<今月読んだ本>
1)天才の光と影(高橋昌一郎);PHP研究所
2)新・幕末史(NHKスペシャル取材班)幻冬舎(新書)
3)日米同盟の地政学(千々和泰明);新潮社(選書)
4)テクノ・リバタリアン(橘玲);文藝春秋社(新書)
5)ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2(ブレイディみかこ);新潮社(文庫)
6)シルバービュー荘にて(ジョン・ル・カレ);早川書房(文庫)
<愚評昧説>
1)天才の光と影
-毒ガス開発に励み妻を自死させたフリッツ・ハーバー、ユリ・ゲラーを信じたジョセフソン、ノーベル賞賞金を離婚慰謝料に当てたアインシュタイン。天才の裏人生を垣間見る-
1949年(昭和24年)8月、日本は連合国(実質米軍)の占領下にあり、戦争の余燼がいまだ燻る時代、全米水泳選手権に出場した日本大学の古橋廣之進は、1500m自由形で18分19秒0の世界新記録を打ち立て優勝した。そしてこの年の秋、京都大学教授湯川秀樹博士の日本人初のノーベル賞受賞が決まる。この二つの出来事が、敗戦に打ちひしがれていた日本国民にどれだけ希望と誇りを与えてくれたか、現代からこの時の日本社会に与えたインパクトを語る術を知らない。当時小学校5年生(満10歳)、あれから75年を経ているが、国民全体をいっとき熱狂させるだけでなく、「今に見ていろ!」と前進する力を奮い立たせてくれた出来事だったことは確かだ。本書はそのノーベル賞受賞者(物理学、化学、生理学・医学、経済学)23人を主題とする“ノーベル賞物語”である。
ノーベル賞に関する本は比較的ポピュラーで、数多く出版されているし、何冊か読んでいる。それらの中で本書の特色は23人という数の多さにある。それもすべて自然科学関係(一人は経済学賞だが対象は応用数学)である。この数と分野が講読理由と言っていい。初出はPHP研究所刊の月刊誌「Voice」に一人一話でまとめたもの。一話で完結しているので、間欠的読書に適している。選択基準は明らかでないが、湯川を始め日本人受賞者は文中に多数登場するものの、主題としては意図的に除いたものと思われる。大きな構成はほぼ時代順、1905年(第1回は1901年)から2020年と1世紀を超える。分野別では、物理学14人、化学4人、生理学・医学4人、経済学1人。物理学偏重の理由は不明。国別では、独、米各6人、英国3人、ハンガリー2人、オーストリア、オランダ、デンマーク、フランス、イタリア、ポルトガル各1名。この分布は巻末にある「歴代受賞者一覧」から理解できる。戦前はドイツ人が圧倒的に多く、戦後は米国人が過半に達する(戦後のドイツは日本の後塵を拝している)。おそらく“影”を際立たせるためもあるのだろう、民族としてはアインシュタインを始めユダヤ人やそれと深く関わる者(親族から反ユダヤ主義者まで)が多いのも本書の特徴と言える。
一話の流れは、出自(時に祖父母まで遡り、博士号獲得まで)、研究活動、それと深く関わる人間関係(恩師、ライバルなど)、受賞対象研究、ここまでが“光”の部分、そして最後に“影”が描かれる。
ほとんどの研究者に共通するのは、ずば抜けた知的レベル。幼児時代から博士号獲得まで、飛び級や例外的な若さで資格・名声を獲得、同年者・同級生・同僚を圧倒する。例外はアインシュタインくらい。彼は大学進学必須であるギムナジュウム(寄宿制中高一貫校)を中退、やむなく国籍を一時スイスに移しチューリヒ工科大学へ進んでいる。とは言ってもギムナジウム時代数学と物理は全校トップでであったが。
本書の肝は“影”、薬物中毒・酒・女(アインシュタインは何人か愛人を持ち、正妻と別れる際ノーベル賞賞金を慰謝料にしている)もあるが、超能力や霊の世界にのめり込む者も一人二人ではない。また反ユダヤ原理主義者のようなドイツ人学者も存在し、戦後それ故に禁固刑を受けたりしている。ニールス・ボーア(デンマーク)は祖母がユダヤ人、エンリコ・フェルミ(伊)は妻がユダヤ人。彼らは英米に亡命している。同種の人間は米英にもおり、白人優生学を唱え社会的制裁を受けたりしている。それぞれが天才ゆえの自己過信が嵩じて奇説に拘泥するようになる。これを「ノーベル病」と言うらしい。
この“影”と言う点で、日本人受賞者は常識人で真面目な研究者ばかり、それ故本書の対象にならなかったのかも知れない。深みのある本ではないが、索引や参考文献が確りしており、ノーベル賞(自然科学)事典的な価値は認められる。
著者は1959年生れ、國學院大学教授。専攻は論理学・科学哲学。
2)新・幕末史
-幕末維新をグローバル視点で眺めれば、世界史の大変換点。覇権争いの要衝日本、辛くも切り抜けた植民地化-
私の本籍は兵庫県たつの市、幕末・維新期の動きを調べてみると、龍野藩は佐幕であったが戊辰戦争で勤王に転向、越後に出兵していることを知った。小藩かつ転向藩だったから、薩長土肥や会津・水戸のように幕末・維新史に残るような出来事は何もない。維新後運命を変えたのは祖父の“脱農業”に過ぎず、家督を相続した祖父の弟一家は今も兼業で農業を営んでいる。幕末史をミクロに見れば、こんな個人郷土史に収斂していくが、逆にマクロの視点で俯瞰すれば世界史とつながっていく。黒船来航、下関戦争や薩摩戦争はその一端として日本史で学ぶところだが、さらにグローバル規模で眺めると、どういうことになるのか。これを明らかにするのが本書の主意。“新”の由来はここにある。つまり、あの時代世界はどう動いており、幕末・維新はそれとどんな関わりがあったのか、である。
本書は自ら求めたのではなく、雄藩薩摩出身の同僚からもたらされたもの。彼も括目したようだが、私も幕末観を一新させられ、日本史教科書刷新を提言したくなったほどの内容だった。
本書は2022年10月にNHKTVで放映された歴史番組の内容とその取材記録をまとめたもので特定の著者はいない。企画や取材開始時期は記されていないが、2019年には既に調査が開始されたことが文中から推察できる。英国立公文書館、ケンブリッジ大学秘蔵書簡、ドイツ連邦公文書館、ロシア外交機密文書、仏フォンテーヌブロー宮殿倉庫保存文書、英・露・仏・独・米・蘭の研究者への取材から、知られざる幕末・維新期における各国の対日政策を探るもので、NHKの資力・政治力・人材を集中投入して製作されたことが窺える。個人の研究者では短期にこれだけの成果を得ることは難しいと感じさせる出来栄えだ。
“新しい”幕末史として特記すべきは、この時代における日本と諸外国の関わりを、狭義の日本史(日本側)視点だけでなく、各国の外交政策あるいは国内事情から分析・考察している点である。つまり、日本以外の各国間のパワーゲームや国策と維新に至る道が不可分であり、海外研究者が言う「幕末日本が(当時の世界の)地政学的チョークポイント(Choke point;要衝;戦略的な航路)だった」ことを明らかにしている点だ。
注目すべき歴史上の出来事を時代順に並べると;黒船来航(1853)、クリミヤ戦争(1853年~56年)、日米和親通商条約(1858)、南北戦争(1861~1865)、プロシャによるドイツ統一(1861~)、対馬事件(1862年ロシアによる対馬の一部占拠)、生麦事件(1862)、薩英戦争(1863年)下関戦争(1864)、禁門の変(1864)、長州征伐(1864、1866)、普墺戦争(1866)、大政奉還(1867)、鳥羽・伏見の戦い(1867)、王政復古・明治政府成立(1868)、戊辰戦争(1868~69)、箱舘戦争・幕府消滅(1868~69)、普仏戦争・ドイツ帝国成立(1870~1871年)。
クリミヤ戦争に敗れたロシアは南下政策の起点を極東に求め、対馬事件を起こす。この解決に力を貸したのが英国、南下政策を抑える要衝と考えたからだ。下心は日本を英帝国の勢力範囲に取り込むことにある。一方開国を迫った米国は親和条約締結後南北戦争に突入、しばらく日本との接触は疎遠となる。着々と反幕側に影響力を強める英国。この英国に対して幕府側に付くのはフランス、軍近代化と産業化推進で実績を積み上げていく。国内統一に邁進するプロシャの極東進出は遅れるが、ドイツ統一が成ると海外への動きを活発化させる。具体的対日政策は各国事情と時代が反映し異なるが、全面的植民地化から一部領土割譲・租借、経済(通貨)支配、政権への影響力確保まで様々な案が交錯する。共通するつけ目は攘夷と反幕活動、各国が時に連携、時に反目して歴史が動いていく。ただ彼らの真の狙いは本格的な日本の植民地化ではなく、本命は東アジア、特に中国への進出・利権獲得・拡大にあり、他国に対する優位獲得の拠点・橋頭堡として日本を自国勢力圏に組み込もうとするところにある。
最大のヤマ場は維新成ったあとの戊辰戦争。南北戦争終結で行き場を失った武器がここに流れ込む。列強は中立を宣言していたものの、武器商人を通じて自国の対日政策を有利に展開しようと画策する。幕府側、特に奥羽越藩同盟を強力に支えたのはドイツ、初期の段階ではフランスも幕府側に組する。またロシアも箱舘にこもる榎本武揚と取引の機会をうかがう。しかし、英国は新政府を支持、やがてフランス、米国もそれに同調、最終的に新政府が勝利する。もし幕府側が持ちこたえ長期戦に入っていたら蝦夷(北海道)は独・露の植民地になっていた可能性が高かったのだ。
本書を読了し、日本史のこの時代記述を刷新すべしと思い至ったのは、あの大革命を日本人の視点に絞り込んでいることの教訓の少なさである。諸外国は何を企んでいたかを知ることで、覇権・権力政策をあからさまにする現代の中国・ロシアに対峙する我が国のこれからを考える新たな視座を与えてくれるのではないかと感じ入った。それに、数多ある維新の功労者以上に、幕臣としてこの時代を諸外国につけ込まれず、数々の国難をかわした能吏小栗忠順(ただまさ;軍艦奉行、勘定奉行、外国奉行歴任。官軍の出先指揮官により斬首)の功績を再評価すべきと考えるからである。
3)日米同盟の地政学
-直近の2+2で設立が決まった統合司令部も拡大抑止策も日米同盟の永年の課題。どこが問題かを解説する-
1960年(昭和35年)大学3年生に進級、ゼミに所属し専攻分野の本格活動開始時期、いわゆる60年安保闘争が始まった。占領下から独立を回復した直後1951年に結ばれた日米安全保障条約初の改定に際し、政府とそれに反対する勢力のぶつかり合いである。日米史上初となる米大統領アイゼンハワーの来日が中止(6月10日)となり、さらには東大生樺美智子の圧死(6月15日)が起こるほど激しい戦い。ほとんどの大学は休校となり、デモを繰り返した。我々のクラスも例外ではなく、それに参加した。だからと言って、安保条約を深く理解していたわけではなく、クラスの総意は反条約・反米よりは与党単独採決を強行した岸政権・自民党に対する反体制の趣むきが強かった。もともとエンジニアは総じてノンポリ・親米、今思えば流行りの熱病にチョッと罹患したと言ったところだったように思う。この条約の問題点を意識するようになるのは、後年共同防衛義務、事前協議制、裁判権などに関する具体的問題が生じたり、憲法との関係が問われたりした際、条約の中身を部分的に知るようになってからである。中・露・北朝鮮の危険な対外戦略が身近に感じられる昨今、これら問題点と日米同盟の現状を知りたく本書を手にした。
著者は1978年生れ、国際公共政策で博士号取得、現在防衛省防衛研究所主任研究官。本欄で「戦争はいかに終結したか」(中公新書)を取り上げている。
日米安全保障条約は他の軍事同盟、例えばNATO・ANZUS同盟(米・豪・ニュージランド)・米韓同盟、とはかなり異なる。その根幹にあるのが憲法第九条に基づく「一国平和主義」と「必要最小限論」。この「日本的視点」の安保思考・内容を「第三者的視点」から点検するのが本書の要旨。着眼点は「基地使用」「部隊運用」「事態対処」「出口戦略」「拡大抑止」の5点。「拡大抑止」は核問題である。
「基地使用」;安保条約の起源をたどれば日米同盟=基地同盟とも言えるほど基地問題は核心、日本による米軍への基地提供義務が、米国による日本防衛義務と引き換えになる。これに依る基地は我が国有事のみならず「極東有事」の拠点となり、それは事前協議の対象だが、朝鮮半島有事における基地使用は事前協議対象外となっている。沖縄返還に対して台湾(当時は米華同盟下にあった)や韓国が反対を表明した背景は、そこに在る米軍基地が“本土並み”になり、即応態勢を欠くことを恐れてのことである。「一国平和主義」で地域の紛争に「巻き込まれる」ことに日本がひるめば、敵のつけ目となるのだ。
「部隊運用」は指揮権の問題。NATOでは司令官(米)が存在し、全軍を指揮する。米韓同盟では平時は韓国軍に指揮権があるが、有事に在韓米軍司令官が兼務する国連軍司令官(米)が統率する仕組みになっている。これに対し、日米安保下では、日本有事・周辺事態・グレーゾーン事態とその範囲を拡大・変更しつつ、「それぞれ」「各々」と“指揮権並列”に留まっている。
「事態対処」;「事態」を区分し法令化している。①国際平和共同対処事態、②極東有事(安保第6条)、③重要影響事態(そのまま放置すれば日本に対する直接武力攻撃に至る可能性)、④存立危機事態(日本と密接な関係がある他国に対する武力攻撃が発生し、日本の存立が脅かされる)、⑤武力攻撃事態(日本に対する武力攻撃)、がそれらである。①はともかく、他の区分は不明確、事前協議や憲法論議をしていれば、敵に弱点をさらすことになるし同盟国の不信も買う。また「武力攻撃事態」でも米軍が自動参戦するわけではない。
「出口戦略」;第一次世界大戦におけるロシアの単独講和、第二次世界大戦におけるイタリア降伏、朝鮮戦争、ヴェトナム戦争などを例に戦争終結に関する考察を行い、太平洋戦争における我が国出口戦略の誤り(特に、終戦時の対ソ交渉)を指摘、現代に至るも有事研究における「戦争終結論」不在に警鐘を鳴らす。
「拡大抑止」;非核三原則(作らず、持たず、持ち込ませず)の内、前二点はともかく、米国の核の傘の下にありながら「持ち込ませず」はもともと非現実的、これが因で沖縄返還密約や原潜寄港の政治問題化が起こり国論分裂、これも敵に付け入る余地を与える。一方で北朝鮮・中国・ロシアは核戦力強化に動いており、我が国周辺は核の危険地帯になってきている。地理と人口密集で戦略的縦深性を著しく欠く日本、如何にこれに対処するか、国家安全保障策は正念場にあるのだ。
学生時代は形だけの反対派だった私も今は改憲支持派、自衛隊を国防軍として位置付け、有事の際の特別法もそれを踏まえて整備すべきと考える。この立場から現在の国家安全保障政策を見れば、接ぎ木のごとき脆弱性を感じてならない(特に法体系)。本書の着眼点は当にその接ぎ木部分を的確に指摘しており、これが本格的憲法改憲論に結びついてほしいと切に願う。
4)テクノ・リバタリアン
-成功したIT起業家たちに共通因子はあるか?“自由”獲得願望こそそれだ。イーロン・マスクを中心に長者たち4人を解剖する-
1960年代半ばからコンピュータに関わるようになった。それから60年経つ。この間のIT環境変化は想像を絶するもので、世界を変えた。後世18世紀に始まった産業革命に次ぐ技術よる社会革新として歴史に刻まれるであろう。種々の偶然が重なった結果だが、激変するITの世界に身を置けたことを幸運と思っている。
我々の時代にはIBMを頂点とする大企業が道具を提供、利用者も企業・官公庁や学術団体、いずれもそれなりの規模を持つ組織だった。そこへPC・インターネット(通信)・スマフォが出現し、個人レベルのIT普及が一気に進んだ。ここで注目したいのがこれら道具の提供者がいずれも大企業ではなく、零細な個人企業を出発点にしていることである(インターネットは、国家規模のネットワークARPAネットが母体だが、そのアプリケーション・プラットフォーム、例えば、グーグルの検索エンジンは二人の若者によって開発された)。IBMの大型汎用機がITの頂点に在った時代、個人名が前面に出ることはなかった。しかし現代、GAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)とM(Microsoft)およびいまだ成長段階の企業(例えば、オープンAI)も社名と創業者名が直結するほど、カリスマの存在が目に付く。
本書は、イーロン・マスクを始めIT起業で成功した人物を取り上げ、彼等の資質・生き方を語るものと紹介されていたので、よく調べず成功譚と勝手に思い込み購入した。結果は予想外、政治論や社会論、技術論、未来論を頻繁に援用、気軽に読み進められる本ではなかった。
著者は1959年生れの作家、名前は知っているものの、著書を読んだことも無く、詳細経歴は不明。名前もペンネーム。本書は月刊文藝春秋に「橘玲のイーロン・マスク論」として掲載されたものを大幅加筆して新書としたもの。従って、マスク中心にそれぞれの人物が描かれ、“リバタリアン(後述)”という共通因子に落とし込まれる。取り上げられるのは、マスクの他、ピーター・ティール、サム・アルトマン、ヴィタリック・ブテリンの3人。
4人の略歴は以下の通り;
・イーロン・マスク;1971年南ア生れ。カナダ→米国と移り、ペンシルバニア大学で物理学を修め、スタンフォード大大学院在学中地図・道案内ソフトZ2開発・販売からITの世界に入り、X.comを立ち上げる。2000年ピーター・ティールと電子決済PayPalを創設、2002年電子商取引のe-Bayに15億ドルで売却、以後これを資金に起業家に転ずる。テスラ社、スペースX社を設立、ツウィッター社買収(現X社)。
・ピーター・ティール;1968年西独生れ。1歳の時両親と米国に移住。スタンフォード大で学び1992年法学博士号取得。弁護士の後、ティール・キャピタル・マネジメント社設立。マスクとPayPal創設、e-Bayに売却後起業家に転じ、ティール・フェローシップを通じてスタートアップ企業を育成。2016年トランプ大統領誕生で「影の大統領」と言われるほどの熱狂的なトランプ支持者。
・サム・アルトマン;1985年セントルイス市で誕生。ユダヤ系。スタンフォード大学でコンピュータ・サイエンスを学んでいたが2005年退学、スマートフォン向け位置情報サービスLoopt社設立、2011年IT投資会社Yコンビネータ社のパートナーとなり、Airbnb(宿泊サービス)、Dropbox(オンライン情報保存サービス)などを育て、Yコンビネータ社の業容拡大に貢献、2015年オープンAI社を立ち上げる。マスクやティールはその際の投資家。現在はマイクロソフトが主要株主となっており、AI活用ChatGPTが代表製品。
・ヴィタリック・ブテリン;1994年ロシア生まれ。6歳の時カナダに移住。2012年にウォータールー大学に入学し、コンピュータ・サイエンスを学ぶ。在学中現在のイーサリアム(暗号通貨)の原型(ブロック・チェーン・メカニズム)を発表、これでティール・フェローシップに採用され、大学を中退、イーサリアム社を設立、イーサリアムをビットコインと並ぶ2大暗号通貨に成長させる。先月米政府は同社の株式公開を認可している。
本書のキーワードは新書のタイトルにもなっている“リバタリアン(Libertarian)”、由来はLiberty(自由)、それを求める人の意である。日本語に訳すと自由至上主義者あるいは自由原理主義者となるようだが、著者はもう一つの自由を表すFreedomと比較し、前者が「責任をともなう自由」であるのに対し、後者は「制限なき自由(自由奔放)」としている。さすがにIT起業成功者たちは“制限なき”ではないものの、いずれも“自由”獲得・維持に執念を持つ人々というのが著者の仮説。これを証明せんといくつもの角度から、彼等の言動を分析して見せる。
例えは、ティールのトランプ支持とその背景、マスクの“言論の自由”確保のためのツイッター買収(買収前のツウィッターはトランプのアカウントを削除した)、アルトマンのAI開発における制約最小限指向(開発加速主義、勝者の利益を敗者のベーシック・インカムに当てる)、中央銀行の機能に挑戦(国家に代わる信用力)するブテリンの暗号通貨。政治(小さい政府)・経済(新自由主義)・金融・ジャーナリズムさらには宗教からの自由を徹底追求する姿勢が彼らの資質に見て取れる、と言うのだ。
資質分析はさらに一歩踏み込む。個人資産10兆円超のIT関連起業成功者たち、マスク、ジェフ・ベゾス(Amazon)、ラリー・エリソン(Oracle)、ビル・ゲイツ、ラリー・ペイジとセルゲイ・ブリン(Google)、マーク・ザッカーマン(フェースブック→Meta)はSQ(Systemizing Quotient;システム化指数;複雑な環境の中から素早くパターンを検出できる能力;論理性/数学的知能)が高く、一方EQ(Emotional
Quotient;心の共感指数;他者の感情を素早く察知し、適切な対応能力)が低いと言うのである。
米起業家には、成功のカギは「競争は利益を減らす敗者の発想。大きな利益を独占するためには協力こそが最適戦略」との考え方があり、マスク、ティールは当にこれに一致する言動をとっており、マイクロソフトも買収戦略で成長してきたことから、確かに一理ある見方と言える。
全体として、“リバタリアン”説に収斂させるため、やたらと新学説を援用、クールな分析と言うより牽強付会の自説証明ではないか、が読後感だった。
5)ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2
-母が語る日英混血児の中学校生活、英国社会を学ぶ格好の教材。シリーズ120万部超がうなずける-
2007年仕事から引退、半年ほど英ランカスター大学でOR(Operations Research;応用数学の一分野)史を学んだ。初めての英国、初めての長期外国滞在。住居を借り、住民税や光熱費を払い、商店やスーパーで買い物をする生活は、それまでの海外出張とはまるで異なる体験だった。仕事で機会が無かった分英国への思いは深く、随分日本人が書いた英国滞在記を読んできたが、著者のブレグジットをテーマにした「ブロークン・ブリテンに聞け」に触れ、何か近しさを感じ、次作「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」(2021年8月本欄紹介)でその感はさらに強まった。本書はその続編である。
著者は1965年生れ、福岡修猷館高校を卒業後英ロックサウンドにとり憑かれ何度も渡英、彼の地で保育士の資格を取って現地社会に溶け込んでいく。やがて、アイルランド系の伴侶を得て一児をもうけ、中学生になったその子との日常を記したのが前編の概要である。滞在期間と現地社会浸透度に比較にならない差があるものの、違和感を覚えない英国観に惹かれて本書を読んでみることにした。読後感は、二人の孫(高校生、中学生)それぞれにこの本を贈ってやろう、である。
著者が住むのはロンドンの南に位置する海浜保養地として有名なブライトン。東京から見ると藤沢といった所か。住まいは中流の下クラス居住地の元市営住宅(現在は個人所有)。夫はリーマンショック前シティ(ロンドン金融街)で働いていたが、金融危機リストラ後は自営のトラック運転手。本人も常勤の保育士はやめているようで、PTAの役員やNGOで活動している。“ぼく”はカトリック系の小学校を終えた後、自分で希望し公立の“元”底辺中学校に進み、音楽部活動に励んでいる。元底辺中学校は“ぼく”が入学前から自治体・住民の努力で環境改善が行われ、私立学校とは依然差はあるものの、底辺を脱している(別の見方をすると、底辺に近い労働者階級はこの地区に住めない環境になってきている)。近所づきあい、地域自治事情、学校・交友関係、移民・人種問題、階級・経済格差などを母と子の眼で描くのは前編と同じだが、今回はそれにジェンダーや進学問題が加わる。“ぼく”もお年頃なのである。
英著名人たちの学歴は、小学校の後パブリックスクール(私立の中高一貫校)で学び、オックスフォードやケンブリッジに進んでいる。私立に行けない進学希望者はグラマースクール(公立の中高一貫校)を経て大学受験するのが通例。だから“ぼく”も後者のコースに乗っているのだが、9年生(おそらく中3か高1くらい)やGCSE(中等教育修了全国統一試験;11年生(15~16歳)、中等は中高なのだろう)が出てきて、いささか学制理解が混乱する。学年委員(20名;教員推薦と校長面接)に選ばれるほどの成績で、大学進学を目指しているが、“ぼく”はGCSEと等価(中等教育修了、継続教育認定)のBTEC(商業技術委員会試験)コースを選択する。どうやら音楽関係を学びたいのだが、それはBTECにしかないかららしい。いずこも受験準備は大変な様子が伝わる(父親が数学の成績が悪いことに激怒するシーンがある)。
受験のみならず彼の地の中学校教育の一端を知ることが出来るのも本書の面白いところだ。総選挙の際には、「市民教育」授業(社会科か?)で、各党のNHS(国民医療サービス)、EU離脱、教育、気候変動4分野に関する政策を読みこなし、選挙当日全校生徒が学内投票を行い、大人たちとの選挙結果の違いを検討する。若者に政治に対する関心を喚起する良い試みだ。また、LGBTQ(ジェンダー問題)やイスラエルvsパレスチナ問題に対する学友や家庭内論争の話なども興味深い。教師の中に(Mr・Miss・MrsやHe・Sheを望まない)ノンバイナリ―が居て、彼等はどう呼んでいるかで親子の会話が始まる。父親が「当然Itだろう」というと、“ぼく”は「違う、Theyなんだ」と答える。父親は「なんで複数なんだ!おかしい!」とわめく。同級生同士のやり取りの中でパレスチナ人の生徒が「ユダヤ人なんかくたばれ!」と発したことを聞きおよんだ父(アイルランド系だが生まれも育ちもロンドン)は「カトリック系中学に通っていたころは、俺も「イギリス人くたばれ!」としょっちゅう言っていたぞ」と応ずる。世界に多くの植民地を持ち、早くから多様性を抱え込んでいた歴史が、今日の“ぼく”の学校と家庭生活に直結していく。
家族の話で思わず涙してしまったのは、母方の祖父との別れ。毎年夏休みには日本に滞在。祖父は英語を喋れず、“ぼく”は日本語が苦手。祖母は少々精神を病んでおり、加えて認知症が進んで、家庭内の諸事はほとんど祖父がこなしている。離日の日空港で祖父と“ぼく”が別れに際してメッセージを交換する。“ぼく”が英文で書いた短文は前夜著者が和訳したので中身を知っている。「あなたは謙虚でやさしい人です。あなたがおばあちゃんと一緒にいてくれて、いつも彼女の面倒を見てくれて、僕たちはとてもラッキーです」と書かれていた。保安検査場前でその手紙を著者が父に渡すと、その場で読み、目を真っ赤にして「こいつ、よく見とよ」とつぶやく。“ぼく”もそれにつられて顔を伏せて泣き出す。祖父のメッセージを機内で開くとそこには「シー・アー・ソーン」とある「See You Soon」の意だ。“ぼく”は再び目を潤ませ絶句する。絵の上手い祖父はそこに自分と飼い犬柴犬が涙する姿を描き加えていた。
感性に優れた著者の描写はどこを読んでも鋭い観察眼の中に優しさがある。
6)シルバービュー荘にて
-2020年90歳で逝ったジョン・ル・カレの遺作。人間観察・描写の細やかさは最盛時と何も変わらない-
スパイ小説の巨匠ジョン・ル・カレが2020年12月に没した際、英国の新聞に「ノーベル文学賞を受賞してもおかしくなかった」という主旨の評伝が載った、と日本の新聞が報じていた。童話のメーテルリンク(1911年)、第二次世界大戦史を書いたチャーチル(1953年)、大衆小説家と言ってもいいヘミングウェイ(1954年)が受賞していることを考えると、あながち的外れではない。
組織対組織の戦いの中での人間描写の細やかさ、複雑な諜報戦展開を緻密に組み立てたプロット。サスペンス小説でありながら、主題は解決しても、必ずしもハッピーエンドでない終わり方(代表作の「寒い国から帰ってきたスパイ」ではベルリンの壁を前に主役・ヒロインともに射殺される)。決定的な勝敗が見えない諜報戦の本質をしっかり著し、読者が不安を覚えながら読み終えるところに、他のサスペンス作家とはひと味違う作風を感じる。
ジョン・ル・カレ(本名;D.J.M.・コーンウェル)は1931年生れ。オックスフォード大を出た後パブリックスクール教師を経て1956年国内治安組織MI-5に加わり、1960年海外諜報担当のMI-6に転じている。ここでは主に西独勤務、1963年「寒い国から帰ってきたスパイ」を出版、これが多くの賞を獲得、1964年MI-6を退職し作家生活に入る。爾来2~3年に毎に作品を出しているが、売れっ子作家としては寡作な方だろう。本書はその遺作、英国で発刊されたのは死の半年後であったことが、あとがきの最後に記された“2021年6月”でわかる。これを書いているのはニック・コーンウェル、ジョンの息子の一人(ジョンは2回結婚しており、後妻との子)で作家である。それによれば2020年12月初旬両親宅を訪れた時、ジョンが「もし私が未完成の原稿を残していたら、完成させて欲しい」と乞われていたが、死後本書原稿を見つけた時には完成していたとある。何度も推敲を重ねていたため、出版に至っていなかったようだ。
私のル・カレ作品読書歴は1980年代末期で一度途絶えている。これは彼の作品に限らずスパイサスペンス物が冷戦構造崩壊でテーマを失い、テロ組織や組織内抗争のようなちまちました対象を描くようになったからである。しかし、2014年久し振りに「誰よりも狙われた男」を読んで、テーマ(イランの反西欧)はともかく、人間性の奥底を覗き見るような独特の筆致を味わい、爾後晩年の作品を欠かさず読むようにしてきた。日本語訳の単行本が発売されたのは2021年12月、死の1年後だった。文庫本がやっと出たので読むことにした。
この種の本(サスペンス物)の内容紹介はネタバレにならぬ最小限にとどめるのがいわば掟。さわりは、雨のロンドン、若い母親が赤子を乳母車に乗せ、部(サービス;MI-5あるいは6に相当)で国内治安を担当する主人公スチュワート・プロクターに手紙を届けるところから始まる。この時点でその内容は明らかにされない。舞台は一転イースト・アングリア(ロンドン北東方面;通勤圏内)の海浜小都市へ。シティ(金融街)である程度の成功を収めた青年ジュリアンが開業したばかりの知識人向け書店に移る(我が国の書店事情を見るとき、個人書店開業にいささか違和感を覚える)。人品卑しからぬ紳士が訪れ、未使用の地下室を見てここを「文学の共和国」と名付けるこの街の文学好きのサロンにしようと持ちかける。悪い提案ではない。しかし、この紳士は何者か?調べてみると“シルバービュー荘”の住人とわかる。時代と場所は、冷戦下のポーランドから現下の紛争地帯パレスチナまで広がる。
若い母親を見つめるスチュワートの眼、紳士を探るジュリアンの眼、人を見抜く透徹な観察力の表現。結末も謎を残して終わる。最後の作品の最後の場面までル・カレ調は変わらなかった。
どうやら早川はこれを機にル・カレ作品再販にかかるようで、ここ数カ月の出版予定が帯に記されていた。冷戦終結後読んでいいなかった7月発刊の「パナマの仕立屋(上、下)」を早速購入した。
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