<今月読んだ本>
1)夢の町本通り(沢木耕太郎);新潮社
2)国家は巨大ITに勝てるのか(小林泰明)新潮社(新書)
3)地中の星(門井慶喜);新潮社(文庫)
4)戦争とラジオ(大森淳郎);NHK出版
5)日本の歴史(山本博文・五百旗頭薫監修);角川書店(まんが学習シリーズ全20巻)
6)ロシアから愛をこめて(金平茂樹);集英社(文庫)
<愚評昧説>
1)夢の町本通り
-ノンフィクション作家が描く理想の町、欠かせないのは書店と書物。36編から成る書籍エッセイ-
芯はあるがアクのない端正な筆致に惹かれ沢木ノンフィクション作品ファンとなって久しい。題名も、含蓄はあるが“売らんかな”の下心を感じさせず、好感の持てるものが多い。本書もその点で不満があるわけではないが、「下町舞台の小説みたいだな~」とチョッと違和感を持った。どうやら本人もいつもと違うことを意識していたようで、まえがきでその由来を説明する。納得!「私もそんな町に住んでみたいな」となった。
著者の少年時代の住まいは馬込(大田区)だったが、作家となってからの住居は桜新町、仕事場は三軒茶屋や経堂(いずれも世田谷区)に在った。関東大震災以降畑地が宅地化され所で、比較的教育レベルの高いサラリーマンが住民の主体となり、次第に開けていった土地である。都心部と異なり商店街は駅周辺に限られ、駅から本通りが一本延びていくような町の構成である。そこには八百屋・魚屋・精肉店・総菜屋・酒屋・雑貨屋・洋品店・ソバ屋や洋食店・居酒屋が並び、クルマの往来などはほとんどない、言わば歩行者天国。そして文化的な香りを発する唯一の場所は、勤め帰りや休日に立ち寄る書店、時には古書店。半世紀前の中央線・京王線・小田急・玉電(現田園都市線)・東横線沿線の区部を彷彿させる情景だ。著者はここで書店・古書店の佇まいや品揃えに蘊蓄を傾け、好みの“夢の町本通り”を作り上げ、36編の書籍エッセイへと読者を誘う。
初稿掲載先は全く記されていないものの、1974年(1編)から本年(1編)に至る半世紀の著者の書物に関するエッセイ大全である。多いのは1990年代から2010年代に書かれたもの(40歳代から60歳代)で、脂ののった時期である。長さもまちまちで頁数にして2~36と幅がある。これを“本を買う”、“本を読む”、“本を語る”、“本を編む”、“本を売る”の5部構成に整理する。本職の“本を書く”はないものの、それはすべての部に埋め込まれている。だからと言ってここで取り上げられる本がすべて書くためのものではない。
“本を買う”では様々な購入動機・購入先が主体となるが、ここにはまったく買わない時期や理由が語られるほか、書店の好みや行きつけの店の本棚の構成におよんで、言わば本書の前菜のとなる。多彩で興味深いのはメインディッシュの“本を読む”の部、380頁の内1/3弱の紙数がここに割かれ、写真集・伝記・冒険談から訳本・時代小説、国際関係・芸能やスポーツのノンフィクション、はては「まえがき」や「あとがき」まで約40冊が俎上にあげられ料理される。最も力を注がれるのはヘヴィー級チャンピオンのモハメッド・アリを取り上げた「カリスマ」(訳本)、ここに26頁が費やされ、これだけで原著を読んだ気にさせる。“本を語る”は本と映画の関係あるいは翻訳、新作の構想づくりや執筆過程、書評など。三島由紀夫が話題の海外作品を「ただ面白いだけ」と評したことに対する沢木の考えを披歴したりする。“本を編む”で圧倒されたのは新潮社「日本文学全集」の1巻「山本周五郎」解説を依頼され、「山本周五郎全集」全38巻を完読し“山本周五郎論”をまとめ上げる話である。著者の生真面目な人柄を象徴するような編み方にただただ感心するばかりだった。“本を売る”は2話から成る。第1話は作家として駆け出し時代(1973年)、日本読書新聞社から書店員をしばらく務めそのルポルタージュを書くことを提案されチャレンジする。勤務先は紀伊国屋梅田店。月間売上高3億円、入店者1日約4万人の巨大店舗。店頭販売見習いから初めてやがて仕入れまでを経験、書店員の奥の深さを教えてくれる。第2話は、膨大な蔵書の倉庫保管料が負担になり、古書店に引き取ってもらう(商品価値のあるものは有料で)ことになる。そこで登場するのが“本を買う”で詳しく紹介される経堂の古書店。こうして“買う”から始まった夢の町本通り散策は
“売る”で輪(話)を閉じる。
読んでみたい作品が多々登場する。いくつかネットで当たってみたが古本ばかり、リアル古書店が身近になくなっていくことの寂しさを思い知らされた一冊でもあった。
2)国家は巨大ITに勝てるのか
-突出した売上高・シェアー・利用者数、今や国家を超越する力を持つビッグテックを簡潔に分析する-
このブログのプラットフォームはGoogleのブロガー。インターネットへの接続はGoogle Chrome。検索も90%以上Googleから入る。最初に持ったPCはAppleのMacSE、次もMacだった。家人が日常使っているのはiPad。SNSは専らFace Book(現Meta、FBと略す)を利用、50人近くの友達の動向が分かる。年間80冊近い書籍購入の大部分はAmazonからだ。おまけにこの記事を書いているのはWindows上で動くWord、つまりMicrosoft環境下ということになる。今やGAFAM無しでは片時も過ごせないのが、私の日々である。格別ITヘヴィー・ユーザーでない私でもこんな状態だから、企業や国家経営におけるGAFAMの存在は広範で複雑、予期せぬ問題を種々派生しつつあり、対応を誤ればその支配下に置かれる危険さえある。本書は、この巨大ITと国家の関係を現在進行形で多面的に考察し、技術偏重に陥らず分かり易く解説するものである。
著者は1977年生れ、2005年に読売新聞社入社、主に経済部に属し、ニューヨーク特派員も務め、特に最近7年日米のIT分野取材活動に従事、最新事情が本書に反映されている。
巨大ITとして詳しく解説されるのはGAFAの4社。Microsoftはこれらとの関係で登場、イーロン・マスク買収で話題のTwitter(現X)に一章が割かれているものの、“言論の自由”に焦点を絞り込んでおり、同列で論じられてはいない。
先ず売上高(2022年度)でGAFAの巨大さを示すと:アマゾン;約67兆円(日本3.2兆円)、アップル;約51兆円、グーグル;約37兆円、メタ;約15兆円。因みに我が国小売業最高はセブン&アイ;約11兆円、商社トップの三菱商事約21兆円。アマゾンの大きさがこれらとの比較からうかがえる。個々の強みを見ていくと、アマゾンの米ネット通販市場でのシェアーは40%、グーグル各分野での全世界シェアーは、検索90%、ウエブブラウザー(クローム)60%、スマフォOS(アンドロイド)70%、アップルのiPhone全世界所有者数約10億人、FB全世界利用者数は38億人。その寡占力・絶対数が国家の力がおよばぬところに達しており、“第5の権力”(三権に次ぐ第4はメディア)との懸念もうなずける。
この懸念払しょくのため米政府(特に司法省、連邦取引委員会(FTC))・議会が挑む武器は反トラスト法(独禁法)だが、これが目論見通りに機能しないのが実情。本書の大部は独禁法をめぐる政府・議会対巨大ITの対決解説に割かれる。先ず、独禁法の根幹思想に“消費者の利益を害するか否か”があるのだが、消費者の大多数は実害を感じていないので反巨大ITの声に限界がある。次いで、米政府・国民の間でIT産業を「ナショナル・チャンピョン」と見做す傾向が高まっている(対中国、さらには対EU)。そして大きいのが彼らの政治力だ。ロビー活動・大統領選における候補者支援に莫大なカネをつぎ込み、政府との人材交流に励む。例えば、グーグルには司法省反トラスト部門トップがロビイストとして雇用されているし、オバマ政権時グーグルから政府諮問委員等に就いたのは約30名、政府からグーグルに移ったのは約20名。対中関税で反目し合っていたトランプとアップルもジョブスの後継者ティム・クックGEOのトップ・ロビー活動で和解に至っている。事態によっては政府と戦うことも辞せず、超一流弁護士や学者を動員、訴訟合戦を仕掛ける。また、訴訟案件は総じて時間がかかり、環境変化の速いITでは判決が出た時には実効が失せていることもある。
独禁法以外の問題は、政治そのものへの影響;2016年大統領選(トランプ対ヒラリー)におけるFBデータの流用。プライバシー問題;スマフォOS(アップル、グーグル)に組み込まれた個人情報利用、暗号資産問題;FBが立ち上げたリブラ(仮想通貨)に対する国際金融マフィア(各国中央銀行)による強力な阻止活動、などが取り上げられている。
日本の事例も2021年成立の「ディジタルプラットフォーム取引透明化法」を中心に解説されるが、米国ほど対決姿勢は見えてこない。一方でアップル日本法人の“政務部長”は元総務官僚、彼等は着々と手を打っているのだ。
全体として政府が押しまくられている印象だが、それでも著者は「巨大ITを牽制できるのはやはり国家だけだ」とし、10年後のGAFA生存確率を予測して見せる。グーグル70%、アップル90%、メタ(FB)50%、アマゾン90%。マイクロソフトはビル・ゲイツの後任スティーブ・バルマーの時代官僚化が進み携帯分野で遅れを取ったが、最近オープンAI社(生成AIチャットGPTで話題)を取り込んだことで、逆転の可能性有としている。
米国に限定されるが、関係者への直接取材や政府・議会の議事録・資料に基づく情報が核となっており、内容に信頼がおける。一方で業界三国(四国?)志的な筆致を楽しむこともできる。
3)地中の星
-我が国地下鉄生みの親早川徳次を直木賞作家が描く伝記小説。都心交通の屋台骨も上野―浅草間2.1kmから始まった-
私の通っていた小学校は台東区立黒門小学校、上野広小路の交差点から南西へ100mも行かない近さだ。交差点を通る都電は中央通りに3路線(1番、24番、30番)、春日通りに1路線(16番)、中央通りは営団(現東京メトロ)地下鉄(1路線ゆえ“銀座線”とは呼んでいなかった)も走っていた。都電1番は、上野駅と品川駅を結び、途中には神田-日本橋-京橋-銀座4丁目-新橋があり、大正期来最も繁華な通りを貫いていた。また、30番は向島と須田町を広小路経由で結び、この間には大正・昭和最大の歓楽街浅草があって、往時この路線も利用客が多かったようである。小学6年生時(1950年(昭和25年))~51年(昭和26年))都電は38系統あり、都心の主要な通りにはどこもその路線が通っていたが、今では荒川線(32番+27番;早稲田-王子-三ノ輪)を残すのみとなってしまった。
クルマ社会到来とは言え、それまでの利用者が自家用車やバスに乗り換えたわけではない。最大の代替手段は東京メトロ(9路線)と都営地下鉄(4路線)が担っているのだ。これらがJRや私鉄と相互乗り入れすることで、都心のみならず首都圏の膨大な人的交通量を処理している。本書はこの地下鉄を我が国に初めて導入した男の伝記小説。路線計画は、馴染みのある都電1番と30番をそのまま地下に移したようなものである。
早川徳次(のりつぐ)は1881年(明治14年)山梨県の生れ、父は村長、兄は県議を務めることになる豊かな農家の末子である。大学(法学部)卒業後南満州鉄道(満鉄、当時の総裁は後藤新平)に就職、その後鉄道院に転じ、この時現東武鉄道の創始者根津嘉一郎の知遇を得、経営難に陥っていた佐野鉄道(現東武佐野線)の再建、さらに高野山登山鉄道の経営立て直しに当たり期待に応える。しかし経営陣内の争いで退社、浪人の身となる。時に徳次36歳、既に所帯を持っているが子は無い。新規事業のアイディアを得んと大隈重信の支援を得て鉄道院嘱託となり1914年(大正3年)渡英する。ここで目を付けたのが我が国には存在しない地下鉄、市電の混雑緩和の手段としてである。
市電主要停車場での乗降者数調査を妻と二人で行うことから始め、ルートの選定、地質調査、工事方法、所要資金算出と確保、鉄道敷設認可取得、工事業者の決定に孤軍奮闘し、1920年(大正9年)8月に東京地下鉄株式会社設立にこぎつける(社長は帝国大学工科大学初代学長を冠として据え早川は常務)。この間、彼の周辺に登場する人物は、先の大隈重信を始め高田早苗、渋沢栄一、後藤新平、池田成彬、五島慶太など錚々たるメンバーだ。工事が始まるのは関東大震災後の1925年、第一期は上野-浅草間2.1km。ここからは工事に当たる大倉土木(現大成建設)の職工・工夫たちが主役に変わり、何事も初めての地下鉄建設における工法や資材・機材、組織管理に関する話が中心に進められていく。清水トンネル掘削工事を経験した半ば盲目の老掘削工と若い現場監督の葛藤など、小説としての味わいが濃い部分だ。開業は1927年(昭和2年)12月29日。その後は上野から新橋に向けて延伸を続け、1934年当面の目標であった新橋駅までが開通する。
この少し前鉄道院勤務に飽き足らない五島慶太はそこを退官、実体のない東京横浜電鉄株式会社を立ち上げ既存の目蒲線につなぐ多摩川-神奈川間の新線認可を目論み、さらに大倉土木と組んで渋谷駅-東京駅間を結ぶ新地下鉄路線(東京高速鉄道)敷設を画策する。これは私鉄が山手線内へ延線出来ないことへの対応策なのだ。東京駅を終端とする案は大倉土木の希望だが、五島はこれを新橋に変え、早川の地下鉄と直結しようとする。先ず大倉土木の持ち分を買い取り、東京地下鉄株式会社の株式も密かに買い集め早川に同意を迫る。この計画は国や都も巻き込み壮絶な戦いとなるが、国と都が経営に関与することと早川の引退を条件に帝都高速交通営団が誕生。こうして1939年9月渋谷駅-浅草間直通運転が開始される。1940年形式的に早川が社長に就任するも、直ちに退任。その後は郷里で後進の人材育成にあたり、1942年他界する(享年61歳)。現在日比谷線銀座駅2階中央部にその胸像が据えられている。ほぼ一世紀を経た現在、東京地下鉄の総延長距離は、東京メトロ・都営合わせて301km、その偉業は称えられてしかるべきだろう。
直木賞受賞作家の作品ゆえ、文庫本で520頁の大作だが適度にヤマ場が配され、飽きることなく読み進められる。私がそれ以上に楽しんだのは、そこに導入された工法や機械類の詳細である。考証が行き届き、技術史の一端としてその価値を認めたい。
4)戦争とラジオ
-事実上の国営放送、政府広報機関の戦争責任を内部から追及する-
本欄で取り上げる書物は戦争・軍事に関わるものが多い。眼を通していただいている方々から軍事オタクと見られていることは承知しているし、自分でもそう思っている。ただ、軍事なら何でもいいかというとそうではないことを少々説明しておきたい。興味の対象は二つの分野、軍事技術と昭和史に絞られる。前者は幼児時代からの乗り物好きと後年技術者を生業としたことによる。後者は自分の生きた時代、特に太平洋戦争(大東亜戦争)への道が出生地満洲と深く関わることに関心が集中している。別の見方をすると、前者は広義の科学技術(数理を含む)、後者は政治・経済・社会に偏しており、地理的には前者は欧米中心、後者は我が国と東アジアに限られる違いもある。今回本書を読むことになった動機は言うまでも後者に観点からだ。
我が国メディアと太平洋戦争の関わりは、新聞については戦後調査分析が各方面(学界から業界自身まで)で進められ著書も多いし、私も何冊か所有している。しかし、放送に関しては終戦をテーマとした「日本の一番長い日」の中で玉音放送を巡るNHK内の動きが断片的にクローズアップされるようなことはあっても、通史的に記されたものを目にしない。その理由は、放送はNHKが唯一の存在で、実質国の機関と同じであったことと深く関係があるように思われる。つまり、外から内部を窺いにくい環境に置かれていたことで厳しい戦争責任追及を免れていたのではなかろうか。本書の著者は元NHK職員、出版社はNHK出版、身内だけにどの程度批判的に語られるか、いささか疑いを持ちながら読んでみることにした。
著者は1957年生れ、1982年NHK入局。番組制作を主務(後年は特にETV)とし、2016年放送文化研究所の研究員に転じ、2022年退職。本書は、月刊誌「放送研究と調査」2017年8月~2021年12月に連載された<戦争とラジオ>シリーズを単行本化したものである。また、2011年 ETVで放映された「戦争とラジオ」「敗戦とラジオ」が随所で引用されている。
NHKの起源となる、それぞれ独立した社団法人の東京放送局・大阪放送局・名古屋放送局が発足したのは1925年、三局統合で日本放送協会(NHK)となるのは翌年1926年(大正15年・昭和元年)である。逓信省が指導・検閲することが定められ、条例に「政府これを管掌す」とある。この段階から新聞とは全く異なり、政府の一部と言う性格を持つことになった。当初は独自の取材組織を持たず内務省の検閲を受ける新聞社や通信社の記事をさらに逓信省が検閲し、その結果を一字一句変えずに放送することを義務付けられていた。その後国策の同盟通信社が発足すると、その記事の編集だけは認められるが、これも逓信省の検閲を受けその意向に沿った内容に改定することを要した。満州事変以降はこれに軍の意向が反映され、逓信省以上に影響力が大きくなっていく。報道部員の中にはジャーナリズムの中立性・批判性を主張する者も皆無ではなかったが少数意見であり、NHK自身が国策を内面化(自主的に政府・軍にすり寄る)していくことが進み、プロパガンディスト・アジテーターに変じていくのだ。
本書はこれを、報道・編集部門、録音・実況部門、技術帽門、番組制作部門、アナウンス部門など機能別に時勢に依る変遷を追うもので、生存する関係者への聴き取り、残された放送原稿、関係者の日記、会議議事録、当時の放送関係誌、などを通じて戦争とNHKの関係を、個別事例をベースに追及していく。そこに見えてくるのは国民の戦意高揚に向け“報導する報道”の姿である。報道部門は不利な戦いを改変、録音・実況部門にも巧妙な作為が施され、番組制作では教養番組も娯楽番組も督戦の性格を強め、アナウンスは「淡々調」が「雄叫び調」に変わって行く。因みに1942年入局組は「雄叫会」と称し、戦後人気アナウンサーとなる宮田輝、高橋圭三などがメンバーだ。
いよいよ敗色が濃くなると内閣情報局(逓信省に代わる指導・検閲組織)は「国民全部の罪にする」よう国民の敗戦意識を作り上げることにNHKを利用する。“一億総ざんげ”はここにあったのだ!そして終戦、今度は政府に代わりGHQが同じようにNHKを広報機関として活用、戦前同様それに盲従するを得ない状況に置かれる(例;原爆報道に対する厳しい規制が詳しく記される)。
以上のような歴史的変遷からNHK内には「仕方がなかった史観」が横溢し、「反省なしの上から目線」が今に続く。「それでいいのか?!自らの戦争責任はないのか?」。著者が追及する論点はここにある。一見インテリ左翼典型の問題意識だが、随所で「ところで、お前がその立場だったどうする?」と自身に問い直し、それに苦悩したことを告白するところに著者の真摯な姿勢を感じ、あの戦争に関わる問題の深さを改めて認識し直した。単行本で600頁に近い大作、1951年民放発足位までの“我が国放送全史”と言える内容だ。それだけに索引が無いのが大いに不満。
蛇足;年末朝日新聞書評欄“今年の三作”で昭和史を専門とする保坂正康は本書をその一つに挙げている。
5)日本の歴史(20巻)
-小学校6年生の指導要領に従った日本史をまんが学習シリーズ20巻で学び直す-
常識として備えるべき知識について、歳が進むにつれて「欠けている」と負い目を感じるのが日本の歴史と文化に関する事柄である。日本史を学んだのは中学2年のとき、講和が成りそれが許されたからだ。社会科の一部としてではあるが、新鮮な教科に惹かれた思いがある。しかし、それ以降日本史に関する興味は失せ、高校では世界史と人文地理を選択、これらへの関心は今に継続する。日本文化となると歴史以上に疎い。好きな映画は邦画よりも洋画、ミュージカルはニューヨーク、ロンドンで何度か見ているが歌舞伎観劇は皆無だ。音楽も、ジャズやアメリカン・スタンダードあるいは映画音楽が好み。クラシック音楽では一時期東京フィルハーモニーの定期演奏会会員でもあったが、邦楽を聴きたいと思ったこともない。今月半ば古くからの仲間とささやかな忘年会を持った。このメンバーは、和歌、浮世絵、城郭、戦国史から長唄、竹細工まで日本の歴史・文化に造詣が深い。今回は茶道の話を聞く機会があり、自分がいかに無知だったかを知らされ愕然となった。40代からこのコンプレックスを意識するようになったが、だからと言ってそれを少しでも改めようというところまで達せず今に至る。本シリーズの新聞広告を目にした時、「大人の学び直しにも最適!」という惹句に釣られ、「孫へのクリスマスプレゼント」を口実に買い求め、16巻+別巻4巻を一気に読み通した。
一般の人には常識と思われる内容紹介は避け、ここではこのシリーズ本がどのようなものかをかいつまんで紹介する。
先ず、準拠するのは“小学校6年生社会科指導要領”に沿うとなっている。しかし、すべての漢字にふり仮名がふってあるので、小学校4年生くらいから理解できるのではなかろうか。広告には“大学受験にもしっかり対応”とあるから、中身は高校の教科書のレベルにあるのかもしれない(私は学ばなかったから確信は持てないが)。“大人の学び直しにも最適!”はその通りだった。時代の流れは中学生時代学んだ教科書通りで、旧石器時代からはじまり縄文・弥生時代、飛鳥・奈良時代と進み、戦国時代を経て徳川時代、近現代の昭和・平成・令和まで続く。初版が2015年に発刊されたときは15巻だったが、平成後半と令和が最近追加され16巻となった。2016年以降このジャンルの出版物としてベストセラーを続けており、販売部数は850万部を超えている。信じられない数だ!著者は存在せず監修者は元東大教授の山本博文と五百旗頭薫となっている。山本は1957年生れ、東大大学院教授(情報学、文学博士)、2020年死去。各巻に解説者として登場するから、この人が実質的な編集者であろう。五百旗頭薫は1974年生れ、東大大学院教授(法学)。作画は一人でなく、表紙を含め十人近くが携わっているが、画感は統一されている。平安・室町・江戸時代は2巻で成るが他は1巻、一巻は180頁強で著され、16巻を区切りよく読み進められる。どの巻も見開き2ページに登場人物と彼らの相関を示す絵があり、言わば予告編の役割を果たしている。また、山本による勘所の解説、*マークを付けた難しい言葉や重要事項の説明も理解を助けてくれる。文字だけの記述に比べ絵による学習は歴史理解に欠かせない“流れをつかむ”点ではるかに優れており、小学生高学年から中学生には最適な教材と言える。ただ、絵で描くことに問題がないわけではない。文字ならば個人の想像力が多様な興味を膨らませる可能性があるのに対して、絵はそれを制約する面がある。特に、人物描写はその影響が大きく、要注意点だ。
別巻は図鑑や明治以降の近現代史で戦争や国際関係が掘り下げられている。全20巻で価格は19,140円、バラ売りもしている。
6)ロシアから愛をこめて
-1990年代のTV局モスクワ支局長滞在日記と直近短期ウクライナ戦争取材記を合体させたもの。時間の隔たりとバランスの悪さに、売らんかなの卑しさを感じた-
2003年3月、1985年から従事していた情報サービス会社の管理・経営の職務を終わることになった。64歳である。その後3年間顧問として残ることが内規だった。一方で、40代後半から60歳で定年退職したらもう一度石油精製・石油化学の現場に戻りたいと考えていた。退職時期は4年延びたものの、その可能性を探るため、2003年年頭親会社YKGの役員にそんな希望を語ったところ、ユーザー知見を海外営業で生かしてほしいとその機会を与えてくれた。そこで最初に取り組んだのがロシア市場の開拓、結局2年少々この仕事に専念した。ソ連崩壊から既に12年を経ていたが、それまで訪問したいずれの国とも異なる国情に戸惑うことを多々経験する一方、YKGロシア社の従業員を中心にロシア人との交流を通じ、陰気・陰険なロシア・イメージを刷新することが出来た。その後のロシアを知りたく、副題「あれから30年の絶望と希望」に惹かれて本書を紐解いた。
著者は1953年生れ、大学卒業後TBSに入社、1991年3月から1994年6月まであしかけ4年モスクワ支局長を務めている。この間はゴルバチョフ(ソ連、共産主義)からエリツイン(ロシア、資本主義)への激変期。そのロシア通が、ウクライナ侵攻の予兆にジャーナリスト魂を掻き立てられ、2022年2月24日(侵攻当日)羽田を発ちルーマニア・ウクライナ国境域で開戦直後の情勢を取材、その年の12月29日にはモスクワに飛んでロシア側の情勢を調査分析する。つまり“30年”は1990年代と2020年代を意味する。
本書の構成はいささか異形だ。「ロシアから愛をこめて-モスクワ特派員滞在日記1991~1994」と題する単行本が刊行されたのは1995年、著者がモスクワを離れた翌年である。これに2023年3月刊の月刊誌「論座」に寄稿した「ウクライナより愛をこめて」と2023年1月刊の月刊誌「現代ビジネス」に寄稿した「ソ連の亡霊どもが彷徨っているロシア-金平茂紀のモスクワ日記」を合本して文庫本としたものである。従って、1991~4年の部分が約360頁、2022~3年は約80頁と大きな偏りがある。前者が年単位であるのに対し後者はそれぞれ1週間程度の報告(補遺扱い)。
記述方式は、前者が月数回の手紙および日記形式、後者も日記形式だが一日分が長くルポルタージュ風になっている。このような構成ゆえに、話は時間軸に沿って、体験談(取材、支局運営、個人的体験)中心に書かれ、特定のテーマ別章立てでないことから、一般論として当時のソ連・ロシアを把握するには適していない。ただ身近な出来事だけに、それから10年経ち私がロシアで見聞・体験した、変わらいもの・変わったものの違いを確かめることができた点で、それなりに興味深く読んだ。
大きく変わったのは消費者レベルの経済。著者滞在前期はこれが酷く、インフレ、年金生活者の苦境、浮浪児・ホームレス、モノを求める長い行列が縷々語られるが、2000年代のロシアに極端なインフレは無かったし、モノ不足も感じられなかった。ただ、本来国有財産であったものを奪い取ったマフィアもどきのオリガルヒ(財閥)は依然大きな力を持っており、一般庶民の怨嗟の的だった点は同じだ。私の滞在中はプーチン大統領が2期目に入るところだったが、このオリガルヒ潰しで人気を集めていた。小さな犯罪(例えば、両替のごまかしや空港保安検査での現金抜き取り)は体験したが、本書で書かれている社用ベンツを取材中盗まれるような犯罪事件は見聞しなかった。変わらないのは官僚組織と公務員の質の悪さ。入国審査にやたら時間がかかるし、警官が些細なことで賄賂を要求する(例えば、国内ビザ(旅券に添付される)の記載欠陥や軽度の交通違反)のは日常茶飯事。空港や工場のトイレの汚さも変わっていない。共産党時代の階級差別が形を変えたもの(党員経歴や地位がカネに変わる)の話が種々出てくるが、私も旧ソ連邦の外国(ウクライナ)や地方空港でその種の差別を垣間見た。入出国審査や出発・到着場所が一般と異なり早かったり快適だったりするのだ。ジャーナリストの場合、立入認可やインタヴューなどにコネやカネで著しく違いがあったようだ。
本書を今読む意義は補遺のウクライナ戦争に対する現場報告。まさか開戦するとは思わず、2月24日羽田を発ち、イスタンブール経由でキーウに至る取材の旅に出かける。開戦を知るのはイスタンブール空港。キーウ便は飛ばず、ここから陸路ルーマニア内を走りウクライナとの国境地帯に至り、逆方向へ流れ出てくる避難民に取材。着の身着のままのその姿が臨場感を持って伝わってくる。一方のモスクワ訪問では、西側ブランド店などは営業停止にあるものの平時と変わらぬ街の姿。インタヴューで市民に「2023年が良い年になると思いますか?」と問うと、ほとんどが何の迷いも衒いもなく「良い年になると思う」と答える。そこに著者が感じ取るのは、一見明るい官製世相の裏、30年後のプーチン独裁下におけるソ連回帰、重く暗い社会の再来である。
2023年総括
本年紹介した本は71冊+1全集(日本の歴史20巻)、この中から“今年の3冊”を選んでみた。
①エッフェル塔(5月);エッフェル塔100周年を記念して著された小説だが、史実に基づいたその建設背景・過程がよく理解できる。
②水危機を乗り越える(11月);国造りに欠かせない水の確保。これにイスラエルがいかに取り組んできたかを詳述する。
③国家は巨大ITに勝てるのか(12月);GAFA+Mの国家統治を超える影響力を政治・行政から分析、その近未来を読む。
-写真はクリックすると拡大します-
0 件のコメント:
コメントを投稿