13.CIMシステムインテグレータへの歩み-2
この時代プラント操業管理については、プラント運転・制御、生産管理、保全管理、品質管理、環境管理までかなりパッケージ利用が進みつつあったが、それから先、工場の総合的な管理、さらには全社の経営管理レベルになるとまだまだ手作りシステムが大勢だった。少し大胆に整理すると、工場の中心は生産設備、どこも同じものでなければ戦えない。一方、全社運営は経営環境を踏まえた独自の考え方・やり方こそ差別化・生き残りのポイントであり、こんなところにパッケージ利用が今ひとつ進まぬ要因があったように思う。しかし、ITがいたるところにおよんでくると、技術・経営環境変化への即応やシステムの保守に人手も時間もカネもかかるようになり、自社専用システムの開発・維持が問題視されるようになってくる。
私が初めてSAP(この時はエス・エイ・ピー、のちにサップと呼ばれるようになる)と言う言葉を耳にしたのは1992年頃だったと記憶する。年2回開かれる東燃との合同役員会の席で、新任役員のSTNさんがモービルオイルの海外製油所(確かヨーロッパだった)を視察した際の見聞談があり、そこに製油所のデータが本社のSAPに取り込まれるようなシステム構成図が示され、本社諸機能に関する基盤情報システムの位置付けにあるとのことだった。彼はこの分野の専門家ではなかったから、IBM汎用機の上で動いている外販のパッケ-ジということまでしか報告はなかった。しかし、既にグループ会社の中で“総合事務管理型パッケージ”が利用されていることを知るだけでインパクトは大きかった。「何とかSAPなる製品あるいは会社について知りたい。できれば日本に知れわたる前に」とそれとなくアンテナを張りめぐらせていると、日本IBM筋から「ドイツの会社である。SAPとはSystem Application Packageの略。設立者は元独IBMのセールスマン二人、彼らは独化学企業やICI(英国の化学大企業)などを顧客にしていた。オリジナルは汎用機で動くものだったが、ダウンサイジング化に取り組んでいるようだ」との情報を得た。さらにしばらくして当時日本IBM製造業担当のKRS常務の下に在ったメンバー限定の小さなサロンに出席した際、東洋エンジニアリングの人から「代理店交渉をしたが相手にされなかった」との話が出て、これに応じてIBMのメンバーから「日本語化はプライスウォータ日本法人がやるようだ」との補足があった。これでCDS社やOSI社同様の手(日本語化に依る総代理店)は無理筋だと知らされる。
「他にこの種のソフト(現在ERPと呼ばれているもの;Enterprise Resource
Planning)は無いか?」と探っていると“Baan”(オランダ)というものが網にかかってきた。しかしどうやら組立加工向けらしい。そんなある時(1993年秋)日揮・日本DECを経て中途入社したKABさんが、駐日米大使館商務部門が帝国ホテルで開いたソフトウェア中心のトレードショウに出かけRoss Systemsと言う会社のPROMISと言う製品を見つけてきて、「担当者と話をしたところ、しばらく日本に滞在するようなのでコンタクトする機会を設定しましょうか?」と報告をかねて問いかけてきた。新宿のハイヤットリージェンシーにKABさんと出かけ副社長のJSWと製品や会社の話を聞くと、元々の製品は英国製で顧客対象は食品・薬品、これをRoss社が買い取り、機能改善・強化して米国の中小・中堅向けERPパッケージとしてビジネスしていることが分かった。会社はNASDACに上場しているとも言う。「プロセス工業特化のERP」が見つかった!」 のちにSPINの経営に良くも悪くも大きく影響することになる、Ross社とのこれが最初の関わりである。PROMISはやがてRenaissanceと製品名を変え、SPINはこの製品の日本総代理店となるが、これらの詳細はこのSPIN経営-第2部の後に続くSPIN経営-第3部で報告する。
(次回;次なる役割;取締役時代総括)
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