中央推進チーム(以下中央チームと略す)によるヴェンダーセレクションは提案内容検討(仕様のみならず、価格や開発スケジュールなど)や社内関係者からのヒアリングを終え、さらにERE(エクソンのエンジニアリング・センター)との共同検討に進んでいった。IBM、ハネウェルからより核心に迫れる情報が得られることもあるし、何といっても従来の選択とは違い、見積もり照会段階からEREと一体となってやってきたので当然である。両グループの提案とも一長一短があり、EREが何か決定的な発言をすることもなく、最終決定は東燃に任された。
この最終決定は、中央チーム(チームリーダー;MTKさん)が検討結果を整理し、東燃・東燃石油化学両社の技術担当取締役(全体計画推進委員会の委員長・副委員長)に説明して下したものである。結論はIBM・横河グループ提案の採用である。
この決定に至る節目節目に説明を受けたり、それに対する意見具申をする機会はあったものの、中央チームのメンバーでなかった私には、EREを含めて本件に決定的に影響力のある人たちがどのような考え方を持っていたかは、人づてに洩れ聞こえてくる情報しかなかった。EREはハネウェルとの新システム共同開発にのめり込んでいたことから、不本意な結論だったことは推察できる。しかし、エクソングループではこの当時、エクソンUSA(ベイタウン製油所のユーティリティ・プラントでACSを試験中)とインペリアルオイル(カナダ資本とエクソンの合弁会社;ストラスコーナー製油所にアフィリエイト初の実験段階のACSを導入していた)がACS導入に傾いていたことからも、強く反対する理由は無かったものと思われる。中央チームは無論これら関係会社とも情報交換をしており、‘79年私がTCC(エクソングループ全体のコンピュータ・通信技術会議)で会ったエクソンUSAの推進派中心人物、ボブ・ボルジャーとも接触していた(後年この件がもとと思われることでボブはエクソンを退職、結局USAはハネウェルの新システムを導入することになるのだが、この時点では最も熱心なACS派の一人だった)。
中央チームが我々に説明してくれた決断要因は;1)機能仕様上、両グループのシステムに大差は無い、2)ハネウェルの新システムの開発スケジュールに不安が残る(実際この時の提案通りのスケジュールでは進まなかった)、3)価格においてIBM・横河グループの方が有利なことからIBM・横河に決めた、と言うことであった。
結果はグループ内に開示されると伴に、中央チームから山武ハネウェル、横河電機、日本IBMに説明され、EREを通じてハネウェル本社、IBM本社にも伝えられた。グループ内ではこの結論に反対や疑義を投げかける意見は全く聞かれなかった。
しかし、敗れたハネウェルはそのまま引き下がるわけには行かない。日本で、米国で巻き返しが始まった。しかし、一旦下した結論を逆転するようなものではなかった。最後に来たのが当時のハネウェル会長、S氏のMTKさん宛ての手紙である。そこには「東燃はアンフェアーである」と書かれていた(実物を私は見ていないが、直接本人から聞かされた)。エクソン上層部に写しが行っている可能性もある。断が下されたのは1980年、エズラ・ボーゲルの「Japan as Number 1」が話題になっていた頃である。日本経済は日の出の勢い、日米経済問題が最大の両国間懸案事項であった。これを解決する場として日米賢人会議と言うものが数年前から開催されていた(現在も継続されているが、内容は必ずしも経済問題ばかりではなく、安全保障や環境問題なども論じている)。日本側の代表は大来佐武郎氏(元外相)、米国代表はこのS氏である。こんな大物からの非難の手紙を受け取ったMTKさんの心中やいかばかりであったろう。それでも結論が覆ることはなかった。
(次回予定;派米チームの苦闘)
2011年8月19日金曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿