2025年9月1日月曜日

満洲回想旅行(16)


16.ハルビンへ


長春駅改札で今回の旅行で初めてのトラブル発生。夫婦で参加している一組が入場チェックで止められる。大連から同行の添乗員補佐孫さん、長春ガイドの艾(アイ)さんが

改札駅員に抗議するが頑として受け付けない。どうやら「駅事務所へ行け」と言っているようで、時間が迫る中二人はどこかへ消え、しばらくして戻り、二人の入場が許される。あとで聞くと、二人の内のどちらかのパスポートに、他国に旅した際入出国スタンプに不備があったことが原因だったらしい。こんなことは珍しいが、入国時ならともかく、ここまでの過程で一切問題にならなかっただけに、孫さんや艾(アイ)さんにも納得できない突発事故だったようだ。民営化前の国鉄も、いかにも公務員然とした職員がいたものだが、下僚役人ほど小さな権力を振りかざす。そんないちシーンだった。ハルビン経由チャムス行きの高鉄は1426分、正確に長春駅を発車した。


今回訪れた5都市(大連、旅順、瀋陽、長春、ハルビン)の内、旅順以外は戦前一度は滞在している。住んでいた長春、引揚げ途上1カ月近くとどめ置かれた瀋陽、1942年の一時帰国でかすかに風景が思い浮かぶ大連近郊、ここまでは「そこに居た記憶」が残る。しかし、ハルビンを訪ねたのは1939年夏、まだ8ヶ月の赤ん坊、母に抱かれて写した写真が数葉残るだけだ。この時は、母の末弟が旧制中学の夏休み来満、両親が彼をハルビンに案内している。叔父の最晩年「僕が訪れた時はハルピンと言っていたが、最近はハルビンと呼んでいる。どちらが正しいんだろう?」と尋ねられ、答えに窮したことを車中ぼんやり思い出す(駅の英語表現はbであった)。


記憶に全くない地方に踏み込むので、景観の違いに注視したが、見渡すがぎり続く広大な平地はそれ以前の沿線風景とまったく変わりなく、あらためて満洲という土地の特質を印象づけられる。

列車の外観はそれまでと大差ないものの、車輌内装は丸味を持った部分が多くソフトな感じを与える。1606分列車は定刻にハルビン駅に到着した。迎えてくれたのは日本留学も経験している女性ガイドの瀋さん。ホテルは駅北西の松花江沿いに在るのでバスで移動、チェックインし夕食まで休憩となる。部屋は9階で見晴らしは良いが、残念ながらリバーサイドではなく街や駅を見下ろす位置にあった。それまでのシャングリラとの違いは初のツウィンベッド・ルームだったくらい。


夕食にはバスで「龍門貴賓楼酒店」なる所で摂った。実は駅の南側に在るハルビン・ヤマトホテルのレストランである。赤絨毯が敷き詰められたそこは当にクラシックホテルそのもの、部屋は我々貸し切り、ロシア料理のフルコースが供された。今回の旅は朝食を除けば、種類は多々あったものの、すべて中華料理。初めての洋食である。しかし、料理も味も今ひとつ、ロシアの雰囲気さえ感じない内容、ただの三流洋食フルコースだった。赤ワインの小瓶が100元(2000円相当)だったのも、評価を落とした。

ハルビンは大連同様連泊。ホテルへ帰ると洗濯に励むことになる。

写真は上から;長春駅改札、ハルビン駅、生後8ヶ月のハルビン、ヤマトホテルの食事会場

(写真はクリックすると拡大します)

 

(次回;ハルビン観光)

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