そんな8月のある日、秋に予定していたイタリア旅行の相談のため、大学時代の親友、MTに会った(本報告-2“友の死”に登場)。食事中の会話の中で車の話しになり「今度のボクスターは素晴らしい」と自慢すると「何が?」と彼が尋ねてきた。予期せぬ質問に一瞬絶句してしまった。自分にとっては“全てが良い”のだがこれでは答えにならない。熱烈な恋をしている相手をどう第三者に説明して良いのか分からないのと同じである。いっとき間をおいて考えたことは、一つは自分が今まで所有した車との比較、もう一つは彼が「これはチョッと良い車なんだ」とアトランタ近郊を案内してくれながら語った記憶である。
アメリカ駐在の長かった彼に彼の地で初めて会ったのは、1982年の9月下旬シカゴだった。私はその時エクソンのエンジニアリング・センター(NJ)に出かけその後シカゴで用事があった。アトランタに仕事場も家庭もある彼と会うことは無いが、一言電話でもと思い自宅に電話したところ、夫人が出て「主人は今シカゴに出張中なの、連絡先をお教えするから電話してみて」と言うことで、偶然シカゴで会うことができ、「初花」と言う日本レストランでご馳走になった。このとき聞いた、異国で仕事をすることの難しさ・覚悟は今でもよく憶えている。「最低5年は居続けなければモノにならない」と。
二度目に彼に会ったのは1996年11月アトランタで開かれたアメリカ石油学会(NPRA)のコンピュータ関連会議に参加した時である。当時彼はアメリカ2度目の駐在でアトランタ交響楽団の会員になるほどアメリカ社会に溶け込んでいた。会議が始まる前に提携先のソフト会社への表敬訪問もあり、少し早くアトランタに乗り込み、彼等夫妻に土日を利用して市内・近郊を案内してもらった。名前は忘れたが、フラワーガーデンで有名なゴルフクラブでの昼食やルーズヴェルトが息を引き取った、ウォーム・スプリングズのリトル・ホワイトハウスを訪ねたことは忘れ得ぬ思い出でだ。このドライブの最中彼がつぶやいたのが、先の「これはチョッと良い車なんだ」である。
この時の車はトヨタ・カムリ、いまでこそ日本でも知られているが、この時はアメリカ仕様が出たばかり、私は初めて耳にする名前だった。当時の日本車と同じようなサイズだがエンジン容量は3Lもあり、軽い車重と相俟って加速時や長距離高速運転に余裕があり、アメリカの5L級の車と遜色ない走りが出来るという。この余裕が彼の評価する「チョッと良い」点なのだ。アメリカと言う、車が日常生活の中で欠かせない社会における、普通の人(彼は自動車そのものや運転を楽しむタイプの、カー・マニアではない)の評価と言って良い。その彼が発した「何が?」に簡単に答えることは容易ではない。
老若男女共通する車の評価は何と言っても「カッコ良い!」がまず第一番。これは大切なことだが、今の日本車には全く感じられない。この点では何と言ってもイタリア車だろう。ボクスターを含めてポルシェのデザインはシンプルで飽きは来ないが、「カッコ良い!」車ではない。
スピード、加速力(停止状態から400mを何秒で走るかのような)も車の性能を表す代表的な数値である。この点ではボクスターもなかなかのもの(最高速度258km/h)だが、一般道路で確かめられるようなものではない。これも答えにはならない。
結局、私が評価しているのは、カーブでの高速安定性や、高速道路での瞬発力、ブレーキ性能、緩急をつけた運転時での乗り心地なのだが、これはある程度それなりの運転をして初めて分かるものだし、場所を選ぶ。それを楽しめ、確かめられるのは、私設有料道路で交通量も少ない箱根ターンパイクやドライビング・スクールでの走行になる。したがって、その時彼の質問に的確に答えられなかったわけである。
惚れた女性は残念ながら(?)良妻賢母の基準では計れないのだ。
(写真は2枚とも富士スピードウェイ・ショートサーキットにて。ダブルクリックすると拡大します)