2009年7月14日火曜日

決断科学ノート-13(政治家の決断)

 “決断科学”の由来は、このノートを始めるに際して紹介した。“Decision Science”の日本語訳である。通常“意思決定科学”と訳されることが多いが、リーダー(政治家、軍人、経営者など)の意思決定には冷徹な判断を伴い、断固実施する強さが必要なので、あえて“決断”とした。自分でも吃驚しているのだが、最近はメディアでこの字を目にしない日は無い。特に昨年の麻生政権誕生以降、異常に多い。しかし、わが国の国政を見る限りそれは“決断”ではなく、専ら“合意形成”である。結果、このための探り合いに時間をとられて、とうとう衆議院解散は当初の予定より1年近く経ってしまった。賞味期限の切れた“お待たせ解散”の結果は如何に?
 軍事や経営に比べ、政治の決断は“合意形成”の度合いが高い。これこそ政治そのものだと言っても良い。また、軍事はともかく、経営でもわが国では全般的に決断の前提としての“合意形成”が重要で“根回し”が欠かせない。“合意形成”重視の国民性の上に乗る、政治と言う“合意形成”の場のリーダーの、容易ならざる立場に同情すら感じてしまう。
 小泉政治の人気も誹謗も、このわが国伝統の合意形成ベースの意思決定に逆らい、個人としての人気に基盤を置いて、一人(無論ブレーンはいるが)で事を断じて行ったところに在ったと言っていい。小泉内閣の最盛時、ある自民党長老政治家が「日本の総理は大統領ではない」とあの独断専行ともいえる政治姿勢に苦言を呈していたが、反対者には刺客を送ってまで潰していく独特の政治スタイルは、政策の是非はともかく、リーダーとして頼もしくさえ感じた。これが大方の国民の思いだったのではなかろうか?彼にそれが出来たのは、一匹狼・奇人変人と言われながら、地方代議員を含む選挙で大勝したことによる。   ここには旧来の長老や派閥による政治力学が効かなかった。

 経験(年功)は貴重な意思決定の因子である反面、変化に対する抵抗が強い。長期間政治家でいることは既得権を守る側に回る。その既得権も支援者や派閥絡みのもので、リーダーの一存では如何ともし難い。既得権で自縄自縛になっているのが今日の有力政治家の姿である。当然見せたくないものがあり、意思決定のプロセスを外から分かり難いものにしていく。数理の出番など全く期待できない(官僚の既得権保持・拡大のために審議会などでは巧みに数字が引用される。また、ゲーム理論やそれを発展させたドラマ理論などは、交渉のテクニックとして存在するが国政の場でどの程度利用されているのか不明)。
 しかし、最近の地方選挙を見ていると、驚くほど政治経験の浅い若者が首長などに選ばれている。今度の都議選でも民主党は素人だらけ、同党の落選議員は比較的ベテランである。この若者たちは、おそらく政策決定にしがらみは少なく、そのプロセスの透明度を上げても醜いものが出てくることはなかろう。合意形成に選挙民の参加感がより高まり、サイレント・マイノリティの一票が生きてくる選択と感じているのではなかろうか。
 ただ、要注意は半ばプロフェッショナル化した政治NPO・NGOが彼ら(彼女ら)を取り巻いており、新たな権益獲得を虎視眈々と狙っている。この点の監視を怠らないことが肝要である。下手をすると今の自・公連立のように“少数決(公明党の意見)”で政治が振り回されることになる。これでは新しい政治を期待した選択も旧に復してしまう。

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