2021年12月31日金曜日

今月の本棚-161(2021年12月分)

 

<今月読んだ本>

1)亡国のハントレス(ケイト・クイン);ハーパー・コリンズ・ジャパン(文庫)

2)警察庁長官(野地秩嘉);朝日新聞出版(新書)

3)元素創造(キット・チャップマン);白揚社

4)日本の聖域 ザ・コロナ(「選択」編集部);新潮社(文庫)

5)常設展示室(原田マハ);新潮社(文庫)

6The Everything Kids' Baseball Book 11th EditionGreg Jacobs);Adams Media

 

<愚評昧説>

1)亡国のハントレス

-敗勢が明らかな中、ナチ・ハントレス(女狩人)はユダヤ人母娘や捕虜を情け容赦なく射殺していく。戦後は一転、英・ソ・米のナチ・ハンターたちが、たくみに身を隠す彼女を追い詰めていく-

 


高校時代は受験校に居ながら映画ばかり観ていた。平均すると週に2回くらい2本立て3本立てを専らとするいわゆる名画座を徘徊していた。それを行動調査票に馬鹿正直に記入、受け持ちの先生から父に伝わりこっぴどく叱られた。そんな映画の中で異色な作品として記憶に残るのがポーランド映画「アウシュビッツの女囚」である。製作年は1948年、日本公開は1955年。当時第二次世界大戦に関する知識は、身近であった太平洋戦争ばかりで、ナチスに依るユダヤ人絶滅計画など知る由も無かったから、そのストーリーと映像に驚愕した。やがて戦史、特に軍事技術史に憑かれると、何と言ってもこの方面では突出していた当時の独軍事技術、それを駆使した作戦の数々、さらには作戦立案・運用に携わった軍人に関心が広がっていた。そこで見えてきたのがナチス親衛隊や一部ドイツ国防軍によるユダヤ人迫害の実態である。ニュルンベルク裁判に代表される戦争裁判で、罪の重さが決するのはこのユダヤ人迫害への関与度であるが、戦後の混乱の中でそれを逃れた者は決して少なくない。代表的な人物に19605月にアルゼンチンで捕まりイスラエルで死刑になったアイヒマン親衛隊中佐が居る。しかし、この時代になると西独政府も隠れ戦犯の捜索には消極的で、この逮捕劇の裏にあったのはユダヤ人迫害記録センターや個人としてこれに協力していたフリッツ・バウアー独検事である。彼等からの情報がイスラエルの諜報機関モサドに流され、主権を侵す拉致が演じられたわけである(アイヒマンはアルゼンチン国籍になっていた)。

本書は、アイヒマンではないが同じようにユダヤ人殺害に関わった親衛隊高官の愛人の逃避行とそれを追うナチ・ハンター達の、戦前・戦中・戦後にわたる壮大な歴史サスペンス小説である。原題は“The Huntress”、Hunter(狩猟者)の女性名詞、女子供を終戦間際意味無く撃ち殺した冷血女を意味する。

著者ケント・クインの作品には201912月本欄で紹介したフランスレジスタンスの女スパイを扱った「戦場のアリス」がある。文庫本で650頁を超す大作、飽きることなく最後まで読み通した。今回も750頁超の長編、1920年代のソ連から1950年代の米国まで、時間と空間の広がりは前作以上、しかしどの場面にも気を抜けるところはないほど緊迫感が持続する。狩られるハントレスの他に主人公は3人、バイカル湖のほとりで生まれ育ったロシア人女性ニーナ、ニーナから弟の最期を知らされナチ・ハンターとなる元英従軍記者のイアン、米国に逃れたハントレスと関わることになる写真家志望の若い米国人女性ジョーダン。各章はこの3人の名前を繰り返いしながら進んでいく。この様式は前作と同様、終盤に向かいそれぞれの話が収斂していくのだ。

ニーナは大酒のみの父親から逃れるため家を出て西に向かい、機会を得て飛行機の操縦を学ぶ。独ソ戦が始まると女性だけで構成される爆撃機中隊に所属するが、父の行状から粛清の危機が迫り、最前線のポーランド国境まで飛び、さらに西に逃げる。この途上独捕虜収容所を脱したイアンの弟と遭遇、同道して逃避行を続ける途上ある湖畔に民家を見つけるが・・・。一方従軍記者のイアンは終戦直後の混乱した独・ポーランド国境に近づき難民の中に居たニーナをたまたま救い出すことになり、そこから弟がハントレスに射殺されたことを知る。戦後ナチ・ハンターとなったイアンはオフィスをウィーンに定め、迫害センターやバウアー検事とも接触して次々と容疑者を挙げていくが、片時もハントレスことは忘れていない。ついにそれらしき人物が米国に渡ったらしいとの情報を入手する。ここからジョーダンの登場となる。

50年代米国はソ連との冷戦の中にあり、ナチ戦犯追及への関心は失せている。更に国内の法律は複雑で、もし見つけ出しても米国から連れ出し独・墺に設けられた戦犯裁判所に送り込むことはほとんど不可能だ。幾多の難事を如何に解決し切り抜けていくか?主役たちの過去を垣間見せながら、謎解きと緊迫したシーンが続く。

史実の引用や実在の人物の登場、あるいは物語を構成する役者たちのモデルの存在(例えばハントレス;ヘルミーネ・ブラウンシュタイナー;強制収容所の情け容赦のない女看守;米人と結婚しニューヨークで暮らしていたが1964年告発され、夫まで仰天する)を著者あとがきで知ると、本書を書くための調査や歴史検証が半端なものでないことを改めて認識、著者の作品作りの極意を教えられた。

 

2)警察庁長官

-警察組織理解には役に立つが、これは警察庁の広報誌だ-

 


題名や副題あるいは帯に惹かれてつい手を出してしまう本は少なくない。読み始めてみると予期したものとは内容が異なり「なーあんだ」となる。しかし、“知られざる世界”への思わぬ招待、読書範囲を広げるいい機会になることもある。困るのは詐欺まがいの誇大広告(特に帯)につい引っかかってしまうものや、本文があまりに軽いもの、あるいは広報・広告誌を疑うようなものである。そして本書は当に警察と警察庁長官の広報誌、少し好意的に見ても“警察入門+長官インタヴュー集”が適当な内容なのだ。

戦前・占領期・戦後の警察組織の変遷(特に占領期の混乱)、国家公安委員長(国務大臣)-国家公安委員会-都道府県公安委員会・警察-警察署までの現組織、巡査から警視総監(東京都のみ)に至る階級、採用・キャリアパス・昇進の仕組み、最前線勤務(警察署とそこに勤務する警官)における種々の問題点(ゴミ屋敷片付けやイノシシ退治など本来の役割では無い;民事不介入が原則)、しばしば誤解される警視総監(都警察本部長に過ぎないのだが)と警察庁長官の上下関係、などをザーッとなめる。この部分は“警察入門”。

これに続くのが歴代長官の中で特記すべき人々を取り上げ、その言動や業績の一端を紹介する。ここでよく知られた人物は官房副長官を経て副総理まで登りつめた後藤田正晴くらいだ。

インタヴューを行ったのは、狙撃され瀕死の重傷を負った國松孝次第16代長官を含む4名、いずれも退任してからのもので、ほぼ似たような質問に答える形になっている。OBの常、失敗談も自慢話になってしまうし、全体もきれいな話に終始する。見方を変えればインタヴュアーの突っ込みが浅いのだ。“広報誌”と揶揄したくなる由縁もそこにある。

読後感は始めに書いたようにとにかく軽い。警察の悪口は一切書かない(上級幹部が東大法学部卒で占有されてきたことに若干の批判めいた表現はあるが)。「もしかすると警察は著者にとって貴重な情報源かもしれない」と勘繰りたくなる。

著者は1957年生れ。編集者を経てノンフィクション作家となっている。

 

3)元素創造

-自然界に無かった93番以降の新元素は人間が創り出したものだ!現在118番まで達したそれら創出の物語、113番ニホニウムにも一章が割かれる-

 


高校の理科には生物・化学・物理・地学の4教科があり、2科目取ることが必須だった。工学部志望だったから化学と物理を修得することにし1年で化学、2年で物理を学んだ。3年はパスしてもよかったのだが化学だけアドヴァンス・コースがありそれを選択した。1年時の授業が面白かったことによる。化学学習の基本に周期律表がある。私が学んだ当時(19541957)は元素番号100番に達していなかったように記憶するが、末尾にアメリシュウム(Am95番)、カリフォリウム(Cf98番)があったのはよく覚えている。それがアメリカ、カリフォルニアを意味することは容易に想像がついたからだ。1950年代はアメリカが光り輝いた時代「さすが!」の感を持った。しかし、これらの間にあるバークリウム(Bk97番)の記憶は無い。実はAmCfはいずれもカリフォルニア大学バークレー校(UCB)によって発見されたものであり、そこから新元素の一つにその名を残すことになったのだ。それほど当時のバークレーは核物理学において突出した存在だったわけである。

1983年秋会社から派遣されUCBビジネススクールの管理職向けコースで約2か月半学んだ。この年は応募者が少なく生徒数20名、米国人13名、外国人7名、日本人は私一人だった。授業の中でエネルギーに関するものがあり、事前に与えられていた資料のタイトル(正確に憶えていないが)は“Fossil(化石燃料)・Fission(核分裂)・Fusion(核融合)”とあり、有史来から未来までのエネルギー源に関するものだった。この授業は午前の2コマ目、当日は朝から米国人同級生がいつになく落ち着きがない。聞けば、私はこの授業まで全くその名を知らなかったのだが、担当教授はグレン・シーボーグなるノーベル化学賞受賞者だと言う。物理学部の小規模な階段教室で会ったその人は、痩せて長身、穏やかな語り口で、主として核エネルギーの将来を語り、当時高速増殖炉研究を中止していた米国の現状を憂慮、一方この分野で先行していたフランスと日本(もんじゅ)を高く評価するものだった。ここで私の方に向かい「Monjuはどうかな?」と問うてきた。よく実情は把握していなかったが「間もなく建設が始まります」と答えるとウンウンというようにうなずいていた。

前置きが長くなったが、本書の中心人物の一人であり、UCBで次々と“創造”された新元素発見の推進者こそこの人であったからだ。106番はシーボギウム(Sg;命名は存命中の1993年、私が学んだはるかのちである)と命名されるほどの権威者・功労者だったのである。

自然界に存在する元素は1番の水素(H)から92番のウラン(U)まで、それ以降93番のネプツニウムから118番のオガネソン(Og)までは人工的に創られた元素である。本書はこの93番以降の新元素創造(発見)を、研究機関・発見者・発見に至る過程を中心に、それらに関するエピソードを交えて、118番まで順次語っていくもので、そこには常にドラマがある。友人の計らいで成就した若き日のグレン・シーボーグの恋物語のように。

元素の中には自然に放射線を発するものがある。この放射線の正体は素粒子(中性子など)。ラジウム、トリウム、ウランなどがよく知られており、この素粒子を他の元素に衝突させると新元素が生まれる。93番のネプツニウム(Np)はウラン化合物から誕生した最初の新元素、1939年、バークレーのサイクロトロン(粒子加速器)操作の中から生まれる。ポスドクのシーボーグこれに憑かれ1940年末94番プルトニウムを発見する。時は戦争のさ中、国家の関心は原爆開発に向かい、ウラニウムに次ぐ核分裂材としてプルトニウムに注目、シーボーグはプルトニウム生産責任者となる。その傍らこれを基に新元素創造にも力を注いで、95番(Am)、96番(Cm)、97番(Bk)、98番(Cf)を作り出していく。ここまでが戦前の元素創造。99番(アインスタニウム;Es)と100番(フェルミウム;Fm)発見の動機は異色だ。初の水爆実験(超強力な原子炉と加速器が共存したようなもの)に際しきのこ雲の中に試料採取用の戦闘爆撃機(F84)を突っ込ませ(いくら米国でも現代ならこんな危険なことは絶対許されない)、その資料の中から99番と100番らしきものを回収、これを確定するのもバークレーの放射線研究所だ。101番(メンデレビウム;Md)はAmにアルファ粒子をぶつけることでこれもバークレーが1955年作り出すが、データ検証等でロシア人周期律表考案者メンデレーエフにちなむ命名が決まるまで4年を要することになる。1959年訪ソしフルシチョフと会談するニクソン副大統領にUCB学長であったシーボーグはこれを密かに伝え冷戦融和の一助になる。93番から101番までの新元素創造をほぼ独占したバークレーの輝きもここが頂点。一つは国立研究所として放射線研究所が取り込まれること(核兵器開発と深く関わるため)、シーボーグが1961年米科学者の頂点とも言える原子力委員長に就任しバークレーを離れたこと、それにソ連の台頭である。

ソ連の元素創造の代表は合同原子核研究所(JINR)、冷戦時代の元素合成競争はほぼ米ソの独占、102番は一応バークレーが押さえるが103番から105番までは迷走ののちJINRが勝者となる。106番は両者同着1974年のことである。これ以降競争に加わってくるのがドイツのヘルムホルツ重イオン研究センター(GSI)、1980年代107番~109番合成に米ソと肩を並べ始め、ソ連崩壊後110番~112番をものにする。そして第19章“日いづる国”で理研仁科加速器科学センターが登場、113番(ニホニウム;Nh)合成の顛末が語られる。ニッポニウムとならなかったのは、1908年英国留学中の小川正孝(のちの東北帝大総長)が43番を見つけたと思い込みそれを使用するが追試で再現性が無かったため採用されない(これは75番レニウムだったことがあとで判明)、一度使った名前は再登録できないためニホンを導入することになったのだ。

身の回りでほとんど実用価値のない人工超重元素(Puは原子炉燃料・核兵器、Amは煙感知などに利用)、一体何故こんな研究が続くのか?それは宇宙誕生の秘密を解き明かすカギとなるからだ、と言うことらしい。

内容紹介部分が大変長くなってしまった。一度会い一回の問答を行っただけだったがシーボーグ教授の偉大さを改めて知らされたこと、核物理と言う先端科学技術を恋愛関係から国際関係まで舞台に使い巧みに解説する筆致にすっかり惹き込まれてしまったことがその因、どうかお許し願いたい。

著者は1983年生まれの英国のフリーランス科学ジャーナリスト、科学史・科学哲学で博士号を取得している。奇しくも私がバークレーでシーボーグ教授に会った年に生まれたのだ!

 

4)日本の聖域 ザ・コロナ

-ダイヤモンドプリンセス号で醜態をさらした我が国コロナ禍、国立感染症研究所・厚生労働省のパンデミック村利権構造がその元凶なのだ!-

 


ご近所に某大学医学部T教授がお住まいだ。1990年代後期に開発された住宅地で、ほぼ同時期にここに移り住み挨拶を交わすようになった。まだ小さいお子さんが居たが数年後一家で米国に研修に出かけ留守になっていた。この時まで何を専門にしているかは不明だったが、帰国後しばらくして院内感染が話題になったときTVや新聞に登場、感染症が専門であることを知った。(失礼ながら)「これでは困ったときに助けにならないな~」が率直なところであった。2020年年初武漢ウィルス(COVID19)が話題になり始めた早い時期、新聞紙上で「この手の感染症は蔓延のスピードが速い。おそらく日本でも数万の規模で罹患者が出るだろう。国民も医療の現場もその覚悟・備えが必要だ」と言うような主旨のコメントを寄せていた。「まさか!」とその時は思ったが、やがてそれが現実になった。コロナ禍が広がり彼も対策分科会のメンバーになると、その発言が不適切との非難を見受けるようになった。しかし、それまで医療行政とは無縁だった地味な専門学者だけにチョッと酷な感じがする。

“日本の聖域”シリーズ第6巻、このシリーズは予約購読月刊誌「選択」の連載記事を適時文庫本化しているもので、本欄でも第2巻アンタッチャブルを20131月取り上げている。シリーズの共通項は政・官の既得権・利権の暗部を明るみに出すもので、週刊誌と違いセンセーショナルな趣を避け、かつ主要新聞の表面的でごく短期的な記事とも異なる、中身の濃い告発調の論旨が貫かれているところに特色がある。今回は20192月号から20216月号までをまとめたもので、当然その中心課題は“コロナ”となる。ただ2年半分の記事ゆえすべてがそれに当てられているわけではなく、第1部“この国ではカネは人命より重い”がコロナを取り上げ、第2部“堕落と癒着の連鎖”、第3部“私利私欲の果てに”では他の話題になっている。

武漢ウィルスが話題になり始めクルーズ船ダイヤモンドプリンセス号で世界に醜態をさらしている時、識者の中にはPCR(遺伝子)検査を早急に行うべきと唱えていた人が居たが、本来最前線に立つべき厚生労働省管轄下の国立感染症研究所は動こうとしていない。見るに見かねた中国大使館が1万回分の検査キットを寄付してくれたくらいなのだ(本書で初めて知った)。ワクチン輸入・接種も同様遅れをとっている。何故ならば、従来の季節性インフルエンザワクチンは国内メーカーと感染研が協力して作る「半官製の自給自足」体制にあり、この収入が感染研の屋台骨を支えているからなのだ。検査機器も同様、すぐさま輸入するわけにはいかないのだ(スイスロシュ社が先行)。また感染研の研究開発能力が低いことも問題だ。感染症研究論文数で東大、国立国際医療センター、慶大などに遥に遅れ第7位にすぎない。そして安倍政権は感染症対策をこんな感染研と厚労省に丸投げしたのだ。本書は国の司令塔は必須としながら、この感染研の解体と厚労省との関係清算を提言する。

コロナ対策で最も目立った人物は新型コロナウィルス感染症分科会の尾身茂である。緊急事態宣言に及び腰の政府をおさえそれを発せさせメディアは称賛しているが、彼と分科会にも種々問題があることを具体的に指摘する。構成メンバーが特定の組織関係者で独占されていること(T教授は外様)。例えば、東大医学部(東大医学研究所と医学部は全く別組織)、慶大医学部の教授が皆無。要するに“パンデミック村”が出来上がっているのだ。PCR検査普及を敵視するような言動をしてきたのも彼らなのだ。自己の提唱方式「積極的疫学調査」「クラスター対策」と異なる結果が出ることを恐れてのことである。

尾身の発言をつぶさに追うと医系技官の本性が見えてくる。厚労省援護を繰り返しているのだ。自治医大卒業後義務として離島・へき地勤務を9年ほど勤めているが、医師としての実務経験はきわめて浅い。早くから医療官僚に転じ退官後自治医大教授として母校に職を得たのも、WHO勤務などの経歴がなせるわざであった。しかし、自治医大は総務省の所轄、東大閥が仕切っており医学研究実績のない彼は全く評価されない(過去に筆頭英文論文は1報しかない。学者としての資格がないに等しい)。それを救ったのが厚労省の医系技官たち、2005年年金不正流用事件を受けて設立された独立行政法人年金・健康保険福祉施設整理機構理事長に尾身を任命、その組織は改組され年金部門を分離、独立行政法人地域医療機能推進機構となったが依然そこの理事長として今日もある。これでは厚労省に逆らえるわけはない。トランプ大統領にNo!を突き付けた米疫病予防管理センター(CDC)のファウチ局長とは比ぶべくもないのだ。

以上は国立感染症研究所とパンデミック村そして分科会会長尾身に関するコロナ対策の暗部だが、本書ではこのほか、「御用集団」としての新型コロナ対策本部、税金浪費で「効果なし」の緊急事態宣言、「謎の企業(業界団体が密かに、事前に設立)」が大儲けしたGO TOトラベル、を糾弾する。またコロナ以外の章でも「政府広報機関」と堕したNHK、官民癒着の「大学入試」利権、電力会社に無理難題を課す原発テロ対策、学者政商竹中平蔵、「人工透析」2兆円利権、焼け太りの「地震研究村」など、「一体全体この国の統治機構はどうなっているんだ!」と怒りが収まらない話題がつづく。

総ての記事は匿名、私自身で裏を確かめたわけではないが、そうとう内情に詳しく専門知識に優った人物が書いていることが伝わってくる。新聞・TV・週刊誌よりはるかに問題点の深奥に迫っており、読んだ甲斐があった。

 

5)常設展示室

-小説をノンフィクションと誤解して求めた本。しかし、O・ヘンリーを彷彿とさせる巧みな絵画テーマの短編に不覚にも涙した-

 


本を求める際ときどき誤りを犯す。かつて書店で買う時によくやったのは、何年か前に購入したものを再び買ってしまうことである。読み進めていて「ウウン?この話どこかで読んだな」となる。単行本が文庫化されたときに多い。最近はAmazonで取り寄せることがほとんどなので内容チェックは広告や書評が頼り。時にカスタマーレヴューなどでさらに確認することもあるのだが、本書は新潮社のセールスプロモーションを見て早とちり、てっきり有名美術館の名作に関するノンフィクションと思い発注したら短編小説集だった!こんな間違いは初めてだが、読後感は高校時代好きだったO・ヘンリーの短編のようで、久し振りにあの哀歓を味わった。

作品は6編から成る。いずれも有名美術館と名作が舞台と対象、主人公は1編を除いて学芸員、画商(ギャラリー営業部員)、美術史家などその道の専門家ですべて女性だ。これは著者が大学で美術史を学び森ビル森美術館準備室やニューヨーク近代美術館に勤務しておりその経験を生かしたのだろう。作家としての実績も素晴らしい。山本周五郎賞、新田次郎賞を受賞しているほか何度も直木賞候補にノミネートされている。

1話はニューヨーク・メトロポリタン美術館、その常設展示室にあるピカソの「盲人の食卓」、第2話はオランダ、デ・ハーグのマウリッツハウス美術館に在るフェルメールの「デルフトの眺望」、第3話はフィレンツェ・ウフィツィ美術館に飾られているラファエロの「大公の聖母」、第4話は国立西洋美術館展示、ゴッホの「薔薇」、第5話はパリ・ポンピドセンターのマチス「豪奢」、そして最後の第6話は国立近代美術館常設コーナーに収まる東山魁夷の「道」である。

作品に共通するのは有名美術館や名作あるいその取引などに従事する専門家とそれらと日常縁がない市井の人々との関係である。例えば、第1話ではたまたま学芸員が眼科で会った弱視の少女をピカソを組み合わせる。第2話では、かつて美術全集セールスマンであった父親が認知症になり最期を迎えることになる部屋の窓からの風景。寂しさ・悲しさとともにほっとする場面が重なり、先に述べたような、O・ヘンリーの哀歓がだぶってくるのだ。不覚にも涙を流してしまったのは、幼くして別れざるを得なかった兄妹をテーマにした第6話「道」、小説を読んでいて涙することなど絶えて無かっただけに、本書を読んだ意義は大きい。

随所に美術界の裏話が出てくるのも興味深い。例えば、米国美術館学芸員の世界、一口に学芸員と言っても各種ある。展示部門が最高位次いで教育部門、その学芸員にも階級のようなものがある。メトロポリタンの上位の学芸員はほとんどハーバード大やオックスフォード大の博士号保持者、一般大学の修士課程くらいでは簡単に就ける就職先ではない。我が国新人発掘の展覧会審査と旧弊な画壇の存在や審査方法。画商の取引実態(顧客との駆け引きや為替レ-トの影響)など、「なるほど。そうなのか」と教えられた。

 

6The Everything Kids' Baseball Book 11th Edition

-米国の子供向け野球入門書。イチローも登場。こんな本は我が国にあるだろうか?「やはり本場は違う」と思わせる内容だ-

 


孫たちへのプレゼントは原則本と決めている。上の孫(男)は小学校23年の頃に地元の少年野球チームに参加、当時「将来何になるんだ?」と聞いたら「野球の選手」と返ってきた。「二番目は?」とさらに問うと「無い!」ときた。今は中学2年生で野球部に所属、クリーナップの一角を占めっているようだ。それもあってここのところ贈り物は野球関係を選んでいる。そこで見つけたのが本書である。年始に来たとき渡す予定のものを事前に目を通した。

Amazonで“Kids'”“Baseball”をキーに子供向けの野球本を探すと野球カードが次々と並ぶ。本だと表紙が示されるのだが野球カードは同じようなマークでどんなものだか全くわからない。そんな中、後の方に何冊か本が現れ、一番カスタマーレヴューが多かったのが本書だ。お届け日を見ると何と数日後!通常の洋書とは比べものにならないくらい早い(普通は1カ月以上見ておく必要がある)。こんな本が国内に出回っていることに驚く。出版情報を調べてみると2年毎に出ており既に11版まで発行されている(本書は2020年刊)。内容(特に英語の程度)は不明だったが“Kid’s”はおおむね小学校34年程度まで、即発注した。

届いたものはソフトカバーだが大判で175頁もある。構成は、9章から成り、第1章「野球を遊ぼう」は“野球とはどんなものか”“野球のルール”から始まる。第2章「野球の歴史」は黒人リーグや第二次世界大戦時中の女子リーグを含め19世紀末に始まり今日まで続くその歴史が語られる。第3章と第4章はナショナルリーグとアメリカンリーグ各15チーム(当初は少ないが)の生い立ち、実績(リーグ優勝、ワールドシリーズ進出回数など)、歴代の人気プレーヤーの紹介、第5章では現代のスタープレーヤー、第6章では各年のワールドシリーの要約、第7章では統計と記録、第8章は仮想野球ゲーム(予算やトレード、集めた選手の記録などを駆使した)、第9章はメジャーリーグ以外の野球(マイナー、大学、高校、リトルリーグ;高校・大学のシーズンは3月から5月末まで、短いのに驚かされる)、となっている。章の区切りにはクロスワードパズル、チョッとしたクイズなどが配され、気分転換が行える(巻末に回答あり)。また各章の中には囲み記事で説明を補い理解を助けるようになっている。

日本人選手はどうか?記録は2019年までなので残念ながら大谷翔平は出てこない。しかしイチローは3回、2000年~2009年のMost Famous playersの一人として顔を出し、各球団史の紹介でもSeattle Marinersの項で、またStatistics and Recordsの章では年間最多安打2442004年)が記されている。

さて英語である。単語やメジャーリーグの知識については私にもいささか難解なものもあるが、我が国の中学英語カリキュラムは2年生で現在・過去・未来の時制を学んでおり、概ねこの程度で読み進められる。本書では現在完了や関係代名詞も使われているがこれは中学3年生で学ぶので、文法的には来春3年生になる孫に相応しい内容であった。ただ頁数は教科書に比べそうとうボリュームがあるから、どこをどう読むべきか、飛ばすところも含めて、渡す際にコメントしてやろうと思っている。

果たして年寄りの思惑通りに行くかどうか?それが問題だ!

 

 

○今年の3冊(掲載順);

1.世界は化学でできている(3月);左巻健男著(ダイヤモンド社)

2.暁の宇品(8月);堀川恵子著(講談社)

3.元素創造(12月);キット・チャップマン著(白揚社)

 

(写真はクリックすると拡大します)

2021年12月4日土曜日

今月の本棚-160(2021年11月分)

 

<今月読んだ本>

1)鳥と雲と薬草袋/風と双眼鏡、膝掛け毛布(梨木香歩);新潮社(文庫)

2)「太平洋の巨鷲」山本五十六(大木毅);KADOKAWA(新書)

3CODE GIRLSLiza Mundy);Hachett Books

4)美麗島紀行(乃南アサ);新潮社(文庫)

5)プロ野球「経営」全史(中川右介);日本実業出版社

6)歴史のダイヤグラム(原武史);朝日新聞出版(新書)

 

<愚評昧説>

1)鳥と雲と薬草袋/風と双眼鏡、膝掛け毛布

-自ら訪ねた122カ所の地名から喚起される思いを綴った旅のエッセイ



大陸(満洲)生れ育ちと言うこともあるのだろうか山よりも海への憧れが強い。それが高じて初めての我が家を三浦半島の先端久里浜の造成地に建てた。通勤にはいささか遠かったが、自然環境は優れ、子供たちもここが気に入っていた。しかし、土地購入の時から引っかかっていたのは地番“ハイランド町”である。確かに高台にあるから間違いではないが、何とも安っぽく気恥ずかしい名前だ。外国宛ての郵便には
Hairandoと記し決してHighlandとは書かなかった。これは英国ではスコットランドを意味するし、他国でもそれを知る人は少なくない。先輩格の多摩“プラーザ(スペイン語;広場)”に住む知人も同じような思いを抱いたと言うから、造成地に目立つXX台(現住所は能見台;これも土地分譲業者が駅名まで変更して誕生した)、YYヶ丘、ZZ平などの地名・地番に違和感を持つ人は意外に多いのではなかろうか?本書では行政の便宜や不動産業者のイメージアップを目的とした安直な地名も“新しく生まれた地名”としてまとめられ、南アルプス市、四国中央市などが具体例として取り上げられているが、他の歴史のある地名に比して批判的な結びになっている。この感覚・見解は個人的に好ましく、歴史や景観からの由来を留める古い地名を羨ましいとさえ思えてきた。

本書は単行本として2013年に刊行された「鳥と雲と薬草袋」(新潮社)と2020年筑摩書房刊の「風と双眼鏡、膝掛け毛布」を合本・文庫本化したものである。さらにその出典は、前者が西日本新聞、後者はPR誌「ちくま」に連載された記事にある。前者の場合“九州を中心に”との注文があったようで、関西・東日本が皆無と言うわけではないが、その趣旨に沿って少ない。これに対し後者はこれを補う形で北海道を含む東日本に主眼が置かれ、両者合わせて全日本をカヴァーする結果になり、合本が意味を持つことになる。

本書の著者紹介によれば、1959年鹿児島生まれの作家とあり、あとは代表作をいくつか挙げているものの、それ以上経歴は何ら記されていない。しかし、本書を読み進めると全国を渡り歩いている印象が強く、別途調べてみると児童文学・絵本作家としてTV放映や映画化された作品が多数あること、同志社大学で学び、この時には京都に居住、卒業後英国に留学していることが分かった。また、カイヤックの乗り手としても相当なレヴェルにあることが推察される。さらに本書を読み進めると、登山や長距離ドライブ(キャンプやカイヤック、仕事)で日本中動き回っている、行動力ある人物像が浮かび上がる。取り上げられる地名はすべてこれら活動を通じて自ら訪問・滞在したところばかりだ。その数122、歴史作家や郷土史家のように名前の来し方を深化するのではなく、字面や歴史から連想するその土地に対する著者の思いを語り、それを読者に疑似体験させるような筆致は、一刻知らぬ場所を逍遥するような気分にさせてくれる。コロナで旅行に制約のある昨今、誌上でそれを味わうには最適な一冊だ。

 

2)「太平洋の巨鷲」山本五十六

-英雄・指導者論は一先ず置いて、用兵者山本五十六を戦略・作戦・戦術から評価する-

 


今次世界大戦を軍事技術の視点から追い、それと“敗軍の将”を重ねた時、我が国の戦史・戦記・評伝では陸海軍とも多くの将星が記されているものの、海外(主として米英と独)の著作で頻繁に名前が出るのは
YAMAMOTO(山本五十六元帥)くらい、あとは生き残り戦後海外の歴史家や作家のヒアリングを受けたGENDA(源田実大佐)が少々と言ったところ、陸軍に至っては皆無である。これに比べれば、ドイツは戦略・作戦・戦術の各局面で実戦を戦った将官が名を連ねる。陸軍では電撃戦のグーデリアン上級大将、ロンメル元帥、海軍では潜水艦隊司令長官のデーニッツ元帥、空軍では第一次世界大戦のエースでナチス党No.2のゲーリング国家元帥など多士済々、戦後も彼らの用兵思想や作戦が米英の高等軍事研究・教育機関で講じられている。対してこれらに匹敵する唯一の日本人が山本なのである。

内外の戦史・戦記で山本を描くときクローズアップされるのは真珠湾奇襲成功とミッドウェイ海戦の敗北。しかし軍事技術と用兵を重ね合わせた時軍事史家が注目するのは、世界初の機動部隊創設とその運用、それに海上を長躯飛行し敵主力艦隊を攻撃する(海軍の)多発陸上攻撃機の開発と運用である(これはマレー沖海戦における英戦艦プリンス・オブ・ウェールス、巡洋戦艦レパルス撃沈で結実する)。山本を描いた著書はその名をタイトルにしたものだけでも当に汗牛充棟、おそらく三桁に達するだろう。しかし本書にある“巨鷲”は明らかに航空機を象徴し、既刊諸書とは異なる印象が強く、また著者が最近従来とは異なる切り口で独ソ戦やロンメルを著し、通俗史観に一石を投じていることに惹かれて手に取った。

ここにも確かな新しい切り口があった。既刊著書が軍人以前のリーダーとしての人物評や三国同盟や日米開戦の反対者としての軍政家を描いたのに対し、本書ではキャリア各段階における仕事・課題処理の実績を、戦略・作戦・戦術、三つの視点から評価するものになっている。つまり、山本を用兵者の面から見ることを主眼としている。

用兵者としての資質を問う背景は直接の作戦・戦闘を離れて軍政に関わる場面も多い。例えばワシントン軍縮会議(1922年;中佐)、第一次ロンドン軍縮会議(1930年;少将)、第二次ロンドン軍縮会議(1934年;中将)での言動からの戦略的見識。初の航空隊勤務(1924年;大佐;副長)における航空隊の整備、航空本部技術部長(1930年;少将)、本部長(1935年;中将)の経歴を踏んだ航空主兵の用兵思想涵養。これから見えてくるのは意外と山本は意思決定に際し表面的に右左に振れが大きかったり曖昧だったりすることである。つまり一連の軍縮会議では艦隊派であったり条約派であったりするし、航空主兵を唱えながら新戦艦(大和、武蔵)の建造に賛成したりしている。

このような資質背景が実戦ではどのように影響していくのか。次の評価材料は、真珠湾奇襲、マレー沖海戦、珊瑚海海戦、ミッドウェイ海戦、ガダルカナル戦。それぞれの戦いが棚卸しされる。

総合的な著者の評価は;1)統率の面では卓越した力を持っていたが、無口で正確に指示しない欠点もあった。2)戦術評価は下級指揮官が対象になるので日露戦争に参加したものの負傷し入院、それ以降は平時で戦術能力は未知数。3)作戦面の山本は、真珠湾攻撃を除けば、愚将と言わぬまでも平凡かそれ以下(目的の二重性、兵力の分散、航空優位の不徹底)。4)戦略面の評価は跳ね上がる。航空総力戦を予想しての軍戦備の推進、三国同盟が対米戦につながるとの洞察、対米戦は必敗の認識。

数々の名将論、それ対するアンティテーゼ、凡将・愚将論、政治史やリーダーシップ論で描かれた山本五十六を“用兵者”と“戦略・作戦・戦術の三次元”で再評価すると、新しい山本像が現れてくる。我が国を代表する軍事技術啓発先駆者がそれである。

著者は立教大学大学院卒業後独国費留学生としてボン大学で学び千葉大学や陸上自衛隊幹部学校講師を務める現代史家、本欄でも2020年新書大賞受賞の「独ソ戦」(岩波新書)ほか数冊取り上げている。

 

3CODE GIRLS

-暗号解読に動員された女性は11千名、女性解放とも深く関わることにもなった彼女たちの第二次世界大戦-

 


ICT
の世界に黎明期から関わってきていつも感じていたことがある。広義のソフトウェア技術軽視である。ハードウェア分野では素子を含めて米国と拮抗するまで猛追、1980年代手掛けた第5世代コンピュータプロジェクト(ある種のAI開発)では、彼等の不安感が極度に高まったほどである。しかしソフトに関してはその価値を認めようとせず、ハードのおまけのような見方をしてきた。その結果どうなったか!現在のGAFA+マイクロソフトと我が国ICT企業の差を見れば当に“後悔先に立たず”の状況にある。このソフト軽視文化は既に太平洋戦争以前からの外交・軍事施策に見て取れる。情報収集・分析および暗号技術への人材投入の大きな違いだ。本書はこの分野で戦前・戦中米国が如何に取り組んだか、それを女性の活用に焦点を当てて語るものである。当時の我が国では思いもおよばぬ総動員体制に括目させられた。

先ず数を挙げる。1945年までに暗号解読に従事した人数は、陸軍;本国1500名+戦域担当者(正確な数字無し)、内女性7千名、海軍;本国5千名+艦船乗組み担当者(未知)、内女性4千名、総計約2万名の内女性が11千人を数える。我が国では動員された学徒の一部が通信傍受(解読には至らない)に従事しているが、数百人程度にとどまり、女性は皆無である。

本書は米国暗号史から始まる。その中で女性が登場するのは第一次世界大戦と第二次大戦の戦間期、1920年代初期からである。この歴史に初めて登場するのはAgnes Meyer、オハイオ州立大学で数学を専攻、高校の数学教師から転じ海軍省に入省(1917年;28歳)、ワシントン軍縮会議(1923年)前に日本海軍の暗号解読に成功している。さらに19391月に海軍の新暗号(米呼称JN-25)も解き明かし、開戦後これが米海軍作戦に大きく寄与する。開戦前に日本外務省の暗号(米呼称パープル)が破られていた(19409月)ことは内外の史書や戦記でよく知られている。その第一の功績者は民間の暗号研究者William Friedmanと言われるが、ここに二人の女性が深く関わっている。一人は193927歳でフリードマンの下に採用されたGenevieve Grotjan、バッファロー大学数学科卒、それにElizebeth Friedman(旧姓Smith1917Williamと結婚)、ヒルスデイル・カレッジ(ミシガン)で英語・ギリシャ語・ラテン語専攻。中でもElizebethは本来農学遺伝研究者であったWilliamを暗号の専門家育て上げた影の功労者であったようだ(Elizebethは禁酒法時代闇取引の暗号を破り財務省や陸軍に力量を認知される)。これらの事例から見えてくるのは数学・語学専攻者の当該業務の適性である。

問題はこれら専門分野の女性大学卒者が全体の4%にとどまり、絶対数が少ないのだ。また当時セヴン・シスターズと呼ばれた北東部の名門女子大学(ラドクリフ大(現在はハーヴァードに統合)、ヴァッサー大など)は花嫁学校的な性格が強く、職業婦人を目指す学生も少なかった。加えて、陸海軍とも戦前は女性を採用することに強い抵抗があった(特に海軍;人事の根底に海上勤務がある)。やがて両軍は採用戦争を始めるのだが、戦前そこまで読める先駆者はいない。

暗号を解読し実戦に活用するには、新暗号を解明するのとは異なる仕事がある。日常的な通信傍受、その解読(明らかになっている解読法を使い先ず敵国語を平文にし、これを英語化、それを作戦情報として整理)することだ。ここには外交や大作戦ばかりでなく、現地部隊(敗残部隊・兵の助けを求める通信まで)のやり取りや船舶の交信など膨大で雑多な情報が扱われる(我が国輸送船(団)の動きはほとんど事前に把握されており、潜水艦による撃沈の半数は暗号解読に依る)。翻訳、情報分類、タイプ、キーパンチ、解読機(一種のコンピュータ)の操作など、どんどん女性の担当域が広がっていく。もう4年大学卒で数学・語学専攻者に限るわけにはいかない。短大(カレッジ)卒、高卒の採用が一気に増えていく。

これに伴い、採用、教育訓練、勤務形態(シフト)、キャリアパス、昇進(士官への)、処遇、制服制定、機密保持策から住居、結婚まで、女性受け入れ態勢が出来ていない軍に様々な問題が提起され、一つ一つを解決していくにも大変な苦労がともなう。

本書の骨子は二つある。一つは暗号解読、もう一つは女性解放・女権拡大。そして後者こそ著者が訴えたい第一の論旨と読めた。米国も戦前は女性差別がいかに激しいものだったかを本書で具体的に知った。そこから脱するために彼女たちは暗号解読者を目指したのである。

著者は女性作家でワシントンポストへの長期寄稿者。

 

4)美麗島紀行

-ベストセラー作家による、観光とは異なる台湾探訪記、知られざる台湾が見えてくる-

 


台湾には二度出かけている。一回目は
19941月、前年11月から準備していたセミナーの招待講演者として工業技術研究院化学工業研究所(Union Chemical LaboratoriesUCL)に招かれからだ。台北でのセミナーの他、新竹に在る研究所、中国石油の高雄製油所での講演と見学がスケジュールに組み込まれていた。加えて、大学のクラスメートで台湾からの留学生(帰化して東京在)が台北工専時代の同級生が所長を務める中国石油永安LNG基地訪問もアレンジしてくれた。宿泊地台北と高雄の二カ所、観光は休日の故宮博物館程度だったが、公私ともに快適な旅だった。この島が美麗島と呼ばれるのを知ったのはこの時、いずれもう一度との思いが残った。

その思いを実現した二回目の訪問は2016年、家人との個人旅行。大好きな鉄道で台湾一周を試みた。今度の宿泊地は台北・高雄に加えて嘉義と花蓮にも泊ることにした。嘉義は阿里山森林鉄道に乗るため、花蓮は東海岸を観てみたかったからだ。この旅は前回以上に楽しく、台湾の人々の温かさをいたるところで体験した。

もう海外旅行に出かける機会はないが、書物でのセンチメンタル・ジャーニーは継続したい。そんな時目にしたのが本書である。著者の名前は多くの平積み著書で知っていたが作品に惹かれることもない。しかし、“美麗島”ズバリのタイトル、それも“紀行”となれば読まずにおかれない。

読み始めはベストセラー作家の大名旅行かと思わせる。案内役や運転手はいきなり登場するからだ。しかし、どうもただの観光旅行ではない。最初の舞台が台南、初めての台湾旅行者が選ぶ土地ではない。読み進めると案内人も運転手もそれを生業とする人ではなく、著者との関係が深いことが分かってくる。また、著者の台湾訪問は半端な数ではないが、観光地などまったく関心がないことも明らかになる。1960年生まれの著者は日本統治下にあった台湾を全く知らない。「日本人として台湾を知る」ことが旅の目的であり、本書はその報告書とも言える。この島が原住民のものだった台湾、明・清時代の台湾、かつて日本の植民地だった台湾、中国に復帰後国民党が長く戒厳令下に置いた台湾、現代の台湾を、日本との関わりに焦点を当てて、19のエッセイとしてまとめている。

初期の清朝時代(福建省の一部)島の中心であったのは台南、ここは“台湾の京都”とも言える場所で、近代都市化が進む台北に比べ日本統治時を含め古いものが残っている(特に建造物)。著者はこれらに惹かれそれらを探し歩く。そこで日本兵の祠(ほこら)、飛虎将軍廟をみつけ、戦争末期被弾し墜落するゼロ戦を市街地を避けて戦死した20歳の飛行士が祀られ、今でも電飾が施され供物が絶えないことにうたれる。

台中はこの地は清朝末期福建省から台湾省として独立した際、省都となりその時代の名残を留めてもいる。また「台湾平定の英雄」と日本側が称えた近衛師団長北白川宮能久王(マラリアで死去)の石碑が在る。さらに新竹には宮の妃であった富子が後にこの地に植えた「手植えの黒松」が今も残っていたりする。

現地の人が案内してくれる、島の最南端原住民が住む三地門も観光村のような所ではない。著者が「ニーハオ」と挨拶すると「よくいらっしゃいました」と完璧な日本語が返り、驚かされる。ここの原住民はパイワン族、現在の人口は約82千人、アミ族(約15万人)、タイヤル族(ほぼワイワン族と同数)、彼等が3大原住民。語られるのは「高砂義勇軍」として南方で戦った当時の日本と台湾である。

私も訪れた嘉義の南方に広がる広大で肥沃な大地、ここは日本人土木技術者八田與一が烏山頭ダムを建設し用水路を整備し出来上がったところだ。彼もまた台湾の人々から顕彰されている。

辛い話は東海岸の花蓮。ここに多くの日本人が国策移民として送り込まれ、聞くと見るとでは大違いの荒れ地を開拓するが豊かにはなれない。国に帰る資力も無く「花蓮港は帰れん港」と言われたと教えられる。

日本人は今の台湾の人々に評価されるものを残したが、それでも差別感は残っている。日本人として高等教育を受けた人、戦中留学していた台湾人と恋仲になり戦後間もなく難しい渡航条件を乗り越えて結ばれた日本人女性、これらの人々を通じての日本観は通り一遍のものとは一味違う。

戦後の国民党支配は「犬(日本)が去って豚(国民党軍、本土人)が来た」と言われるほど酷いもの。長い戒厳令下で再び差別されてきたのが現在台湾の人々なのである。著者はこれも確りフォローしている。

本書の単行本出版は2015年(集英社)、私が二度目に出かけたのは2016年、「この本を読んでおけば!」の無念さが残る内容だった。これから台湾旅行をする人には一読を薦めたい。

 

5)プロ野球「経営」全史

-選手も監督も勝敗も関係ない球団経営に絞り込んだプロ野球史、ユニークで貴重な一冊だ-

 


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歳まで過ごした満州で野球を見たり遊んだりしたことはない。野球というゲームどころか言葉さえ知らなかった。昭和21年(1946年)晩秋、日本に引揚げてきてしばらく西荻窪の母の実家に同居、ここで小学校2年に編入、初めてゴロベースや三角ベースを友達と遊ぶようになり野球を知った。ある時遊び仲間の大将格が「職業野球はどこを応援するんだ?」と聞いてきた。母を含めて実家全員巨人ファン、当然のこととして「巨人」と応えたら、大将は「それはダメ!巨人を好きなのは大勢いるから、別のチームにしろ」と言われてしまった。母に聞くと「上井草(荻窪の北方)に東京セネタースがある」とのこと。これで仲間外れになることを免れた。このチームは2リーグ制になるまで、東急フライヤーズ、急映フライヤーズ、東映フライヤーズと変じ、現在日本ハムファイターズとして命脈を保っている。私の贔屓チームは2リーグ制になってからは大洋ホエールズ、これは横浜DeNAベイスターズの前身である。このように私がファンとなった2チームだけでも何度か経営母体やチーム名を変えている。本書は、職業野球の起源から現在の12球団まで、プロ野球の経営変遷史を克明に追うもので「全史」の名に恥じない、史料的価値の極めて高い著書である。

本書に有名選手・監督はごく一部しか現れないし書かれても名前程度で選手としての活動は一切触れられることはない。あくまでも「経営」つまり球団のオーナーの視点から描かれるのだ。その総数55(個人オーナーを含む)、現在は12社だから球団の身売り・合併・消長の激しさが想像できるだろう。

我が国に野球を持ち込んだのは横浜に居住していた米国人だが、それとは別に維新後1871年海外使節団に同行した平岡庄七という12歳の少年が普及にあずかる。彼の地に留まり鉄道技師として研鑽、職場のチームでも傑出した存在だった。1876年帰国した平岡は工部省鉄道局に就職、ここで結成された野球チームがわが国最初の「新橋アスレチック倶楽部」である。爾来鉄道会社は野球と縁が深い。阪急電鉄は1920年代、阪神電鉄は1930年代沿線開発や利用客増を目的にチームを発足させ球場を開設している。

黎明期日本の野球は大学野球、中でも東京六大学の人気が突出していた。これと本場の米国チーム(MLB選抜)を戦わせるアイディアが親日家エージェントよって企画・実施されるが力の差は歴然としている。これを興業的に利用することを考えつくのが正力松太郎、紆余曲折はあるが、1934年大学野球や企業宣伝役の半端なものでなく、全日本として戦える強力な職業野球集団結成を目論み、ここで誕生したのが「大日本東京野球倶楽部(のちの巨人軍)」である。このチームが11月ベーブ・ルース、ゲーリッグを擁するMLB選抜と対戦18試合が各地で行われる(全敗)。主催は読売新聞であるが、この球団(株式会社)の筆頭株主は京成電鉄、東急や阪神も株主に名を連ねている。チームのニックネームは「ジャイアンツ」だが、この時点では京成の子会社、“読売”となるのは戦後(1947年)のことである。

1936年「日本職業野球連盟」が発足する。実質以下の6球団だが、別の連盟を企画し頓挫した大日本野球連盟を加え名目上は7球団となっている。その6球団は;大東京軍(国民新聞)、東京セネタース(有馬頼寧貴族院議員、西武鉄道)、名古屋軍(新愛知新聞)、名古屋金鯱軍(名古屋新聞)、大阪タイガース(阪神電鉄)、阪急ブレーブス(阪急電鉄);新聞社と電鉄会社がオーナーである。

戦後のリーグ再出発は8チーム;巨人、東急、金星(個人)、太陽(個人)、中日、阪神、阪急、南海、でスタートする。金星は大映、太陽は松竹に転じるから、ここで新聞・鉄道に映画会社が加わることになる。

2リーグ体制発足は194911月、8球団は15球団に膨れ上がり、翌1950年からセントラル・リーグ、パシフィック・リーグに別れて試合が行われることになる。その15球団は;セントラル;巨人、阪神、中日、松竹、広島、大洋、西日本(新聞)、国鉄、パシフィック;阪急、南海、大映、東急、毎日、近鉄、西鉄。オーナーを業種別に分けると、鉄道7、新聞4、映画2、食品1、市民1(広島)。東急はオーナーが東映に変わるから、鉄道6、映画3となる。

現在は12チーム;ヤクルト(食品)、阪神(鉄道)、巨人(新聞)、中日(新聞)、広島(市民)、横浜(IT)、オリックス(金融)、ロッテ(食品)、楽天(IT)、ソフトバンク(IT)、西武(鉄道)、日ハム(食品)。時代の流れをマクロに見れば、新聞・鉄道、一時期の映画、そして現在のIT、食品といったところ。選手の活躍やチームの強弱とは全く次元の異なるプロ野球が見えてくる。親会社の経営にも詳しく踏み込みそれとの球団運営を深く掘り下げており、正史化している“読売巨人軍史観”を根本的に見直すプロ野球史と評価できる(東京巨人軍創設は1934年、リーグ発足時(1937年)のオーナーは国民新聞、読売は1947年からだが、戦前からのオーナーであったとする説が一般化。創設時(1936年)からオーナーが変わらないのは阪神)。やや残念なのは索引を作らなかったことである。

著者は1960年生れ、出版社編集者を長く務め特にクラシック音楽に精通した人。野球に関しては「阪神タイガース19651978」「阪神タイガース19852003」があり、あとがきに熱烈なタイガースファンとある。

 

6)歴史のダイヤグラム

-短い鉄道エッセイ集、しかしそこに日本近代史が確り埋め込まれている-

 


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月末2年ぶりに小旅行をした。前回は2019年晩秋クルマで蓼科へ出かけた。この年9月に硬膜下血腫を発症、生まれて初めての入院・手術をし、免許証返納を決意した最後のドライブ行であった。「これからは鉄道で」と思った矢先にコロナ禍で旅が難しくなり、やっと実現した修善寺行きである。昼過ぎに横浜を発つ踊り子号は下田行きと修善寺行きが連結され熱海で切り離される。15両の内5両が修善寺行き、こちらの編成にグリーン車はない。何かローカル線の気分である。久し振りの列車旅、クルマのように運転に集中する必要がないので、駅弁とビールを楽しみ、たっぷり景観に見入って、雪を頂く富士山の写真も車窓から撮れた。昭和30年代(1960年代半ば)までは、こんな旅がスタンダード、歴史も鉄道と伴にあったと言える。

著者は鉄ちゃんとして知られる大学教授(1962年生れの明治学院大学名誉教授)、既に何冊も著者の鉄道随筆を読んできた。今回のものは朝日新聞の週末版“be”に連載されたもの79話をまとめたものである。

構成は5章から成り;第1章移動する天皇、第2章郊外の発見、第3章文学者の時刻表、第4章事件は沿線で起こる、第5章記憶の車窓から、となる。いずれも短い語りの中に歴史的出来事(必ずしも大事件ばかりではないが)が織り込まれ、各編に著名人(天皇を含む)が登場して、主題・鉄道・人物が強く結びつく。結果「そうだったのか!」「乗ってみたいな」「訪れてみたいな」「読んでみたいな」となる。

著者の専門は日本政治思想史、中でも天皇制・皇室に関する研究でよく知られている。従って第1章が“天皇”で始まるのもうなずける。明治・大正・昭和各天皇、皇太子(現上皇)、満洲国皇帝溥儀、秩父宮・高松宮らそれぞれの移動目的、ルート、出発・到着時刻などに関する調査・考察が行き届き、ある種の秘史のような面白さがある(例えは、二・二六事件時弘前連隊に赴任していた秩父宮帰京と擁立説)。

やりきれない思いにさせられたのは第4章の“ハンセン病患者の四〇時間の移動”。19313月東村山の全生(ぜんせい)病院から81名の患者が長島愛生園(岡山県瀬戸市)に移送される話である。出発は未明国分寺駅から貨物列車に連結された客車2両に分乗、いくつかの路線で切り離し・連結が行われるがいつも貨車と一緒、大都市ではブラインドを下ろし、40時間かけて大阪桜島駅に到着、ここから船で島に向かう。著者も「貨物列車でアウシュビッツに送られたユダヤ人を思い起こせる」と結ぶ。

一話は新書の3頁でまとめられた短いエッセイだが中身はカチッとしており、息抜き・気分転換の軽い読み物を期待したが、意外と鉄道の重みを歴史の中に感じる結果になった。

 

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