歴史のある和歌山工場のもう一つの弱点は計器室の多さだった(結果として人も多い)。昔はプラントを作るたびにその近くに計器室(兼運転員の待機室)を建ててきた。1960年代半ば以降建設のプラントでは、プラント自身が統合されるので、従来なら複数の計器室になるものが一つになり、係や課も少なくなっていたが、それ以前のものは一直(チーム)数人のオペレータのプラントでも計器室が在ったくらいである。
TCSプロジェクトが始まった頃には計器室の数は18もあり、工場中に散在していた。グラスルート(更地)で建設するならば、二つ(オンサイト、オフサイト各一)で充分だろう。和歌山工場ではプロジェクト開始時、真剣に18を一つにする案の可否・是非から検討を始めている(工場の中心部あるいは本事務所に全ての運転室を統合する)。さすがにこれは無理で(中心部に充分な用地を確保できない。本事務所の位置は主要プラントから遠すぎる)、四ヶ所に運転センターを設ける案に落ち着いた。名称上(実際には石油化学、動力などのプラントも含む)は、燃料油第1・燃料油第2・潤滑油・オフサイトである。ただ、工事上は一気に四ヶ所に集約することは得策ではなく、一旦既存計器室にTCS用オペレータズ・コンソール(運転操作卓)を設置し、数年後にこれを移設統合する二段階方式が必要なプラントもあって、最終形態になるまでには10年(1982年から92年まで)を要している。
このような段階方式が可能になるのは、TCSによるプラント運転がコンソールのみで行えるようになったからである。従来のパネルや筐体方式ではその移設が難工事で、経済的にもプロジェクト的(特に時間)にも実質不可能であったろう。コンソールの場合はそれだけを移設すればいいので(ケーブル延長工事はあったが)、容易にどこへでも移動させることが出来るメリットをフルに活用できた。
この計器室統合に併せて運転・管理方式変更、そして組織改編が当然行われる。小プラントの運転は兼務にし、異常時の応急対応方針を少人数で出来るよう変えるなどして要員減を図るのだ。組織では特に係が大幅に減る。ただ係の日勤者は係長と日勤スタッフ数人で構成されるのでそれほど大掛かりな減員はない。大きく効くのは交替職場の要員を減らせたときである。交替職場は複数のチームで構成される。今は労働時間が短縮されチームの構成が複雑になっているが、昔は4チーム方式だった。Aチームは朝8時から夜8時まで、Bチームは夜8時から朝8時まで、Cチームは翌日の勤務に備えて休養中、Dチームは公休を取っている、と言う具合である。
もし1チームの仕事を一人分減らすことが出来れば4人の減員が可能になる。ただそれには何人かの仕事量をそれぞれコンマ以下減じ(0.X人分)、それ加算して一人分にしても実現は出来ない。人間は分割・合成できないからだ。仕事の内容を整理し、確実に一人減らせる運転方式を作り出す必要がある。ここが運転要員合理化のポイントなのだ。
和歌山TCSプロジェクトでは始めてから更新だけで10年かかることになるが、600名強の要員(配員は教育などもあり若干多い)を400人強まで約200名減らしている。“What’s New?”はこうして確実に見えるものになったのである。
訂正.:ヴェンダーセレクションを1980年としているのは誤りで、1981年でした。それ以降の派米チームの苦悩も1年近くずれ、和歌山工場への持ち込みは1982年秋、最初のプラント、BTXの切換えは同年12月になります。訂正し、お詫びいたします。
(次回予定;“和歌山工場導入”つづく;BTX運転開始とそれ以降)
2011年10月13日木曜日
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