<今月読んだ本>
1)世界史は化学でできている(左巻(さまき)健男);ダイヤモンド社
2)ロッキード(真山仁);文藝春秋社
3)ロシアを決して信じるな(中村逸郎);新潮社(新書)
4)ディープメディスン(エリック・トポル);NTT出版
5)ロヒンギャ危機(中西嘉宏);中央公論新社(新書)
6)見るレッスン(蓮見重彦);光文社(新書)
7)ケッテンクラート解体新書(小林雅彦);アルゴノート社
<愚評昧説>
1)世界史は化学でできている
-世界史(社会科)、化学(理科)は別々に学んだが、これ一冊で済んだかな?化(ばけ)学の歴史的意義を易しく教授-
高校の理科は、物理・化学・生物・地学4教科の内から2科目選択だった。理工系進学希望だったから、物理・化学の2教科選択を入学時に決めていており、1年生で化学、2年生で物理を学んだ。3年生の時はパスすることも可能だったが、化学にはアドヴァンスコースがあったのでそれを履修した。成績もかなり良かったから、入試時に学科選択がある大学では化学関連学科(応用化学、化学工学など)を選ぶことも出来たが、エンジニア志望の根源が乗り物や模型に発しているから、形の見えない電気や化学は敬遠した。結局機械(見えない制御工学)に落ち着くわけだが、化学への興味は持続し、機械制御よりは化学プロセス制御を選び石油企業(石油精製、石油化学)に就職した。
広告で見て面白いタイトルに惹かれ即購入、タイトルはいささか誇大かつ我田引水だが、とにかく愉快に読め、「化学に関わってきて良かった」と思わせる内容だ。
著者は大学教授(元法政大学生命科学部環境応用化学科)も務めているが、理科教育、科学コミュニケーションの専門家、化学関連の研究者でないことが、むしろ本書の読み易さにつながっているように感じる。
それにしても“化学”とはよく考えられた漢字だ!物質を分子(あるいは原子)レベルで分解・合成し新物質を生み出す。当に化(ばけ)学である。人類が他の動物と違うのは“火”を利用したことにある。火は、“酸化分解”と言う化学反応である。従って人類の歴史は化学から始まっていると著者は説き起こす。縄文のような土器名や青銅器・鉄など金属名で歴史を区切っているのも化学が果たしてきた役割の大きかったことを象徴する。厳密に言えば、これらは窯業(焼成煉瓦・セメント・ガラス・陶磁器)や冶金学の世界なのだが、すべて化学反応を伴うので、本書では化学に含める。他にも、燃料・食料(酒・発酵食品)・紙・薬品(医薬、工業用)・染料・火薬・プラスチック・ゴム・繊維などが歴史進行の過程で取り上げられ、人類が如何に化学に依存してきたかが具体的に見えてくる。
古典的原子論「物質の根源は何か?」はギリシャ哲学に始まり、これが元素の周期律表にまとまるまでの過程、「火とは何か?」、「真空状態の有無;見えない物質の存在」など科学的疑問・好奇心を解明する活動、あるいは錬金術を通して基本的な化学的知識が整理・蓄積・発展してゆく様を概説、日常生活における個々の化学物質の発明・発見と利用状況を時間軸に沿って辿っていく。時代ごとに適切なテーマを見つけて、それに関わったキーパーソンを登場させることで、内容に親しみを持たせる。本書を「愉快に読んだ」のはこの工夫が大きい。
例えば、感染症対策の歴史では、ローマ帝国の崩壊後中世・近世に伝染病がしばしば大流行したのは上下水道や浴場が廃れたことにあるとし、水質汚染がコレラ禍をもたらした19世紀の惨状とその原因を突き止めた英人麻酔学者ジョン・スノーの活動を紹介、上下水道の整備と上水に塩素を注入することがそれ以降一般化し、その種の疫病発生が抑えられた経緯を解説する(コロナ禍に時代を画する新化学技術は出現するか?)。
このようなエピソードを除けば、本書の内容は高校で化学を習い、それに少し科学史に親しんだ者には、それほど新奇なことは書かれていない。ただ、世界史を化学を主役として、連続性をもって概観する視点は新奇で、読み物としての面白さは大いに評価できる。また、分かり易いイラストが効果的で、化学に親しむ機会の無かった人にもよく理解できる書き方、中学生くらいから読んでも良い気がする。
2)ロッキード
-厚さは価値に比例する?大山鳴動して鼠一匹も出ず-
今月初めの春休み中、久し振りに孫二人が我が家にやってきた、上は中学2年生、下は小学4年生に進級する。訪問の最大の狙いは私のPCでユーチューブを楽しむことにある。自宅ではまだそれが許されていないからだ。私の部屋に入るなり下の孫娘が目ざとく本書を見つけ「ロッキードって言う本凄く厚いね、何日で読んだ?」と問うてきた。「三日」と答えると「こんな厚い本たった三日で読むの?!」と驚きの声を上げる。確かに厚い、厚さ4cm、頁数は600弱、辞書類と洋書数冊を除けばこれほどボリュームのある本は書棚にない。しかも値段は2250円、厚さや重さでコストパフォーマンスを評価すれば、桁違いに良い。しかし、読後感を基準にすればかなり低いところになる。出版社・著者は一体この本で何を読者に伝えたかったのか(一応“昭和史の検証”と言うようなことが、序章にあるが)?そんな疑問が残る1冊であった。
テーマは1970年代半ばに起こった、田中角栄前首相をめぐる“ロッキード事件(贈収賄疑惑)”である。田中内閣発足は1972年7月、9月には日中国交回復と言う歴史に残る成果を出すものの、「日本列島改造論」は経済を混乱させ、1973年秋の第一次石油危機でさらにこれが増幅して、金権政治のほころびが随所に現れ「今太閤」と言われた異色政治家に逆風が吹き始める。とどめは1974年10月文藝春秋に発表された立花隆の「田中角栄研究」で、錬金術の暗部があぶり出されて12月総辞職する。以後捲土重来を期すべく後続内閣を支えるが、1976年2月米議会でロッキード社社長コーチャンが外国の政治家や有力者に自社機採用のため賄賂を贈っていたことを質され、その資料に“Tanaka”が記されていたことが発端となって“ロッキード事件”が起こる。1983年一審(地裁)判決:有罪、1985年脳梗塞発症、1987年二審(高裁):有罪(上告棄却)、1993年12月死去、被告人死亡で控訴棄却。これが事件の骨子であるが、いずれも公知のことで、本書でこれが変わるほどの新事実が出てきたわけではない。
著者の問題意識は、贈収賄行為はあったのか?あったとして田中はそれを受け取ったのか?特捜や裁判所の捜査・調査方法や手続きに問題は無かったか?それらを踏まえた上で結審(一審、二審)は正しかったか?にある。このために、当時の関係者への聞き取り調査(米国人を含む)、実地検証(取引の場所・所要時間など)を大掛かりに行い(文藝春秋社はチームを編成)、疑問を質そうとする。範囲は田中周辺ばかりでなく、当時も話題となった全日空ルート、丸紅ルート、黒幕児玉誉士夫の見えざる一面、米国の対日政策までおよび、努力の跡はうかがえる。特に、検察や裁判所が慣例や判例を逸脱して有罪を立証・結審する過程は、かなり高いところ(例えば米国)に政治家として再起不能を望む力があったように思えてくるほどだ。しかし、全体として努力の結果は既報を補う程度で、疑問点を解明するには至らず、著者の推論(冤罪説を臭わせる)がむなしく語られるばかりだ。
ただ、“昭和史を検証する”と言う視点では、高等小学校までの教育しか終えていない人物が実力首相まで登りつめるまでの経緯や背景あるいは成果を追うことによって戦後政治の実態・変遷が見えてくることで一応目的は果たせている。例えば、佐藤内閣の通産大臣時代、日米繊維交渉で米国に譲り(自主規制反対意見を抑える)、佐藤の悲願であった沖縄返還を実現する道を開いたこと、首相時代米国より早く、(キッシンジャーが反対する)中国との国交回復を行ったことなど、並みの政治家ではないことが理解できた。
著者が小説家であることは知っていたがその作品を読んだことは無い。本書を読むことになる動機は、売れっ子の作家がどんなノンフィクションを書くかにあった。読後に感じたことは、いっそのことこれをフィクション(謀略・冤罪小説)にしたら面白かったろうに、と言うことである(松本清張ならきっとそうしたに違いない)。人物索引がしっかりしているので、田中角栄辞典あるいはロッキード事件辞典としてしばらく書棚に残す価値くらいはある。
3)ロシアを決して信じるな
-「良い国とは私たちが居ない国」。究極の自虐ジョークを外から考察すると-
2003年から2005年にかけてキリル文字の名刺を作るほど頻繁にロシアに出かけた。通算滞在期間は約4ヵ月、すべてウラルの西、ヨーロッパロシアだけだが石油精製業対象だったから、ビジネスの拠点(現地法人本社)モスクワ以外はあまり大きな都市は無く、比較的素のロシアに触れられたと思っている。空港職員や警察官などに不愉快な思いをさせられたこともあるが、総じて人は良く、酒が入ればそれが倍加した。満州での体験でロスケ嫌いになっていたロシア観は180度変わり、2007年会社を去る際には、親しかったロシア人社員たちにこのことをメールで伝えたほどである。2004年12月に行われたプーチン大統領2期目の選挙もヴォルガ河中流域の都市サマーラの製油所で迎えたが、国有財産をソ連崩壊のどさくさに紛れ私有化したオリガリヒ(新興財閥)を厳しく批判する彼の人気は高く、70%の得票率で圧勝した。「これでロシアもまともな国になっていくだろう」そんな思いすら感じさせる雰囲気だった。しかし、1999年エリッイン大統領の辞任を受けた大統領職は院政時期(首相)を含めて20年を超え、その統治形態・手法は年々国内ばかりではなく国際的にも陰険で威圧的になってきている。最近のロシアはどうなっているのか?それを知りたくて本書を手にした。
著者は1956年生まれの筑波大学人文科学系教授、モスクワ大学、ソ連アカデミーにも留学し、たびたび彼の地(シベリアを含む)へ出かけフィールドワークを重ねている(40年間)。現地に友人が多く、無論ロシア語に堪能で、アジア系の同国人と間違えられるほどである。直近の訪露は2020年2月、コロナ禍を考えれば私人に依るロシア最新情報と言っていいだろう。
2020年1月の選挙の話で驚かされた。投票箱は透明、投票用紙の投入口は用紙をたたんでは挿入できないほど狭く、誰を選んだかが見えてしまう。おまけに立会人は息のかかった土地の有力者、得票率が高いのはこんな仕掛けがあるからなのだ。2004年もそうだったのだろうか?
不正行為で権力を手にするための手段は選挙ばかりではない。もっと恐ろしいのは暗殺。最近では反プーチン派のリーダー、ナヴァリヌィーの暗殺未遂事件がある。本書第1章は“暗殺社会ロシア”のタイトルで始まり、プーチン統治下で起こったいくつかの暗殺事件を論じるとともに帝政時代からの暗殺史を概観して、これがロシア政治の底流にあることを読者に知らしめる。
本書のタイトルでもある“決して信じるな”の核心は領土問題である。これに先立つ数章で、身近に起こった日本は無論、他国でも先ず体験しないトラブルを引用しながら、ロシア人が嘘をつくことに罪悪感を持たないことを、言い換えればだまされる方が悪い、と言う常識?を個人のベースから国際交渉に援用して、我が国歴代政府のロシア音痴を徹底批判する。著者の領土問題に対する見解は、「まずは仕切り直す勇気を持ち、永久にプーチン政権が続くわけはないその行く末を見定めてからでも遅くない」である。全く同感だ。
話は国家や民族などを巡る政治的なことばかりではない。シベリアでの調査活動などで体験する個人的な出来事を通じた社会観なども多々あり、これはこれで面白く読める。ここで語られるロシア人は、陰険で強欲な指導者像とは全く異なる、“お人よしと諦観”あるいは“過剰な親切心(おせっかい)”の塊りのような人々であり、限られた交流ではあったが、私と付き合いのあったロシア人に重なるところが多かった。著者も「信じるな!」と言いながら、ロシア(人)を愛していることが滲み出てくる文面が随所に現れ、救われた思いで読み終えた。
4)ディープメディスン
-米国著名臨床医による、患者・医師・AIのベストミックスで実現する新時代仁術医療への道-
今のかかりつけ医に初めてお世話になったのは1998年のことである。爾来四半世紀におよぶ付き合いだ。当時のオフィスが恵比寿にあり、近くのクリニックを会社の診療先として契約していたからである。この年の夏急性胃潰瘍を発症、幸いそれは薬と食事で回復したものの、以後この時発見された慢性胃炎の処方やその後に高まった血圧を抑えるために、月一回の検診(ほとんど問診)と定期的な検査(胃カメラ、超音波内臓検査、X線検査、尿検査、血液検査など)を受けている。現役を去ったのは2008年、恵比寿まで出かける用事は全く無いのだが、現在もここへ月一回通っている。この間一昨年までは何ら大病もせず、診察もほとんど常用薬の処方と体調に関する雑談を交わす程度だったが、一昨年硬膜下血腫発症の際は臨機応変な処置で、検査日当日自宅近くの横浜市大病院に入院・手術が手配され、大事に至らず健常体に戻ることが出来た。また昨年10月には腰痛が起こり、整形外科は無いもののX線撮影で患部を特定、痛み止めの処方と注意事項が告げられ、専門医にかかることもなく小康状態で収まっている。これらを通じて、歳と伴にかかりつけ医の有り難さ・重要性を認識、最も重要なことは医師・患者間の信頼関係にあると強く感じている。問題は自宅のある金沢文庫と恵比寿の距離である。急な体調不良が起こったときどうすべきか?診察データはいつでも渡すとは言われているものの、病が重くなってからかかりつけ医を変えると、引き受けるのを嫌がる医師・医院があるとの話も聞くだけに、悩ましい問題である。
本書の論旨は、医師と患者の意思疎通と医療関連技術(専門分化、各種検査技術、カルテの電子化)の進歩および大規模化する医療産業に関する米国の現状を踏まえ、それが反比例の方向にあることを多くの具体例で示し、医師・患者間の関係改善、それによる適切な治療にAIを役立たせる可能性を論ずるものである。
まず米国の於ける医療の現状が2章にわたって語られる。数字でその一端を紹介すると(1975年/2015年対比)、医療就業者(400万人/1600万人)、一人当たりの年間医療費($550/$11,000)、通院診療時間(初診;60分/12分、再診;30分/7分)、医療費のGDP比(8%未満/18%)。医療費増加の背景には検査機器や新薬開発、高度治療法がある。明らかに技術進歩や施設の規模に拡大は見られるがが、診察時間は著しく低下している。この中身を分析した上で、著者は医療行為をディープメディスン(深遠なる医療)とシャロウメディスン(浅薄なる医療)に分け違いを際立たせ、ディープメディスンへの道を探っていく。
着目する問題点は医師と患者の接触時間、日常的な診察行為はどのようになっているか?何故短くなってしまったのか?を深耕する。血の通った問診よりも別の専門医(例えば放射線や病理)から提供された情報の解読、電子カルテの追跡や入力に追われる臨床医の姿を浮き彫りにする。これは患者のみならず医師にも大きなストレスを与え、医師のうつ病患者や自殺者が増加傾向にあるほどだ。
専門医が直に患者に触れる機会が少ないことも問題視する。かかりつけ医の説明よりは、専門医の解説が患者を納得させることもあるし、専門医もそこから学ぶことが多々ある。医療AIが医師を駆逐するのは検査や病理の分野と言われるが、著者はこれに組しない。個々の患者の違いや微妙な映像の判別に、むしろAIと専門医の補完があると考える。
この“個々の患者の違い”から医療の根本問題にも踏み込む。それは“標準治療”である。医学の初学者は症状から病名を見極めるが、これはあくまでも平均的(あるいは統計的)な一般解であり、患者一人一人の個別解ではない。患者とかかりつけ医のコミュニケーションからこの個別解を出すことの重要性を、自らの体験(若い頃に人工関節を埋め込んでおり、60歳を過ぎてこの置換手術を行うが激痛で耐えられず、しばしば悲鳴を発するほどだ。すると専門医が「かかりつけ医に抗うつ剤を処方してもらえ」と診断する。結局その分野に経験の深い理学療法士によって回復する)を交えながら、読者に訴える。
AIの基本と最新医療AI解説にかなりの紙数を割きながら、患者・医師・AIのベストミックスを探り“深遠なる共感にもとづく医療”を提唱するところは、多くの人に“医は仁術”を思い起こさせるだろう。ただし、後半のゲノム解析をふくむAI応用はかなり医学の専門知識がないと読みこなせず、飛ばし読みした。
著者はスクリプス研究所(生物医療研究、ノーベル賞受賞者4名)副所長で臨床医(世界的に知られる心臓医)。本書はどちらかと言えば医師向けではないかと推察する。翻訳に至る過程も変わっている。監訳者の中村祐輔(医師、医博)は東大名誉教授・シカゴ大名誉教授。この人が原著を2019年4月に読み、我が国における医療分野へのAI研究があまりにも遅れている(日本の惨状)と危機感を募らせ翻訳出版を思い立ち、それを急がせた(2020年5月刊)ことが監訳者・訳者のあとがきで述べられており、ここにも医療関係者向けのメッセージが書かれている。
連休明け、かかりつけ医に出かける予定だが、その際本書について題名くらい語りかけてみようかと思っている。
5)ロヒンギャ危機
-ロヒンギャ問題とは何か?アウンサンスーチーは何故その存在を認めないのか?-
ビルマ(現ミャンマー)と言う国名をはっきり記憶にとどめたのは小学校の卒業演芸会である。二つあった学級の他の組が“ビルマの竪琴”を演じ、感銘を受けた。無論フィクションだがその背後に“日本陸軍最悪の作戦;インパール作戦”があることを知るのは、成人し、昭和史を追うようになってからである。現実にこの国が近付いたのは、1990年代大学研究室で一緒だった友人が東南アジア地区技術責任者としてマレーシアに赴任、軍政下のミャンマーを旅し、遥か彼方まで広がる森林に頭を出すいくつものパゴダの写真などをホームページで紹介していた時である。未舗装の道を牛車が行くのを見て、それまで訪れたことのある周辺国、シンガポールは別格として、タイ、マレーシア、インドネシアと比べても、近代化の遅れを強く感じた。アウンサンスーチーがクローズアップされた時代でもある。爾後ミャンマーと聞いて連想するのはパゴダ群とアウンサンスーチー(以下スーチーと略す)である。反軍政→軟禁→軟禁解除→国家顧問、欧米が賛美する彼女の言動は冷静に観察すればポピュリストに近い。父のアウンサンも反英の闘士→日本亡命→日本軍政下での国防相→英軍への寝返り→自治要求活動のリーダー→英領ビルマ行政参事会議長、と時々の情勢に応じて立ち位置を変え、最後は政敵に暗殺されていることから、同じ資質を受け継いでいるような気にさえなる。つまり個人的には“胡散臭い人物”と見ている。そして、その具体例がロヒンギャ問題に対する彼女の態度であり、本書の著者もそこを問題視する。
本書の刊行は2021年1月25日、あとがきの日付は2020年11月、ミャンマー連邦議会選挙実施は2020年11月8日、国軍による非常事態宣言発布は2021年2月1日。内容から著者は11月の選挙でスーチー率いる国民民主同盟(NLD)が軍の息がかかる連邦団結発展党(USPD)に圧勝したことを確認していることが分かる。しかし、非常事態宣言とスーチー拘束はその後の事件であり、事件発生後の事情を知る者にとって、文中の国軍と現実とのギャップが大きく、妙な気分の読書感覚が最後まで付きまとった。書物の上でこんなリアルタイム進行の社会・国際問題に遭遇したのは初めての経験だからだ。
本書を読みながら先ず知らされたのは、ミャンマーについて、直近の時事問題以外、ほとんど何も知らなかった、と言うことである。特に国民を形成する民族の多様性に驚かされた。人口5400万人が、大別して8グループ、細分すると135の種族から成っているのだ。この内主流のビルマ人(6種族)は6割に過ぎず、多民族混成国家なのである。最上位の行政区は管区と州からなりそれぞれ7あり、管区はビルマ人が多数派、州は少数民族が多数を占める。国名に“連邦(Union)”とあるのはここからきている。面積は日本の1.8倍だが、この民族数は超大国の中国・インド・ロシアに匹敵、統治の難しさが推察できる(いずれも歴史的に純然たる民主的統治形態で治まらない;インドも長くガンジー(ネール)王朝に近い)。何度も国籍法が改定さて、国民の定義が行われているのも統一国家形成のためだが、この根底に違法移民の排斥や少数民族同化策が埋め込まれている。ただし、いつの時代もロヒンギャは対象外、存在そのものを無視されている。ロヒンギャなる言葉が現れるのは1950年代から、今でもミャンマーでは「ベンガリー」と呼ぶのが一般的で、インドベンガル地方(現バングラデシュ)からの違法流民との認識である。
多民族に次いで問題なのが英国の植民地統治である。国民認定はこれと深く関わるからだ。ビルマ(当時の呼称を使う;緬)に存在した王朝は1824年を皮切りに3度英緬戦争を戦い、最後の戦いの後1885年王朝が廃絶され、英領ビルマとなる。これ以前から先祖がこの地に土着していたか否かが最も重要な認定基準。と言うのもそれ以降(特に第3次)、英国はインド人をここに大量に移住させているからである。得意の間接統治(必ずしも行政官ばかりでなく、商工業の振興・活性化人材も)のためだ。この統治者や印僑は原住民より豊かなことから妬み恨みを買い、1948年の独立以後、インド系住民に対する有形無形の差別感情は今に継続する。それでも独立以前まで先祖の居住が証明できれば、帰化人として国籍を獲得できる。しかし、貧しい流民であったロヒンギャにはその手立てもない。今“人権”を振りかざす欧米、特に英国は自ら蒔いた混乱の種に頬被りをしているわけである。
第三の問題点は、1948年独立以降のナショナリズムの高まりである。当初こそ万民が喜んだものの、過度なナショナリズムが排他的傾向に進むのはミャンマーに限ったことではない。“ダイインダー(真の土着民と言う意に近い)”は民族・言語・宗教(仏教)にこだわり、他者との差別化を露わにし、印僑・ムスリム・一部の少数民族が国民から弾かれ、ここにロヒンギャが当然含まれることになる。
1960年から続いいた軍政は見かけ上2011年に終わり、2015年には選挙でNLDが勝利、スーチーが国家顧問となり、民主国家の形態に移り始める。しかし、この自由化で地方の自治を求める動きが活発化、武力闘争さえ起る。これを抑えられるのは国軍のみ。そこで起こったのが2017年8月の大規模な反乱とこれを制圧する国軍との戦い。この際ロヒンギャの集落が集中的に襲われ、大量虐殺(ジェノサイド)が行われ、100万に近い難民がバングラデシュに逃れ、大きな国際問題になるが、スーチーはこのジェノサイドを国軍が行ったことを認めず、彼女の国際的な評価は一転、悪化する。2019年12月ハーグで開かれた国際司法裁判所(ICJ)法廷に出廷したスーチーは一部国軍の行為に違法があったことは認めたものの、「これは国内問題」とICJの追及をかわす。因みに、元英首相キャメロンの回想録に、ロヒンギャに関するスーチーとのやり取りがあり、そこで彼女が「彼らは本当のビルマ人ではないんです。彼らはバングラディッシュ人よ」と語ったとある。おそらくこれがミャンマー人の本音なのだろう。ゆえに、この問題に対する国際社会の圧力に対して、国民の多くが反発・嫌悪していると著者は見做している。
日本国内のニュースで報じられているのは欧米民主主義に基づいた批判ばかりだが、著者がミャンマーの立場を冷静に見つめている(同調しているわけではない)点に、国際問題を見る眼に新たな視角が必要なことを改めて学んだ。
繰り返すが本書の内容は国軍クーデター以前のものであり、スーチーの印象は良いものではない。しかし、このクーデターで彼女は再び受難者の立場にあり、国際社会はそれに同情的だ。読後感がロヒンギャ問題に絞り切れない、中途半端なスーチー像が残ったままである。
著者は1977年生れ、京都大学東南アジア地域研究所准教授。本書は科研費対象研究の成果を一般向けに書き下ろしたものである。
6)見るレッスン
-元東大総長が論ずる映画鑑賞法。「映画の決め手は映像だ!セリフ過多は愚作だ!」-
本欄でも何度か“映画鑑賞”が趣味だった、と書いてきた。「だった」と過去形なのはそれが主に高校・大学時代であったからで、社会人になり地方勤務の後所帯を持ってからは生活パターンが全く変わり、子供映画も含め一年に数回出かける程度、趣味とは言えなくなってしまった。それでも映画に関する書物には興味があり、有名作家(池波正太郎、山口瞳、小林信彦など)の映画談義(主としてエッセイ)は結構読んでいる。彼らのエッセイは、評論と言うよりは、ストーリー、監督、出演者に関する個人的な趣向・回顧を語ったものが多く、自分が観てきた同じ作品の印象や記憶との違いを楽しむ色合いが濃かった。しかし、2月に本欄<今月の本棚-152>で紹介した「淀川長治映画ベスト10」の最終章“1980年代「洋画ベスト50」はこれだ!”で淀川と本書著者の対談があり、評論を生業とする人達の映画の観方・評価が、ただ楽しむだけの映画ファンとはかなり異なることを知り、本書を読んでみることにした。淀川の書いたものは2,3他にも読んでいるが、著者のものは今回が初めてである。それもそのはず、あとがきによれば、映画論を含め多くの著作を著しているものの、すべて専門家向けの単行本、一般向けである新書はこれが初めてとのこと。
著者は1936年生れ、東大教授・総長も務めた仏文学者・映画評論家、著書には文芸関係の賞を受けたものも多い。
私が映画を観るのは楽しむためである。サスペンス、戦争、ミュージカル、ロマンス、喜劇、スペクタクル、ひたすらストーリーと映像を追って「ア~、面白かった!」、少々ましなのは「知らなかった。勉強になったな~」で終わる。この観方からすると、本書の中核を占める深刻な文芸作品は一番遠い存在だ。本書には無声映画から3D映画まで、チャップリンから寅さんまで、ハリウッド映画から韓国・中国映画まで、フィクションのみならず短編記録映画まで、あらゆる種類の映像が取り上げられる。これを著者はどのように料理し読者に味わい方を教授するか、娯楽映画を楽しむようには読み進められない。「たくさん映画を観てきたが、こんな観方はまったくしてこなかったな~」の連続である。レッスンの一部を紹介すると;
映画最大の特色(見どころ)は映像である。その意味で無声映画(弁士不在の)こそ映画芸術の原点であるとする(音が無いことによる映像の重み、あるいは役者演技の重要性)。従って、どんな技術進歩があっても、この視点で訴えるものがなければ、一流の作品でないと著者は断ずる。映画が始まるときのカメラの動き(つまり映像の変化;取り込む映像、撮影の角度、ズーミング、光と影)で映画の良し悪しは決まる。記録映画でナレーションを付けなければ理解できないようでは駄作(NHKのドキュメンタリーを徹底的にけなす)。こう説明されると映像重視がよく理解できる。
この映像重視の視角として、演技の質は一先ず置いて、それだけで絵になる美男美女の出演を語り、最近はそれが少なくなったと嘆く。また、上映開始10分以内で映像の良否を判定、この時間内に席を立つこともしばしばあるようだ。
次の肝は、撮り上げたオリジナル映像を公開用に編集することだ。面白い映画になるか、ヒットするか、味わい深い作品になるか、分かれ目はプロデューサー(製作者)・システムかディレクター(監督)・システムかの違いにある。世界の映画界でプロデューサーが最も強いのはハリウッド、監督が最も強いのは日本。ジョン・フォードの「荒野の決闘」(ずたずたに斬り刻まれ、一部は他の監督に撮らせる。ジョン・フォードは公開作品を観ていない)や小津安二郎の言動(どんなに製作者の注文がついても譲らなかった)から具体的に解説、佳作・凡作が必ずしも監督の力量だけで決まるわけではないとの楽屋話で映画製作・鑑賞の奥の深さを教えてくれる。
大画面や音響、最近はコンピュータ・グラフィックス(CG)によるスペクタクル物が多い(特にハリウッド作品)。著者はこれを昔流行った“見世物”と同等なものと見て、この種の“こけおどし”を売り物にするスピルスバーグなどを徹底的に批判するとともに、地味だが新鮮な撮り方でハッとさせられる監督を高く評価し、この“ハッとする瞬間”を気づくことが映画鑑賞のポイントと説く(たくさん観ないことにはこの感覚は身に付かない)。
カメラマンや脚本家、美術監督など映画の裏方にもレッスンの目を向けるが、映像重視から特にカメラマンの項は丁寧だ。有名監督が起用した内外のカメラマンの作品やその変化(悪くなるケースも含め)が語られ、新しい映画作家が出現する時、あるいは新しい映画運動が起こる時、必ず優れたカメラマンとの共同作業がある、とその存在意義を強調する。
多角的な映画を“見るレッスン”、どこに注視すべきかは学んだが、この歳になるとその機会も限られ、まして同じ監督の作品を複数観ることなど先ずないだろう。映画好きの若い人には勉強になるが、ただ楽しんできただけの老映画ファンとしては、本格的映画評論の何たるかを知るにとどまった。
7)ケッテンクラート解体新書
-お宝希少兵器レストアに垣間見るドイツ機械技術の特質-
軍事技術史を追っていると、ときに思わぬ情報に行き当たる。乗り物好きからWeb配信登録している“乗り物ニュース”で、本書の出版を知った。「こんな珍しい兵器の本が日本で発行されるとは!」と驚き、ニュースの内容をチェックすると、この希少品を日本人が入手しレストアした過程を、写真を中心に構成したものと分かり、機械としての細部が理解できることを期待して即発注した。正解であった。
ケッテンクラート(Kettenkrad)のKettenは“履帯(キャタピラ)”、Kradは“オートバイ(Kraftrad)の略;バイク”のドイツ語、つまりキャタピラ式バイクである(写真参照)。数多くの半装軌車(ハーフ・トラック;Half (半)Track(履帯)、Truck(貨物自動車)ではない;前輪がタイヤ、後輪が履帯)が世界各国で開発・利用されてきたが、第2次世界大戦におけるドイツ軍以外、オートバイタイプを保有・実戦投入した国はない。ロシアの泥濘地で、北アフリカの熱砂で、クレタ島攻略空挺作戦の機動力として、戦場を駆け巡り、偵察・連絡、物資・人員輸送、野戦電話敷設、軽砲牽引など地味だが重要な役割を果たしてきた希少兵器なのだ。
この車両は本来兵器として開発されたものではなく、1938年森林作業用(馬の代用)に古い(19世紀末創業;戦後もオートバイ生産ではホンダに抜かれるまで世界一)オートバイメーカーであるNSU(現アウディ社)によって世に出たものである。1939年第二次世界大戦勃発、独陸軍は当初山岳部隊用に試用し、有用な兵器として採用、以降民間向けは停止される。しかし、戦後1949年までに残された部品で550台ほどが生産され主に林業向けに出荷されている。総生産数は約9千台、民生用は初期生産と戦後の生産を併せても千台未満、8千台を超えるケッテンが戦場に在ったことになる(部隊の要求は高かったが、優先度が低く、供給が抑えられた)。兵器マニアにとって、それが戦場に在ったかどうかが重要な意味を持つ。本書に取り上げられる個体もこの判別が一つのポイントとなる。
この個体はカナダ軍が戦後欧州から持ち帰り、テストの後林業者に払い下げられ、さらに1970年代後半米国の銃砲店に転売される。そこと取引のあった日本のモデルガンメーカーが債権の一部として1980年代終盤にこれを回収、バブル経済下で各種催し物の見世物となっていたがついにお蔵入り、このモデルガンメーカーもバブル崩壊で1990年代中期倒産、埼玉で個人所有となっていたもの。この個人はエンジンを取り敢えず稼働できる状態まで復旧、2006年兵器マニアである本書の著者(レストア施工者)に渡ることになる。
著者は1970年生れ、陸上自衛隊東富士演習場近くで生まれ育ち、現在は家業の自動車修理・改造業(SUVのカスタム化など)を営んでおり、NPO法人「防衛技術博物館を創る会」を主宰する、言わばこの世界のプロである(それ相応しい工場・工具・技術・協力業者がある)。
本書は、このレストアの過程をブログに日記形式で掲載してきたものがベースとなり、関連情報を前後に配した構成。レストアは何段階かを経ているが2008年一応走行可能になり、2011年細部まで完成、実際に不整地走行している写真や兵器マニア(元自衛隊員)の試乗記などと併せて、初版が2011年に発刊されている。今回はその後の各国復元動向などを付記した増補改訂版として新たに本月刊行されたものである。
とにかく徹底したレストアぶりに驚かされる。当に“解体新書”だ!まず資料収集から。手元にあるのは前所有者からもらった整備マニュアル(英語)のコピーのみ。英語は不慣れ、無論独語など全く理解出来ない。それでも英語版の写真集、独語のミリタリー雑誌などを漸次入手、国内関係者(既に2台保有者が居る)の情報を基に海外の所有者へメールなど送り、情報収集に努める。ドイツから、ポーランドから、チェコから、英国から、オランダから、少しずつ情報が集まってくる。世界には約800台が現存し、その内半数が稼働可能、欧州ではある程度情報交換や部品調達のネットワークが出来ていることも分かってくる。
入手した個体は、一応動くもののとても“走行できる”状態ではない。レストアに欠かせないのが生産時期、これによって部品が変わってくるからだ。しかし、所有者が変わる過程で何度も再塗装され、コーションプレート(車体製造番号などを記載)がどこにあるのかさえ分からない状態、種々の情報を基に車体のハンドル回転支持部に刻印が記されていることを知り、分解して外からは全く見えない支持部の内側に“117256”を見つける。11はNSU工場製(他社でも生産)、7256が製造番号、ここからこの個体が後期生産型の最終タイプ(1944年後半)であることが判明する(実際にはモデルチェンジが頻繁に行われており、これだけでは充分は情報ではない)。
外部から見て一番問題なのが履帯、山型に突起した金属の上に硬質ゴムのタイヤを被せる形式。このゴムタイヤが欠落・破損しており、全数交換が必要だ。無論国内では調達不可。しかし、これは車両走行に不可欠、幸いポーランドで注文生産が可能なことが分かり、彼の地のマニアの協力を得て、片面40個、計80個を入手する。ボディはバスタブ型、この中にエンジン・ミッション・ディファレンシャルギアー(デフ;推進駆動部)が収まる。これら内臓物取り外し、バスタブだけにしてここにサンドブラスト(砂粒を高圧噴射)をかけて、何度も塗り重ねられた塗装をはがし、さらにさび落としもする。やっとコーションプレートが現れるが、もう文字の判別は出来ない。
エンジンは当時ドイツで生産販売されていたオペル乗用車用の1500ccのもの(戦後も1950年代まで生産継続)。前オーナーが一応動くようにしていたが、これも分解整備(このエンジンは後にチェコで同好の士との交流を通じ程度の良いものを入手、換装される)。本体(エンジン、ボディ)はともかく補器類(燃料ポンプや冷却系、潤滑系)は問題だらけで長期運転には耐えられないし、オリジナルとは全く異なるものが多い。中古品や再生品をネットで調べ海外から取り寄せたり、一部は国内で特注再生産する。この際注意すべきは、機能回復だけでなく、忠実に当時のものと同じ仕様・形態にすることだ。ミッションやデフも同様。幸いレストアが進んでくると部品表や図面あるいは細部写真も集まってきて、再現に向けて作業は進んでいくが。しかし、読者としては、人件費はともかく、一体いくらかかるのだろう?と心配になってくる(一部の部品以外は金額データが全く無い)。一方でNSK(日本精工)製ベアリングに当時の仕様とピッタリのものがあること、ボッシュが現在も同じバッテリーを生産していること(性能は向上しているが、需要は低下し生産停止が見えている)にも驚かされる。
最も印象づけられたことはドイツ技術の光と影。光は、よく考えられた機構(例えば、操向装置;不整地では前輪タイヤで向きを変えることは出来ず、履帯の片方にブレーキをかけるのだが、オートバイのハンドル操作でそれが簡単にできる!)と改良・改善をこまめに持続し、少しでも良い製品にしようとする姿勢。しかし、これが影でもあるのだ。同じ年式でも部品が合わない。左右同じ機能を果たすのに寸法が少し違う部品を使う。これはケッテンに限らず、第一次世界大戦の兵器以来見られるドイツ軍事技術の特性、一機種の戦闘機に20種以上のラジエータを採用しているケースがある。戦訓を取り入れることは大切だが、戦時にこれでは生産性・保守性が著しく阻害される。大量生産と保守性こそ勝利のカギ。こまめな改善は平時にこそ価値があるのだ。ドイツ車を3台保有したが、細部を詳細に見る機会は無かった。本書でそれを誌上体験し、ドイツ機械技術の一端に触れられたことは大きな収穫であった。
格段に興味ある分野ゆえ、話が長くなってしまい、申し訳ありませんm(_ _ )m。
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