15 .中正紀念堂
今朝の花蓮は時に小雨もパラつく曇天。列車の行程のほとんどはそんな天気だったが、台北は幸い雨ではなかった。むしろ明るさが増し、あまり湿気を感じさせなかった。部屋でチョッと昼食休みをとって2時過ぎホテルを出た。これから4時過ぎに近くのシェラトンを発つ台北郊外の老街九份(きゅうふん)観光までの2時間弱 と言う中途半端な時間をどうするか、事前に二つの案を考えていた。雨が降ればホテルに隣接するショッピングセンター、デパートなどを巡る。降りそうもなければMRTで二駅の中正紀念堂をザーッと観て廻る。何となく「この分なら夕方まで降られることはないだろう」と言うような空模様に中正紀念堂行きを決める。
台湾の街にはどこにも中山、中正と名付けられた大通りが在る。中山は孫文、中正は蒋介石の“本名”である。中正紀念堂とは蒋介石の遺徳を偲ぶためのモニュメントである。1980年竣工だから、建造物として歴史的な価値があるわけではない。また本土から亡命した政権(外省人)の台湾統治は過酷なもので、元からの台湾人(内省人)にとっては忌まわしき思いも多々あるようだ。従って民進党が初めて政権の座についたときには、一時期“台湾民主紀念館”と改名し、国民党が復権して再び元の名前に戻った経緯がある(現在は民進党の総統だが名前はそのままになっている)。
中国本土へ仕事で出かけたのは北京のみ、土曜日に発ち日曜日万里の長城や明皇帝の御陵、そして天安門広場と故宮(紫禁城)などを訪れた。建造物(建物、広場)に対する印象は“とことん威容でおどかす”スタイル。日本人の感覚では“見てくれ・ハッタリ”で品格を感じない。台北で、と言うよりも台湾でその本土スタイルを再現しているのがこの紀念堂と台北駅である。本来の台湾文化(素朴さ、優しさ)とまるで整合性がとれていない。建てられた土地はもともと日本軍歩兵連隊跡だそうだが、広大な土地に、中正紀念堂の他に国立戯劇院、国家音楽庁が広場を囲んでそびえ立っている。
中正紀念堂は広場の東側にあり(西に在る大陸を遠望する)、89歳で死去したことにちなみ、89段の階段を上って、巨大な蒋介石像が収められたホールにたどり着く。チョッとワシントンDCのリンカーンモニュメントに近い感じがする。違うのは儀仗兵二人が常時その両脇に不動の姿勢で侍っている点である(アーリントン墓地同様、1時間ごとの交代式が見ものの一つ)。平日の午後、それでも観光客でそこそこ賑わっているのは、この交代式の人気もあるようだ。
銅像の下は博物館になっており、蒋介石の著作、日常利用した衣服を始めとした生活用品や車あるいは歴史的会談(カイロ会談など)での各国首脳との写真などが展示されている。この中には日本の陸軍士官学校生時代や戦後の日本との交流に関するものも多く(ほとんどに日本語の解説がつく)、日本人にとっては近代史を身近に感じられ、一興の価値があった。
(写真はクリックすると拡大します)
(次回:九份)
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