2. 1988年経営トピックス-4;清水電算機センター-2
電算機センターを郊外・地方に移すことは、通信環境が飛躍的に改善される’80年代半ばから金融機関や流通業で始まっており、倉庫業界の一部でもスペース提供と併せて電算機管理を事業化してきていた。従って「地方だからできない」という言い訳はきかない。課題として、120名程度の陣容で人員を分散配置する非効率性(特に経済性)と東海地震に対する備えがクローズアップしてきた。
電算機の運用管理業務には、データ入力(初期にはキーパンチャーだったが、オンライン環境が整いユーザー自身で行う方向に変わってきていた)、入出力データの検証(チェッカー)、コンピュータや周辺機器の稼働状況監視・操作(オペレーター)、アプリケーションプログラムの運用・保守(プログラマー、SE)などがあり、それぞれが専門職種になっていて、一部は外注化(オペレーターの部分)されていた。全体業務はシステム・サービス課が担当しているが、他部門とのキャリアパスとしての関係やプログラマー、SEは時として、外部ソフトウェア-開発の応援などに出ることもあったので、この課を丸ごとそのまま清水に移すことが得策ではないように思えた。
一方で経理業務のセンター化は大幅な省力化を含む効率化が期待できるほか、当社にとっても経営上のプラス因子が多々あった。先ず、何と言っても都心一等地に在る電算機室のスペースコスト削減、知名度を生かした静岡県下での採用活動、清水工場出身者のローテ-ション先確保に依る労務管理上のメリット、さらに別会社化にすることによる、業態・地域環境に合った従業員処遇とコストダウンの可能性などがそれらである(給与ベースは同じでも諸手当を軽減できる)。加えて、外注化していた電算機システムのオペレーター業務に東燃グループ余剰人員活用の道も開けてきた。
分散配置の非効率性はつまるところ数人の人材活用問題とオーバーヘッド・コスト、通信費(急速に低下傾向にあった)などであり、スペースコストを勘案すれば採算がとれることが分かった。もう一つの課題、地震対策は予想される震度に耐えられる耐震工事を東燃が行うことで、一気に清水電算機センター構想が、経理センター開設に合わせて走り始める。
結局SPINとしての対応は、システム・サービス課を母体として電算機運用会社、東燃システムサービス(TSS)を設立しこれに当たることにした。社長・役員とも兼務だったが、MYIさんが主務、一人だけ現地常勤役員として東燃石油化学(TCC)の経理のベテランで、システム・サービス課の前身情報システム室機械計算課のOB(さらにその前は清水工場勤務)でもあったISGさんがその任に当たることになった。
TSS設立に先立ち(会社設立は11月)、9月には経理センターの開所と同時に、並行して進められていた統合OA環境強化のためのFACOM-760が設置され、無事既存のFACOM-380からの切り替えも完了、サービスを開始した。その後IR用のIBM-3090を併設することになったが、スペースとしては全く問題が無かった。また、電算機オペレーターには、清水工場ばかりでなく和歌山工場やTCC川崎工場の余剰人員を当てたが、比較的短期間で一本立ち出来るようになった。また、この異動に際し既存の寮や社宅が活用できたのもグループ全体の経営効率改善に役立った。
爾後この経理センターと電算機センターは、Exxonグループ全体の情報システム再構築(電算機は米国ヒューストン)とアジア地区事務管理業務センター化(タイ・バンコク)が進められる2000年代初期までその機能を継続することになる。
(次回;1988年経営トピックス;飯田橋オフィス)
0 件のコメント:
コメントを投稿