2021年2月3日水曜日

活字中毒者の妄言-5


■雑誌考

活字中毒者の読む物は書籍ばかりでない。新聞、週刊誌、月刊誌、何でも手あたり次第だった。“だった”と書いたのは、小遣いに少しゆとりが出来るまでは、それらがむしろ主体、格好の解毒剤だったが、高校以降自分好みの単行本や文庫・新書購入が可能になったからだ。雑誌は小学生時代の「少年クラブ」に始まり、つい数年前まで何か定期的に刊行されるものを取っていたから、読書総量から見れば書籍より多いのではなかろうか。

「少年クラブ」は1914年大日本雄弁会(現講談社)から発行された「少年倶楽部」が戦後改名されたものでこの種の雑誌では最も古い歴史を持つ。叔父(母の弟)たちが購読していた時代には熱血小説・冒険小説が人気で、それを見知っていた母がこの本を私に与えたのだが、野球記事以外記憶に残ることはない。私の興味は専ら付録にあり、望遠鏡、幻灯機、カメラなどの工作を楽しんだ。本稿を書くためにその後を調べたら1962年に休刊(廃刊)になっている。しばらくすると漫画・劇画の雑誌が出るから、そこら辺りに時代の変わり目があったのだろう。


雑誌として忘れ難いのは「週刊朝日」と「文藝春秋」である。この2冊は父が買っており、これで随分社会勉強をさせてもらった。特に「文藝春秋」は同級生交歓(写真)、著名人の随筆、政治・経済・社会特集、小説、ノンフィクションなどてんこ盛りで雑学の宝庫だった。記憶が定かではないが、有吉佐和子の「地唄」や後に多くのアカデミー賞受賞する映画「地上より永遠に」の抄訳を高校時代この雑誌で読んだような気がする。「週刊朝日」も同様雑学情報源だったが、大学時代始まった松本清張の「黒い画集」シリーズが言わば清張入門書となった。この2冊のうち「週刊朝日」は所帯を持ってからしばらく自分で買い求めるようになり、80年代まで続いた。お気に入りは最終ページ山藤章二の「ブラックアングル」、鋭い社会風刺漫画に毎度感心させられたものだ。今は芥川賞が発表になると「文藝春秋」を求めることもあるが、専ら家内用、二誌を手に取ることは無くなってしまった。歳の功とでも言おうか、週刊誌は広告でほぼ内容が想像でき、わざわざお金を払って読む気にはならない。


科学や乗り物雑誌の歴史は最長。高校時代は「科学朝日」、大学時代は「航空情報」「航空ファン」、就職して独身時代は「Auto Sport」(日)「Roads & Tracks」(米)、所帯を持ってからしばらくして「航空情報」を復活、この出版社が仲間割れした後は「航空ジャーナル」(硬派の編集長に依る専門家向け)を愛読、休刊まで取り、それは全冊(一部別冊を含む)今も保有している。クルマ雑誌の復活は1990年代末期から、数年前まで「NAVI」「ENGINE」(NAVIの編集長が移り、内容はグラビア中心でほとんど同じ)を眺めたり読んだりしていた。結局雑誌定期購読は「ENGINE」が最後、3年前にやめたので、次は「鉄道雑誌かな?」などと思っている。これらの雑誌は活字中毒に加えて乗り物中毒の結果と言える。それにしても乗り物雑誌を通じて編集長の違いで性格がはっきり異なることを学んだ。

ビジネス関係も多い。会社で取っていた「週刊東洋経済」「週刊ダイアモンド」「BusinessWeek」「日経コンピュータ」は毎号目を通していたし、自宅では「日経ビジネス」を定期購読していた。工場のエンジニア時代と異なり、経営管理者として情報サービス事業に携わるようになると、これら雑誌の記事はそれなりに価値があり、欠かせぬ情報源だった。それ故2007年引退後はすべて縁が無くなり、わずかにネットで無料記事を覗き見ている程度である。

これに近いのが学会誌である。化学工学会、OR学会、経営情報学会の個人会員だったから、毎月会報や論文集が送られてくる。会報と言っても気軽に読める記事はごく限られており、大部分は事例・研究報告。必要な記事や冊子は残し、あとは処分しないと量が馬鹿にならない。自身役員を務め、学会運営費に占める出版印刷費の多さを知って「早くディタル化を」と思ったが、私の在籍時代には年会発表資料のCD化までだった。現在はどうなっているのだろうか?


英語力向上のために英文雑誌にも随分投資した。専門分野では「Hydrocarbon ProcessingHCP)」これは石油精製・石油化学向け月刊技術誌で、工場の図書室でも読めるのだが、当時はコピーシステム(湿式)の使い勝手が悪く、必要な情報を手元に残すにはその部分を切り取る方が便利だった。こうして切り取った部分は分類ケースに収め適宜利用し、一部はビジネスの社会を去るまで保存したものもある。一般向けでは1980年代に廃刊となる週刊グラビア誌「LIFE」がある。これは以前紹介した和歌山市の宮井平安堂で扱っており、その地を去るまで講読した。写真中心なので英語を完全に理解できなくても文旨は概ねつかめ、「英語を日常の中に置く」ことに大いに寄与してくれた。

和歌山時代には先に挙げた月刊誌「Roads & Tracks」も取っていた。これはさすがに和歌山で調達は無理、本社の友人に頼んで同じビルにある「流水書房洋書部」から取り寄せていた。「(つらい)外国語のマスターはポルノか趣味の分野から」を実行に移したわけである。この本は新車の運転評価やレースを中心にしていたが、ドライブ紀行もあり、それが一番の楽しみだった。「カリフォルニア・ワイナリー巡り」など記憶に残り、1979年二度目の米国出張の際レンタカーによるナパヴァレー訪問で夢を実現した。

最後の英文誌は1980年半ばから90年代半ばまで約10年講読した週刊誌「TIME」である。「News Week」の方が易しそうだが「TIME」にしたのには理由がある。1962年新入社員研修が和歌山工場で行われた際、課長の一人が講義の後「ケース・スタディについて英文で書け」と宿題を出した。大学入試以来英作文に取り組むことはなかった(英語の授業はあったが)ので、冷汗三斗の思いで拙いレポートを提出した。後年彼が子会社の役員をしている時部下になったので、「あの時何故英文レポートを課題にしたのですか?」と聞いたところ「君たちがLIFEで来るかTIMEで来るかチョッと知りたかっただけさ」との答えが返ってきた。「冗談じゃない」が本心だが、さらに聞いてみると対象読者の教育レベルの違いがそこにはっきり表れているとのこと。「LIFEは読んだ。それならTIMEにするか」となった次第である。その差を認識できるほど英語力が付いたわけではないが、読んでいるだけで米国の知識人になったような気分に浸れたことだけは確かだ。

以上の内、「週刊朝日」「文藝春秋」「航空情報」「HCP」「ENGINE」それに学会誌は当時の出版元から現在も出ているが、他は廃刊またはオーナーが経営難で変わっている。私自身現在雑誌は定期購読していない。印刷文化の中でも雑誌の退潮は特に著しいと聞く。そんな雑誌に中毒症状を和らげられ鍛えられてきた者にとって寂しい限りだ。

 

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