■単行本と文庫・新書
ジョン・ル・カレの遺作「スパイは今も謀略の地に」原著出版は2017年、この翻訳が出たのが昨年7月である。いくら好きな作家とは言え、この歳になると後始末も考え、単行本を買うのは躊躇する。文庫本なら安い上にスペースも取らないし、破棄する時も後ろ髪をひかれることはない。しかし、前作「スパイたちの遺産」の訳本が単行本で出版され、それが文庫版になるまで2年かかっている。この例を辿れば遺作の文庫化は2022年12月となり、こちらは84歳になっているわけで、果たして現在と同様な読書環境にあるか、はなはだ疑わしい。ハードカヴァーとペーパーバックが同時発売になることも多い、欧米の出版形態が羨ましく感いられる今日この頃である。
時たま見る著名な学者や作家の研究室や書斎・書庫とは比べようもないものの、私の部屋にも本が溢れかえっている。全体では4千冊弱あるだろうか、単行本と文庫・新書がおおよそ半々と言ったところである。本を求める動機は先ず題材、単行本で求めるものに小説は滅多にない。投稿・寄稿の機会がそれほどあるわけではないが、自身のブログに取り上げることも含め、“どこかに何かを書くため”の参考資料として残しておきたいものが優先される。この対象は技術開発・戦史・科学史・昭和史・国際関係史・伝記それに乗り物に関するものが主体。これらは単行本が多い。また何度でも読んでみたい内容のものは極力単行本発刊時に購入している。例えば、いずれも故人だが、團伊玖磨の「パイプのけむり」シリーズ、航空学者佐貫亦男の“飛行機もの”や“道具”に関するエッセイ、それに現存作家を含む旅行記などがそれらだ。従って、背後にある二間の作り付け本棚に収まる書籍の回転率は低く、最近求めるものは冷戦崩壊や機密期間解除によって公開された情報に基づくノンフィクションが多い。唯一例外的に回転率が高いのはICT分野、ここは玉石混交と技術進歩の速さで、常に入れ替わっている。
興味ある題材・内容でも購入の是非を決める重要因子は価格である。新聞の書評欄で惹かれ価格を見たら上下各5千円などとあると、払えない金額ではないが、それだけでパスする事態を年に数回は経験する。部数は出ないが奥が深い、そんな本を見送るのは残念至極だが、終活段階に入ると金額以上に後始末を考えてしまう。それに比べると中高生の小遣いで買える文庫本・新書は手ごろで数多く求めてきた。友人が貸してくれた「シャーロック・ホームズ」が面白く、新潮文庫版のシリーズ全部を揃えたのは中学生時代、数年前まで保持しており、小学校の高学年になった孫にやろうと思ったが周辺が茶色に変色、自分でも再度読む気が起こる状態ではなく破棄、同じものの新品を全巻揃えて贈ってやった。この文庫は日本で最古のもの、1914年(大正3年)の創刊で最初はトルストイや漱石の作品を手軽に安価に読むことを狙ったようだ。またそれと並ぶ岩波文庫は1927年(昭和2年)創刊、これも当初は漱石「こころ」、露伴「五重塔」、一葉「にごりえ」などの名作から始まっている。私自身の読書歴から言えば、社会人になってから名作や古典を文庫本では読んでおらず、現在保有しているのはクラウゼヴィッツの「戦争論(全3巻)」(岩波文庫)や福沢諭吉「学問のすすめ」くらいである。ただ、文庫本は百花繚乱、この二社のあと続々と創刊されたので、関心の高い軍事サスペンスやスパイ小説それにノンフィクションの戦記物はほとんど文庫本と言っていい。多いのは新潮文庫、文春文庫、ハヤカワ文庫、創元文庫の翻訳物、戦記中心の光人社NF文庫などだが、資料的価値のある作品として、本来ならハードカヴァーで出版して欲しかった児島譲の「ヒトラーの戦い(全10巻)」(講談社文庫)のようなものもある。日本人が欧州大戦を描いたもので、これほど綿密な調査に基づくボリュームのあるものはおそらくこれからも書かれることはないだろう。文庫本とは言えこれは貴重品である。
新書は未知の世界に入り込む道案内として最適だ。私が岩波新書を読みだしたのは高校生の時からだが歴史は意外と古い。岩波新書は1938年の創刊、これが我が国新書出版形式の嚆矢なのだ。手本は英国のペリカンブックス(ペーパーバック)である。最初はカヴァーが赤、100点を超えた1949年に青、1000点で黄と変わり1500点で再び赤に戻っている。これに次いだのが新書と銘打っていないものの、光文社が1954年出したカッパブックス、岩波に対して分かり易さ・話題性で差別化を図った作品を続々とヒットさせた。学生時代読んだ坂本藤良「経営学入門」、社会人になってからの多湖輝著「頭の体操」シリーズなどが記憶に残る。新書で岩波と正面から勝負したのは中公新書、これは1962年の創刊である。私の本棚には圧倒的に多く、今も「デジタル化する新興国」を読んでいる。次いで新潮新書、文集新書が続き、岩波は古いものはともかく、新しいものは極めて限られる。これは別の機会に書くが、出版社に対する好みからきている。
先月創元推理文庫の深緑野分「戦場のコックたち」を読んだ。テーマはかなり珍しいもので日本人女性作家が欧州大戦を扱った戦争ミステリーである。この中で“軍隊文庫”なるものが出てきた。ルイジアナの片田舎出身で充分な教育も受けていない若い兵士が、古典を読むシーンがある。「どこかで“軍隊文庫”を目にしたことがある。はるか昔だ」何とか記憶を手繰ってたどり着いたのが常盤新平「ペーパーバック・ライフ」(1990年刊)と題する書籍エッセイ。著者が英文科の学生だった頃、古本屋で漁ったのが進駐軍兵士に供されていた“軍隊文庫(Armed Service Edition)”の古書であったことがそこに記されている。戦場にこんな特別仕様の文庫本を大量に届けられるような軍隊に、改めてその強さを教えられた次第である。
この「ペーパーバック・ライフ」には、ペーパーバックは我が国の文庫・新書と同じものと位置付けた上で、米国出版業界の話がしばしば出てくる。出版から販売まで本来ハードカヴァーとは別だったものが、やがて両者が相手の分野に進出して混戦を展開することになったのだ。ニューヨークの書店を訪れた時、ハードカヴァーを扱っていた店に同じ本のペーパーバックがティッシュペーパーの特売のように積まれていた話が出てくる。「スパイは今も謀略の地に」がこんな形で早く刊行されて欲しいものだ。
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