2015年6月20日土曜日

魅惑のスペイン-1


1. 何故スペインへ?
2007年ビジネスマンをやめてから、1年に1回は海外旅行をする予定にしていた。初年度は英国に半年滞在、翌年は北イタリアに友人たちを訪ねる旅をした。しかし、その後は家内の両親の超高齢化により、しばらく中断せざるをえなかった。再開したのは2013年の南仏・パリ旅行。この時初めて成田から添乗員の付くツアーに参加したのだが、個人旅行に比べ、とにかく移動が楽なことに格段の差があった。知人もいない、特別個人的な関心事が無い国(仏には個人的な関心事があったが、すべてパリで済ませられるので、ツアーの後延泊した)にはこの方が、経済的にも肉体的にも遥かに望ましい(精神的には何か物足りなさが残るものの)。
昨年も年初には秋のヨーロッパ旅行を考えていたが、家内の白内障の手術で見送らざるをえなかった。今年はそれを取り戻すためにも晩春か初夏にはどこかへ出かけたいと考えていた。残る最大の関心国はドイツなのだが、ここはあまりにもやりたいこと訪れたい場所が多く、なかなかいい案がまとまりそうにない(どんなツアーでも一回では無理、一度ツアーで出かけ、誰でも出かける観光名所を訪れ、ある程度土地感をつかんだ上で、多分一人で再度出かけることになりそうだ)。ドイツを除けば北欧にはほとんど興味が無い。その結果浮かんできたのが南欧である。
太平洋戦争に負けて輝いて見えたのはアメリカ、明治維新以来我が国近代化に深く関わったのは、英・仏・独。我々以前の世代が強い関心を持ったのはこれらの国々であろう。これに近隣の大国、中・露と鉄砲伝来のポルトガル、鎖国時代唯一通商関係のあったオランダあたりが中学生までに何がしかの知識を得ていた外国である。
しかし、高校で世界史を学んで外の世界が一気に広がる。ヨーロッパ文明の起源、ギリシャ・ローマ。時代を下ってスペインの偉大さ、欧州における特殊な歴史に惹かれるものがあった。スペインの偉大さは何と言っても英国に先駆けて“日の沈まぬ帝国”を作ったこと、特殊な歴史は西欧には珍しいイスラムとの深い関わりである。ギリシャ、ローマは既に出かけている。「よし、今回はスペインにしよう」 そう決すると別のことにも興味が向いてきた。第2次世界大戦の前哨戦である“スペイン市民戦争”、広軌を走る新幹線“AVEAlta Velocidad Espanola;スペイン高速)”、それに先史ヨーロッパ時代の遺産“アルタミラ洞窟壁画”である。
旅行計画を作るに当たり先ず参考にしたのが紅山雪夫著「-添乗員ヒミツの参考書-魅惑のスペイン」(新潮文庫)である。この人の旅行案内はほかにも持っているが、ガイドブックとしては他に類を見ないほど優れている。歴史、景観・自然、文化、地方ごとの名産品や宿泊・食事から建物などの改築履歴、写真撮影の適所や時間帯、そこへの移動手段まで克明に説明される。初期の添乗員(1927年生れだからもう現役ではないだろう)で数か国語をあやつれ、何十回もそれぞれの場所を訪れた経験を集大成しているのだ。この本を読んでいると「ここにもあそこも行きたい。あれもこれもしたい」となってしまうが、時間もカネも限りがあるので、自分の希望を絞り込んで何とか89日で要所だけを巡る案にまとめた。
訪問拠点はアンダルシア地方(グラナダ、コルドバ、セビーリヤ;いずれもイスラムとの関係)それにバルセロナ(ここは専らガウディ)とマドリッド(古都トレド訪問を含む。アルタミラ洞窟のレプリカ)である。移動にはAVEに乗ることを必要条件にとするのは言うまでもない。加えてどこか一カ所でパラドール(古城、城塞、修道院などを改築したホテル)に泊まることと草花の好きな家内の意見も入れてひまわり畑が盛りであるシーズンを希望した。以上の要件と費用概算を “旅行仕様”としてまとめ近くの旅行代理店に渡し、提案を求めた結果66日に成田を発つ日本旅行の「魅惑のスペイン8日」に参加することが決まった。
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(次回;バルセロナへ)

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