2009年8月10日月曜日

センチメンタル・ロング・ドライブ-48年と1400kmの旅-(15)

15.走馬灯の40年-3<SSS後の所有車-3>
 2002年、東燃入社以来満40年になった。昔は区切りの年として永年勤続を表彰され、記念品をもらう年であった。この制度はその後改められ15年をスタートに10年区切りになっていたし、会社自身が横河傘下になっていたので適用されることはなかった。しかし、自分では記念になることを何かしたかった。次女も大学を卒業・就職し、やや生活にゆとりも出てきた。意を決して、念願だった本格的なスポーツカーを購入することを目論んだ。
 一家に2台車を持つことに抵抗が無かったわけではないが、当時母が重度の介護状態で老人病院に入院中、毎週日曜日は見舞いに出かけていた。そのための専用車と言う意味合いもあり、合意形成に至った。
 さて、何を買うか?今までの車選びとはまるで状況は違う。“運転を楽しむ車(Fun to Drive)”をあのSSS以来34年振りに味わえるのである。実は、10年以上前から2台目の車所有は心に在った。退職したら好きな車であちこち走ろうと。その当時欲しいと思っていたのはマツダ・ロードスターであった。この車は戦前から1960年台くらいまで欧州、特に英国で人気のあった“ライト・ウェート・スポーツ”を現代に蘇らせ、ソフトトップ(オープン可)2座のスポーツカー復興の嚆矢となった名車である。現代の日本車で世界マーケットにこれだけ影響を与えた車は未だ出ていない(プリウスにその潜在性はあるが)。
 候補はこのマツダ・ロードスター、ホンダS2000、トヨタMR-SそれにMGB(英ローバー社)、いずれもソフトトップ2座の小型車である。ロードスターとS2000はフロントエンジン・リアドライブ(FR)、オーソドックスなドライブトレインである。それに対してMR-SとMGBはミッドシップ(エンジンをシートの直後に置く;F1と同じ)。この中でスポーツカーとしての本格性から言えばS2000が別格である。エンジンもミッションもこの車のために開発されたものである。それだけに値段も別格であった。それにホンダには前回紹介のアコードのトラウマがある。MGBはローバー社の経営状態が怪しくなってきていた。外車はただでさえ維持サービスに問題がある。英国生まれの正統性に惹かれたが、候補から脱落した。ここまでは机上検討である。FR、ミッドシップ各一台が残った。
 いよいよ試乗比較である。チェックリストを作ってディーラーを訪れた。さすがロードスターはよく売れていることもあり、予告もせずに訪れた店に試乗車が準備されていた。5段マニュアルのそれは予想通り素直で乗り易い車だし、小型乗用車的で使い勝手も良い。特に、MR-Sと比べトランク容量は大差があった。ただ実態は普通の車である。
 MR-Sはまるで国内で売れていない。近くの販売店に行くと、試乗車を準備するには1週間欲しいと言う。ミッドシップは生まれて初めて乗る車、自宅近くのテスト用の道を慎重に考えた。朝比奈から鎌倉に抜ける丘越えワインディング・ロード、横々道路での高速オープン走行、金沢文庫駅周辺の一般道(これはシーケンシャル・マニュアルと言う変速機の扱い方をチェックするため)。試乗当日担当セールスを乗せて近隣を2時間弱乗り回した。ワインディング・ロードではミッドシップ(エンジンが車体中心部にあることで操縦性が安定する)の本領発揮、ハンドリングと車の軌跡が思い通りに行く。他のトヨタ車と違い脚も硬めで安定性が良い。高速道路でのオープン走行も風の巻き込みがほとんど無い。シーケンシャル・マニュアル(F1と同じ)はマニュアル車のダイレクト感をツーペダル(AT同様クラッチペダルが無い)で味わえる。“Fun to Drive”でMR-Sに旗が揚がった。しかし、問題点が無いわけではない。荷物がほとんど積めないのである。僅かな収納スペースがシートの後ろにあるのだが、ここには小型のボストンバッグが2個程度である。しかもエンジンの熱が伝わってくる。とても家族との長距離ドライブには向かない。
 「何のために2台目の車を買うのか?」「(一人で)運転を楽しむためである」「それならば収納スペースは問題ではない」と自問自答してMR-Sの購入を決した。ダークグリーン(ブリティッシュグリーン)の車体、ソフトトップはタン(薄茶)、シートも本皮のタンで決め、ナンバーは入社時与えられた従業員ナンバーと同じにした。納車は東燃創立記念日7月5日の数日前だった。
 グランドツーリングとは言えないが、軽井沢、諏訪湖、伊豆、石和温泉、湯河原などへの一泊旅行に出かけた。軽井沢の帰り小海線沿線を走り、中央高速道へ出た時はもう日はとっぷり暮れ、おまけに激しい雨、大型トラックに挟まれながら走る恐怖(小さい上に車高が低く、トラックのタイヤに押しつぶされそう)はこの種の車で無ければわからない。12月石和温泉から新御坂トンネルを通らず対向車も無い日陰にそこかしこ雪の残る旧道の峠道を飛ばした。御坂峠頂上で目の前に現れた真っ白な富士山。思い出に残るシーンである。もちろん東燃同期入社の湯河原一泊旅行はこの車で馳せ参じた。
 運転に関して得がたい経験をしたのもこの車である。新潮社から出ている“ENGINE”と言う自動車雑誌がある。ここが3ヶ月毎(だったと思う)に主催する“ドライビングレッスン”に参加した。場所は筑波サーキット、午前中は楕円走行やブレーキング、午後がサーキット(ショートコース)走行である。思い切りブレーキを踏むだけでも日常は先ず経験しない。雨中のサーキット走行では派手にスピンをしてしまった。しかし、周回を重ねるごとに加減速・コース取りに慣れ、タイムが上がって行くことにささやかな満足感を得たものである。
 この車には渡英直前、2007年4月まで5年乗り、長期保管先(当初1年の滞在予定だったこと、家族は誰もこの車に触れようともしないため)が見つからず売却した。この年MR-Sの生産も終わった。そしてS2000も。 

 英国にわたり日本とは比較にならぬくらいこの車を目にした。日本のモータリゼーション(車と社会の関係)との違いは明らかである。日本では自動車は“文化”の一部では決してない!悲しいことである。文化に昇華できない耐久消費財は、やがて追随者に取って代わられる。
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