1.新会社創設(11)
東燃と言う会社は販売(営業)機能が極めて限られている。石油製品はエッソ石油、モービル石油を介して市場に届けられるし(つまり販売先はこの2社しかない)、子会社の東燃石油化学(TSK)にしても、主力製品のエチレンやプロピレンは限られたユーザーにパイプラインで長期契約に基づいて供給される。従って主な業務と人材は圧倒的に技術系に傾斜し、如何に安全に、そして効率的に装置を運転するかにある。プラントは同じように見えてそれぞれ特質がある。航空会社のパイロットや整備員が機種ごとにライセンスが要るように、設計・建設・運転・保守、それにこれらを支える事務処理(特に経理)も専門性が極めて高く、工場・装置と伴に在ってその技術・知識を磨いていく。つまり、新規工場建設や管理職キャリアパスを除けば異動ルートや頻度、場所が限られた“異動最少文化”が定着している企業と言える。
新会社は何をやるどんな会社か、それは勝算があるのか、そのための戦略は?このような構想作りと検討は、企画する側(情報システム室)も審議する側(本社、工場)もメンバーは部課長や管理職待遇専門職である。計画が具体化していく段階で、当然一般組合員にも適宜その進捗状況を説明し、了解を得ることが必要になってくる。そしてそこでの反応がまた“どこまで分社化するか、どんな会社にするか”の議論に戻ってくる。部課長の議論では“移すべきか否か”が本音であり建て前であるが、一般になると“移りたくない”が本音であっても“移すべきでない”が前面に出てきたりするのだ。この説得・調整は新会社作りの大きな課題であった。
ここで当時の情報システム関連技術者の構成・背景を簡単に触れておきたい。大別すると、本社には情報システム室機械計算課と数理システム課、TTECにシステム部、それに和歌山、川崎両工場のシステム技術課、この他TSKや総合研究所にも担当グループがあった。この中で最も歴史があるのが機械計算課で1950年代IBMのパンチカートシステム導入時経理課の一グループとして発足し、それ以降コンピュータの運用はこの組織が中心になって担当してきた。つまり、キーパンチャー、コンピュータ・オペレータ、(カード)データのチェッカー、プログラマー、事務系SEの大部分がここに属し、分社化検討時には一部外注化されていたものの、人数的にも最も多く、階層組織で管理されていた。それに対し製造計画・技術計算のアプリケーション、コンピュータ基盤技術を担当する数理システム課やプロセス制御コンピュータを担当するTTECシステム部の構成員は主にシステムズ・エンジニア、それぞれの分野で専門職として採用・育成されていた人たちである。
時代の要請で拡大を続けていた情報システム部門ではあるが、本業はあくまでも石油精製・石油化学である。成熟段階に達している業種に制約されず、技術の飛躍的な進歩に合わせてもっと活躍したい。専門職の大多数は新会社への移籍に前向きだった。しかし、“異動最少文化”に魅せられて就職した事務系のSEやプログラマーの中には、不本意ながら第一次石油危機で職種転換せざるを得なかった人もいる(主にプラント運転要員として採用された人)。特に工場所在地で採用になった人には“いずれ工場へ”の思いが強い。折しも石油業法の規制緩和でスリム化が進む中、地元へ帰れぬばかりか、別会社に移籍されるかもしれない。不安は募るばかりである。
一方情報サービスのマーケットを見ると事務系アプリケーション開発の需要は技術系とは比較にならぬほど旺盛で伸びている。何とか数の多い機械計算課の全員を連れて出たい。これがZ計画検討メンバーの切なる願いであった。本社に対する分社化条件に出来るだけこの人たちの要望を反映する、これが必須の条件であった。新会社への(退職)転籍ではなく、労働条件は一切変えず、経営者を除いて、総て出向形態を採ることが決まる。業界での競争力、将来のプロパー社員採用などに影響する大きな課題は先送りしたわけである。
(次回;“新会社創設”つづく)
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