2016年5月31日火曜日

今月の本棚-93(2016年5月分)


<今月読んだ本>
1) 世界最強の女帝 メルケルの謎(佐藤伸行):文藝春秋社(新書)
2) 薩摩スチューデント西へ(林望):光文社(文庫)
3) 人類を変えた素晴らしき10の材料(マーク・ミーオドヴニク):インターシフト
4)日本陸軍とモンゴル(楊海英);中央公論新社(新書)
5)情報機関を作る(吉野準);文藝春秋社(新書)

<愚評昧説>
1)世界最強の女帝 メルケルの謎
2014年のウクライナ内戦、つづくギリシャ債務危機、昨年秋からのアラブ難民欧州大量流入、いずれも欧州の政治経済に混乱が生ずると、ドイツのメルケル首相が捌いている感があり、その存在感はオバマ米大統領を上回る。米紙『タイム』は2015年の“パーソン・オブ・ザ・イヤー”に選んでいる。彼女が際立つのはドイツゆえか?はたまたメルケル個人か?そんな興味から本書を手に取ることになった。
東ドイツ出身の物理学者と言うことは早くから伝えられていたので、てっきりガチガチの共産主義家庭生まれ育ちの人物と思い込んでいたが、本書を読んで先ずその先入観を正されることになる。生まれは西ドイツ・ハンブルク、プロテスタントの牧師であった父が教会に命じられて東ドイツで布教活動をするために生後間もなく(1954年)移住、彼の地で35年余を過ごした後、冷戦終結・ドイツ統一によって政界入りしたことを知った。それにしてもドイツ統一は事実上西ドイツによる東ドイツ吸収合併である。政治家としての経験が浅く、西ドイツに強固な政治基盤を持たない彼女が短期間で頂点を極め、海千山千が揃う欧州政治家の中で断トツの力を発揮していることには、現地ジャーナリストですらうかがい知れない謎が多々ある。これを日本人向けに出来るだけ明らかにすることが本書の意図である。著者は時事通信社ボン支局、ベルリン支局、ウィーン支局に長期駐在経験のある記者、欧州人とは異なる視点(独・中・日)からの考察は、これからの日独(あるいは日欧)関係を考えるに当たり示唆に富む内容であった。
誰も(特に旧西ドイツ人)が知りたいことは東ドイツにおける彼女の経歴である。「共産党一党独裁体制と関わる暗部があるのではないか?」 これについて彼女自身は多くを語らないので秘密警察の資料など漁るが政治絡みの情報は全く見つからない、残る記録には「高校時代からロシア語に極めて優れていた。そのためモスクワ旅行の特典を与えられた」と言う程度である。このロシア語能力は際立つもので、プーチン大統領も高く評価している(二人だけで政治談議が出来る)。共産党の下部青少年組織に属してはいたもののさしたる重要な地位には着いていない。
語学の他の学業成績は理系に優れ、大学では物理を専攻、研究所に就職し同僚のメルケル氏と結婚するがやがて離婚(姓だけはそのまま残す)、冷戦崩壊後再婚して現在に至っている。その夫も彼女を語ることは少なく、全体に家庭像がはっきりしない。
政治家への転身は統一の少し前、一党独裁が壊れてから東独のキリスト教民主同盟に参加、やがて統一を実現したコール首相の目に留まり、それ以降とんとん拍子に出世していく。この過程は本書やそこに引用される他のメルケル物でかなり詳しく掘り下げられるが、結果として“取り立ててくれた人を踏み台にしてさらに上を目指す”ところがクローズアップされる。これが計算ずくなのか、あるいは偶然なのか((コールを切って捨てる場面をみると偶然とは思えない)。とにかく権力志向には並々ならぬものがある。
また、アイディア・知恵を広く求めるタイプではなく、記憶力に優れ(象のような記憶力)、一人でじっくり考え抜き断を下すタイプ。何を基準に判断するのか、どんなプロセスでそこに至るのか、なかなか外から窺がうことのできない意思決定(“出口から考える”と言う説がある)。
以上のように今ひとつ理解できないことに満ちた人物、さらに「政治の世界への中途参入者は大成しない」と言われるドイツ政界で10年以上にわたり宰相の地位にある奇跡の人物、それがメルケルなのである。つまり今日ある存在感はドイツよりはメルケルゆえなのである。
先に本書がこれからの日独関係を考えるに示唆に富むと書いた。それはメルケルの対中政策にかなりの紙数を割いて解説した上で(独中ユーラシア枢軸の衝撃)、昨今の日本における嫌独・反独風潮に、「それこそ中国(および韓国)の思うつぼ」と警告を発していることである。自身最近とみにその傾向があり、反省させられた次第である。

2)薩摩スチューデント 西へ
3月下旬家内の両親の墓参をかねて子・孫を含め全員9名で鹿児島市を訪れた。私にとって鹿児島訪問は1972年以来46年ぶりのことである。半世紀近く前最も印象に残ったのは桜島を遠望する島津別邸(磯庭園)に隣接した“尚古集成館”と名付けられた小科学博物館、幕末の我が国科学技術の一端に触れられる貴重な資料がそこに保存・展示されているのだ。今回の鹿児島行に際し、皆に見せたい第一の場所がここであった。本書はその売店コーナーで求めたものである。
多くの人と違って、幕末・維新の政治史(思想や各藩あるいは志士たちの動き)にはほとんど興味がない。「どうせあとから作られた歴史」と思うからである。それに比べると科学技術史や行政・統治史は事実に基づくだけに、身近に感じるし信用できる。特に明治維新後の社会改革(近代的な政府・軍の創設、産業振興策)は世界史でもまれに見る速さで見事に進められ、当時の推進者たちに対する尊敬の念は一入である。ただいつも疑問に思うことは「長い鎖国状態にありながら、近代化推進者たちがどのように欧州の統治システムや先端科学技術に関する知識を我が物にしたのだろう?(語学習得でさえ容易でない中で)」と言うことであった。徳川幕府が僅かは留学生を送り込みその中に渋沢栄一が居たことや伊藤博文が密航に成功し英国までたどり着いていること、あるいは長崎出島における蘭学の歴史くらいは知っていたが、その程度の海外往来であの大社会改革が短期に進められるとは到底思えなかった。しかし本書を読み、幕末の薩摩藩(および長州を含む少数の藩)と海外の関係を知り「こう言う前段階があったのか!」と疑問に対する答えの一端を得ることができた。
本書は、1865年薩摩藩が禁を犯して英国に送り込んだ15人の留学生と引率密使4名の物語である。攘夷思想から1862年生麦事件で英人を殺傷した薩摩藩士の行いは翌年の薩英戦争につながり薩摩は大艦巨砲に敗れ、近代技術の威力を痛感させられる。これからは単に工業製品(主に兵器)を購入するばかりでなく、自ら作り運用する体系まで一新することが必須と考えるようになる。派遣されたのは、引率者や土佐藩脱藩者1名を除けば10代後半~20代前半の若者ばかり、13歳と15歳まで居る。皆武家の出身者だがそれほど高位の者は居らず藩校などで資質を見込まれた者が選ばれる。海外渡航は死罪の時代、薩摩藩は奄美・琉球への用務と称して彼らを送り出す。それぞれに課せられた課題は、機械・造船・築城・航海術・医学・化学・文学など多岐にわたる。裏で渡航手続きや訪問先さらには滞在・学習先を整えるのは長崎のグラバー商会。
323日(陰暦)串木野に近い羽島の浦を密かに小型の英船で発ち先ず香港へ。ここで汽船に乗換えてシンガポール、ペナン、ゴウル(セイロン島)、ボンベイ、アデンそしてスエズで上陸。スエズからカイロを経てアレキサンドリアまでは鉄道。アレキサンドリアからは5千トンの大型船でマルタ、ジブラルタルを経てサザンプトン入港は528日、約2ヶ月にわたる航海の末英国に達する。本書の過半はこの道中における、出来事やそれぞれの印象、言動に費やされるが、食事を始めすべてが初体験ばかり、面食らいながらも新知識を国づくりに生かそうとする姿が、時にはユーモラスに、時には深刻に描かれる。
本書は小説(フィクション)である。しかし、素になっているのは留学生たちが残した日記や文書、さらには現地に残る当時の新聞記事などであるから、ノンフィクションとしての価値も充分あり、明治以降の近代化につながる情報は尽きない。例えば港湾の規模と設備、鉄道の利便性、スエズ運河開削における巨大土木工事、アデンやマルタにおける守備強固な城砦、巨船を作りだす大規模な造船所など。これらに彼らがどう感じ入り、国情に合わせるべく消化していったかを知るとき、アジアで唯一植民地にならず、今日先進国の一角を占めることが出来ていることは、彼らのような草の根レベルの努力が寄与していることに、あらためて驚かされ、感謝の念すら沸いてきた(これを決した薩摩藩上層部の英断と併せて)。
著者は古書学の専門家、本書のための調査もこの点で抜かりない。例えば、英国に落ち着いた後、農機具製造会社の見学に関する記述では当時の英国地方紙の記事まで掘り起こしていることが分かる。工場見学の後、農業機械(蒸気機関で動く刈り取り機)の試運転農場に出かけると競って運転を習いたがり皆短時間でそれを体得してしまうことに、会社役員や技術者が感心する記事が残っている。(上から目線ではあるが)「日本人は他の民族とは違う」と。現代の我々にそれだけの気概が引き継がれているだろうか?

3)人類を変えた素晴らしい10の材料
工学部ではいずれの学科でも材料について学ぶ。機械工学の場合は主にその対象は金属材料である。必須科目である材料力学はともかく、私はどうもこの分野に興味が持てなかった。素材によって理論に一般性を欠き、あれはあれ、これはこれとやたら憶えなければいけないことが多かったからである。爾来材料に関して興味を持たなかったし、幸い仕事でも深くかかわることはなかった。しかし、本書を読んで「こんな先生に教えられれば、材料に対する関心も少しは違っていたかもしれない」と “偏見”を改めさせられた一冊である。
取り上げられる材料は、鉄鋼・紙・コンクリート・チョコレート(これは“材料”なのか?)・泡(泡状にした材料)・プラスチック・ガラス・グラファイト(炭素固形物)・磁器・インプラント材(身体補強材)の10種、いずれも身近に存在するものばかりである。
著者はオックスフォード大学で材料科学を専攻し現在は同分野をロンドン大学で講じている英人教授。“こんな先生に・・・”と書いたのは、工学的な細部ばかりでなく、発明・発見の動機、科学的(量子力学まで踏み込んだ)特質の依ってきたる由縁、用途に応じた変化・改善、更には社会変革への波及効果まで、“材料と社会” と言う視点から語られるからである。加えて執筆スタイルは10種について同じではなく、テーマによって変えることで、最後まで飽きさせずに読ませる。つまり“教える”ことに工夫と情熱が注がれていることが伝わる書物なのである。
それぞれのトピックスを掻いつまんで紹介すると;脆い銑鉄を強靭な胴の部分と切れ味鋭い刃の部分を作り分ける日本刀の生産技法。ステンレス鋼の出現で味のしない金属食器が出来、スプーン・ナイフ・フォークが普及;紙の種類と製法が用途によって如何に多様であるか(トイレットペーパー、紙幣、印画紙、切符);日常用品としてのコンクリートの最初の用途は植木鉢(素焼き・テラコッタ)の代用だったが気候変化に弱かった。これを針金で強化してひび割れを防いだ(コンクリートと鉄の親和性)。ここから建築材の主役が誕生した;チョコレートはカカオ豆を焙煎・粉末化し砂糖を混ぜた物とは全く違う。600種を超える分子のカクテル、極めて複雑な製造工程を経てできあがる(豆を一旦腐らせるところから始まる。著者は偉大な技術的成果の例としてこれを“材料”として取り上げている);泡製品には種々のベースがある。ゴムやウレタンなどからシリカや金属まで、靴底から断熱材、宇宙物理学実験材料まで広範に泡技術が使われている;プラスチック(セルロイドを含む)がなければ音楽も映画も楽しめない。玉突きの玉は当初は象牙製であったがセルロイドに変わる、ぶつかった時の音が微妙に違いピストルの撃鉄を起こした時と酷似、そこで惨劇が起こる。映画「明日に向かって撃て」のシーン;紙・火薬・羅針盤を発明した中国がガラスに関しては何の貢献もしていない。これが天文学(望遠鏡)や医学(顕微鏡)あるいは化学実験器具の発展を遅らせ、東アジアが西欧に近代工業で差をつけられた一つの原因とも言える;グラファイトは鉛筆から工業用ダイヤモンドまで広く利用されているが炭素繊維、カーボンナノチューブはさらに材料としての世界を広げる。同じ炭素から成るが何が違うか;素材と焼成工程による微妙な変化が芸術と技術の融合物を生む。中国の陶磁器再生を目指すところから始まる西欧の陶磁器開発;歯・骨・軟骨・気管・血管、インプラント材は不死を実現するか?
当然のことだが中心になるのは科学的解説である。しかし中学生程度の理科の知識で概ね理解できるように記述されており、“易しい科学読み物としてお薦めである。“ビルゲイツ氏も絶賛!”

4)日本陸軍とモンゴル
満州物は随分読んできているがモンゴルとの関係は専らノモンハン(生年に発生)だった。本書のタイトルを見て、始めは「これも同じかな?」と思ったが、カバー裏の要約を見て、それとは異なりあの時代の蒙古独立運動と深く関わる内容であることを知り、さらに著者の経歴を見て、「これは知らないことが多そうだ」と購入した。著者が大野旭という日本人ペンネームも持つ1964年生れの南モンゴル人(中国内モンゴル自治区出身なので国籍としては中国人)だったからである。本書を読みながら感じたことは「著者はもう故郷(内モンゴル)に帰ることはできないのではないか?日本に帰化したのだろうか(静岡大学教授)?」との疑問である。そのくらい現代に続くモンゴル人から見た反中国活動の歴史と独立願望に満ちた内容なのである。
我々がモンゴルに関し世界史・日本史で学ぶのは、ユーラシア大陸の過半を制したジンギスカンとその子孫によるモンゴル帝国、中国を制覇したフビライの元帝国である。しかし近世以降は衰退著しく、ぼんやりした概念しか浮かんでこない。独立国家として存在するのはモンゴル国(旧モンゴル人民共和国)だけ、これに現在は中国の一地方政権である内モンゴル自治区の二つに“モンゴル”が残るに過ぎない(以下内モンゴル人もモンゴル人と記す)。しかし、両者は民族・言語・生活様式は全く同一、本来は一つの国として存在すべきものだが、大国(ロシア、中国)の都合によって2分されて久しい。バルカンあるいは中東やアフリカで起こっている紛争と同様の火種がここにもあるのだ。
ロシアはそれでも革命後モンゴル族の国家樹立を認めたし、ロジア人がその土地に大量植民することもなかったが、中国は違った。清朝衰退・崩壊で長城の北が禁断の地でなくなってからは陸続として漢族が侵入、牧草地を畑地に変えて、結果として砂漠化が進捗して、遊牧民の生活の根源を奪うことになるのだ。加えて中華思想(序列意識)は遊牧民をあからさまに見下す。ゆえに、モンゴル人の反大国意識はロシアにくらべ中国の方が圧倒的に高い。
モンゴル人の間で、東アジアで近代化を進める日本に学び、独立支援を期待する空気が高まってくるのは、特に中国が群雄割拠でまとまらない清朝崩壊以降、有力者子弟の若者が日本に留学するようになる。その中にモンゴル貴族の一人ジョンジョールジャブが居る。父のバボージャブは日露戦争では日本に組し、その後独立を目指して中華民国に弓を引くが戦死、兄のガンジョールジャブものちに弟とともにモンゴル独立軍を率いることになる、親日的な独立の志士一家の一員である。ジョンジョールジャブは1922年来日、東京府立第6中学校(現都立新宿高校)に入学、そこから陸軍士官学校に進み優秀な成績で卒業する。丁度この頃母国(内モンゴル)ではジンギスカンの末裔と言われる徳王が中国からの自決運動を開始する。
本書の内容はこのジョンジョールジャブを中心に内モンゴル独立運動と日本陸軍(特に関東軍)との関係を詳述するもので、時期的には断片的な前史のあと満州事変(1931年)から綏遠(すいえん)事件(1936年;徳王による北支綏遠省攻撃;国民党軍に撃退される)を経て終戦までを取り上げ、そのための蒙古自治邦(徳王の支配域)における軍事組織、中堅士官教育(特に副題の興安軍官学校;モンゴル版陸軍士官学校;ガンジョールジャブも一時校長)、作戦行動などについて、日本・中国・内モンゴルの資料に当たりながら実態を詳らかにする。粗筋は、当初日蒙の理想が一見一致しているように見えたが同床異夢、日本の狙いはあくまでも対中国政策の一環としてモンゴル族を利用したに過ぎず、独立国を作ることには熱心でなかった(国でなく“邦”としたのもそれゆえ)。独立の志士たちは日本不信に陥り、やがて離反していく。一方で、関東軍中央もモンゴル人の理想に共鳴し献身的に協力する日本人を“蒙古狂”と遠ざける。そのクライマックスは194589日のソ連参戦、モンゴル軍参謀長となっていたジョンジョールジャブ少将は日本に反旗を翻しソ連側寝返る。
終戦。満州・内モンゴルはソ連軍に占領されている。モンゴル人民共和国と一体となることで中国からの離反を実現できるのではないか、そんな期待感が内モンゴル人に沸き起こる。しかしヤルタ協定には“中ソ国境は変更なし”と記されており、この夢も叶わない。中共が大陸を制覇するとジョンジョールジャブはソ連から中共に引き渡され1967年、文化大革命の中で自死する。
本書の価値は何と言っても、モンゴル人から見た当時の日本そして現在に至る中国との関係。著者は1964年生れだから基本的に文献調査が主体、引用されたモンゴル・中国に残る資料は、おそらく日本側では参照される機会がない新鮮なものばかりと推察する。中国側の資料はかなり改ざんされているようだが、重要と思われる部分には著者の注もあり、モンゴル人の真意が伝わってくる。多くの場面で語られる、日本への期待と信頼関係を築けなかった忸怩たる思い、モンゴル人の強烈な反中国意識(その点で中国描写にはバイアスがかかっている可能性も否めないが)などがその例。大事にしたい親日民族である。

5)情報機関を作る
情報技術を生業としてきたこと、これと近代兵器システム発展史の関係を趣味として追ってきたこともあり、国家の命運をかけたスパイ(諜報、防諜)戦には、フィクション、ノンフィクションに限らず興味がつきない。本欄でも、CIAFBIKGBMI-56、モサドといろいろ紹介してきた。しかし我が国の諜報活動となるとあまり緊迫感の感じられない23の小説の他は畠山清行の力作ノンフィクション「秘録 陸軍中野学校」を取り上げたくらいで、戦後のものは全くない。そんな時本書の平凡な題名の最後にある“作る”に目が行き手に取った。著者紹介を見て即購入。キャリア警察官僚、警視総監まで上りつめ、その間公安・外事担当、在外大使館勤務(冷戦下のユーゴスラヴィア)まで経験している人だ。本格的な諜報戦の“今”と我が国の実情を知ることができるのではないか、そう期待して読むことになった。
題名が示すように、本書出版の主意は、国家安全保障・テロ防止のために独立・専門の情報収集分析・防諜組織を持つことの必要性を訴えるもので、佐々淳行(警察庁、内閣安全保障室長)や佐藤優(外務省、ロシア専門職)の主張などと重なり特に目新しいところはないが、情報組織作りの手順(人材養成・エージェントのリクルートから始まる)説明に、犯罪捜査や防犯活動などの経験・知識を援用したり、作家の講演録や優れたスパイ小説・犯罪小説の一コマを利用して、政策提言や“べき論”に終始するものとは異なる味わいをだしている。
例えば、この種の書き物でしばしば指摘される“日本人は古来情報活動を重視しない”ことの背景説明に、司馬遼太郎が語った「およそ情報と言うものは、水田農業に必要なものではなかったのです。それどころか時には村の平和を乱すものであり、庄屋が握りつぶすような社会が長く続いたのです」と始め、牧畜社会のおける情報の重要性に転じ、「情報という感覚を失うとき、国家は滅びるのです」と結ぶ。軽薄なジャーナリスト、堅苦しい学者、しゃくし定規な官僚よりは分かりやすく、説得力もある(農耕民族情報不要説に全面的に賛成するわけではないが・・・)。
プロの難しさを理解させる場面では、警察学校における初等刑事教育の一端、“尾行”を例に取り上げる。教官の帰宅(寄り道せず直帰)を自宅まで訓練生に追わせるが、成功する者は皆無。特に新宿駅や池袋駅(かつて警視庁の警察学校は中野にあった。旧陸軍中野学校跡)で見失ってしまう。そんなことを全く知らない外務官僚が「チョッと尾行の仕方を教えて下さい」などと言ってくる。
手の内を公開できないスパイ活動については、「多くの作品が役に立たない荒唐無稽なもの」と断じながら、ジョン・ル・カレ(MI-5、-6に一時在籍)とフレデリック・フォーサイス(空軍パイロット、通信員)の二人は別格と位置付けてその作品を引用する。フォーサイスでは「オデッサファイル」における調査と追跡が、ル・カレの「リトル・ドラマー・ガール」からは敵対組織への潜入が解説材料として取り上げられる。
この種の情報組織はプロの世界、ギルドの世界である。ある意味では敵対組織ですら仲間であり(著者をスパイとして取り込もうとした国があった)、そこで認められるか否かはプロとしての技量の高さと実績にある。専門組織がないと入口で弾かれるし、日本の官僚組織のように数年で職場を変えるようなキャリアパスでは技量も磨けない。結果として信用できる(される)人的ネットワークを構築できない。プロパー採用でこの道一筋の人間と(内閣直轄)組織を作ろう!警察庁、防衛省、外務省それぞれの役割との棲み分けまで踏み込んだ提言は納得できる内容だが、肝腎の政治家たちがこれで動き出すとは考えられない。ほとんどが国際社会とは無縁と思っている“地方農村社会”を票田とするからである。また、世論やジャーナリズムもスパイを“忌まわしいもの”と見做す傾向が他国に比べ異常に強い(朝日を始めとする大手メディアのノー天気な話がいくつか紹介される)。細部は面白い本ではあったが、実現の難しさを再認識させられる。そんな無常観が残る一冊でもあった。

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