2025年9月4日木曜日

満洲回想旅行(17)


17.ハルビン観光-1


626日(木)曇り。今日はハルビン観光一日目、10時にホテルをバスで出発し、向かうは松花江の対岸(北岸)に在る太陽島。ロシア時代に広大な川中島を整備して造られたた大公園である。平日の午前ではあるがバス駐車場の公園入口近くはすでにかなりの数の観光バスが駐車しており、中国人の観光客が大勢公園入口方面に移動している。入口にはかなり距離のある所から歩行者誘導の柵が設けられているところを見ると、休日はかなり長蛇の列となるのだろう。今日はそんなことはないものの、園内を廻るカート待ちの行列は出来ている。既に旅行社が用意したのであろう、我々は2台のカートに分乗して、園内見学に出かける。


最初の下車地は太陽を模した彫像があり、南側にハルビン市内を遠望する岸辺の小広場、ここから見るハルビンは、例によって高層アパート群の林立する、おなじみの風景だった。次は人工の大きな岩が目立つ池。まるでテーマパークのようで、感心しない。この公園か否かは不明だが、幼い頃の写真には母とボートに乗っているものがあり、ガイドの瀋さんに「ボート乗り場はあるか?」と聞いたところと「ある」との返事をもらったが、この公園では見かけることはなかった。


昼食は市内へ戻り「珍粥道」というレストランで摂った。字から想像できるようにお粥の店である。具はいろいろあり、単品で食べられるものが多く、いつもの中華のつもりで、それを食していると、やがて白米のお粥が出てくる。味はついていないし日本のお粥のように梅干しや塩昆布のような塩辛い具がないので、食塩が欲しくなる。ところが醤油や酢はあっても食卓塩は置いていない。ウェイトレスにオーダーすると、一瞬怪訝な表情をして、小皿に塩を盛ったものが供され、皆でそれを回して食した。中国人はお粥を白米のご飯と同じような食べ方をするのかも知れない。


午後の観光はいよいよ“ロシア”。最初は聖ソフィア大聖堂、周辺もロシア時代の建物が多く、赤いクレムリン(城塞)はないものの、大聖堂のタマネギ屋根などチョットしたモスクワ赤の広場の雰囲気だ。大聖堂内は見学不可だが、結婚式のカップルが何組も順にその前で写真を撮っている。若い人に人気の場所のようだ。


広場付近にはロシア時代の由緒ある建物もあり、しばし与えられた自由時間を使って見学をと思ったが、暑さは半端ではなく、ベンチにへたり込んで、ミネラルウォーターを飲みながら、専ら広場を行き交う人々を観察することで終わった。


このあと松花江沿いに長く延びるスターリン(斯大林)公園の一画で、この河をまたぐ長大な鉄道橋、松花江特大橋の袂で小休止、古い橋(1903年建造、現在は観光用)と新しい橋(2015年)が並走しているところを観光する。


次は、100年以上前にロシアが建設・整備したキタイスカヤ(中国人の意)通り(中央大街)。全長1.5km、幅22m、道路全面敷石の見事な通りである。かつては“東方のパリ”とも称され、往時は馬車が往来したのであろうが、今は歩行者天国になっている。古い建物がリノヴェーションされ、現在は通りそのものが、市による保存地区となっている。道路を掃除するおじさん・おばさんによって、ゴミ(見ているとアイルクリームの棒が多かった)は即座に回収される。ここには日本統治時代デパートだった松浦洋行のビルも残り、観光サービスセンターとして利用されている。

大聖堂広場同様ベンチで休んでいると添乗員補助の孫さんがやってきて「どうですか、この通りを行き来する若い女性は?」と聞いてきた。彼に言わせると中国人の女性は北へ行くほど美しくなるのだという。通りでじっくり通行人を観察したのは瀋陽以来、格別それと差があるとは思えなかったが、日本でも秋田や新潟は美人の産地と言われることを思い出した。


 

写真は上から;ハルビン地図、太陽島カート、太陽島シンボル(市内遠望)、人工岩と池、レストラン珍粥道、大聖堂、大聖堂広場近景、スターリン公園から望む新旧鉄道橋、キタイスカヤ通り(旧松浦洋行付近)、おじさん掃除夫、旧万国洋行(商店街)

 

(写真はクリックすると拡大します)

 

(次回;ハルビン観光 つづく) 

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