<今月読んだ本>
1) ペルシャ湾の軍艦旗(碇義朗):光人社(文庫)
2) フランクリン・ローズヴェルト(上、下)(ドリス・K・グッドウィン):中央公論新社
3) 父という余分なもの(山極寿一):新潮社(文庫)
4) 資本主義の終焉と歴史の危機(水野和夫):集英社(新書)
<愚評昧説>
1)ペルシャ湾の軍艦旗
本書を読み終わったとき、衆議院予算委員会における集団的自衛権審議の中で、安倍首相が中東における機雷除去に海上自衛隊を派遣することに意欲を示す答弁をした。「一瞬、先例があるのに何をいまさら!」と思ったが、「必要時政府判断でそれが即可能なように法整備をしたい(憲法解釈の変更)」との意であることを知って合点がいった。地味な仕事ながら、1991年の湾岸戦争における戦後処理で、我が国の国際協力で最も高く評価された活動であったが、それが実施されるまでにはいろいろ曲折があったことを本書で読んだばかりだったからである。
機雷、数ある兵器の中でも最も一般人には知られず、海中に潜み、自らは攻撃を仕掛けることのない暗鬱なイメージを持つ兵器である。私の書架には数百冊の軍事関係書物があるが、機雷に関するものは本書を除けば1冊しかない。1981年直木賞授賞作品、光岡明「機雷」がそれである。
戦争末期海軍兵学校を卒業した士官が配属されたのは海防艦(沿岸警備)、次いで機雷敷設艦に回され、対馬海峡の機雷堰の構築に従事する。その経験を買われた3度目の職場が関門海峡を受け持つ掃海部隊である。乗り込んだのは“艦艇”とは名ばかりの240トンの木造船である。やがて8月15日、戦闘艦の戦いは終わったが、掃海部隊の戦いはそれから本格化する。今度はアメリカ海軍の指揮下で、日米軍が旧日本領土周辺にばらまいた天文学的数(米軍のものだけで1万3千個)の機雷除去に当たるのだ。職業軍人であるにも拘わらずパージの例外規定が適用されたのは「非軍事化に従事する者」だからである。そう!機雷除去は“非軍事化”作業なのである。
1991年1月17日に始まった湾岸戦争には最終的に42ヶ国が多国籍軍に加わった。停戦が正式に成立するのは4月11日。戦後直ちにクウェート政府は、これら42ヶ国に感謝の意を表するが、1億ドル(当時の為替レートで1兆3千億円)を拠出した日本の名はそこには無かった。戦争期間中一切の軍事協力が無かったからである。医療支援なり後方支援などしていればまた別の評価もあったに違いない。「これではいけない」と政府(海部内閣)が決したのがペルシャ湾における機雷除去である。
本書は、事実上の停戦が行われた2月頃の政府・自衛隊内の支援策検討から、掃海部隊派遣が決し(4月24日)、29日遠洋航海には不向きな掃海艇4隻(ひこしま、ゆりしま、あわしま、さくしま;490トン)と掃海母艦(はやせ;2000トン)、補給艦(ときわ;8150トン)の6隻が集結地の奄美大島を出立、5月27日約1万3千kmの波頭を乗り越え、アラブ首長国連邦アル・ラシッド港に到着、そこを母港に8月20日まで約3か月掃海作業に従事、34個の機雷を処分して、10月30日呉に帰着するまでの188日を描いたノンフィクションである。
導入部は小説「機雷」の続編のように始まる。旧海軍の掃海部隊は運輸省管轄に移り、旧海軍軍人を主力に約1万名と徴用漁船など約350隻がその役割を継承、戦後7年間で掃海船舶15隻沈没、死者77名、負傷者約200名の犠牲を出している。危険がいっぱいの仕事なのだ。その後この作業は海上自衛隊に引き継がれて1985年まで継続され、7000個の機雷を処分して、その役割を一応終えることになる。つまり海上自衛隊の掃海部隊と言うのは、連綿と戦後40年“実戦”を戦っていた、経験も技術も豊富な組織であることを紹介する。
戦後46年を経た1991年、機雷もその探知・除去技術も変わってきているが、起爆の仕組みは接触、磁気、音響など基本は変わっていない(複合化してきているが)。数が多いのは磁気機雷だから船体は木造(最近はプラスティックが増えてきている)、大型ではこまめに動けないから500トン未満が主流である。こんな船で大洋を長躯速度10ノット(時速18km)以下で航海するのはそれだけでも激務である。補給艦からの支援も並走補給が出来ない(大きさが違うため)ので容易ではない。1ヶ月をかけて辿り着いた作戦域は高温多湿、砂塵と油田火災で煙り、しつこい蚊や蠅の攻撃にさらされる。プロローグに続くのは、この難儀な航海と現地の自然環境の厳しさである。
そして本務である機雷探知・除去作業が詳述される。小説では専ら目視と2隻一組で行うトロール方式掃海具を曳航するやり方だったが、今度の方式は磁気や超音波による探知機を使う方式。それもリモート・コントロールで発見した機雷(ソ連製の磁気機雷がほとんど)の爆破装置までセットできる機能を持つ。しかし、より確実な処理は機雷と疑わしい物体が発見されると、EOD(Explosive Ordnance Disposal)と呼ばれる水中処分員(各掃海艇に3~4名)が潜水し、物体の詳細(製造国、型式など)と周辺条件(潮の流れなど)を調べ、時限起爆装置をセットすることである(これは戦中・終戦直後と全く違う)。砂で汚濁した視界の悪い海中で行う確認作業は大きな危険が伴うものの、処理効率から見ればこちらの方が優れている。最も厄介だったのはイタリア製のマンタと呼ばれる機雷、外側はFRP(プラスティック)なので探知機では特定できず、それらしい映像が見つかると、常にEODが確認に潜らなければならない。結局34個の内29個はこのやり方で処理されたのだ。
任務推進の仕事は、直接的な掃海作業ばかりではない。米・英・独・仏・蘭・伊・ベルギー、サウジそれに日本、9ヵ国が参加したこの作戦には各種調整・連絡会議が、現地外交機関も含めて頻繁に行われ、上級指揮官や連絡将校はこれらに奔走することになる。中でも派遣部隊司令官、落合畯(たおさ)一佐(この人は沖縄戦で「沖縄県民斯く戦へり、県民に対し後世特別のご高配を賜らんことを」と打電して自決した海軍沖縄地方根拠地隊司令官、大田実海軍中将(陸戦の権威)の三男)の忙しさと責務の重さは尋常ではない。疲労回復の点滴を受けながらの任務遂行となるほどだ。
これら司令部業務や隊員選抜、補給・医療活動、母国に残した家族とのコミュニケーション(郵便局開設)、広報活動、当時の本件に関する世論・マスコミの風潮、それを慮る政府や政治家(海自が望んだ護衛艦の随伴、ヘリコプター搭載も“軍事色”を恐れて許さない)など、広く目配りした内容は、集団的自衛権の議論がホットな今日この頃、四半世紀前の出来事ではあるが、自衛隊の在り方を考える上で有用な情報が満載である。
個人的には最新の機雷とその掃海について、もう少し技術的(特に数理・情報処理)なことを知りたかったのだが、どうやらそれは高度に機密事項のようで、その点では物足りなさが残った(分かったことは、当時の装備は“二流以下”と言うことである。その後この時の経験をもとに著しく改善されてきているらしいのだが、キーとなる情報処理システムは英国製らしい)。
2)フランクリン・ローズヴェルト
20世紀は、戦争の世紀でありそこから興隆したアメリカの世紀と言う見方がある。この視点からルーズベルト(以下FDRと略す。本書ではローズヴェルトとなっているが、敢えて慣例となっている方を使う。これについては最後に触れる)が、米国民に初代大統領ジョージ・ワシントン、奴隷解放のアブラハム・リンカーンに次いで3番目に高い評価を受けているのも頷ける。特に第2次世界大戦における米国の存在感は圧倒的で、その参戦を決し、勝利へと導いた彼は、米国民ならずとも、好悪はともかく、当時の国家指導者の中で第一級のリーダであることは認めるだろう。私にとっても“決断科学”の視点から、興味の尽きない人物であり、本書を手に取ったのは、数々の歴史的な局面において彼が下した決断の実態に目新しいことを期待してのことである。
結論を手短に述べてしまえば、作り上げられていたFDR像の全面的な書き換えである。既存のそれは“怜悧冷徹で狡猾な男(嫌な奴)”であったが、本書を読み進むにつれて“理より情、気配りの男(優れた政治家とは、こういう人物なのかもしれない)”と変わっていったのである。
原題は“No Ordinary Time”、“非常時”とでも訳すのが適当なのだろうか。副題は“Franklin and Eleanor Roosevelt:The Home Front in World War Ⅱ”(フランクリンとエレノア・ルーズベルト:第二次世界大戦の国内戦線(そして少し深読みすれば“家庭内戦線”の意もあるような気がする))である。FDRの伝記のように受け取れる日本語タイトルは原題を著しく歪めたものである(帯にも“決定的評伝”とあるが、これも適切ではない。むしろ“エレノアに支えられて”などが面白いかもしれない)。こう書いてくると本書に失望したようにとられるかもしれないが、実際は真逆である。ハードカバー上下2巻、約1000頁を付箋と赤線だらけにするほどそこここにある新奇な情報、小説のような見事な筋の展開にすっかり惹きこまれてしまった。
面白さの最大の因子は、原副題にははっきり書かれている妻エレノア(以下ERと略す)の存在である。本書はERの言動、残したものを綿密に追って描き出されたFDRであり、この点が既に数多く書かれた、政治家FDRを書いたものと決定的に異なるのである。しかもERは決して添え物のファーストレディーではなく、若いころからリベラルな社会活動家であったことから、自ら多様なネットワークを持ち、公的身分は無くても堂々と諸政策に意見を述べ、大統領もその力量を認め、積極的に彼女を情報収集に、政策づくりに活用していくのである(情報収集指導はFDRが行うが、政治家としての優れた資質がうかがえる)。ただERの活動域は主に国内政治に関することに限られるので、副題のHome Frontが示すように、本書の内容は軍事・外交に関しては、既刊のFDR物を超えるものではない。
ERの信条に「世界に向けて民主主義を広めるための戦いを進めるのならば、国内の民主化が実現され、他国がそれを見習うようでなければならない」と言うのがある。具体的には、性や人種差別をするな、失業者をなくそう、社会福祉策を充実しよう、と言うようなことである。崇高な考え方だが実行するには課題・反対も多く、ERとFDRの絶妙なコンビネーションで、これを進めていく(ジョンソン政権で成立する公民権法などもこの時代に萌芽する)。このような活動は、黒人の兵役拡大(海軍における各種兵種への採用(それまで司厨員や清掃員、給仕のような仕事しか与えられていなかった)、将校への昇進や混成部隊の誕生など)、女性の職場進出(特に製造業の現場)などで戦時の人的資源活用を飛躍的に高め、米国の社会そのものを変革していく。
このように見てくると、それぞれ政治的才能に恵まれた夫婦が愛情で結ばれ、更なる相乗効果を生み出していく姿が思い浮かんでくるかもしれない。しかし、ことはそう簡単ではない。FDRを巡る2人の女性とERの関係である。第1番目はFDRが州の議員であった時代のERの秘書、ルーシー。FDRはウィルソン政権海軍次官時代この女性と“出来てしまう”のだ。母の反対を押し切るほどのFDRの強い意志で実現した結婚によって、二人の間には5人の子供がある(娘一人、息子四人)のだが、この事件でERは離婚を決意、一旦FDRもそれを認めるが母の大反対(一切遺産を相続させない)で「二度とルーシーと会わない」ことを条件に形式的な夫婦関係(と変わらぬ政治上のパートナーシップ)を続けることになる。<FDRがジョージア州ウォームスプリングスの別邸で1945年4月急逝した時、その場にいたのはこの女性である!>
第2の女性、ミッシー(ミスの幼児語“お嬢ちゃん”;子供たちがマーガリート・「ミッシー」・ラハンドをそう呼んでいたことから、この愛称が使われるようになる)は1920年民主党副大統領候補になったFDRの選挙活動に加わったことで、その有能さがERに認められ、FDRの個人秘書となる。やがて独自の外部活動が多いERに変わって日常的なFDRの身の回りの世話やパーティのホステス代役を務めるうちに二人の関係が深まっていく。FDRが大統領になるとホワイトハウスに居住して、大きな力を持つようになるが、既に事実上の夫婦関係を断っていたとはいえ、ERは奇妙な男女関係を表向きは全く気にかけない。こんなERの冷静で強靭な精神力に感嘆させられ、彼女がFDRにおよぼした影響力の根源がこの辺りに在ることが解ってくる。<のちにミッシーは脳梗塞に罹り、さらに精神を病んでニューイングランドの静養先で死去する>
FDRのこんな脇の甘さはどこから来るのだろう?それは母親、セイラとの関係から育まれてきたようである。父は先妻に先立たれ2度目の結婚、母は初婚のため年齢差が大きく、母の実子はFDR一人だけである。溺愛されたばかりでなく上流社会のマナーをしっかり躾けられる。当時のそれは「人に不愉快な思いをさせず、皆に好感を持たれ、(社交の)場の雰囲気を楽しいものにする」ことであった。いきなり難しい話をしない、ストレートに本心をさらけ出さない、白黒を安易に断じない、などがそれらである。この資質こそ、政治家としてFDRが成功した最大の因子であるとともに(互いの腹の奥底はともかく、気前のいい支援策を手土産に用意しての語らいに、チャーチルもスターリンもFDRの魅力に憑りつかれる)、女たちをその気にさせてしまう魔力でもあったのだ。ER婚約前の回想の中にも「FDRは、楽しい語らいはあるが、何を考えているのか分からない人だった」とあるし、議員・閣僚の声として「大統領は異なる意見にも一様に頷くので、本心がどこにあるのかうかがい知れない」とのぼやきが残されている(史上初の3選立候補など)。
また、身近に信頼でき、気安く相談できる相手を求め、その人だけとは本音で語り合える。それによって自分が安逸な気分に浸れる精神構造も、少年期の母との関係と無縁ではなさそうである。その代表的な人物に右腕として歴史に名を残すハリー・ホプキンスが居る。彼も再婚するまでホワイトハウス住まいであった。
これに対して、ERは無駄なおしゃべりは大嫌い、酒を嫌悪する(父親は名家の出身ではあるがアルコール中毒療養中死亡)のでFDRにとっては気休めのできないパートナーであり、自ずと私生活の部分では距離が遠のいていったようだ。
ミッシーが病で倒れ、ホプキンスがホワイトハウスを出ていくと、FDRにとって最後に気が許せるのは長女(長子)のアンだけになる。ERにとっても家族の中で最も良き相談相手になる娘である。ある日FDRがアンに「ルーシーに連絡を取り、ホワイトハウスでディナーを一緒にしたい」と懇願する(この時ルーシーは夫と死別、未亡人となっている)。アンは母に対する裏切りに苦悶しながらそれを実現する。それは一回では納まらず運命の日を迎えるのである。あれほどFDRの政治活動に尽くしたERにとって何と残酷な仕打ちだろう。それでも最後の望みは自分の棺をFDRの横に埋めてもらうことであった。
ここでは本書の内容紹介を、ERを中心に書いたが、無論国内政治ばかりでなく、外交や軍事に関するFDRの言動、決断が縷々語られる。武器貸与法の成立過程、参戦前の米軍(特に陸軍;陸軍航空隊を含む)の貧相な戦力とそこからの驚異的な増強策、参戦に反対する根強い孤立主義の存在、真珠湾攻撃における陰謀説(著者は「かつて次官も務めた海軍に対する愛着は一入で、あれだけの犠牲が予想される事態を黙視することをできたはずはない!」として陰謀説を否定する)、軍事作戦・巨頭会談と国内政治との関わり(例えば、北アフリカ上陸作戦(米軍初の大作戦)は3選を賭けた大統領選挙日の前に行う予定が、アイゼンハワーの決断で遅らされ、選挙は苦戦することが分かっているが、チャーチルのように作戦に介入することはなかった)、ド・ゴールとルーズベルトの関係(ド・ゴールはチャーチルを全く信用せず、専らルーズベルトに信を置く)、原子爆弾開発とその利用方法(いきなり都市に落とすのではなく、どこかで公開実験(日本に分かる形で)を行い、降伏を迫ると言う案が検討されていた)、情熱を傾けていた国際連合構想など、戦史・外交史・政治史・社会史としても充分価値のある構成・内容が含まれている。
最後に作者と翻訳について触れておきたい。著者のドリス・グッドウィンはハーバード大学行政大学院で学んだ、マイノリティ問題を得意とする研究者・著述家。1967~68年ジョンソン政権でホワイトハウス・フェロー。本書原作は1994年出版でその年の歴史部門でピュリッツァー賞を授賞している。
本書は作者だけではなく翻訳者二人も女性である。登場人物に女性が多いことも相俟って、翻訳の質は第一級である。一つだけ気になったのは固有名詞のカタカナ化である。表題のローズヴェルト(ルーズベルト)はともかく、クヌースン(クヌードセン;GM会長→国防諮問委員会会長)、フォーリストール(フォレスタル;海軍長官)など、従来の読み方( )ならすぐにわかるが、“新訳”では「おかしいなー」と気になって、集中力が殺がれてしまう。初めは有名米人の名前を知らないのかと思ったが“訳者あとがき”を読んでその理由が分かった。「グローバル化進行に配慮して、ネイティヴの発音に近づけた」とのことである。それでもホールシー(ハルゼー;マッカーサーと太平洋戦域を2分した、東側の指揮官)やパトン(パットン:米機甲部隊生みの親)は「違和感を覚えるので旧来通りとした」としている。これならすべてを旧来通りとすべきだろ。
3)父という余分なもの
「たまには普段読んでないジャンルのものを」と衝動買いした本である。表題や表紙の絵からサルの生物社会学的な特質を人間に敷衍する内容を期待してのことである。結果は「いまひとつ」であった。最大の理由は、日ごろの生物関連(医学を含む)無関心、この方面に関する知識・興味は中学生時代の理科で終わっており、スーッと入っていけなかったことによる(プロローグはともかく、最初の話は舌と二足歩行で“父”とは無関係)。次いで、期待した“社会学”よりは形態学、生態学のウェートが高いことが挙げられる。
著者は京大で動物学を専攻、霊長類・類人猿の研究(特にゴリラ)を重ね、昨年から総長を務める人である。京大の霊長類研究が世界的に高い評価を得ていることから、多分国際Aクラスの学者なのであろう。
本書は、著者の研究の初期段階(院生)から最近まで(単行本は1997年出版)の数多くの論文を3部にまとめ、最後に“サルに探る文明の起源”と題する三浦雅士(文芸評論家)との対談で締めくくる構成になっている。その中で“父”に関するものは1部2編に過ぎない。それも1編のタイトルは“家族”である。
この2編によれば、動物社会の基本的な社会構成として、母系社会と父系社会があるが、いずれの社会でも“オス”の存在は“種を残す”以外にほとんど意味が無い。オスを超えて“父”が存在するためには前提として“家族”が必要である。ここで家族の条件を整理すると、血縁小集団とメスの移動(家族から離れていく)、近親相姦の回避、食物の供食、子育てなどが挙げられる。
サル社会の場合、父系社会は類人猿(ゴリラ、チンパンジー、オランウータン、手長ざる)とマントヒヒくらいに限られ、この内“家族条件”が成立するのはゴリラだけである。ニホンザルは無論、他のサルは家族ではなく単なる“集団”である。つまり(オスを超えた)父は、ゴリラを除けば“余分なもの”なのである。
従ってゴリラの生態を詳細に観察し分析していけば、人類だけが文明社会を築くことが出来た起源が解明できるのではないか、これが研究者としての挑戦課題なのである。
確かに、意義のある研究であることは認め、「断片的に面白い」話もあるが、基礎的な素養がないこともあり、“社会”と言うより“生態・生理・行動”分析の性格が強く感じられ、ここから人間社会の父親像を再考してみようというヒントは全く見つけられなかった。
4)資本主義の終焉と歴史の危機
経済学を学んだのは大学1年の教養課程で選択した時である。それ以来、自由主義(資本主義)経済の下では“経済は成長するもの”“景気は循環するもの”と思って今日に至っている。事実ニクソンショックや2度の石油危機という未曽有の経済環境変化さえも、この論に従って、日本も世界も乗り越えてきたように感じていた。
バブルが弾けた1990年代初期、私は東燃子会社の役員をしていたが、親会社東燃の社長、中原伸之氏(のち日銀政策委員)から「今度の波は長くなる」とコンドラチェフ理論を援用した話を聞かされた。その時の予測は確か「10年は厳しい時代が続くと覚悟すべきだろう」とのご託宣だった。この予想は株価で見る限り、2003年を底に回復してきたので、ほぼ当たっている(ただ今振り返ると、コンドラチェフの波は50年前後、“10年”との整合性がどこにあったのか思い出せない)。しかし株価は回復しても、高度成長期やバブル経済時の景況感を感ずることはなかった。
その2003年情報サービス会社の役員を退任、横河電機海外営業本部に職を得て、主にロシア市場の開拓に従事することになる。BRICS夜明けの時代であるが、計画経済の惨状はまだ石油精製工場には残っており、プラントもそこに使われる制御システムも技術的に20年は遅れていた。コンドラチェフが提唱した方針(消費者物資生産と農業重視)と真逆だった“重工業重視策”の結果がこれである。
2007年ビジネスの社会を卒業、英国ランカスター大学経営学部でORの歴史研究を半年行った。指導してくれたのは定年を数年後に控えた英国経済史を専門とする老教授である。比較的歳も近かったことから、それぞれの国の政治や経済の話をする機会も多かった。英国の製造業がすっかり空洞化していることや高等教育を受けた若者の就職難が話題になると、「先進国の製造業は次第に新興国に移っていく。英国は金融業に強いから、そこを主力に産業構造を変えている。雇用もこの分野で増加している」と現状肯定的な答えが返ってきた。産業革命以降の石炭産業史、鉄道産業史などの著作があり、クルマ趣味(これは私と同じ)の彼から、金融業重視を聞かされ、些か意外な感じがした。
2008年、金融政策が起因となるサブプライム問題からリーマンショックが起こり、金融バブルが弾け、世界中でなりふり構わぬ財政出動と低金利政策がとられる。それから7年を経た今日、株価だけは溢れるカネで回復基調にあるが、世界経済は新興国も含め成長鈍化あるいは停止の状態にあり、経済格差はますます広がっている(ピケティの論が日本に適合しないことは承知しているが、若者が割を食っていることは他の先進諸国と変わらない)。
以上が私の体験的経済(学)史であり、共産主義に基づく計画経済が消え去っても、資本主義経済がなくなるとは考えたこともなかった。だから本書が大分前から話題になっていたことは知っていたが「また例によって大仰なタイトルで読者を釣る際物経済書だろう」ととらえ、購読する考えは無かった。しかし、本欄閲覧者で我が国金融工学の泰斗から「読みましたか?90年代以来の超低金利は“異常な”事態だと思っていましたが、どうやらそうでもなさそうです」とのメールをいただき読んでみることにした。
本書の内容をキーワード、キーセンテンスから省略表現すると「(資本を生かす)フロンティアが無い」「グローバリゼーション(によって国・地域毎の経済政策・金融政策の有効性が失われ)」、「資本の自己増殖が不可能になる」「資本の(利益率が低下するなかで)リターンを確保しようとすると労働分配率が低下する」「(労働によって収入を得る)中間層が資本主義を支持する理由がなくなる」である。
「フロンティア」は地理的な市場ばかりではなく、取引時間の幅や交易条件(輸出入)を含んでいる。これらの余裕が極めて少なくなり、かつそこを埋めるスピードが速まってきているとの指摘である。「地理的・物的空間」が埋められそこの利益率が低下する。次の余地は「電子・金融空間」であるが、秒を上回る高速で何とか僅かな利益確保が出来るほど、ここも余裕がなくなってきている。モノ造の設備入手や技術習得は早くなり、どこの国でも出来るようになってきた。つまりカネも物も溢れている状態なのだ。
無論地理的な市場偏在や時間のとり方によって一見伸びる余地があるように見える部分もあるが、これも世界規模で進むグローバルゼーションで、国や地域毎にコントロールするのが難しくなってきている。無理に枠をはめて調整しようとしても(オバマ政権の“輸出倍増策”批判)、資本は効率のいい側に流れ格差を拡大し、ついには民主主義に基づく社会の崩壊につながる。他方世界政府のようなもので規制することも実現性は薄い(ピケティの格差解消はこれに近い)。
莫大な財政出動と金融緩和も結局カネは株や不動産に向かうことになり富裕層をより豊かにしバブルを膨らませるだけ。これを続ければバブル経済とその崩壊を繰り返す道しかない(バブル清算型資本主義)。
これは先進国ばかりでなく、同じ経済モデルを追求する新興国にも言えることで、キャッチアップスピードが一段と速くなってきている昨今、彼等も早晩同じ状態に置かれる。
資本主義は本来「(経済)成長」をもっとも効率よく進めるシステムだが、どうもその限界に達してしまったらしい。これ以上「成長教」を追い求めると近代国家の基盤、民主主義を危うくする。
以上のような現状認識を基に、著者は経済システムの歴史を振り返る。何と13世紀までである。この時代ローマ教会が“利子率”を公認して“資本主義”が萌芽、このシステムが定着する時期をある歴史家が「長い16世紀(1450~1640年)」と名付けた期間ととらえ、それから約500年続いた資本主義経済システムがいま終わろうとしていると見る。理由は、超低利金利(利子率ゼロに限りなく近い;死の兆候)の時代に入っているからである。
では「長い21世紀」はいつ頃から始まったのだろうか。著者は日本および米国のいくつかの数字からそれを1970年代初期からとする。NYダウ平均は1970年代約10年間上がらなかった、日本の一人当たり粗鋼消費量のピークは1973年、特殊出生率が2.1(総人口維持)を下回ったのは1974年、それ以降回復することはない、中小企業・非製造業(国内に営業基盤を置く)の資本利潤率がピーク(9.3%)だったのは1973年、などがそれらである。
それでは今後現れる新経済システムがどのようなものであるか。著者は「“ゼロ成長”社会ではあることは確かだが具体的には“分からない”」としている。しかし、先進国の中で真っ先に成長経済の壁に直面した日本には先行者としてのアドヴァンテージがあり、次の手を直ぐに打てるよう最優先事項として国債残高(未来からの収奪)をこれ以上増やさない(国民金融総資産高1000兆円と同額に抑える)経済・財務政策を行うべきだと提言する。つまりアベノミックスや異次元緩和には批判的な方策をとること(併せてTPPや時価会計にも反対)を推奨する。
「時代は明らかに変わった。成長神話と景気循環説を捨て去れ」と言う著者の主張に括目させられる反面、「次のシステムが見えないうちは」と煩悶する日々が続きそうだが、「変化に備え、先ず国債を減らそう」にはもろ手を上げて賛成である。
著者は証券会社(外資系を含む)のエコノミストから民主党内閣のブレーンに転じ現在は大学教授。“際物”は当方の邪推で、長く閉塞感のある現下の政治経済活動を見直す材料・ヒントに満ちたものだった。チョッと問題なのは、初版出版時(2014年3月)から原油価格が大幅にダウンし、短期的には一部論理に齟齬を生ずるところがある点である。しかし、これも全体主旨を歪めるものではない。
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