横浜駅での再会は10時半、インターコンチネンタルのランチは11時半からなので、少し時間がある。先ず出かけたのは横浜高島屋である。若い女性には興味があるだろうとのとの読みからである。確かにJiayingは高島屋だけではなくそごうが在ることも知っていた。しかし、ここで彼女の関心事に付き合うと時間のコントロールが大幅に狂う恐れがある。「買い物は帰りにね」と言うことにして、予め計画していた雛人形の特設展示場に直行する。女児のお祝いであることと併せて、種類・大きさ・値段その違いに質問続出、全員で話が出来る良い交流の場が直ぐに出来上がった。
次いで地下鉄でみなとみらい駅に向かう。駅からホテルまでは長い回廊がありそこには日揮の本社も在る。アルジェリアでのテロ事件は石油関係者には身近な話題だ。彼らもこの事件をよく承知しており、これも共通に語れる材料だった。
ホテルは回廊の先が海に接する所にある。予約をしておいたので席も港が望める窓際に用意されていた。Jiayingのアレルギー体質を慮って決めたビュッフェスタイルのランチは、料理の種類も豊富で、あれこれお気に入りを運んできては食べていたが、ことのほか気に入ったのはカボチャである。自分の分だけでなくIt Chengの分まで取ってきて、二人で「甘くて美味しい」と感激している様子。聞けばシンガポールにも最近は日本の食材(特に野菜)が出回っているようだが、質の高さが評価される一方、値段も高く気軽に口に出来ものではないらしい。意外な発見であった。
ランチが終わったところで次女は仕事のために皆と別れければならない。話は専ら次女の仕事・生活に転じていく。若い女性が中心に会話が行われると席が華やぐのが良い。
やがてランチはお開きとなり、Jiaying、It Cheng、家内と私の4人で中華街に向けて散策することにした(路線観光バス;赤い靴号があることも説明したが)。先ず旧貨物線を遊歩道化した道を辿って赤レンガ倉庫地区へ向かう。広場では高知の物産展が開催されており、そこに坂本竜馬像が置かれている。It Chengは漢字がかなり分るので、説明文から日本近代化のヒーローの一人であることを理解しJiayingに説明している。
ここからさらに大桟橋に向かう。幸い風もなく午後から日差しも強くなり、2月初旬としては暖かい。見るとコートを既に脱いでいるにもかかわらず二人とも薄っすら汗をかいている。Jaiyingが少し参った感じなので「大丈夫か?」と問うと「暑いのでどこかで衣服を整えたい」と言う。大桟橋の化粧室近くのベンチで着替えをするのを見ていると、寒さへの備えが我々とかなり違うのだ。厚手のウールのシャツ(下着?)を直に着ているので、汗が吸収されないだけではなくチクチクしているらしい。とにかく下に着ているものを減らし、大桟橋のユニークなデッキを巡り微風に当ると元気回復。さかんに親子で写真を撮っている。
最後は山下公園を抜けてニュー・グランドホテルに至る。ここの喫茶室はホテルが増改設された後も昔のままで、クラシック・ホテルの趣を今に残す。時刻は3時、アフタヌーン・ティを楽しむのに相応しい。英国伝統のこの習慣を私が初めて知ったのは1975年のシンガポールだった。その話をここでするのも今日の計画の内。話はそこから横浜訪問の印象、日本の観光地におよんだ。「次回日本に来るときは是非初めのプラン通り大阪に泊まり、京都・奈良を」と助言したところ、Jiayingから返ってきた言葉は「今度は北海道へ行きたい!」だった。理由は、乳製品やジャガイモが美味しいとシンガポールでは評判だからだと言う。It Chengはこんな娘の応対をニコニコ眺めるばかり、どうやら海外旅行に関しては娘唱父随のようであった。中華街見物は地下鉄に乗る前朝陽門の写真を撮るだけで済ませ、横浜駅へ戻り高島屋に再度立寄った。ここでも主役は当然Jiaying、買い物はお菓子に集中。どうやら職場の同僚や友人たちへのお土産らしい。It Chengも私も彼女に付いて廻るだけだった。
ささやかな国際交流が確実に子供たちの時代に移っていくのを見るのは、ちょっと寂しい気もするが、Jiayingの日本を見る目に触発されることも多く、この世代代わりをこれからも継続していきたいと切に思った13年目の再会であった。
(写真はクリックすると拡大します)
(完)
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