2009年12月3日木曜日

今月の本棚-15(11月)

<今月読んだ本(11月)>
1)ザ・コールデスト・ウィンター 朝鮮戦争(上、下)(デーヴィッド・ハルバースタム);文芸春秋社
2)ノモンハン戦争(田中克彦);岩波書店(新書)
3)貧者を喰らう国(阿古智子);新潮社
4)日本辺境論(内田樹);新潮社(新書)
5)アメリカはなぜイスラエルを偏愛するのか(佐藤唯行);ダイヤモンド社
6)シベリア抑留(栗原俊雄);岩波書店(新書)

<愚評昧説>1)ザ・コールデスト・ウィンター -朝鮮戦争-  2007年4月、本書の最終ゲラに手を加え終わった翌週、取材途上の自動車事故で亡くなったハルバースタムの遺作である。ニューヨークタイムズの記者としてスタート、アメリカの20世紀後半から現代までを代表するジャーナリスト、ノンフィクションライターそして歴史家。最初の大作、ケネディ政権(特にヴェトナム戦争)を描いた「ベスト・アンド・ブライテスト」(1972)でピューリッツァ賞を得てこの世界の第一人者として認められ、「メディアの権力」、「覇者の驕り」(日米自動車戦争)、「静かなる戦争」(クリントン政権と冷戦後のバルカン)など次々と話題作、それも大作を発表してきた。
 その手法は綿密な調査、特にインタビューにあり、個々のエピソードがやがて大きな世界史の流れに変わっていくところは“ハルバースタム・スタイル”として、ノンフィクションの型を作ったと言える。本書も当にそのスタイルで書き上げられている(上下二巻で1000ページを超える)。
 著者あとがきによれば、本書の取材活動はここ10数年だが、動機は1963年ヴェトナム戦争取材中に接した、朝鮮戦争従軍経験のある中佐との会話に発すると言う。自分とさして歳の違わない若者(筆者は開戦時15歳;因みに私は12歳)が、ほとんどのアメリカ人が場所も知らないところで、今まで経験もしたことの無い戦争(厳寒、山岳地帯、悪路、ゲリラ、人海作戦)を戦ったことを知らされ、この(アメリカ人に)“忘れられた戦争”をいつか書かなければならないと思い至る。だからプロローグは「歴史から見捨てられた戦争」と題して始まる。
 日本から開放された朝鮮は、もともとは一つの国だった。38度線は第二次世界大戦後処理の最も曖昧な形で決まったソ連・アメリカの勢力分割線にすぎない。そこがどうなっているのか世界のほとんどの人は知らなかったのだ。アメリカ軍は僅かな軍事顧問団を駐在させていたが実戦力は無に等しい。1950年6月25日朝T-34戦車を先頭に北朝鮮が南に向かって電撃攻撃を仕掛けてきた。米韓軍はアッと言う間に釜山橋頭堡まで追い詰められる。もう一息で半島全体が共産化される寸前、マッカーサーの仁川上陸作戦が成功、こんどは国連軍が38度線を超えて鴨緑江に迫る。マッカーサーは「クリスマスまでには終わる」と豪語した時、中共義勇軍が参戦、第三次世界大戦の危機が迫る。
 厳冬の朝鮮半島、音も無く忍び寄り包囲する中共軍、非対称(兵器・戦術・組織などの異なる)戦争の始まりである。マッカーサーの独断と偏見。チャイナロビーの暗躍(国府軍を中共軍に対抗させることを目論む)。分裂するアメリカの外交・軍事戦略。寒さに凍える兵士の息吹から議会に飛び交う怒号まで、ノンフィクションライターの筆は冴え渡る。戦場の臨場感もさることながら、アメリカの国内政治、マッカーサー(東京)とトルーマン(ワシントン)の葛藤を綴る段で、当時のわが国民主化の手本であったアメリカ民主主義が危うく独裁者の手に委ねられそうになる実態を焙りだす。さすがハルバースタム!彼の手で朝鮮戦争は歴史にきちんと位置づけられた。
 それにしても、帝国陸海軍は真の責任者不在の酷い組織と思っていたが、アメリカ軍も負けず劣らずひどいものだった事を知った。
 ニューヨークタイムズ時代の筆者の同僚は「この本は朝鮮戦争を描きながら、本題は現在戦われているイラク、アフガニスタンにある」と述べている。アメリカが戦った非対称戦争の最初の例であり、ここからの苦い貴重な経験がその後のヴェトナム戦争さらにはイラク、アフガン戦争にまるで生かされていないことに対する憤りと言うことであろうか?
 優れたジャーナリスト・歴史家の歴史の見方を学んだ本と言える。2)ノモンハン戦争  先月の“ゼロ戦”同様、もう書き尽くされたと思っていた“ノモンハン事件”ものだが、副題の-モンゴルと満州-に惹かれて読むことになった。
 読後感は、極めてユニークな視点から書かれており、この事件(戦争;大命は下っていない(関東軍が勝手にやった)のでわが国では当時“事件”と言った)の奥の深さを初めて知らされ、歴史とは角度を変えるとまるで異なるものになることをあらためて学ぶことが出来た。
 筆者は現代蒙古語・蒙古学の専門家。頻繁にモンゴル、ソ連(ロシア)、中国を訪れ、現地の学者と交流しつつ調査研究した結果である。したがって、本書は戦術や戦闘を描いた従来のものとは全く異なり、大国に翻弄される蒙古民族史の立場で書かれた学術研究の趣が強い。
 事件当時のモンゴル共和国(外モンゴル)はソ連の衛星国、日本が作り上げた満州国の北西部はモンゴル人の居住地、内モンゴルは中国の一部そして満州・モンゴルと隣接するシベリア南部には同属のブリヤート人が住んでいる。そこには汎モンゴル主義とでも言うべき共通基盤があり、ソ連・中国はそれを警戒しその動きを嫌う。それに引きかえ満州国のモンゴルは比較的縛りが緩かったようで、他のモンゴル(特に外)は満州モンゴルの扱われ方に注視していたようである。
 遊牧民は放浪の民で国境の概念が曖昧と言うのは見当違いで、遊牧民だからこそ部族毎に放牧地の縄張りは明確に定められていた。ただその境界は川や山のような自然物ではなく、古くからの道標や塚などであった。事件のもととなるハルハ川の東西は彼等にとってその境界ではなかった。そこに事件の一つの鍵がある。
 ロシア革命でモンゴル共和国と言う独立国を得たモンゴル人だが、ソ連の内政干渉は激しく軍事協力(進駐)を執拗に迫ってくる。突っぱねる国家指導者はモスクワに呼びつけられ変死する者もでる。折しもソ連では軍部の大粛清が行われている。そんな時些細な国境侵犯(モンゴル人は侵犯したとは思っていない)が切っ掛けであの事件は始まった。ソ連はこの時とばかり援軍を送ると称してモンゴルに進駐する。外モンゴルの戦死者は200余名と言われるが、この事件を契機に政治的弾圧(チベット仏教の影響力排除)が荒れ狂い百倍もの犠牲者を出したとの報告もある。
 大国の意地の張り合いで始まったあの事件は、外モンゴルの人々にとっては民族的大厄災事だったのだ。

3.貧者を喰らう国
 異色の中国モノである。専門用語ではエスノグラフィック・スタディ(民俗誌的研究)という手法によるフィールドワークを行って集団や人々の社会生活を観察し、体系的な整理を行い、中国を理解しようとするものである。この手法では“現地の社会に(出来るだけ)溶け込んで”調査することがポイントになる。取り組んだ対象は「弱者」、農民や農工民(農村戸籍の出稼ぎ人)である。
 筆者は大学では中国語専攻、大学院で国際関係に移り、それ以降日本大使館専門調査員などを務めその研究を続けてきた人である。大学院時代の現地小学校や中学校の教師、その後のODA絡みの農村における農業灌漑事業や学校建設プロジェクト、中国のNGOに参加しての出稼ぎ労働者実態調査など通じて、地元にどっぷり浸かって行ったフィールドワークだけに、臨場感に富む。決して多くは無いが、自ら撮った写真も研究と現地の事情理解に効果的に使われている。
 国際社会での大国としての姿や、いまや世界の景気回復を一国で支えているように見える中国の、農村や都市の場末にしわ寄せされる開放経済・豊かさのひずみ;貧困や病気、末端行政機関の経済的収奪などを具体的に取り上げ、存在感を高めてきているこの国の影の部分を、弱者の立場から分析し問題提起している。
 その根本的な問題点の一つは、農民と都市住民を峻別する戸籍制度だが、これを一律にすることの困難さは当に現政治体制の維持と深く関わるため、容易でないこともこの本でよく理解できた。
 中国に在る先進国と発展途上国ほどの格差から日本を見れば、そこに在る格差は微々たるものとも見えるが、“格差耐力”の強さは圧倒的に中国にあり、万事平等を求めるわが国社会に脆さを感じると言う筆者の結びは、読者への挑戦的問いかけと言えよう。
4.日本辺境論 以前「私家版・ユダヤ文化論」を紹介したユニークな文化論を展開する内田樹の本である。書店に並べられた初日(11月17日)に買ったが既に10万部突破のベストセラーである。
 中華はもとより、西欧文明からも遠く離れた日本は、長く世界の辺境であった。だからこれら文明の地とは異なる辺境文化が育まれた。その特質を検証し、積極的に生かしてこれからも生きていこうと言うのが本書の論旨である。
 「世界はこうだ!」と(世界に向けて)言い切るような思想も人物も出ていない。常に他者と比較して自らの位置づけを行う、あるいは基点とする。そのために常時周辺の動きを探り、利用できるものは取り込んでいく。このため積み重ねで作り上げられる重厚な文化が出来上がらない(逆に縛られることも無い)。個人レベルでも国家レベルでも「きょろきょろして新しいものを外なる世界に求める」(丸山真男)態度こそまさしく日本人のふるまいの基本パターンであり、よその世界の変化に対応する変り身の速さ自体が、伝統化している。
 決断科学の面でも面白い論を展開する。他者との比較で自らを位置づける辺境人は「何が正しいのか」を論理的に判断することよりも、「とりあえず今ここで強い権力を発揮しているものとの空間的遠近によってなにをすべきかが決まる」 と言う。ビジネスマン人生で頻繁に見てきた意思決定方式である。
 これだけだと如何にも“付和雷同、物まね上手の田舎者”と断じられているようだが、辺境人ゆえに「学ぶ力」「学ぶ意欲」「先駆的に知る力」;“自分にとってそれが死活的に重要であることをいかな論拠によっても証明できないにもかかわらず確信できる力”に優れている(最近の教育でそれが劣化してきているが)と結んでいる。
 日本そして日本人の未来もそう悲観するものではないと感じさせてくれた。

5.アメリカはなぜイスラエルを偏愛するのか
 発刊は大統領選挙遥か前である(2006年)。この本を選挙前に読んでいたら、その動向が少し面白く考察できたかもしれない。ユダヤ系アメリカ人パワーの凄さを解説する本だが、その焦点は専ら国際・国内政治に合わされているからである。
 外国人、特にアメリカ人と直接付き合うようになってユダヤ系が気になってきた。ExxonでもIBMでもエンジニアにこの系統の人が多かったことによる。少し親しくなると「ジューイッシュ」だと自らその出自を語るが、そこには“差別され続けてきた”ユダヤ人と“傑出した”ユダヤ人と言う複雑な思いが込められているように感じた。これが相互に理解できるようになると親密度は一気に高まる。
 アメリカにおける人口比は2%弱、しかし下院では6%弱、上院では11%を占める。人口比率が最も高かった1930~40年代(3.6%)には下院1.4%、上院はゼロだったところからここまで大躍進したのである。この背景は何と言っても財力で、全米富豪トップ(個人資産)100人の内32人がユダヤ系、私の仕事に近いところでは、マイケル・デル、ラリー・エリソン(オラクル)、スチーブン・パルマー(マイクロソフト)がこの中に入っている。またこのリストには入っていないが、今をときめくグーグルの創設者;サーゲーリ・プリンとラリー・ページもユダヤ系である。一方でハードカバーの半分はユダヤ系の人に買われていると言うように知的世界(学者、専門職、作家・ジャーナリスト、芸術家)でも人口比とは桁違いの実績があり、“決断科学”と密接に関わる応用数学の世界は完全に“ユダヤマフィヤ”に牛耳られている。握られているのは金だけではなく高度な専門情報と独特の宗教感の下で政治家たちを動かしているのだ。
 ユダヤパワー恐る(畏る)べし!
 ユダヤ人史専門の学者が書いたものだが、肩を凝らさずアメリカ、イスラエルそしてユダヤ人の関係を理解するのに適当な本であった。
6.シベリア抑留
 風化し始めた歴史の一こまを小通史としてまとめたものである。筆者は若い新聞記者。昨年新聞に連載したものに手を加えたもののようだ。あの戦争を知らない人にあの悲劇全体を伝えるものとして、思想的偏見も無く(戦争もの、とくにシベリア抑留はその傾向が強い、まして岩波では)、好著と言える。
 しかし、満州で子供ながらに身近にソ連進駐軍の蛮行や父を含む大人たちのシベリア送りへの恐怖を見聞きした者にとっては淡白すぎる読後感であった。
 ちょっと面白いと感じ、もっと掘り下げて知りたいと思ったのは、同じように勾留されたドイツ人捕虜との比較である。仕事を通じたロシア人との付き合いの中で、ドイツ・ドイツ人に対する畏敬の念を感じただけになお更である。これは別のテーマかもしれないが。
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