<今月読んだ本>
1)亡国のハントレス(ケイト・クイン);ハーパー・コリンズ・ジャパン(文庫)
2)警察庁長官(野地秩嘉);朝日新聞出版(新書)
3)元素創造(キット・チャップマン);白揚社
4)日本の聖域 ザ・コロナ(「選択」編集部);新潮社(文庫)
5)常設展示室(原田マハ);新潮社(文庫)
6)The Everything Kids' Baseball Book 11th Edition(Greg Jacobs);Adams Media
<愚評昧説>
1)亡国のハントレス
-敗勢が明らかな中、ナチ・ハントレス(女狩人)はユダヤ人母娘や捕虜を情け容赦なく射殺していく。戦後は一転、英・ソ・米のナチ・ハンターたちが、たくみに身を隠す彼女を追い詰めていく-
高校時代は受験校に居ながら映画ばかり観ていた。平均すると週に2回くらい2本立て3本立てを専らとするいわゆる名画座を徘徊していた。それを行動調査票に馬鹿正直に記入、受け持ちの先生から父に伝わりこっぴどく叱られた。そんな映画の中で異色な作品として記憶に残るのがポーランド映画「アウシュビッツの女囚」である。製作年は1948年、日本公開は1955年。当時第二次世界大戦に関する知識は、身近であった太平洋戦争ばかりで、ナチスに依るユダヤ人絶滅計画など知る由も無かったから、そのストーリーと映像に驚愕した。やがて戦史、特に軍事技術史に憑かれると、何と言ってもこの方面では突出していた当時の独軍事技術、それを駆使した作戦の数々、さらには作戦立案・運用に携わった軍人に関心が広がっていた。そこで見えてきたのがナチス親衛隊や一部ドイツ国防軍によるユダヤ人迫害の実態である。ニュルンベルク裁判に代表される戦争裁判で、罪の重さが決するのはこのユダヤ人迫害への関与度であるが、戦後の混乱の中でそれを逃れた者は決して少なくない。代表的な人物に1960年5月にアルゼンチンで捕まりイスラエルで死刑になったアイヒマン親衛隊中佐が居る。しかし、この時代になると西独政府も隠れ戦犯の捜索には消極的で、この逮捕劇の裏にあったのはユダヤ人迫害記録センターや個人としてこれに協力していたフリッツ・バウアー独検事である。彼等からの情報がイスラエルの諜報機関モサドに流され、主権を侵す拉致が演じられたわけである(アイヒマンはアルゼンチン国籍になっていた)。
本書は、アイヒマンではないが同じようにユダヤ人殺害に関わった親衛隊高官の愛人の逃避行とそれを追うナチ・ハンター達の、戦前・戦中・戦後にわたる壮大な歴史サスペンス小説である。原題は“The Huntress”、Hunter(狩猟者)の女性名詞、女子供を終戦間際意味無く撃ち殺した冷血女を意味する。
著者ケント・クインの作品には2019年12月本欄で紹介したフランスレジスタンスの女スパイを扱った「戦場のアリス」がある。文庫本で650頁を超す大作、飽きることなく最後まで読み通した。今回も750頁超の長編、1920年代のソ連から1950年代の米国まで、時間と空間の広がりは前作以上、しかしどの場面にも気を抜けるところはないほど緊迫感が持続する。狩られるハントレスの他に主人公は3人、バイカル湖のほとりで生まれ育ったロシア人女性ニーナ、ニーナから弟の最期を知らされナチ・ハンターとなる元英従軍記者のイアン、米国に逃れたハントレスと関わることになる写真家志望の若い米国人女性ジョーダン。各章はこの3人の名前を繰り返いしながら進んでいく。この様式は前作と同様、終盤に向かいそれぞれの話が収斂していくのだ。
ニーナは大酒のみの父親から逃れるため家を出て西に向かい、機会を得て飛行機の操縦を学ぶ。独ソ戦が始まると女性だけで構成される爆撃機中隊に所属するが、父の行状から粛清の危機が迫り、最前線のポーランド国境まで飛び、さらに西に逃げる。この途上独捕虜収容所を脱したイアンの弟と遭遇、同道して逃避行を続ける途上ある湖畔に民家を見つけるが・・・。一方従軍記者のイアンは終戦直後の混乱した独・ポーランド国境に近づき難民の中に居たニーナをたまたま救い出すことになり、そこから弟がハントレスに射殺されたことを知る。戦後ナチ・ハンターとなったイアンはオフィスをウィーンに定め、迫害センターやバウアー検事とも接触して次々と容疑者を挙げていくが、片時もハントレスことは忘れていない。ついにそれらしき人物が米国に渡ったらしいとの情報を入手する。ここからジョーダンの登場となる。
50年代米国はソ連との冷戦の中にあり、ナチ戦犯追及への関心は失せている。更に国内の法律は複雑で、もし見つけ出しても米国から連れ出し独・墺に設けられた戦犯裁判所に送り込むことはほとんど不可能だ。幾多の難事を如何に解決し切り抜けていくか?主役たちの過去を垣間見せながら、謎解きと緊迫したシーンが続く。
史実の引用や実在の人物の登場、あるいは物語を構成する役者たちのモデルの存在(例えばハントレス;ヘルミーネ・ブラウンシュタイナー;強制収容所の情け容赦のない女看守;米人と結婚しニューヨークで暮らしていたが1964年告発され、夫まで仰天する)を著者あとがきで知ると、本書を書くための調査や歴史検証が半端なものでないことを改めて認識、著者の作品作りの極意を教えられた。
2)警察庁長官
-警察組織理解には役に立つが、これは警察庁の広報誌だ-
題名や副題あるいは帯に惹かれてつい手を出してしまう本は少なくない。読み始めてみると予期したものとは内容が異なり「なーあんだ」となる。しかし、“知られざる世界”への思わぬ招待、読書範囲を広げるいい機会になることもある。困るのは詐欺まがいの誇大広告(特に帯)につい引っかかってしまうものや、本文があまりに軽いもの、あるいは広報・広告誌を疑うようなものである。そして本書は当に警察と警察庁長官の広報誌、少し好意的に見ても“警察入門+長官インタヴュー集”が適当な内容なのだ。
戦前・占領期・戦後の警察組織の変遷(特に占領期の混乱)、国家公安委員長(国務大臣)-国家公安委員会-都道府県公安委員会・警察-警察署までの現組織、巡査から警視総監(東京都のみ)に至る階級、採用・キャリアパス・昇進の仕組み、最前線勤務(警察署とそこに勤務する警官)における種々の問題点(ゴミ屋敷片付けやイノシシ退治など本来の役割では無い;民事不介入が原則)、しばしば誤解される警視総監(都警察本部長に過ぎないのだが)と警察庁長官の上下関係、などをザーッとなめる。この部分は“警察入門”。
これに続くのが歴代長官の中で特記すべき人々を取り上げ、その言動や業績の一端を紹介する。ここでよく知られた人物は官房副長官を経て副総理まで登りつめた後藤田正晴くらいだ。
インタヴューを行ったのは、狙撃され瀕死の重傷を負った國松孝次第16代長官を含む4名、いずれも退任してからのもので、ほぼ似たような質問に答える形になっている。OBの常、失敗談も自慢話になってしまうし、全体もきれいな話に終始する。見方を変えればインタヴュアーの突っ込みが浅いのだ。“広報誌”と揶揄したくなる由縁もそこにある。
読後感は始めに書いたようにとにかく軽い。警察の悪口は一切書かない(上級幹部が東大法学部卒で占有されてきたことに若干の批判めいた表現はあるが)。「もしかすると警察は著者にとって貴重な情報源かもしれない」と勘繰りたくなる。
著者は1957年生れ。編集者を経てノンフィクション作家となっている。
3)元素創造
-自然界に無かった93番以降の新元素は人間が創り出したものだ!現在118番まで達したそれら創出の物語、113番ニホニウムにも一章が割かれる-
高校の理科には生物・化学・物理・地学の4教科があり、2科目取ることが必須だった。工学部志望だったから化学と物理を修得することにし1年で化学、2年で物理を学んだ。3年はパスしてもよかったのだが化学だけアドヴァンス・コースがありそれを選択した。1年時の授業が面白かったことによる。化学学習の基本に周期律表がある。私が学んだ当時(1954~1957)は元素番号100番に達していなかったように記憶するが、末尾にアメリシュウム(Am;95番)、カリフォリウム(Cf;98番)があったのはよく覚えている。それがアメリカ、カリフォルニアを意味することは容易に想像がついたからだ。1950年代はアメリカが光り輝いた時代「さすが!」の感を持った。しかし、これらの間にあるバークリウム(Bk;97番)の記憶は無い。実はAm、Cfはいずれもカリフォルニア大学バークレー校(UCB)によって発見されたものであり、そこから新元素の一つにその名を残すことになったのだ。それほど当時のバークレーは核物理学において突出した存在だったわけである。
1983年秋会社から派遣されUCBビジネススクールの管理職向けコースで約2か月半学んだ。この年は応募者が少なく生徒数20名、米国人13名、外国人7名、日本人は私一人だった。授業の中でエネルギーに関するものがあり、事前に与えられていた資料のタイトル(正確に憶えていないが)は“Fossil(化石燃料)・Fission(核分裂)・Fusion(核融合)”とあり、有史来から未来までのエネルギー源に関するものだった。この授業は午前の2コマ目、当日は朝から米国人同級生がいつになく落ち着きがない。聞けば、私はこの授業まで全くその名を知らなかったのだが、担当教授はグレン・シーボーグなるノーベル化学賞受賞者だと言う。物理学部の小規模な階段教室で会ったその人は、痩せて長身、穏やかな語り口で、主として核エネルギーの将来を語り、当時高速増殖炉研究を中止していた米国の現状を憂慮、一方この分野で先行していたフランスと日本(もんじゅ)を高く評価するものだった。ここで私の方に向かい「Monjuはどうかな?」と問うてきた。よく実情は把握していなかったが「間もなく建設が始まります」と答えるとウンウンというようにうなずいていた。
前置きが長くなったが、本書の中心人物の一人であり、UCBで次々と“創造”された新元素発見の推進者こそこの人であったからだ。106番はシーボギウム(Sg;命名は存命中の1993年、私が学んだはるかのちである)と命名されるほどの権威者・功労者だったのである。
自然界に存在する元素は1番の水素(H)から92番のウラン(U)まで、それ以降93番のネプツニウムから118番のオガネソン(Og)までは人工的に創られた元素である。本書はこの93番以降の新元素創造(発見)を、研究機関・発見者・発見に至る過程を中心に、それらに関するエピソードを交えて、118番まで順次語っていくもので、そこには常にドラマがある。友人の計らいで成就した若き日のグレン・シーボーグの恋物語のように。
元素の中には自然に放射線を発するものがある。この放射線の正体は素粒子(中性子など)。ラジウム、トリウム、ウランなどがよく知られており、この素粒子を他の元素に衝突させると新元素が生まれる。93番のネプツニウム(Np)はウラン化合物から誕生した最初の新元素、1939年、バークレーのサイクロトロン(粒子加速器)操作の中から生まれる。ポスドクのシーボーグこれに憑かれ1940年末94番プルトニウムを発見する。時は戦争のさ中、国家の関心は原爆開発に向かい、ウラニウムに次ぐ核分裂材としてプルトニウムに注目、シーボーグはプルトニウム生産責任者となる。その傍らこれを基に新元素創造にも力を注いで、95番(Am)、96番(Cm)、97番(Bk)、98番(Cf)を作り出していく。ここまでが戦前の元素創造。99番(アインスタニウム;Es)と100番(フェルミウム;Fm)発見の動機は異色だ。初の水爆実験(超強力な原子炉と加速器が共存したようなもの)に際しきのこ雲の中に試料採取用の戦闘爆撃機(F‐84)を突っ込ませ(いくら米国でも現代ならこんな危険なことは絶対許されない)、その資料の中から99番と100番らしきものを回収、これを確定するのもバークレーの放射線研究所だ。101番(メンデレビウム;Md)はAmにアルファ粒子をぶつけることでこれもバークレーが1955年作り出すが、データ検証等でロシア人周期律表考案者メンデレーエフにちなむ命名が決まるまで4年を要することになる。1959年訪ソしフルシチョフと会談するニクソン副大統領にUCB学長であったシーボーグはこれを密かに伝え冷戦融和の一助になる。93番から101番までの新元素創造をほぼ独占したバークレーの輝きもここが頂点。一つは国立研究所として放射線研究所が取り込まれること(核兵器開発と深く関わるため)、シーボーグが1961年米科学者の頂点とも言える原子力委員長に就任しバークレーを離れたこと、それにソ連の台頭である。
ソ連の元素創造の代表は合同原子核研究所(JINR)、冷戦時代の元素合成競争はほぼ米ソの独占、102番は一応バークレーが押さえるが103番から105番までは迷走ののちJINRが勝者となる。106番は両者同着1974年のことである。これ以降競争に加わってくるのがドイツのヘルムホルツ重イオン研究センター(GSI)、1980年代107番~109番合成に米ソと肩を並べ始め、ソ連崩壊後110番~112番をものにする。そして第19章“日いづる国”で理研仁科加速器科学センターが登場、113番(ニホニウム;Nh)合成の顛末が語られる。ニッポニウムとならなかったのは、1908年英国留学中の小川正孝(のちの東北帝大総長)が43番を見つけたと思い込みそれを使用するが追試で再現性が無かったため採用されない(これは75番レニウムだったことがあとで判明)、一度使った名前は再登録できないためニホンを導入することになったのだ。
身の回りでほとんど実用価値のない人工超重元素(Puは原子炉燃料・核兵器、Amは煙感知などに利用)、一体何故こんな研究が続くのか?それは宇宙誕生の秘密を解き明かすカギとなるからだ、と言うことらしい。
内容紹介部分が大変長くなってしまった。一度会い一回の問答を行っただけだったがシーボーグ教授の偉大さを改めて知らされたこと、核物理と言う先端科学技術を恋愛関係から国際関係まで舞台に使い巧みに解説する筆致にすっかり惹き込まれてしまったことがその因、どうかお許し願いたい。
著者は1983年生まれの英国のフリーランス科学ジャーナリスト、科学史・科学哲学で博士号を取得している。奇しくも私がバークレーでシーボーグ教授に会った年に生まれたのだ!
4)日本の聖域 ザ・コロナ
-ダイヤモンドプリンセス号で醜態をさらした我が国コロナ禍、国立感染症研究所・厚生労働省のパンデミック村利権構造がその元凶なのだ!-
ご近所に某大学医学部T教授がお住まいだ。1990年代後期に開発された住宅地で、ほぼ同時期にここに移り住み挨拶を交わすようになった。まだ小さいお子さんが居たが数年後一家で米国に研修に出かけ留守になっていた。この時まで何を専門にしているかは不明だったが、帰国後しばらくして院内感染が話題になったときTVや新聞に登場、感染症が専門であることを知った。(失礼ながら)「これでは困ったときに助けにならないな~」が率直なところであった。2020年年初武漢ウィルス(COVID‐19)が話題になり始めた早い時期、新聞紙上で「この手の感染症は蔓延のスピードが速い。おそらく日本でも数万の規模で罹患者が出るだろう。国民も医療の現場もその覚悟・備えが必要だ」と言うような主旨のコメントを寄せていた。「まさか!」とその時は思ったが、やがてそれが現実になった。コロナ禍が広がり彼も対策分科会のメンバーになると、その発言が不適切との非難を見受けるようになった。しかし、それまで医療行政とは無縁だった地味な専門学者だけにチョッと酷な感じがする。
“日本の聖域”シリーズ第6巻、このシリーズは予約購読月刊誌「選択」の連載記事を適時文庫本化しているもので、本欄でも第2巻アンタッチャブルを2013年1月取り上げている。シリーズの共通項は政・官の既得権・利権の暗部を明るみに出すもので、週刊誌と違いセンセーショナルな趣を避け、かつ主要新聞の表面的でごく短期的な記事とも異なる、中身の濃い告発調の論旨が貫かれているところに特色がある。今回は2019年2月号から2021年6月号までをまとめたもので、当然その中心課題は“コロナ”となる。ただ2年半分の記事ゆえすべてがそれに当てられているわけではなく、第1部“この国ではカネは人命より重い”がコロナを取り上げ、第2部“堕落と癒着の連鎖”、第3部“私利私欲の果てに”では他の話題になっている。
武漢ウィルスが話題になり始めクルーズ船ダイヤモンドプリンセス号で世界に醜態をさらしている時、識者の中にはPCR(遺伝子)検査を早急に行うべきと唱えていた人が居たが、本来最前線に立つべき厚生労働省管轄下の国立感染症研究所は動こうとしていない。見るに見かねた中国大使館が1万回分の検査キットを寄付してくれたくらいなのだ(本書で初めて知った)。ワクチン輸入・接種も同様遅れをとっている。何故ならば、従来の季節性インフルエンザワクチンは国内メーカーと感染研が協力して作る「半官製の自給自足」体制にあり、この収入が感染研の屋台骨を支えているからなのだ。検査機器も同様、すぐさま輸入するわけにはいかないのだ(スイスロシュ社が先行)。また感染研の研究開発能力が低いことも問題だ。感染症研究論文数で東大、国立国際医療センター、慶大などに遥に遅れ第7位にすぎない。そして安倍政権は感染症対策をこんな感染研と厚労省に丸投げしたのだ。本書は国の司令塔は必須としながら、この感染研の解体と厚労省との関係清算を提言する。
コロナ対策で最も目立った人物は新型コロナウィルス感染症分科会の尾身茂である。緊急事態宣言に及び腰の政府をおさえそれを発せさせメディアは称賛しているが、彼と分科会にも種々問題があることを具体的に指摘する。構成メンバーが特定の組織関係者で独占されていること(T教授は外様)。例えば、東大医学部(東大医学研究所と医学部は全く別組織)、慶大医学部の教授が皆無。要するに“パンデミック村”が出来上がっているのだ。PCR検査普及を敵視するような言動をしてきたのも彼らなのだ。自己の提唱方式「積極的疫学調査」「クラスター対策」と異なる結果が出ることを恐れてのことである。
尾身の発言をつぶさに追うと医系技官の本性が見えてくる。厚労省援護を繰り返しているのだ。自治医大卒業後義務として離島・へき地勤務を9年ほど勤めているが、医師としての実務経験はきわめて浅い。早くから医療官僚に転じ退官後自治医大教授として母校に職を得たのも、WHO勤務などの経歴がなせるわざであった。しかし、自治医大は総務省の所轄、東大閥が仕切っており医学研究実績のない彼は全く評価されない(過去に筆頭英文論文は1報しかない。学者としての資格がないに等しい)。それを救ったのが厚労省の医系技官たち、2005年年金不正流用事件を受けて設立された独立行政法人年金・健康保険福祉施設整理機構理事長に尾身を任命、その組織は改組され年金部門を分離、独立行政法人地域医療機能推進機構となったが依然そこの理事長として今日もある。これでは厚労省に逆らえるわけはない。トランプ大統領にNo!を突き付けた米疫病予防管理センター(CDC)のファウチ局長とは比ぶべくもないのだ。
以上は国立感染症研究所とパンデミック村そして分科会会長尾身に関するコロナ対策の暗部だが、本書ではこのほか、「御用集団」としての新型コロナ対策本部、税金浪費で「効果なし」の緊急事態宣言、「謎の企業(業界団体が密かに、事前に設立)」が大儲けしたGO TOトラベル、を糾弾する。またコロナ以外の章でも「政府広報機関」と堕したNHK、官民癒着の「大学入試」利権、電力会社に無理難題を課す原発テロ対策、学者政商竹中平蔵、「人工透析」2兆円利権、焼け太りの「地震研究村」など、「一体全体この国の統治機構はどうなっているんだ!」と怒りが収まらない話題がつづく。
総ての記事は匿名、私自身で裏を確かめたわけではないが、そうとう内情に詳しく専門知識に優った人物が書いていることが伝わってくる。新聞・TV・週刊誌よりはるかに問題点の深奥に迫っており、読んだ甲斐があった。
5)常設展示室
-小説をノンフィクションと誤解して求めた本。しかし、O・ヘンリーを彷彿とさせる巧みな絵画テーマの短編に不覚にも涙した-
本を求める際ときどき誤りを犯す。かつて書店で買う時によくやったのは、何年か前に購入したものを再び買ってしまうことである。読み進めていて「ウウン?この話どこかで読んだな」となる。単行本が文庫化されたときに多い。最近はAmazonで取り寄せることがほとんどなので内容チェックは広告や書評が頼り。時にカスタマーレヴューなどでさらに確認することもあるのだが、本書は新潮社のセールスプロモーションを見て早とちり、てっきり有名美術館の名作に関するノンフィクションと思い発注したら短編小説集だった!こんな間違いは初めてだが、読後感は高校時代好きだったO・ヘンリーの短編のようで、久し振りにあの哀歓を味わった。
作品は6編から成る。いずれも有名美術館と名作が舞台と対象、主人公は1編を除いて学芸員、画商(ギャラリー営業部員)、美術史家などその道の専門家ですべて女性だ。これは著者が大学で美術史を学び森ビル森美術館準備室やニューヨーク近代美術館に勤務しておりその経験を生かしたのだろう。作家としての実績も素晴らしい。山本周五郎賞、新田次郎賞を受賞しているほか何度も直木賞候補にノミネートされている。
第1話はニューヨーク・メトロポリタン美術館、その常設展示室にあるピカソの「盲人の食卓」、第2話はオランダ、デ・ハーグのマウリッツハウス美術館に在るフェルメールの「デルフトの眺望」、第3話はフィレンツェ・ウフィツィ美術館に飾られているラファエロの「大公の聖母」、第4話は国立西洋美術館展示、ゴッホの「薔薇」、第5話はパリ・ポンピドセンターのマチス「豪奢」、そして最後の第6話は国立近代美術館常設コーナーに収まる東山魁夷の「道」である。
作品に共通するのは有名美術館や名作あるいその取引などに従事する専門家とそれらと日常縁がない市井の人々との関係である。例えば、第1話ではたまたま学芸員が眼科で会った弱視の少女をピカソを組み合わせる。第2話では、かつて美術全集セールスマンであった父親が認知症になり最期を迎えることになる部屋の窓からの風景。寂しさ・悲しさとともにほっとする場面が重なり、先に述べたような、O・ヘンリーの哀歓がだぶってくるのだ。不覚にも涙を流してしまったのは、幼くして別れざるを得なかった兄妹をテーマにした第6話「道」、小説を読んでいて涙することなど絶えて無かっただけに、本書を読んだ意義は大きい。
随所に美術界の裏話が出てくるのも興味深い。例えば、米国美術館学芸員の世界、一口に学芸員と言っても各種ある。展示部門が最高位次いで教育部門、その学芸員にも階級のようなものがある。メトロポリタンの上位の学芸員はほとんどハーバード大やオックスフォード大の博士号保持者、一般大学の修士課程くらいでは簡単に就ける就職先ではない。我が国新人発掘の展覧会審査と旧弊な画壇の存在や審査方法。画商の取引実態(顧客との駆け引きや為替レ-トの影響)など、「なるほど。そうなのか」と教えられた。
6)The Everything Kids' Baseball Book 11th Edition
-米国の子供向け野球入門書。イチローも登場。こんな本は我が国にあるだろうか?「やはり本場は違う」と思わせる内容だ-
孫たちへのプレゼントは原則本と決めている。上の孫(男)は小学校2,3年の頃に地元の少年野球チームに参加、当時「将来何になるんだ?」と聞いたら「野球の選手」と返ってきた。「二番目は?」とさらに問うと「無い!」ときた。今は中学2年生で野球部に所属、クリーナップの一角を占めっているようだ。それもあってここのところ贈り物は野球関係を選んでいる。そこで見つけたのが本書である。年始に来たとき渡す予定のものを事前に目を通した。
Amazonで“Kids'”“Baseball”をキーに子供向けの野球本を探すと野球カードが次々と並ぶ。本だと表紙が示されるのだが野球カードは同じようなマークでどんなものだか全くわからない。そんな中、後の方に何冊か本が現れ、一番カスタマーレヴューが多かったのが本書だ。お届け日を見ると何と数日後!通常の洋書とは比べものにならないくらい早い(普通は1カ月以上見ておく必要がある)。こんな本が国内に出回っていることに驚く。出版情報を調べてみると2年毎に出ており既に11版まで発行されている(本書は2020年刊)。内容(特に英語の程度)は不明だったが“Kid’s”はおおむね小学校3,4年程度まで、即発注した。
届いたものはソフトカバーだが大判で175頁もある。構成は、9章から成り、第1章「野球を遊ぼう」は“野球とはどんなものか”“野球のルール”から始まる。第2章「野球の歴史」は黒人リーグや第二次世界大戦時中の女子リーグを含め19世紀末に始まり今日まで続くその歴史が語られる。第3章と第4章はナショナルリーグとアメリカンリーグ各15チーム(当初は少ないが)の生い立ち、実績(リーグ優勝、ワールドシリーズ進出回数など)、歴代の人気プレーヤーの紹介、第5章では現代のスタープレーヤー、第6章では各年のワールドシリーの要約、第7章では統計と記録、第8章は仮想野球ゲーム(予算やトレード、集めた選手の記録などを駆使した)、第9章はメジャーリーグ以外の野球(マイナー、大学、高校、リトルリーグ;高校・大学のシーズンは3月から5月末まで、短いのに驚かされる)、となっている。章の区切りにはクロスワードパズル、チョッとしたクイズなどが配され、気分転換が行える(巻末に回答あり)。また各章の中には囲み記事で説明を補い理解を助けるようになっている。
日本人選手はどうか?記録は2019年までなので残念ながら大谷翔平は出てこない。しかしイチローは3回、2000年~2009年のMost Famous
playersの一人として顔を出し、各球団史の紹介でもSeattle Marinersの項で、またStatistics and Recordsの章では年間最多安打244(2004年)が記されている。
さて英語である。単語やメジャーリーグの知識については私にもいささか難解なものもあるが、我が国の中学英語カリキュラムは2年生で現在・過去・未来の時制を学んでおり、概ねこの程度で読み進められる。本書では現在完了や関係代名詞も使われているがこれは中学3年生で学ぶので、文法的には来春3年生になる孫に相応しい内容であった。ただ頁数は教科書に比べそうとうボリュームがあるから、どこをどう読むべきか、飛ばすところも含めて、渡す際にコメントしてやろうと思っている。
果たして年寄りの思惑通りに行くかどうか?それが問題だ!
○今年の3冊(掲載順);
1.世界は化学でできている(3月);左巻健男著(ダイヤモンド社)
2.暁の宇品(8月);堀川恵子著(講談社)
3.元素創造(12月);キット・チャップマン著(白揚社)
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