<今月読んだ本>
1) 朝鮮紀行(イザベラ・バード):講談社(学術文庫)
2) ロボットの脅威(マーティン・フォード):日本経済新聞出版社
3) 日本軍はなぜ満州大油田を発見できなかったのか(岩瀬昇):文藝春秋社(新書)
4)週末は台湾でちょっと一息(下川祐治);朝日新聞出版(文庫)
5)偉大なる失敗(マリオ・リビオ);早川書房
<愚評昧説>
1)朝鮮紀行
世界的な旅行家である著者による「日本奥地紀行」を民俗学者の宮本常一が解説した「『日本奥地紀行』を読む」は本欄-76(2014年12月)で紹介した。1878年6月~9月にかけて東京以北(新潟や栃木を含む)を北海道まで旅した当時の日本見聞録である。読んでいて日本人として不快なことはほとんどなく(日本人の体躯が貧弱であることは何度も出てくるが)、むしろ安全・安心では世界に突出した国と評価しているなど「維新10年後、日本の地方はこんな状態だったのか!」と学ぶことの多かった本である。翻って現代の朝鮮人(書題に従い南北総称)が本書を読んだなら(私がここから感じとった)“客観的事実であっても”「歴史認識が誤っている!」と声高に主張するのではなかろうか?これが読後感の一つである。
著者は決して朝鮮人一人一人を蔑んではいないし、民族として蔑視しているわけではない。否、むしろ部分的には才能や努力の跡を高く評価しているところもある(つまり冷静に観察している)。しかし、その統治形態・社会システムについては外交政策も含め酷評と言っていい表現でこの国を語る。時代は1894年~1897年、明治維新からは30年近くが経ち、日清戦争前後である。この間著者は4回にわたり朝鮮旅行(一部シベリアや満州を含む)を行い、その際知見した、上は李王朝末期の宮廷権力闘争(高宗・閔妃にも何度か拝謁している)から下は僻地における貧農たちの奴隷に近い日々までを記したものである。
日清・日露の戦いの因が朝鮮半島の支配を巡ることにあることは多くの日本人が承知しているが、その時代の朝鮮と言う国家の状況はせいぜい“事大主義”に翻弄される頼りない国程度の認識しかないのではなかろうか。そしてその混乱の根源にあるのは“両班(やんばん;元の意は文官・武官)”と呼ばれる身分制度だと。中学時代・高校時代学んだ日本史・世界史で私が朝鮮関連で記憶しているのはこの2語だけ、その意味の深さ、背景、さらに彼の国が置かれていた国内外政治・社会情勢を知ることはなかった。本書は、この歳になってその空白を初めて明らかにしてくれた得難い「歴史指南書」であった。
先ず両班の存在がこの国を滅茶苦茶にしている姿が多角的に描かれる。「自らの生活のために働いてはならない」これが両班の本質、外出時に物を持つことすら軽蔑されるのである。一方で賤民は腐敗官僚となった両班にあらゆるものをむしり盗られ困窮を極める(腐敗の海、吸血鬼)。国内で生活に行き詰ったものはシベリアなどの隣接地域に逃れ、そこでロシア地方政府の下でやっと人間らしい生活を得ている。著者は「ロシアの支配下の方が余ほどましだ」と明言する(清統治下の満州へ逃亡した者も同様;他国に居る朝鮮人を見て蔑視・偏見を改める)。ほとんど国の体を成していないのである(清のパロディたる国)。
両班は上も下も私腹を肥やすことに専念、インフラ整備など全く行われない。まともな道路がほとんど無いので、著者は専ら水路(河川)を利用して旅を続ける。そんな環境の下で日清戦争に勝利した日本は、朝鮮を清の宗主権から解放し、警察を含めた行政システム構築や教育に力を貸していく。著者はこの点で日本を高く評価するのだが、一方で長く中華序列思想に固まっていた勢力がそれに抵抗する(日本を下に見る。総じて清びいきで日本嫌い)こともキッチリ観察し、この国の将来に不安があることを具体的な事例で示し、日露双方の影響力に依る近代化に期待しつつ終わる(反日が親露に向かう傾向にあることを危惧しつつ)。
著者の社会改革提言;
Ⅰ)朝鮮にはその内部からみずからのを改革する能力がないので、外部から改革されねばならない。
Ⅱ)国王の権限は厳密にかつ恒常的な憲法上の抑制をうけなければならない。
著者の日本評価;
「わたしは日本が徹頭徹尾誠意をもって奮闘したと信ずる。経験が未熟で、往々にして荒っぽく、臨機応変の才に欠けたため買わなくてもいい反感を買ってしまったとはいえ、日本には朝鮮を隷属させる意図はさらさらなく、朝鮮の保護者としての、自立の保証人としての役割を果たそうとしたのだと信じる」(閔妃殺害は日本の非と明言しているが、一部過激派の蛮行ととらえている)
これら提言や評価は、日露戦争、その後の日韓併合を見たとき(著者は日露戦争勃発8ヶ月後に死去)変わっていた可能性もあるが、「歴史認識を問い直す」と言うなら、この本辺りを出発点とすることが適当ではなかろうか。
本書は本欄を読んでくれている東燃同期入社の友人が「是非読め!」と貸してくれたものである。朝鮮・韓国観を一変させた“衝撃の一冊”、薦めてくれた友に感謝!
2)ロボットの脅威
1950~60年代制御工学を学んだ者にとってノーバート・ウィーナーは神に近い存在だったし、1948年に原著が出版されたその著書「サイバネティックス(Cybernetics)」は聖典に等しいものだった。学生時代教授・助教授から断片的に聞かされたその本の核心は、制御・通信理論が生命体から経済さらには社会生活にまで適用可能と言うものだった。就職した年、1962年その改訂2版の日本語訳が岩波書店から出版されると直ちに購入、爾来折りにつけ内容をつまみ食いしては仕事に利用してきた。自動化・省力化推進に際して、上司や経営者を味方につける格好の材料が平易かつ高邁なトーンで提供できるからである(神を冒涜する後ろめたさを感じながら)。その素は14歳でハーバード大学に入学、18歳で博士号取得という早熟な天才ばかりでなく、哲学(数理哲学)を収めたのち物理学を学び、さらに電気工学に転じていった、エンジニアとしては特異な経歴から来ているように思う。
第2版の肝は1961年に追加された“学習する機械”“増殖する機械”である。認知科学や遺伝子学、神経系統における信号授受の理論を駆使して、試行錯誤しながらチェスを指すコンピュータ、自身の特性を他に移植させ再生産する機械の概念を描く。加えて後年“サイバネティックス”の普及版(数式を含まない)として書いた「人間機械論(The Human Use of
Human Being-人間の人間的な使い方-)」では、筋運動知覚機能、感覚器官、行動器官と学習機能をもった機械の出現を予測する。ここでの論点はロボットと人間の共存問題、これが例えば障碍者の人体機能代用・補完に利用されると期待する反面、生身の人間に取って代わる可能性に警鐘を鳴らしている(究極の機械として“(政治的)統治機械”まで想定)。そして本書(ロボットの脅威)の中でも、1949年ウィーナーが自動化の将来について「この上なく残酷な産業革命をもたらすかもしれない」と警告したことが引用される。
本書はそのウィーナーが60余年前に危惧した、現代における“自動化残酷物語”の実態と社会への影響を詳述したものである。
動力源の転換に伴う広義の機械力が人力に取って代わったのが産業革命。生産量は飛躍的に伸び、価格は低下、生産性や品質が大幅に向上する一方で仕事を失う労働者が大量に発生し、それに抵抗する組織的な機械破壊活動が始まる。19世紀初頭に起こった英国のラッダイト運動である。その後革新的技術が出現するたびにこの種の騒動が持ち上がるが、経営者も経済学者も技術者も「より人間的な仕事につける」「余暇を活用できる」と批判をかわしてきたし、生産性向上に伴う経済発展や植民地拡大によってそれが実現されてきた。そしてこの因果関係は第2次産業革命といわれる情報技術による、一部の知能・神経機能の代替がもたらした社会・経済革新でもしばらくの間同様に引き継がれてきた(ように見えた)。しかし、21世紀に入りこのシナリオが崩れ、ITやロボットに置き換えられた人間が行き場を失ってきている。それは今までのような工場労働者ばかりではなく、農業労働者、サービス業従事者、さらには知的事務職(文書作成者、データ分析者など)にも及んできている。例えば大卒者の50%以上が受けた教育に見合う仕事につけていない。著者は先ずこの事実を主に米国における就業状況の定量的データを素に明示する。
次いでITや自動機械、作業ロボット(タイトルのロボットはこれらすべての総称)などの技術進歩(学習・思考機械への発展;特に人工知能の高度化)と適用分野(医療、教育などを含む)の広がりあるいは業務推進体系の変化(アウトソーシングや海外への業務移転など)に焦点を当てて、ロボットに依る社会構造の不可逆で大きな変化を例示する。例えは、客の好みに臨機応変に応えるハンバーガー調理・提供機(実用化されている)は未熟練労働者のセーフティーネットを奪うことになる。あるいはスポーツライターの仕事を肩代わりする(ビッグデータ活用の)自動文書作成システム(既にヴェンチャー企業がソフトウェアの販売を始めている)。
かつて経験したことの無いこの社会変化を予見していた人物が居る。コンピュータ誕生と深くかかわったフォン・ノイマン。彼は1950年代に「常に加速し続ける進歩を見ると・・・・どうも人類の歴史において何か本質的なシンギュラリティ(特異点)が近づきつつあり、それを超えた先では我々が知るような人間生活はもはや持続不可能なのではないか」と言っている。著者が本書で訴えたいことは「目前にその“シンギュラリティ”が迫ってきている」と言うことである。
ロボットによって中産階級を含む一般人が収入の道を断たれれば、究極の格差社会になってしまう。一握りの経営者・投資家や科学者が富を独占?あとは扶養民?ロボットは商品やサービスをほとんど必要としないから、購入者極少で企業が成り立たなくなり(発展途上国のマーケットがあるうちは何とかなるが、それらの国もやがて同じことになる)、経営者も株主も科学者も決して豊かになれない!ではどうするのか?著者の提言は「革命的な富の再配分システム;富裕層・企業からの徴税強化とその大衆への還元;生活するには足りるが快適に過ごすに足りない程度;快適に過ごすためには個人の創意工夫・努力、さらにはリスクテイキングが必要」である。何かローマ時代末期「パンとサーカス」に明け暮れる市民社会を連想させる。20代の初め、制御工学を専攻した目的はこんな社会を作るためではなかった。しかし、本書を読むとウィーナーの危惧、ノイマンの予見が、不幸にも現実味を帯びてくる。
著者はIT、人工知能、ロボットなどに精通したシリコンバレーの起業家、この種(自動化と社会)の本を既に1冊か出しているようだ。引用されるデータや参考文献が確りしていることは高く評価するし、IT・ロボットによって従来の産業革命と異なる社会が出現しつつある今を学ぶために、具体例も多く興味深く読み進めることの出来た本だが、その先にある理想社会像がどこにでも適用可能とはどうも思えない。つまり“米国の状況が世界共通”と括ってしまうことへの違和感が残った。
3)日本軍はなぜ満州大油田を発見できなかったのか
2007年にビジネスの世界から去った。それまでの読書傾向はこのジャンルに属するものが圧倒的に多かったが、大方処分したし雑誌を含めて今ではほとんど購入していない。しかし、石油関連は別である。この分野で現役人生を終えるまで働いた者として、産出場所の偏在や環境問題はあるものの、21世紀もエネルギーの大宗は広義の石油(LNGなど石油ガスを含む)が占め、それを巡って世界が壮絶な争い(必ずしも戦争を意味しないが)を繰り広げることになると信じているからである。事実ここ数年の世界規模での景気低迷は、第一に新興国経済成長の停滞があるものの、原油価格の変動が深く関わっている。
一昨年同じ著者による「石油の『埋蔵量』は誰が決めるのか?」を読んだ(<本欄-74(2014年10月>)。三井物産で長く石油ビジネスに関わった体験をもとに書かれたものだが、ブームの渦中にあったシェールオイルなども分かりやすく解説し、我が国を取り巻く石油問題を多面的(エネルギー政策、石油探査技術、価格決定メカニズムなど)に解説する良書であった。今度のタイトルには“日本軍”と“満州大油田”とある。満州に生を受け、就職した東燃は、戦前軍の肝煎りで航空燃料生産を目的に設立された国策会社、前著以上に惹きつけられたのは当然である。
“日本軍”と“満州”ときては単なる昭和史の一断面のように受け取られるかもしれないが、内容は我が国の石油需給・石油施策・石油企業経営変遷史(明治維新から終戦まで)を軍との関係から掘り下げたもの。明治時代に作られた法律がいまだに生き続け、石油政策に影響していることを考えれば、あらためて往時を学ぶ価値が充分ある。また戦前の石油需要が著しく軍需に偏っていたことから見ても、軍を中心にこの世界を分析・把握することに意義がある。ただ“満州大油田”に関しては誇大タイトルの誹りを免れない。何故なら、戦後共産中国が発見した大慶油田に関する記述は極わずかに限られているからである。
国内に小規模な油田が存在したものの、明治政府の石油政策は原油生産地精製主義、つまり重油・ガソリン・灯油・潤滑油などを製品として輸入する方策であった。ここに至る経緯で「そういう背景だったのか」と括目させられるのが、幕末に米国と結んだ日米修好通商条約に遡る政策論争である。この条約には(石油以外も含め)製品には関税をかけることが明記されていたが、(原油を含む)原料に関しては何も定められていなかった!そこで原油を輸入して国内精製を目論む知恵者(浅野総一郎)が現れ、日露戦争後の日露通商航海条約改定に際し、既に世界の趨勢になりつつあった消費地精製主義を打ち出す。これに猛反対したのが国内油田を保有する日本石油を代表とする一貫生産業者である。結局この戦いは国内派が勝利して、製品輸入と小規模な製油所の運営で需要にこたえる態勢が大正末期まで続く。しかし、艦艇エネルギー源の石炭から石油への転換が進む海軍では、自国権益油田確保と大規模国内精製の必要性が認識し始められ、圧倒的な政治力を持つ陸軍と協力してこれを推し進めようとする動きが出てくる。問題は、政治力はあるものの石油技術(この段階では油田探査・原油生産)の分かる者が陸軍には皆無だったことである(海軍にも居ないが精製や製品の専門家は居た)。
日露戦争に絡むもう一つの話題は北樺太油田開発である。これは戦後処理の交渉過程で利権を獲得し1930年代には国内生産量とほぼ同量の原油生産が可能になる。しかし、この国策会社の経営中枢は陸軍、技術もビジネスのやり方も稚拙、加えて革命後のソ連政府との外交交渉過程で中立条約を急ぐ松岡外相が権利を放棄してしまう。いま樺太のLNG・原油生産を担うサハリン-1、-2はその時の鉱区にある。
機甲軍育成にそれほど力を入れなかった陸軍だが、それでも時代は石油製品を動力源とする機械化を進めざるを得ない情勢になってくる。また陸戦でも航空機の果たす役割は大きい。海軍同様自前の燃料廠も必要だ。石油資源獲得のための軍が活発に動き出す。南進政策が勢いづくのはこんな背景からだ。
そして太平洋戦争勃発。南進策は成功し、インドネシアの油田地帯を占領、現地での生産を大動員した民間技術者(軍属)で軌道に乗せる。しかし、原油や製品を国内に持ち帰るタンカーは護送もされず次々と米潜水艦に沈められ、国内の防空すらできぬほど原油・石油製品は枯渇し、燃料廠・製油所は徹底的に爆撃される。
満州大油田がもし戦前・戦中に発見されていたなら。残念ながら「歴史にIfは許されない」
戦中の石炭液化への取り組み(未完成技術をドイツから導入するが失敗に終わる)、航空機用ハイオクタンガソリン生産技術導入の苦労(これには東燃が深く関わっており、戦後社長になる中原延平も登場する)。開戦前の石油需給見通し(下位の技術士官がはじいた試算結果が独り歩きし、御前会議の質疑で使われる!)など、国家・軍事戦略に関する石油問題ばかりでなく、細かい話題も関係資料をよく当たり、その道で生きてきた者の目で見て満足のできるレベルの内容に仕上がっている。
著者が結言で述べていることは「日本人のエネルギーリテラシーを高める必要がある」と言うことである。全く同感!石油を環境問題に絡めて悪く言うのはエネルギー音痴の極みである!しっかり確保して、貴重なものと認識し、大切に使おう!
蛇足:唯一の誤りは、航空機用ハイオクタンガソリンをたびたび“ジェット燃料”と書いていることである。まずこの時代実用化された軍用ジェット機は独英にしかなかった(ドイツのMe-262を模した“橘花”が試験飛行段階にあったが)。当時のピストンエンジン軍用機に使うオクタン価90台(96~98)のガソリンは重質油分解から得られるガソリン留分に鉛添加剤を加えて作る。また100を超える航空機用ハイオクタンガソリン生産には特殊な生産設備(アルキレーション)が必要である。今日のジェット燃料は灯油に近いものでそれに凍結防止剤など加えて作るので特別な生産設備は不要である。
4)週末は台湾でちょっと一息
硬い本が続くとちょっと息抜きしたくなる。乗り物や旅に関するものが最も好ましい。著者の本は何冊も読んでいるが、いつも気分が和らぐ。題名通り“ちょっと一息”つけるのだ。どの旅行記も現地への融合度が高く、“違い”を見る眼に暖かさがあるのが好きだ。
今回の舞台は台湾。この人のホームグランド(自宅は首都圏のようだが)は国内ならば沖縄、海外ならば東南アジア、特にタイは言葉も含めて第2の故郷と言えるほどである。だが台湾を主題にした本は一冊も出ていない。その理由をプロローグで「あまりに(頻繁に出かける)身近な土地だったからかもしれない」と記している。ここも勝手知ったる場所なのである。
翻って、私にとっては一度仕事で短期間出掛けたことがあるだけだが、好印象の残るところ。あれから20年近く経つので随分変わっているだろう。もう一度行ってみたい、そんな気もして手に取ることになった。
著者は英語・タイ語は達者なようだが中国語(台湾はもともと福建語が主流だったようだが、現在は北京語が普及)はほとんど使えない。本書は一連の“週末ちょっとシリーズ”の一環として、現地の知り合いの助けなども借りて、普通の台湾人と同じような旅をカメラマン(だから写真が豊富にある)と伴に2013年5月実施したものをまとめたものである。ただ一回の週末でここに書かれたことが誰にも体験できるわけではない。“あまりにも頻繁に出かけた(通過立ち寄りを含む)”薀蓄がたっぷり生かされた内容なのである。
例えば、空港と市内の連絡;タクシーかバスか、バスはどんな会社がどのように運行しているか、ダイヤは、時間は正確か否か、目的のバスストップの見つけ方は、料金は。台北駅付近の宿;どんな宿がどこに在り、どのように見つけ交渉したか、部屋はどの様か、食事はどうするか、値段は、昔と今でどう変わったか。屋台の連なる繁華街に出かけて食事をする;どんな食べ物があるか、どのように注文するか(トッピングなども含めて)、酒(特に著者の好みはビール)は飲めるか(売っていないところが多い)、持ち込みのビールと一緒に食事をとるにはどうするか、店にビールがあるところではどうそれを入手するか(勝手に冷蔵庫から持ち出す!食堂でもご飯・スープは自分で盛る・すくう)。
台湾は自転車専用道路が充実しており(台北付近だけでも200km以上ある)それで観光するのも悪くない;自転車の借り方は、ルートは(これは一つの事例しかないが)、所要時間は、と教えてくれる。ちょっと挑戦的な例、廃線になった北回帰線駅を訪ねるがなかなか見つからない。行きずりのおんぼろトラックに乗せてもらい、現地の人と地図や漢字でコミュニケーションを繰り返しやっとたどり着く。
東南アジアで大人気だったテレサ・テンは台湾出身(しかし外省人;父親は国民党軍職業軍人)、喘息の療養中タイで没する。著者は彼女の大ファン。その墓参りのシーンでは著者の心優しい人柄が偲ばれる(1年1回続けている!)。
こんな身近な(そして短な)旅の合間に、台湾統治の歴史(日本統治→国民党独裁下→民主化)が時折顔を出し、今につづく内省人・外省人の根深い対立さらには大陸中国との関係(独立運動)など台湾社会の内奥にも触れ、“一息”が一瞬止るような緊迫場面も微妙に組み込まれている。ここら辺りは著者の持ち味“現地社会融合”の真骨頂、下川紀行物の読みどころである。
エピローグには「海外にいることを忘れそうになる瞬間・・・・それが台湾にはある。看板の文字はすべて漢字で、僕は中国語がからっきしできないというのに、日本を離れているという意識が消えてしまうときが、台湾にはある」とある。20年近く前の私も同じ体験をした。今年は台湾旅行を真剣に考えてみよう。そんな読後感を残してくれた一冊である。
蛇足;テレサ・テンは台湾で国葬された。
5)偉大なる失敗
人類の歴史を書き換えるような自然科学上の発見もそこに至るまで、いやそこに至っても正しいと認められるまでに、異論・反論が多数あったことは、それら“画期的発見”が講釈されるとき、成功談の裏話として、しばしば聞かされてきた。しかし、一旦定説となるとそれが誤りであったり欠陥があることはあまり教えられことはない(素粒子ニュートリノの速度;光より速い?に関する実験でアインシュタインの相対性理論の不備を“誤って”報道した例はあるが;計測システムの不完全さだった)。また、誤りと退けられたものが最新の研究で再び息を吹き返したような話もなかなか聞く機会はない。その理由は、われわれの日常生活にはほとんど何の影響もないからだろう。だが、この失敗こそ最前線の科学研究者にとっては無視しえない出来事だし、人類の将来に大きく影響することかもしれないのだ。本書はそんな“誤り”の5例を取り上げて、科学の深淵さを啓発する書である。
その5例の主役は;1)進化論のチャールズ・ダーウィン(英;19世紀後半)、2)温度単位(絶対温度)にもなっている物理学者のケルヴィン卿(英;19世紀後半)、3)ノーベル化学賞授賞者生化学者のライナス・ポーリング(米;20世紀前半)、4)宇宙誕生と元素合成を関連付けたフレッド・ホイル(英;20世紀前半)、それに5)アルバート・アインシュタイン(米;20世紀前半)の5人である。
・ダーウィン:自然選択(自然淘汰)による進化に関する遺伝理論上の矛盾(メンデル遺伝論)と進化に要する時間と地球誕生史(宇宙物理学や地質学)に関する検討不足。
・ケルヴィン:現時点で地球年齢は45億4000歳。当然聖書の記載とは大きく異なる(誕生;紀元前4千年)。ケルヴィンは熱力学理論をベースに地球の冷却計算を行い、2千万年~4億年と推定し、さらに「せいぜい1億年」と絞り込む。50倍の違いはどこで生じたか?地質学知見の欠如、計算における仮定の誤り。
・ポーリング:量子力学に基づく化学結合理論でノーベル賞を授賞、さらに生命誕生と深くかかわるたんぱく質構造決定で成果を残したのち生命の設計図DNA解明に取り組み、“3重らせん構造”を実験で確認したと発表。実は“2重らせん構造”が正解。ジェームス・ワトソンとフランシス・クリックにその栄誉をさらわれる。敗因は“化学の最も基本的な性質について、考えられないドジを踏んだ(ポーリングがリボ核酸と思った物質に関し酸かどうかの確認をしなかった)”ことによる。また、先の画期的研究成果に比べ、研究開始から論文発表までの時間が極端に短い。功を焦っていた?高齢ゆえに?
・ホイル:5人の内名前すら知らなかったのはこの人だけである。本書で初めて諸元素生成が宇宙誕生の歴史と密接に関わることを明らかにした著名な天体核物理学者(こういう学問分野があるのだ!)であることを知った。“誤り”は通説となっているビッグバン説(一瞬にして宇宙が出来上がった。元素もこの時瞬時に出現した)を頑強に否定した人物である(“ビッグバン”という言葉の発案者だが)。彼の論は、元素は(太陽のような)恒星の中で時間をかけて合成されたとする恒星内元素合成理論;定常宇宙論である。しばらくの間ビッグバン論と定常宇宙論はライバル関係にあるが、核実験(水爆実験を含む)や素粒子論の発展で、ビッグバン説が大勢となっても、最後まで持論を主張して止まなかった。これは“誤り”なのだろうか?
・アインシュタイン:あの一般相対性理論の中で“誤り”を犯し、自ら「最大の過ち」と認める発言をしたという話である。この理論式の中に“宇宙定数”Λ(ラムダ)がある。引力と反対に働く斥力(これによって時空が歪む)に関する定数なのだが、この発想を得た時代まだ宇宙の進化(膨張)は分かっておらず、静的宇宙の考えに基づくことによってΛが必要となったのだ。しかし、一般相対性理論が広く認められてから宇宙の進化が明らかになり、彼はこれを潔く認めΛを取り除くのである。そして「宇宙斥力のアイディアは生涯最大の過ちだ」と言ったと伝えられる。著者は2点からこれを追及(そして追求)する。本当に本人が言ったのか?著名な物理学者ガモフの作り話であった。Λ不要説はその後どうなったか?1960年代から不死鳥のように甦り、1998年その必要性が確かなものになる。つまり“誤り”を認めΛを排除したことこそ“誤り”だったのである!
著名は科学者が犯した失敗を面白おかしく書くだけでもそれなりに興味深い本になるだろう。しかし、著者の意図は無論そんなところにはない。失敗に至るプロセス、そして失敗が明らかになった後の当人たちの立ち居振る舞いにこそ、輝かしい業績を生み出す資質が潜み、科学者のみならず市井人にも学ぶことが多いことを伝えることが本書の核である。
著者は米国の天文物理学者。何冊か科学ノンフィクションを出しており、作家としてもプロなのだろう。本書の構成にも工夫の跡がうかがえる。5つの失敗事例はそれぞれのテーマから一見独立したように見えるが、次の話につながるようになっている。ダーウィンの進化論には地質学からの考察が欠けている。それをケルヴィンの地球年齢推算へバトンタッチ、このバトンが最後の一般相対性理論へと渡されて終わる。「先生!やってくれるじゃないか!」
最後に特記しておきたいのは翻訳者(千葉敏生;数学専攻)の資質と努力である。原注・参考文献の日本語版なども調べ、さらに訳注を随所に盛り込んで、日常から遠い世界の話(生理学や宇宙物理学など)を分かりやすくしてくれている。早川書房の翻訳の質は総じて高いが、本書はその中でも出色の出来栄えである。
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