、欧米への憧れをそれで満たし、海外の雑知識を仕込んでいた。読書傾向も変わった。日本文学や世界名作はもう済んだとの思いも強く、あまり小説には手を出さなくなった。わずかに記憶に残るのは下村湖人の「次郎物語」(同級生間で回し読み)と「O.ヘンリー短編集」くらいである。興味の対象はノンフィクションに移り、歴史・地理、数学・物理・化学など専ら岩波新書(当時新書出版はここのみ。値段も高校生にとり手頃だった)から受験以外の知識を得た。中でも数学史は特に惹かれ、遠山啓「無限と連続」、吉田洋一「零の発見」は印象深く、社会人になるまで保有していたが転居の間に失い、その後買い直している。高校とそれに続く大学時代、中毒と言えるほど読書にのめり込んでいない。


大学に入ると、映画への興味はさらに高まり当時の有名洋画作品はほとんど封切で観ている。旅行など新しくやりたいことが山ほどあるものの先立つものが無い。12年生の春・夏・冬の休みはアルバイトに励み、それでカメラを買ったりスキーに出かけたりすることの方が読書よりはるかに楽しかった。また、それほどカネはかからないが同好会(自動車工学研究会)にも時間を割いていた。ただ、専門に近いと言う意味で、中学時代から好きだった飛行機には依然惹かれており、月刊の「航空情報」「航空ファン」は購読していた。だから大学時代購入した本で残っているのは、模型飛行機製作に関する単行本2冊とこの「航空ファン」3冊のみ、19594月、6月、10月号がそれらである。理由は12年生の時属していた“東京ソリッドモデルクラブ” 150木製飛行機を自作する会)から出品した作品の写真が載っているからである。

社会人になり寮に入って初めて自分の部屋を持った。そこには半間幅で出窓の位置から天井までの作り付け本棚があった。入寮した時は一段で済んだがここから中毒が再発する。寮の所在地は和歌山市から汽車で30分ほど南下した有田市、市とは言え辺鄙な所、小便臭い映画館が2軒と“田舎書房”と言う小さな書店が一軒、おまけに当時は酒も嗜まない。寮と工場の間は自転車で10分程度、大規模な建設工事で残業でもない限り、時間を持て余すことおびただしい。夕食後の7時頃から就寝の11時まで読書三昧の日々を7年余過ごした。

話題作品、雑誌、新書・文庫の最新版くらいは田舎書房で何とかなるものの、チョッと骨のある単行本は和歌山市まで出かけないと入手できない。幸いなことに、そこで一番大きな“宮井平安堂”と言う書店が工場まで御用聞きに出かけてきていた。支払いは給料から天引きだ。新聞の書評欄や広告を中心に、気になる物をそこから取り寄せているうちに作り付けの本棚はいっぱいになり、地元家具屋に本立てを特注するほど増えてしまった。


この寮生活で面白さを知ったのがエッセイである。寮に毎週届けられるアサヒグラフに連載されていた團伊玖磨の「パイプのけむり」は本業の芸術ばかりでなく動植物や時々の時事問題、訪問国のお国柄や人物評価も対象となり、短い文書の中に触発されることが多かった。これは後々数十話をまとめて単行本化されるようになり、現在全巻が揃っている。

寮時代は小説、ノンフィクション両刀使いだった。小説では007シリーズやジョン・ル・カレ、レン・デイトンの作品のようなスパイサスペンスを専ら愛読した。ノンフィクションでは、本業であるIT関連が多かったが、技術進歩が速く、直ぐに陳腐化してしまい、早々に廃棄している。これは今も同様だが、初物に直ぐに飛びつかず、面白味は劣るがジャーナリスティックでないもの選ぶようにしている。


IT分野に次ぐのは、乗り物・兵器となるが、特に航空機関係を重点的に集めた。発端は飛行機好きにあるが、仕事との関係も大きい。第一は航空機戦力化の経緯が企業経営とITの関係に重なり、IT戦力化施策推進に種々のヒント・アイディアを得られたこと、196070年代多発していた航空機事故解析が工場安全操業に大いに参考になったからである。

読書に関する第一の転機は1969年の川崎工場への転勤、大型プロジェクトへの参加、それに続く翌年の結婚。書店は身近になったものの、多忙と生活環境の激変で読書量は著しく低下する。何とか禁断症状を抑えてくれたのは、短く完結し、何処でも読める随筆だ。特に好んだのは内田百閒の「阿房列車シリーズ」、鉄道旅行と人を食ったユーモラスな筆致を楽しんだ。この愉悦感が、のちの宮脇俊三、山口瞳、常盤新平などの作品につながっていく。

第二の転機は1980年、初めて自分の家を持った。専用の書斎をと願ったが、3人の子供の部屋を優先せざるを得ず、納戸のような書庫のような空間を何とか確保、来客用の和室を土日だけの書斎とした(平日は家で寝るだけ)。ただ、住まいが遠隔地(久里浜)に在ったので電車は始発で座ることが出来たから、これが書斎兼寝室となって読書に往復で2時間以上使え、年間百冊程度消化していた。対象は、ノンフィクションでは依然ITと軍事それに乗り物が多かったが、国際関係・海外事情、著名人の伝記やリーダー論、自分の生きた時代の歴史(昭和史)と広がり、小説ではアリステア・マクリーン、ダグラス・リーマン、ジャック・ヒギンスなどの英国作家あるいはトム・クランシー、J.C.ポロックのような米国作家の戦争小説や冒険小説、スティーブン・ハンターのスナイパー小説「ボブ・スワイガー」シリーズもこの範疇だろう。好みの作家が増えていった。


そしてついに、1996年現在の地、“金沢文庫”に終の棲家を建て、念願の書斎を持った!6畳のそこに一壁面すべてを覆う天井まで届く二間幅・奥行き30cm弱の作り付け本棚、反対側には一間幅の組立書棚、ここだけ床に補強材を入れた。さすがに当初は隙間があったが、今では各段前後二列に本が重なっている。2007年サラリーマン引退後読書時間は最低でも一日5時間あり、ペースを落としてもひと月67冊は読めてしまう。新しく増えたジャンルはエネルギー・環境関連、科学・技術史、経済・金融、イスラム・中東関係、外交・国際政治それに洋書だ。ビジネス書や時宜を失したものは処分しているものの、4000冊くらいは常時ここに滞留している。

ところで、この種の中毒患者はどこの国にも居るようで、英語では読書中毒がBookaholic、活字中毒はPrint Junkie(専ら麻薬中毒用語)とある。果たして私はどちらなのか?そしてこの部屋はリハビリセンターなのか?はたまた阿片屈なのか?最期はこの部屋で本を読んでいるうちに逝けたらと思っているから後者が相応しい気がしている。

 

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